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2006 FUNKY Petit HOKKAIDO 後編

五色温泉旅館別館の外観



雨が上がり青空も見えてきたが・・・。
ニセコアンヌプリ 1,302mが見える。


朝食を食べに本館へ


朝食は定番メニュー


出発前のひととき。


しまむらの秘密兵器。


イワオヌプリを背景に

▼白い閃光
白い閃光が走り直ぐその後を追って雷鳴が鳴った。それはいつも聞く雷鳴とは違い、下から聞こえたような気がする。何時なのだろう。外はまだ暗かった。私は白い閃光で目が覚めた。外では雨が降っているようだ・・・。そして私はまた夢の世界に戻っていく。

私が次に目が覚めた時、外は明るくなっていた。窓の外に目をやると雨は上がったようだ。年寄りがまた一番に目が覚めた様で、皆さんはまだ夢の世界にいるようである。私は温泉宿に泊まった時、いつもするように温泉に向かった。

別館の温泉は内湯と露天風呂が有り、両方共石造りの綺麗な湯船であった。誰もいない湯船に一人で入り、まったりとした時間を過ごす。温泉から上がって脱衣所に行くと洗面台にドライヤーが有る事を発見する。これは大二郎の内装を乾燥させるのに使えそうだ。部屋に戻ると皆さんも起き始めていて、今入って来た温泉を勧めておく。朝食までの時間を各自温泉に行ったり横になったりして過ごす。




                                   別館の露天風呂。石造りで綺麗な造りをしている。


▼M氏の後継者

朝食の時間になって本館に向かう。ここの朝食は一般的な献立てで特筆すべき物は無かったが、一つ問題が起きてしまった。食卓には鯖の焼き物が各人に一皿づつ付いていたのだが、A氏がその鯖に箸を付けた瞬間顔色が変わった。

「何だッ。こりゃ・・・。」 彼の鯖は生焼けでとても食べられる代物ではなかったのだ。

しかし気の優しいA氏は、係りの人を呼びつけて文句を言う訳でもなく、鯖抜きで朝食を終えたのであった。今までFUNKYで美味しくない物を引き当てる人物と言えばM氏と相場は決って?いたのだが、最近はA氏に起こる様になって来た。これはM氏からA氏にバトンが渡されたと言う事なのだろうか。M氏にもようやく後継者が出来て引退の時期になった・・・のか?

M氏にとって 「これってめでたい事なの・・・?」

食事を終え別館に戻って来ると雨が落ちて来た。路面は見る見るうちにウエットに変わっていく。せっかくパノラマラインをドライで走れると喜んでいたのが台無しである。しかし、雨は通り雨であったようで直ぐに上がったのだが、路面が乾くまで少し時間が掛かりそうである。路面が乾くのを待つ為出発時間を九時半に設定、それまで各自時間を過ごす事になった。

私は大二郎の乾き具合を見てみる。やはり内装パッドは生乾きで、このまま被るのには勇気が必要な状態だった。そこで脱衣所の洗面台に有ったドライヤーで乾燥させる事にした。ドライヤーを掛ける事10分、何とか被れる状態になったのだが、加齢臭からの脱却は無理だった。内装パッドだけではなくヘルメット本体の内側にも加齢臭は入り込んでおり、本体へのファブリーズが必要のようである。


FUNKYの秘密兵器

FUNKYで昨年あたりからトレンドになりつつある物が有った。それは五本指の靴下、軍足?である。私は使い初めてからもう5年以上経つが、U氏やK氏は昨年あたりから使用している。

私は今回北海道に向けて軍足のニューモデルを準備していた。それはしまむらで購入した底にイボイボは付いた軍足(発売元 しまむら 中国製 四足で980円 税込み価格)で、U氏の履くユニクロ(中国製 三足で990円 税込み価格)と比べると、一足お得なだけでなく底に滑り止めのイボイボが付いている優れものである。

5本指靴下の優れているところは足の指が個々に動かし易いところで、足の裏で地面(スッテップバー)を掴む感覚に優れている。私やU氏が履く軍足を羨ましそうに見つめる人物がいた。それは生れてから今まで一度も軍足を履いた事のが無いと言うM氏であった。

私はそのしまむらのニューアイテムを今回四足持って来ていて、まだ三足が未使用になっていた。ウインドーに顔を押し当ててオモチャを見つめる子供の様に、M氏は私の軍足を見つめている。

私 「わかりました。一足お譲り致しましょう。」 M氏の顔に笑みがこぼれた。

私から250円でイボ付き軍足を手に入れたM氏は、早速試着し板の間に足を擦りつけイボの具合を確認したり部屋の中を子供の様に歩き回っている。男と言うものは、欲しいものを手に入れて時、子供に戻ってしまう様である。

それは昨日のお話であったのだが、私のイボ付き軍足を狙う人物がもう一人いた。出発の準備している時、彼は三人が軍足を履いているのを羨ましそうに見つめていた。その姿を見て私は

  「わかりました。一足お譲り致しましょう。」 

私の軍足の中からバイクの色に合わせ薄い緑色の軍足をセレクトしたA氏は、早速履いて満足げな表情を見せる。これでFUNKY全員軍足を履いてニセコパノラマラインを走る事になったのだが、イボ付き軍足効果がてきめんに現れたのは何とA氏であったのである。


▼パノラマラインを一往復半

出発時間になり玄関に降りて行くと、宿の人がいて少し話す事が出来た。この別館は宿泊だけではなく、土・日・休日には日帰り入浴も行っていて、彼はその為にいるのだと言う。別館の温泉は本館とは源泉が別で、本館と別館の間の池の様になっている所が源泉なのだそうだ。その為泉質が本館と微妙に違っていて、別館のお湯が気に入って入りに来るお客さんもいると言う。

本館の源泉は道を挟んだ向かい側に在る「ニセコ山の家」と同じ源泉で少し上の国有地に有るらしいのだが、別館の源泉が出ている所は五色温泉旅館の私有地だそうで、その源泉を使って新しい温泉施設を造っている模様だ。次回ここを訪れた時、新たな温泉施設が出来ているかもしれない。 楽しみである。

バイクに荷物を積んで我々は五色温泉を後にする。路面は乾いてきてはいたが、完全なドライとはいかず所々濡れている。昨年ニセコの山をバックにした写真を撮りそこねた為、今回は山をバックに写真撮影を行った。しかし、山の上半分に雲が掛かっていて綺麗な写真が撮れなかったのは少し残念だった。

パノラマラインを岩内側に下って行くと、昨日の様にガスに包まれ先が見えなくなる事は無かったが、所々に雲が掛かっていて視界が悪くなる個所が有った。この下りは下見を兼ね無理をしないでクレールチーズ前のパーキングまで走る。


▼二年間の成長!

道路状況も把握したのでパーキングでUターンした我々は、神仙沼を目指して上って行く。ここでM氏とA氏を前に出し、私はその後を追う。ここでしまむらイボ付き軍足効果?を最も発揮したのがA氏であった。A氏はM氏から離される事なく後ろをピッタリとマークして走っているではないか。

A氏がFUNKYで走るようになってから2年の歳月が流れていた。最初の頃、A氏の後姿を見られるのはコーナーの2つ目位までで、次にM氏を見るのは止まってタバコを吹かしている姿だった。そのA氏が今、M氏の後ろをピタリとマークして走るまでになっている。

彼はこの2年時間、忙しいスケージュールをやりくりしながら殆んどのFUNKYツーリングに参加してきた。その地道な努力が今M氏を追っている姿に繋がっているのだ。彼が夢中でM氏の後を追っている姿を見て、私は何か熱いものを感じていた。

ここに来るまで彼の努力も当然あったと思う。しかし、それだけではここまで来れなかった筈だ。チームメンバーの叱咤激励、アドバイスなどが有ってはじめてこれたのだと思う。そして、ここは通過点であり到達点ではない事を肝に命じてほしい。

これから先に学ぶべき事は山ほどあり、そしてそこからもらう喜び感動も山ほどある。たかがバイク、されどバイク。難しい事ではなく、バイクが好きで、走るのが楽しくて、バイクが上手くなりたい。その為にまた走る。そんな事で、私なんかもう27年もFUNKYやっちゃってますから・・・。

神仙沼まで一気に上り、そして一気に駆け下った我々はパノラマラインを充分にエンジョイした後、十時過ぎクレールチーズ前のパーキングにバイクを停める。





ニセコパノラマラインを一往復半してパーキングに入る。













今日はソフトを食べました。
これもまた美味い。



この方がお姉さま。
楽しい時間を過ごさせて頂きました。

▼リヤタイヤ ご愁傷様 チィーン!

パノラマラインを走り終えた我々のリヤタイヤは、過酷な仕事をした後の表情を見せていた。M氏のセンター部の溝は消えかけており、溝の役目を殆んど果たせない状態になっていた。私のリヤもマークが完全に出ていて、二人共この時点での磨耗具合は想定内であったのだが、この状態でウエット路面がは走りたくなく、この後雨が降らない事を祈るばかりであった。





▼お姉様!

我々はクレールチーズのソフトを食べる為一階のカウンターに行ったのだが、そこには誰もいなかった。呼び鈴を何回も押したが誰も出て来ず、まだ開店していないのかと確認したら十時からになっていた。更に呼び鈴を押し続けていると、息を切らせて昨日のオネエさんが奧から出て来た。

無事ソフトを手に入れた我々は、外に出てソフトを味わう。するとそこに先ほどのオネエさんが出て来て我々に話し掛けて来た。お話し好きのオネエさんは2日連続で現れた我々に興味を持たれた様で、何処から来て何処に行くのかとか、昨日は何処に泊まったとか、何時まで北海道にいるのかだとか、矢継早に質問を浴びせて来る。

質問が一段落すると今度はオネエさん自信のお話をしてくれる。彼女がこの地に来たのは五年程前だそうで、それまで東京に住んでいた彼女は妹さんに誘われてここ岩内に来たそうだが、住所はまだ東京に置いてあると言う。このお話を聞いた私は、昨日から私の中で燻っていた疑問が解けた。

昨日チーズを買う時に話した二階のドアー話に彼女が乗り気でなかった理由は、昨年私が話した相手が彼女ではなく彼女の妹さんであったからだった。私も一年振りのことで昨年お話した女性の顔におぼろげな記憶しかなく、カウンターに居た女性を昨年と同じ女性と思い込んでしまっていたようだ。

そういえば昨日、二階の喫茶店にお姉様に似た方がいらっしゃったのを思い出した。昨年お話した女性は十年以上前の事に詳しかったから創業以来ここにいらっしゃる妹さんに違いなかった。これで私はスッキリした気持ちでクレールチーズを離れる事が出来る事になったのである。



















毛無山展望台パーキング。
後ろには雨雲が迫っていた。


眼下の小樽の街は霞んでいた。

















札幌では札幌のラーメンを食する。
ネギラーメン 旨かった。
▼雨雲との攻防が始まった!
クレールチーズを出た我々は、ワイス温泉へのスペシャルステージへと走り出す。先頭は私、そこそこのペースで走り出しこれからペースを上げようかと考えていたら路面が濡れてきてしまった。山の上より麓の方が濡れているとはどういう事?

 「信じられない!」 って感じ!?

せっかく楽しみにしていたステージは、ただの消化試合になってしまった。特にリヤタイヤに不安が有る私は、アクセルを大きく開ける事は躊躇われ全く楽しくなかった。M氏も同感であったろう。ワイスまで行くつもりだった私だが、ウエット路面に行く気が失せ小沢に抜ける近道に入る。狭い道を抜け我々は国道5号に出た後、昨日通って来た道を逆に走って赤井川から小樽を目指す。

赤井川からキロロ、小樽へと向かうこの道を走るのは何年ぶりだろうか。多分前回走ったのは十年位前だった気がする。キロロが出来るまでは通る車も少なく結構楽しめたこの道も、キロロが出来て車が増え少し走りづらくなっていた。今回通ったこの道は車が多過ぎて追い越しもままならず全く使えない道になっていて、我々は車の後で時間を過ごす事になってしまったのである。

キロロ付近では開発が進んでいて、道の両側に色んな施設が出来ており人や車で混雑していた。、これからもこの道を走る車は増えていきそうで、今後このルートを選択する事は無い・・・かな?

小樽の街を見下ろす毛無山展望台のパーキングにバイクを停め、休憩を取る。眼下の小樽街は霞んでいて良く見えていない。休憩しているとポツポツと雨粒が落ちて来る。携帯の雨雲レーダー画像によると西から雨雲が迫っており、ここもももう直ぐ雨になる様である。

我々は急いで毛無山を発ち、九十九折の道を下って朝里に抜ける道に入る。すんなり朝里温泉に出るかと思ったら結構ややこしい道で、少し不安になってしまったが、何とか朝里川温泉に出た我々は定山渓に向かう。朝里ダム前のループ道路を過ぎると路面が濡れてきて、オマケにコーナーはグルービングロードに変わった。

この朝里ダムから定山渓までのルートは結構楽しめると読んで今回設定したのだが、コーナーのグルービングが邪魔になって朝里峠の朝里側は使えない事が分かった。峠付近は新しい道とトンネルで道はよかったのだが、直ぐ下が崖でハイぺースで走る道ではなく、このルートも使えないかな・・・。

朝里峠付近から雨がまた落ちて来たが、雨具を着る程の降りでは無くそのまま走るが、路面は完全なウエットでこの先がどうなっているのかが気になる。対向するバイクライダーは全員雨具を着ており、この先も晴れてはいないように思えた。

ところが定山渓ダムを過ぎ定山渓近くまで来ると、雨が上がって路面も乾いていた。我々はようやく雨雲から逃げおうせた様である。国道230号に出て我々は札幌に向かう。しかし札幌に近づくと我々の背後から黒い雲が迫って来て上空が暗くなってくる。雨雲の逆襲である。そしてとうとう雨が落ちて来て、次第に強くなっていく。

時間はちょうど昼時で、私は雨宿りを兼ねて昼食を取る事を考えた。札幌といえばサッポロラーメン。私は道路左側のラーメン店を探す。比較的大きなラーメン店を発見したのだが、気付いたのが遅く入りそびれてしまった。仕方なく次のラーメン店を探したのだが、なかなか現れない。

雨が更に強くなって来て焦り始めた頃、こぢんまりとしたラーメン店を発見、私は迷わずそのラーメン店の駐車場にバイクを入れた。そのラーメン店の看板には、ネギラーメンが旨いと書かれていて私はネギが沢山のったラーメンを想像したのだが、それが間違いである事を後に知る事になる。


▼札幌のねぎラーメンって?

我々は四人掛けのテーブルに席を取り、私はねぎラーメンをを注文してた後荷物にレインカバーを掛けに外に出る。レインカバーを掛けてみるとバックのサイドに積んだ荷物がカバーに入らなかった。何とか中に入れようと荷物を積み替えたりしたのだが、その事が後にハプニングの原因となってしまうのである。

カバーを掛け終え席に戻ったのだが、オーダーしたねぎラーメンがなかなか出て来なかった。時間に余裕もあり雨も降っている事だし遅くてもノープロブレムだったのだが、私は結構腹が減っていてねぎラーメンが待遠しかった。

暫く待たされた後、運ばれて来たねぎラーメンの上にねぎの姿は無かった。普通の醤油ラーメンの様に見えるねぎラーメンは、少しトロッとした濃くあるスープで私が今まで食べた事の無い味のラーメンだった。壁に貼ってあった能書きによると、ねぎとラードをジックリ煮こんで作ったスープが特徴だそうで、ここの親父さんのオリジナルらしかった。

このねぎラーメンが結構旨かった。麺とスープが適当に絡んで良い味を出しており、私のイメージする札幌ラーメン(味噌味イメージ?)とは違っていたが、これはこれで札幌の良い思い出になったのである。店には次々にお客さんが入って来ていて結構繁盛している様だったが、それも納得出来るねぎラーメンだった。

ねぎが嫌いなU氏は天津丼をオーダーしたのだが、このねぎラーメンだったら美味しく食べられたのでなかろうか。しかし、U氏が食べた天津丼も美味かったらしいく、ここの店主はこだわりの料理人であるようだった。


▼白い閃光U!?

外の雨は激しさを増し音を立てて降っていた。私がA氏の方をチラッと見たその時、A氏の顔の横に縦に青白い閃光が走り雷鳴が轟く。皆さんその音に飛び上がって驚いたのだが、雷が落ちたのは100mも離れていない道路の向かい側で、私はその瞬間をしっかり見てしまった。これだけ近い雷は久しぶりだったが、屋外ではなかったのでヘソを隠す事まではしなかったが、結構 ビィビィッてしまった。

ラーメンは食べ終わったが外は雨、そのまま雨宿りをしていたら店が込んできてお邪魔虫になりそうで出る事にした。ちょうどガソリンも給油時期だったので雨具をGSで着る事にし合羽を着ないままGSを探す事になった。少し走ると国道230号から国道453号に抜ける道の角にGSを発見、我々はそのGSに駆け込んだ。

大きな屋根で全体が覆われたGSは雨宿りには最適で、給油を終えた我々は雨具に着替え支笏湖に向かって走り出す。しかし、国道453号に出た頃には雨は上がり結局雨具は着なくてもよかったかも・・・。 国道435号を南下し、我々は伊藤温泉を目指す。



伊藤温泉でご休憩。




足場がグラグラと不安定。
子供が跳ねるとユラユラ揺れる。


































鵡川 四季の館 を出て フェリー乗場へ。




苫小牧東港の新日本海フェリー乗場。我々の前には、秋田ナンバーのBMW 2台。ライダーは親子?


明るいと北海道を離れるという気持ちが



タイヤ使い切ったよな・・・。
▼今年の伊藤温泉 丸缶コロコロ ドンブリコ?
支笏湖の湖畔に建つ伊藤温泉へは急な坂道を下って行くのだが、温泉が見えもう直ぐ湖畔に着くという所で私がブレーキを掛けたその時、

 「カン カン カン コロ コロ コロ ・・・・」 

後ろに積んでいた丸缶がバイクから落ち、急坂を湖に向かって転がっていった。

「ヤベェー!?  落ちるぅー!」 とは思ったが、私にはどうする事も出来なかった。

止まって取りに行っても間に合う筈もなく、その時の私は落ちたら落ちたでしょうがないと覚悟を決め、湖に落ちない事を祈しかなかった。

私はバイクをパーキングに停め急いで戻ろうとしたのだが、U氏が湖に落ちなかった事を教えてくて安心して取りに戻った。缶の中には修理道具等が入っていて特に高価な物ではなかったから落ちても問題は少なかったのだが、もし湖に落ちたら引き揚げる事は難しいと思われ、湖の中を汚す事が私は嫌だった。

丸缶は湖から3m位手前で止まっていて、拾い上げて見てみると缶は殆んど凹んでおらず問題は無かった。ラーメン店のパーキングで荷物をパッキングしなおした時、締め付けが不十分だったのが脱落の原因だったようだ。帰ったらパッキング方法を見直さなければなるまい。


▼遠雷が聞える伊藤温泉

我々は湖に造られたフロアーの上で休息を取る。休憩を取っている我々の後ろをヤングなギャル2人が露天風呂に向かって歩いて行き、露天風呂を覗いただけで戻って来た。それを見ていたオヤジ達が最近のギャルは、水着で温泉に入ったりタオルを巻いたりとか全く減るもんでもあるまし等と話している。このオヤジ達は、最近のヤングなギャルにご不満をお持ちのようであった。

当初の予定では伊藤温泉の露天風呂でゆっくりする予定だったのだが、ベンチに座って休んでいる我々の耳に雷が遠くで鳴っているのが聞えて来る。ようやく振り切ったと思われた雷がまた近づいて来ているようだ。このまま露天風呂に入ればまた合羽を着る事になるのは必定で、これからをどうするか皆さんと相談する。

その結果出た結論は、ここの露天風呂には入らずいつも北海道最終日に立ち寄る鵡川の温泉施設 四季の館 でゆっくりする事になった。我々は急いで伊藤温泉を後にし、千歳に向かった。


▼何とか合羽を着ないで・・・

支笏湖温泉を過ぎるとまた雨が落ちて来る。千歳に向かう原生林の中の直線路では雨に追いつかれたり振り切ったりの繰り返しで、一進一退の攻防?が続く。途中、一台のミニバンが前輪を破損した状態でハザードランプを点滅させて道路中央に止まっていた。事故は起きたばかりのようで乗員が心配されたが、一人が携帯を掛け一人が交通整理をしていて、我々の出番はなさそうなのでそのまま通過する。事故るような場所では無いのに、彼らに何があったのだろう? 気になる!

千歳から新千歳空港の横を通って、昨年新千歳空港から苫小牧東港のフェリー乗場に行く時に使った国道36号から国道235号に抜ける道に入る。交通量が少なく直線路が多いこの道はアベレージスピードを高く設定出来る筈なのだが、路面はウエットでタイヤの事を考えると自然に右手はおとなしくなっていた。

国道235号に出て苫東中央ICから自動車専用道に上がり、鵡川に向かう。海に近くなったせいか、何かジメジメした感じの空気だったが結局合羽を着る事無く鵡川に到着する。四季の館の駐輪場には結構バイクが止まっていて、我々と同じフェリーに乗るライダーが沢山いるようである。


▼サケは有りませんから・・・ オーダー拒否

温泉に入っていつもの様に休憩所の畳の間に席を取ろうとしたが、満席状態でテーブルに着く事が出来なかった我々は、奧の壁際に横になる。するとテーブルの横で寝ていた人が、我々の為に?席を開けてくれたのか席を立っていく。テーブルの横に1人で横になっているのを睨みつけたつもりは無かったが、世の中には親切な方が沢山いらっしゃる?

我々はいつもここのレストランから出前を取り夕食を取ってからフェリー乗り場に向かうのだが、私には昨年から食べてみたいメニューが有った。昨年の9月、他の人が食べている鮭づけ丼が美味そうで、次回は絶対づけ丼を食べると決めたいたのだ。

早速私は鮭づけ丼をオーダーしたのだが、鮭が無いとかでオーダー拒否、もう一品有った鮭メニューにしたらこれも拒否(当然か!)、結局他のメニューをオーダーする事に。考えてみたら鮭の季節は秋で時期が少し早かったものと思われ、鮭づけ丼は9月までお預けになってしまったのである。

もう一人オーダー拒否に遭った御仁がいた。A氏はいつも頼むレストランではなく、喫茶店のメニューを発見しその中にコストパフォーマンスに長けためメニューを発見した。しかしそこには気になる一文が・・・。

 「ラストオーダー PM5:00」 

壁に掛かった時計を見ると時間は5時4分になろうとしていた。数分だから大丈夫だろうと言いながらA氏は受話器を手に取り喫茶店に電話する。彼がオーダーを入れると、

 「オーダーは5時までですから」 とにべも無くオーダーを拒否される。
 「そこを何とか・・」 

と頼み込んだA氏だったが、相手は準公務員?勝てる筈もなく、結局A氏はレストランにオーダーを入れる事になったのである。5時前に喫茶店にオーダーを入れていた方がいたようで、喫茶店の人が料理を運んで来たのを見ていたA氏は、あれが食べたかったのだと羨ましそうな顔で見つめていた。 残念!

食事を食べ終え私は横になっていたのだが、いつ間にか意識を失っていて気が付いたら6時15分を回っていた。まだ時間的には余裕が有ったが、フェリー乗り場に向かう事にする。

外の駐輪場には我々同様フェリー乗り場に向かうライダーがいて出発の支度をしている。中に秋田ナンバーのBMWが2台いて、我々より一足先に出て行った。我々も苫小牧東港の新日本海フェリー乗り場に向かう。


▼秋田ナンバーのBMW

十数分でフェリーターミナルに到着すると、バイク置場には先程のBMW2台しかバイクが停まっていなかった。このフェリーにこれだけのバイクしか乗らない筈は無いから、第一陣は乗船済みなのだろう。

我々がBMWの後ろにバイクを停めると、BMWライダーは我々に興味も持った様子で我々のバイクを遠巻きにして見ている。このBMWライダーの二人は親子(多分? 親/60歳位 子/20歳代後半 )と思われ親子で北海道を旅して来たと思われる。このBMW、どこがですれ違った様な気がするのだが、何処だったか思い出せない。

この 「親子二人だけで」 と言うのがBMWライダーらしいところで、普通親子二人だけでは旅(ツーリング)には出か掛けないしょ。 (そう考えるのは私だけー?) 

子供の立場からしたら、仲間や友達と走りに行く事は考えても、わざわざ親とはね・・・。遭えて親父と行く理由は何?

親の立場からしたら、走っていても子供の事が気になって楽しめないしょ。 (そう考えるのは私だけー?) 遭えて子供と行く理由は何? 子供に走り方を教えると言う事は有ると思うが、どうなんでしょう。 やはり、親子の触れ合いが目的かな?

何故、私がBMWライダーらしいと考えるのかハッキリとした理由は分からないが、今まで見てきた多くのBMWライダーから何となく感じるものが有るのだろうと思う。

私も時には息子と走る事も有るが、二人だけで走りに行った事は今まで無かった様に思う。一緒に走る時、親とか子とかの意識を持って走る事はまず無く、バイク好きの仲間と言う意識で接している事が多い様に思う。走っていない時は普通に親子としての意識はあるが、それも息子と同年代メンバーとの接し方と大した違いは無い。見方を変えたら私はメンバーみんなの成長過程を見て来ているから、メンバーを息子同様に思っているのかもしれない。

6時50分、我々はBMWに続いてフェリーの乗船を果たす。これで明日の朝、崎の港に到着する事が約束された事になる。


乾杯はヤッパ SAPPORO CLASSICでしょ。






























皆さん疲れが出たのか次々に意識を失っていく。


撃  沈    夢の中へ
▼宴U
新日本海フェリーはバイクに積んだ荷物を全部降ろさせる。しかし、降ろした荷物を載せるハンモックが用意されており、私は必要の無い荷物やヘルメットはそこに載せ客室に向かった。今日の船は昨年と違い秋田行きの2等客室がロビー手前になっていた。その他、細かな所が昨年と変わっていた。

その変更箇所は主に喫煙に関するもので、昨年何箇所か有った喫煙場所が無くなり以前キッズルームだった部屋に喫煙ルームが設けられていた。その為キッズコーナーが以前テレビが置かれていたロビーの端に移動していた。

客室にスペースを確保した後、我々は宴の場所を探してロービーに出て来た。今日の船内は結構込み合っており、上のフロアーの外が見られる席も満席、ロビーのテーブル席も満席だった。売店で買ったビールを手に暫くさまよったあげく、我々は安住の地を発見する。

それはキッズコーナーであった。フロアーにマットを敷きその周りを四角いクッションで囲ったキッズコーナーは、我々が宴を行うのに打って付けの場所であった。キッズコーナーに利用要綱が存在するのかどうかは知らないが、キッズコーナーの周りにそれらしき物は見当たらなかった。

キッズコーナーの隅に陣取った昭和生まれのキッズ達は、缶ビールのプルタブを起こし乾杯の声を挙げたのであった。


▼キッズの喜び

この宴の主役は、当然A氏であった。ニセコパノラマラインの走りが皆さんから検証され、M氏の後ろで見せた安定した走りが賞賛された。その皆さんの言葉にA氏の顔は綻びぱなしで、それはキッズコーナーに相応しい子供の様なはしゃぎぷりだった。

彼は本当に嬉しかったのだと思う。M氏の後ろを離されずに走れた喜び、それはFUNKYで走る者に取ってそれは特別な事なのだ。彼はこの2年間それを目標にやって来たと言っても過言ではないと思う。

目標を達成出来た喜びで、調子に乗って飲んじゃったA氏は、規定量の2カップ半を通り越し3カップの焼酎を開けてしまった。レッドゾーンを越えてしまったA氏は、やがて夢の世界に誘われて行く。彼の見ている夢は、きっと先頭を走る自分の姿であったに違いなかった。

例えるなら今回A氏はFUNKYと言う学校の入試に2年間の受験勉強の末見事成功した様なもので、一つの区切りとして私は 「おめでとう。」 の言葉を送りたいと思う。しかし、本当の意味での楽しいバイクライフはこれから始まる訳で、これから先学ぶべき事は沢山有る。これからも多くの事を学び自らのスキルを上げて行く事を楽しんでいってもらいたい。A氏の今後の取り組みに期待したいと思う。


▼モチベーション

一方、A氏の追尾を許したM氏もまた思う所が有ったようだ。A氏やU氏が独り働きで練習を重ねている姿は昔の自分の姿と重なるものがあった筈だが、今の自分はツーリング以外走る事が少なくなっている現実。 「これで良いのか?」 彼は彼自身に問い掛けていたように思う。

今回の事がM氏のモチベーションを刺激した事は確かで、次のツーリングでA氏がM氏の後ろに着けるという保証はどこにも無い。私はM氏が常にメンバーの目標で有り続けて欲しいと願っている。


▼悩める男

そしてもう一人悩める男がいた。隼というスーパースポーツとは異なったシャンルのバイクでFUNKYを走る彼は、一つの悩みを解決出来ないでいた。重い車重、長いホィールベースからくる運動性能の違いは本人が一番良く知っていて、それは如何ともしがたい事も分かっている。しかしその分スーパースポーツに対し超高速域でのアドパンテージは持っている訳で、これまで走るスチエーションによってはスーパースポーツに後塵を浴びせる事も多々有った。

彼の深い悩みは運動性能等では無く、左コーナーに有った。何故か右コーナーと同じ様に左コーナーを曲がれないと言う。彼は彼なりにその原因を分析していたが、まだその解決策は見出せていないでいると言う。彼の分析によると最大の原因は中央線に寄る事に対する恐怖心に有るようなのだが、その恐怖心をどうしたら克服出来るのかで悩んでいる言う。

センターラインに寄れない為インに付くのが早くなる。その為コーナーの先が見えずにアクセルを開けられない。結果コーナーの立ち上がりが遅れるのだと言う。そこまで分かっていてそれを克服出来ずにいるのは、その原因が彼の心に有るからだろう。テクニック的なものであれば我々もアドバイスも出来るが、心の問題は本人が克服するしか方法は無く、結局走り込んで恐怖心を無くすしか方法は無いのかもしれない。

左コーナー話を熱く語るU氏が、センターライン恐怖症候群から抜け出せる日はそう遠くはないと私は思うのだが・・・。

話は続いていたが一人また一人とマットに沈んでいき、残ったのは私とU氏の二人になっていた。フロアーの照明は既に落とされており今日の宴はこのへんでお開きといたしたいと思います。沈んだ二人を連れ我々は客室に戻り眠りに就く。 ただ一人を除いて・・・。 暗闇の中勉強道具を取り出し客室を出て行った御仁が一人いた事を、私は何も気付かずに夢の中に旅立っていた。


フェリーは秋田港に入り、下船の準備中。


荷物を積んで下船の支持を待つ。
北海道の思い出と供に秋田に無事帰還。

▼無事秋田に帰還
私が目覚めた時、フェリーは秋田港に入る直前だった。下船はAM7:50でまだ少し時間は有ったが、下船の支度を始める。皆さんは既に起きており私が一番遅くまで寝ていた様である。旅館ではいつも一番に起きる私だが、フェリーで起きるのはいつも遅いのはどうしてなのだろうか。私が遅いのではなく、皆さんが早いのかも?

我々の入っていた2等客室がロビーの手前に在る為か係員が客室に下船チケットを回収に来た。これで我々はいつでも下船できる体勢になったのだが、早く行ってもする事がないので時間を潰してから車両甲板に行く事にした。

時間になってバイクの所に行くと、今日は秋田で降りる車が少ない様で車両甲板は空いていた。バイクの下船は最後なのでゆっくり荷物を積んで下船を待つ事に・・・。

秋田で降りる県外ナンバーが結構いて、これから東北の旅をスタートさせるライダーが多くいるようである。



         セリオンオンが見えて接岸間時近か。





結局、秋田の埠頭に降り立ったのは8時少し前、そのまま我々は横山金足線を目指す。土崎中央通り商店街を通ると、道路脇に大きな引き山が置かれていてちょうどビニールカバーを外しているところだった。

「そういえば明後日から崎の祭か・・・。 夏だなぁー!」 崎の祭で夏を感じる私であった。


皆さん、お疲れさんでした。


▼2006 Petit HOKKAIDO 無事終了

店に到着したのが8時半前、60時間ぶりに無事スタート地点に戻って来た。天候に左右されながらも何とか予定通りに走る事が出来た今回の北海道、宿の予約トラブル等も有ったりしたが何とか無事帰って来る事が出来た。

走りに関しても各人充分楽しむ事が出来たと思うし、北海道の美味しい物も食べられたから、私としては充分満足出来たプチ北海道だった。



この次の北海道は、9月に予定している
2006 FUNKY IN 北海道 Part 23
となる。




                               ここまで使えばタイヤも本望でしょう。
                               走行距離 約3000km のPOWER RACE Medium

雨に追い掛けられながらツーリングでしたが、結局合羽を着たのは2回だけ。想定外の出来事が思い出を残していく。人との出会い、新しい道の発見、沢山の思い出をもらったツーリングとなりました。

2006 FUNKY Petit HOKKAIDO


                                        Report By Ryuta

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