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  2005年 7月15〜18日 
           プチ北海道 ツーリング







                    
Report by Ryuta   

▼ コース

7月15日
秋田⇒国道285号⇒比内⇒大館⇒国道7号⇒碇ヶ関⇒東北自動車道⇒青森港⇒東日本フェリー 函館行き 25:10発

7月16日
⇒函館 5:00着⇒国道277号⇒中山峠⇒厚沢部⇒江差⇒国道229号⇒熊石平町⇒平田内温泉入浴⇒瀬棚
国道229号⇒寿都⇒岩内⇒神恵内⇒当丸峠⇒古平⇒国道229号⇒余市海鮮工房(昼食) ニッカウヰスキー(休憩)
⇒冷水峠⇒赤井川⇒国道5号⇒ワイス温泉⇒岩内⇒ニセコ⇒五色温泉旅館 宿泊


7月17日
五色温泉⇒岩内⇒往復⇒ニセコ⇒岩内⇒小沢⇒国道5号⇒赤井川⇒毛無山⇒小樽⇒朝里川温泉⇒朝里峠
⇒定山渓⇒国道235号⇒真駒内⇒国道453号⇒支笏湖 伊藤温泉
⇒千歳⇒鵡川 四季の館(入浴)⇒
苫小牧東港着 PM6:30   新日本海フェリー 発PM7:30 ⇒ 秋田港

7月18日
秋田港発 AM8:00 
⇒モト ワークス ヒラタ AM8:30  全走行距離 984km

国道285号北欧の杜公園入口のローソン
ここで雨具を脱いだのだが・・・。











津軽SA 青森県に入って雨は上がった。


ここまで来れば雨の心配はなくなった?










































































青森フェリーターミナルで乗船を待つ。
そこに1台のBAJAがやって来て止まったのが見えた。









二等船室三人は仮眠?





















一人2等寝台に向かうA氏。
この後彼はお怒りになられる。











この氷結で私は・・・。






平均年齢70歳代のこの区画。
▼雨雲に追われるツーリングの始まり
今回のプチ北海道ツーリングは昨年初めて行われたプチ北海道の2回目で、昨年訪れて楽しかった所、美味しかった所を中心に私は計画に立てた。プチ北海道の場合道内の日程が2日間しかなく2日間共雨に降られると最大の目的が失われてしまう事になる。

我々が北海道へ行く目的は北海道にしかない楽しい道をおもいっきり走る事で、雨に降られた場合それを失う事になる。しかし、この時期梅雨の無い北海道とはいえ雨が降る事も多く、私は当日の天気が気になり1週間前から週間予報を気にしていた。

毎日の様に変わる週間天気予報に一喜一憂しながら出発当日となったが、当日の道南・道央の天気予報は、概ね曇りで雨の予報は出ていなかった。秋田の天気はどうでも良かったのだが、出来れば雨具を着ないで秋田を出発したいと私は考えていた。

しかし、現実はそう甘くはなかった。出発時間はPM8:30なのだが、する事が無かったからとM氏が六時半頃にやって来た時降っていなかった雨が、夕食を食べに外に出た七時過ぎには結構いい降りになっていて、M氏と私は傘を手に持ち近くの食事処に向かった。


▼伏線となる、お食事タイム

最近出来たそこの食事処は、お寿司の宅配がメインの店の様で店でも回っていない寿司を安価で出していて、私は親子丼、M氏は焼肉定食をオーダーした他に握り寿司を6貫オーダーした。

早く出てくると思われたオーダー内容だったが、運ばれて来るまで我々は暫く待たされる事になる。ようやく運ばれて来たお盆の上を見て私は驚いてしまった。親子丼の横には立派な大きさの秋刀魚が一匹、美味しそうに焼かれて置かれていたのである。一品多いのだから文句は無いが、秋刀魚が付くなら寿司は要らなかったかなと後悔したが遅かった。

メニューを確認したら、そこには丼と秋刀魚が並んだ写真が載っていたが、私はそれを親子丼の写真とは思っていなかったのである。北海道に行って海産物を食べる予定になっている事を考え、わざわざ肉系の焼肉定食をオーダーしたM氏にも秋刀魚は付いていて、彼もまた寿司は余計だったと後悔した模様である。

我々が想定以上の満腹感と食事時間で、食事処を出たのは8時少し前であった。この食事タイムが後の我々に事件となって影響をおよぼす事となるとは、その時の私は考えてもいなかった。私が食事処を出る時最も気にしていた事は咽に刺さった秋刀魚の小骨で、それをどうやって取ろうかとその時の私は必死に考えていた。


▼合羽を着て秋田を出発

店に戻って見ると、店の前にU氏の隼が雨に打たれて止まっていた。しかしそこにU氏の姿は無く、私は彼の姿を探した。店は閉まっており雨宿りする場所は奧の階段位か・・・?と考えていたらU氏が奧から出て来た。やはり彼は階段で雨を避けて我々を待っていたようだ。

店を開け今回のプチ北海道最後の参加者A氏を待つ事になった。彼は昨年仕事で集合時間ギリギリに到着していたので、私は今年の集合時間を30分遅らせたのだが、それでもまだ不十分であった様で彼は集合時間5分前にやって来た。

彼は仕事が忙しく北海道の準備もろくにしていなかった様で、会社から家に帰ってから急いで支度をして駆けつけた様だ。銀行に寄る時間も無かったそうで、所持金も足りない状態だと言う。

彼が来たので直ぐに出発しようとした私だが、A氏が一服つけたそうだったので少し時間を取る事にする。全員雨具を着込んで秋田を出発したのは8時半、雨は雨粒が路面で跳ねるのが見える程の降りで、私はいつも通る添川から上新城道川に抜ける峠道を避け、秋田道北インター前を通るルートで五城目に抜ける広域農道に向かった。

リスクの少ない平坦なルートを選択し楽に走れると思ったら、雨が激しく降って来て前が見えなかったり水溜りが有ったりして、危険度は峠越えと大して違わなかった様に思う。しかし、秋田市から離れるに従い雨は小降りになり、国道285号のトンネルを抜け上小阿仁村に入った辺りから路面が少し乾いてくる。

雨雲が南から少しづつ北上している事はレーダー画像で確認していたが、北に向かう我々は雨雲から抜け出せると私は考えていた。しかし、上小阿仁の道の駅付近の路面はまた濡れており、合羽を脱ぐ判断を下すには少し勇気がいる状態だった。私は道の駅の前を通過し、米内沢の先にあるローソンまで走る事にした。


▼合羽を抜いて青森へ

国道285号から北欧の杜公園に曲がる角に在るローソンにバイクを停めると、雨は降っておらず路面も殆んど乾いていた。暫しの休憩の後、我々が雨具を脱いで出発しようとしたその時、ポツポツと雨が落ちて来る。今更雨具を着るわけにもいかず、我々は急いで走り出し青森を目指した。

走り出すと降りだした雨は見る見るうちに路面を黒く変えていく。。大館能代空港に向かう道に出た所で、私は雨具を着る決断をしようとコンビニのパーキングに入ったのだが、皆さんの顔には雨具は着たくないとシッカリ書かれており、そのままパーキングをスルーして比内に向かう事になった。

こんな時、レザーウェアーは少々の雨でも暫くは浸透してこないから体が濡れる事は少なく、足元はGORE−TEXフィルム入りのブーツで濡れる事は無いから、私はそれなりに快適に走る事が出来ていた。しかし、これ以上雨が強くなったら止まって合羽を着る決断をしなければならないのだが・・・。微妙だな・・・。

比内から大館に出て国道7号を北上する。秋田からここまでのルートは先日の4th.ツーリングで雨の中走ったルートで、方向は逆だが道路状況は良く分かっていたから夜の雨中走行とは言え不安無く板谷峠を越え青森県に入る。

県境とは本当に上手く設定されていて、青森県に入った途端路面は乾き始め碇ヶ関で東北自動車道に乗った頃には完全に雨は上がっていた。我々はようやく雨雲の追撃から逃れられた様である。


▼赤色灯との遭遇

休憩予定の津軽サービスエリヤに向かって走っていると、前方に赤色灯を明々と光らせながら走る車に追付いてしまった。この車を追い越すのは簡単(勇気は要るが・・・)だが、我々は少し先のサービスエリアに入る予定なので、そのまま後に着いて行く事にする。

すると、どうでしょう。赤色灯がウインカーを左に揚げ、サービスエリヤに入って行くではないか。 「ガ ビィーン!?」  その瞬間私はSAに入らず先に進む事も考えたが、SAで休むと皆さんに宣言していた手前そうもいかず、赤色灯に続いて左にウインカーを揚げSAに入る。

赤色灯はパーキング中央付近に止まったが、我々は少し離れた建物前のスペースにバイクを停める。赤色灯の形をよく見ると、セダンではなくSUV系の車で車高が高かった。

私が缶コーヒーを買っていると、乗っていた警官(制服は警備会社の物ではなかった。)が建物の端まで行って戻って来る。乗っている車といい、建物を巡回している所を見ても、彼らは交通取締をする交通機動隊ではなくテロ対策で高速道内の施設を巡回する警官であるようだ。

それが分かっていれば、あんなにビクビクする事は無かったのだが、滅多に高速を走る事がない私は結構追い越すのにビビッていた。彼らは我々が休んでいる間にSAを出て行き、我々が次のパーキングを通過した時そこに赤色灯が止まっているのが見えた。彼らは各駅停車で施設を巡回している様である。お仕事ご苦労さまです。


▼青森フェリー乗り場は遠かった!?

高速を降り国道7号に出た我々は、宇佐美スタンドでガソリンを満タンにする。ここのスタンドはガソリン価格が安いのでいつも利用しているのだが、レギュラーがリッター129円と秋田の宇佐美より3円程安かった。いつも秋田の方が安い事が多いのだが、珍しく今回は青森の方が安かった。最近秋田のガソリン価格は高い?

それにしても180km以上走ってガソリンは9L弱しか入らなかったから燃費は20km/L以上いっていた事になる。雨が降っていてアクセルを開ける事が無かった結果だと思うが、このGSX-R1000がこれまで走った一万キロメートルの中で20km/Lを越えた事は一度も無く、今回が一番の高燃費であった。しかし、M氏のR1はリッター23km近く走っていたと言うから、上には上がいるものである。 「チョッとビツクリ」

彼のR1はこの前の車検時エアークリーナーエレメントとプラグを交換していて、それが効いてたのかもしれない。後に以前と比べパワー感が増し加速も良くなった様に感じると語っていたから、エンジンの調子は確実に上がっていると思われる。

我々はガソリンを入れて直ぐフェリー乗り場に向かったのだが、そこでチョッとしたハプニングが起きてしまった。起きてしまったと言うよりは、私が起こしてしまったと言った方が正確だろう。

国道7号からフェリー乗り場に左折する交差点の近くになって、私はトリップメーターAをリセットしていない事に気付きメーターと前方を交互に見ながら走行していた。道路案内の青看板が見えその先の交差点がフェリー乗り場への交差点と思った私は、急ブレーキを掛け無理矢理左の道に入ってしまった。

こんな時、後で追突事件が起きるのはよくある事?で、M氏の後を走っていたU氏はフルブレーキを掛けたM氏にぶつかってしまうのではないかと心配するほど接近してしまったらしい。以前に同じ様な状況から追突事件を引き起こした経験を持つ(その時は十台以上の最後尾)私は、その事件以降道を間違っても行き過ぎてから止まる様にしていたのだが、今回前をよく見ていなかった私は焦ってとっさにブレーキを掛け曲がってしまったのであった。

私の不注意で皆様方には多大なご迷惑をお掛けする事になり、大変申し訳御座いませんでした。深く反省すると共に今後この様な事が起きません様、給油したら直ぐにトリップのリセットを心掛けたいと思います。

そんな苦労をして曲がった道だったが、その道はフェリー乗り場に行く道ではなく信号一つ手前のいつも蟹田から青森に向かう時に通る道だった。道を間違えた事に曲がって直ぐに気が付いた私だったが、ここでUターンするのも面倒なのでそのままフェリー乗り場を目指す事にした。

しかし、私はこの道からフェリー乗り場に行った事はなく、暗闇の中勘を頼りにフェリー乗り場を目指していた。明るかったら周りの景色から自分の場所を推測できるのだが、暗いとそうもいかない。何とか以前通った事がある国道280号に出てそっと胸を撫で下ろした私は、フェリー乗り場に向かう立体交差に出た時は万歳三唱をしたい位の気持だった。

そして大分遠回りしてしまった我々は、無事フェリー乗り場に辿り着く事が出来たのであった。


▼無事フェリーに乗船

フェリーターミナルビル横のいつもバイクを停める場所にスペースが無く、我々は少し離れた所にバイクを停め乗船手続きの為受付窓口に向かう。無事手続きを終えた我々は、二階に上がり乗船時間までの30分を過ごす事になった。

館内は禁煙の為、我々はベランダに出て時間を潰す事になる。バイク置き場を見ていると我々の後からも続々とバイクが到着して来る。停まっているバイクは古いバイクが多く、CB750FCやZU?(ZTorゼファー)等が目に付き、ここが昔のフェリー乗り場の様に思えてくる。新しいバイクは北海道には行かないのか?・・・

そんな中、巻いたグランドマットをハンドルパッドの様に縛り付けた HONDA XR BAJA がパーキングに停まったのが目に入った。何となく見ていたそのバイクに、我々は明日何回も遭遇する事になるのである。

出港30分前に乗船を促すアナウンスが有って、我々はバイクに戻り乗船口に向かった。


▼客室の環境

バイクが最初の乗船となり車客の前に2等客室に上がる事が出来た我々は、区画の角を確保したが、次第に乗用車やバスの乗客が入って来て混みあってくる。我々の区画には老人会のグループが入り込んで来て、区画の平均年齢は確実に70歳を越えるまで上がってしまった。

この手の客室で避けなければならないお客様は、NO,1は小さな子供、NO,2がご老人である。子供は泣くは走り回るはで落ち着か無く煩く、ご老人はマイペースで周りの事を考えないで行動する事が多く結構迷惑するのだ。

今回、A氏は寝不足を解消する為 金八百円也 を多く支払い2等寝台を確保した。2等寝台は、JRで言ったらB寝台の様なもので広くはないがプライベートは確保され周りを気にせずに寝る事ができるのだが・・・。


▼シースルー系?

A氏が2等寝台に行って革ツナギを脱ぎTシャツと短パンに着替えようとした時、彼の耳に小声で話す女性の声が聞こえてしまった。2等寝台の部屋にはA氏の外に若いカップルがいたらしいのだが、着替る場所が無かったA氏は通路でツナギを脱いだのだった。その姿を横目で見ていた彼女が彼氏に言った。

「あの人って、シースルー系?・・・」

確かにその時のA氏は、ツナギの下にメッシュの黒いインナーを着ていて網目から肌が透けて見えていたのだが、「シースルー系」とはどう言う事? A氏は彼女に問いただしたかったらしいが、辞めたと言う。モジモジ君ならまだ分からくもないが、「シースルー系」と言う言葉にA氏は何か釈然としないものを感じたという。

そもそもA氏が黒いメッシュのインナーを着る様になったのには訳が有った。それはちょうど一年前のプチ北海道の事だった。余市の海鮮工房でトイレに入りA氏はツナギを脱ごうとしたのだが、汗でツナギが肌にまとわり付き脱ぐ事が出来ずに七転八倒の思いをした事があった。

北海道から帰ったA氏は、早速ツナギをスルッと脱ぐ為にシースルー系のインナースーツを購入したのであって、A氏はけっして趣味嗜好でシースルー系のインナーを着ているわけではないのだ。しかし、傍から見ると趣味嗜好でシースルー系を着ていると見えた・・・のか?

A氏はシースルー系を着るのは趣味嗜好では無いと声を大にして言いたかったらしいが、言ったところでシースルー系の姿では説得力が無く止めたらしい。

このシースルー系のお話の他に2等寝台ではもう一つのドラマが有ったのだが、その話はもう少し後に致します。


▼寅さんになっちゃった・・・!?

この青函フェリーは青森と函館の間を4時間弱で結んでいて、出港して直ぐに寝たとしても4時間も寝ていられない。その為アルコールを多量に摂取した場合、それを分解する時間が足りなくなる可能性があり、今回私はアルコールを買わないでいた。

そこにキリンの氷結を手に持った男が喫煙室から戻って来た。自他共に認めるアルコール弱者のM氏が、何を血迷ったかチュウハイを持ってやって来たのだ。この男がこれ一本開けたらどうなるかは容易に推測されたが、「大丈夫なのか? M氏」。

氷結が半分ほど軽量化された頃からM氏の口調が変わってきた。どうもご本人は 「男はつらいよ」 のふうてんの寅さんのつもりの様で、寅さん口調でU氏と話している。会話の内容も寅さんが満男(吉岡秀隆)によく話す恋のお話が中心で、本人はすっかり寅さんのつもりで満男(U氏)と話をしている。

氷結が空になる頃にはM氏いつでも寝れる体勢になっており、船も青森港を出た様なので我々は早目に寝る事にした。私は横にはなっていたが、眠れたような、ズーッと意識が有ったような、微妙な感じで時間を過ごし、四時半に目を開ける事になる。


▼年寄りは強し?

私は区画の隅に横になっていたので気にならなかったが、U氏の足元近くにはお年寄りが横になっていて、足を少し動かすと触ってしまい気を使ったらしい。また寝ないで起きているお年寄りもいたようで、夜中ビ二ール袋をガサガサと音を立てていたと言う。

U氏もM氏も熟睡は出来なかったようだが、私が目を開けた時両氏共に起きていて爽やかな顔で会話していた。若い二人?は一日ぐらい寝られなくても元気にいられるようで、何とも羨ましい限りだ。

私はというと体をシャキッとさせる為、顔を洗ったり歯を磨いたりトイレに行ったりして、寝不足の体を奮い立たせていた。客室に戻って下船の準備をしていると、A氏がやって来て、昨夜のもう一つのお話を我々に聞かせてくれた。




老人チームに圧倒され寝不足気味の二人。




















排気ガスが辛い。


函館のコンビニで朝食を仕入れる。


そこに登場したのが、飛騨ナンバーのBAJAの青年。



























































厚沢部の道の駅で休憩。
話題は当然赤い閃光の事。









またまた登場のBAJA。
▼A氏も寝不足?
それは仕事が忙しくこの数日ろくに睡眠を取っていなかったA氏に起こった悲劇?のお話であった。我々の所から2等寝台に戻りカーテンを閉め眠りに着いたA氏は、寝て直ぐに熟睡状態に入っていったと言う。ところがそのA氏を、夢の中から現実の世界に引き戻したお節介者が現れたと言うのだ。

そのお節介者は最初カーテンの外からA氏に声を掛けた様なのだが、熟睡中のA氏は当然応答する筈もなかった。中から応答が無かったお節介者は、カーテンを開けA氏に手を掛けてしまったのである。熟睡中に無理矢理起こされてしまったA氏のご機嫌が良い訳も無く、A氏はそのお節介者の睨みつけたらしい。人間寝起きからご機嫌な人は多くはないと思うが、寝込みを起こされたA氏は大変ご立腹であったと言う。

そもそも何故A氏は起こされなければならなかったのか。それはお節介者の正体を知れば納得出来るのだが、A氏はそれを知ってからもなおその態度にご立腹度は増していったと言う。

ここでお節介者の正体を明かしておこう。その正体は2等寝台の券を確認しに来た東日本フェリーの係員だった。係員はカーテンを閉めて寝ているA氏に外から声を掛けたが応答が無く、職務を忠実に遂行しようとカーテンを開け熟睡しているA氏を起こしたのであった。

その時の係員は、A氏に対し「御休みのところ誠に申し訳ございません。」の一言も無かった様で、行き成り起こされたA氏のご機嫌を更に害してしまったのだった。

最初何で起こされたのか分からなかったA氏だったが、起こされた理由を知って更に腹が立ててしまったらしい。A氏に言わせれば、券の確認など朝起きてからでも良い筈で、熟睡している客を起こしてまでする事ではないと考えたからだ。

A氏が寝台券を床に叩きつけたたかどうかは聞かなかったが、その後興奮が治まらずに寝付きが悪かったと言うから、A氏の貴重な睡眠時間が係員により大量に搾取された事だけは確かな様である。


飛騨ナンバーのBAJA

下船時間になり我々は車両甲板に降りて下船を待つ。バイクの下船は車の後で暫く待たされたのだが、甲板内には排気ガスが充満していて息苦しい。ようやく車が出終わっていよいよ我々の番となった時、バイクを押して下船しようとしている男がいた。

そのバイクはターミナルビルで乗船を待っていた時、パーキングに入って来たマットをハンドルに縛り付けたBAJAで、エンジンが掛からない為押してフェリーから降りるようである。我々はその姿を横目に見ながら一足先に北海道への上陸を果たす。我々はそのまま国道227号に入り、左側に有ったサンクスにバイクを停めた。

ここで朝食を予定している平田内温泉で食べる食料や飲料を買い込み、我々はこれからの走りに備え休憩を取っていた。すると先ほどのBAJAが単気筒の乾いた音を立ててパーキングに入って来た。

BAJAのライダーは、二十歳そこそこの長髪のお兄さんだった。私は 「エンジン掛かったの?」 と声を掛けた。彼はキックなので掛けるのが大変で、下船してからゆっくりエンジンを掛けて来たのだと言う。

BAJAには飛騨ナンバーが付いていて、私はどこから来たのかを彼に聞いてみた。彼は高山から来たと言っていたが、私が飛騨ナンバーを見たのは初めてだったかもしれない。最近新しい名のナンバーが増えているな・・・。

彼が北海道を訪れるのは今回が3回目だそうで、これから宗谷岬を目指すのだと言う。我々は暫し彼と会話した後、一足先にサンクスのパーキングを出て国道227号の大野バイパスをを北上、中山峠に向かった。


▼チョッとしたミスが残念な結果に !?

大野バイパスで大きなシャベルカーを積んだトラックを追い越し,、我々は先を急いだ。大野バイパスから離れて中山峠に向かう時、私はまた間違いを犯してしまった。道路表示の青看板を見間違えて、左折しなければいけない交差点を行き過ぎてしまったのだ。

それでもその直ぐ先に国道227号に戻れる交差点が有ってUターンは免れたのだが、我々は国道227号に出る信号で赤信号に捕まってしまった。信号が青に変わるのを待っていた我々の目の前を、先ほど追い越したシャベルカーを積んだトラックが通り過ぎて行く。

シャベルカーを積んだトラックは、前後に車が一台づつ付いていて3台でコンボイを組んで走っていた。我々は信号が青に変わって直ぐそのトラックを追いかけたのだが、ハミだし禁止の黄色線が始まってしまいコンボイを追い越せなくなってしまった。

ようやく黄色線が終わって追い越し可能となったのだが、3台まとめて追い越せる直線がなかなか現れず、この美味しそうなワインディングを我々は暫くコンボイの後ろで過ごす事になってしまった。先ほどのミスコースがなければ楽しくこのワインディングを走れたと思うと、悔しい思いが込み上げてくる。

やっとコンボイを追い越せる道に出て3台一気に追い越して私はペースを上げたのだが、中山峠の上りが始まると路面が次第に濡れてきて、ついには完全にウエット路面に変わってしまった。結局、美味しい峠道を楽しむ事は叶わず、我々は濡れた路面に気を使いながら中山峠を越える事になったのである。


▼赤い閃光

峠を越えても路面が乾く事は無く慎重な走りが続く。峠道が終わり平地に出るが路面は相変わらずウエットのまま、雨は降っていないが雲が低く垂れ込めている。しかし峠道から抜け出し平地に出た事で、私は緊張感から開放されていた。

そしてそれは少し長い直線路で起きた。ゆっくりとしたペースでボケッーと走っていたその時、私の斜め上左前方で赤い閃光が光った。多分その時の私は、走りながら他の事を考えていたのだと思う。何を考えていたのかは記憶に無いが、赤い閃光が光るまで私はその存在に全く気付ていなかったのである。

赤い閃光が走った瞬間我に返った私はその現実を理解はしたが、そのまま受け入れる気持ちにはなれないでいた。しかし、時間を巻き戻す事など出来る筈も無く、私は轟然とした気持ちでそのまま走り続けていた。

私が赤い閃光に照射されたのは長い運転歴のなかで確か初めての事で、動揺していないと言えば嘘になる。バイクは対象にならないと聞いた事があったが、確信は無かった。

厚沢部の街に入ると道の駅が見えて来て、時間的には少し早かったが赤い閃光の事も有り、私はそこで休憩を取る事にした。バイクから降りて皆さんの口から出た第一声は 「光ったよね。二回光ったよね。」  私 「へぇー 二回光ったんだ。」

以前に何回か光らせた経験を持つメンバーの分析によると、1回目のターゲットは2番手で、2回目のターゲットは4番手であったらしい。その言葉を聞いた先頭の私は、不謹慎にも心の中で小さなガッツポーズをしてしまった。いずれにしても彼の過去の経験から、光らせてもお呼びが掛かった事は無いとのお言葉に、一同ホッと胸を撫で下ろしたのでありました。


▼飛騨ナンバーとの再会

私は熊石に向かう道の確認の為にも道の駅に止まったのだが、その時U氏はお腹がゴロゴロし始めていたそうで、まだ休憩する時間では無かった事もあってどうしたものかと悩んでいたらしい。グットなタイミングで私が道の駅の入ったのを見て、彼は救われた気持になったと言う。小ならまだしも大の場合場所を選ぶから、止まって其の辺でと言う訳にはいかないからな・・・。

私もU氏同様トイレに行きバイクの所に戻って来ると、見慣れたバイクが止まっていて傍に先ほどサンクスで出会った高山のお兄さんが立っていた。彼も我々同様日本海側を北上するルートを選択していたようなので、これからどこに向かうかを聞いてみた。

彼は熊石まで行って八雲に向かうか瀬棚に向かうかを決め兼ねていたようだったので、私は平田内温泉に行った事があるか聞いてみた。彼は結構な温泉好きのようで北海道内の温泉を数多く周っているようだったが、平田内温泉の露天風呂には行った事がないと言う。我々がこれから平田内温泉に向かう事を告げ、彼を平田内温泉に誘ってみる。

我々とBAJAとではアベレージスピードが違う為、平田内温泉で会えるかどうかは分からなかったが、彼に温泉の場所を教えまた再会出来る事を願って我々は彼より一足先に道の駅厚沢部を出発、平田内温泉に向かった。

パーキングの先に露天風呂が在る。
ここまで完全舗装されている。


看板にはこの先50mに露天風呂が在ると書いてあるが、100mは有ると思います。


露天風呂への降り口。温泉は直ぐ下の沢に在る。
後ろの建物は、源泉管理用の施設が入っている。


露天風呂の直ぐ横は滝?


脱衣所も有るが、露天風呂まで裸で歩く事になる。


源泉?


熊が出ると言われても、どう注意すればいいの?
▼不思議の温泉  平田内温泉 熊の湯 (露天風呂)
江差の手前で国道229号に入り日本海を左に見ながら走る。雨は降っていないが、どんよりとした曇り空で、さっきまで雨が降っていた模様で路面も一部濡れている。我々は淡々と距離を消化し熊石に入った。橋を渡って直ぐ右折して平田内温泉に向かうと記憶していたのだが、その橋が私が予想していたものより小さく思わず入り口を通り過ぎてしまった。

少し先にまで走りUターンして平田内温泉に向かう。露天風呂の手前には大きな温泉施設が在ってそこまでは道路は広いのだが、それを過ぎると道は1.5車線位に狭くなる。しかしシッカリ舗装されておりオンロードバイクでも問題なく終点の駐車場に到着する。

駐車場には結構車が停まっていて、テントを張っている人もいる。ここは登山口にもなっている様で登山者の車もいるようである。早速、温泉セットとコンビニで買い込んだ食料を持って露天風呂に向かう。道の車止め横の看板には温泉まで50mと書いてあったが、100m位は有ったような気がする。どうでもよい事だが、私の推測では以前もっと奧の50m先(そこに登山口への横道が在った。)に車止めが有ってそこに立てた看板を手前のここに移動して使用しているものと思われるがどうなんでしょう。

道が終わる所に建物があって、聞いた話だとここに来る手前に在った温泉施設に温泉を送っている施設だと言う。道から沢に降りる階段が有り、途中に脱衣小屋が有ってその下に露天風呂が在った。脱衣小屋は男女別になっていたが、狭いし床が泥だらけだったので、我々は外の岩の上で服を脱ぐ事にした。

私が真っ裸で露天風呂に降りて行くとチョッと怖そうな男性(30歳代後半?)が一人入っていて私に一瞥をくれる。、一瞬ヤバイ?と思った私だったが、勇気を出して私が温泉に入った時に使うお決まりの言葉を掛けてみる。

 「どちらからいらっしゃいったんですか?」

こんな朝早くから{午前七時頃)こんなへんぴな場所に在る温泉に入っているのは我々と同じ旅人かと私は思ったら、地元熊石の優しそうなお父さんだった。彼はこの露天風呂の常連さんで、いつも一人で入りに来てるそうだ。家族にも煩わされずに一人でゆっくり出来るこの露天風呂が大好きだそうで、お金も掛からず彼のプライベート温泉になっているようだった。

この温泉の特徴は、お湯が断続的に流れ込んで来るところにある。山側の岩に開いた穴から温泉が流れ込んでいるのだが、急に大量に流れて来たと思うと少なくなったり止まったりを繰り返す。お湯が止まっている時、知らないで穴の下に座っていたら突然頭上から熱い温泉が落ちて来て、きっと彼方は驚くことだろう。下手をすると火傷をするかもしれないので、皆さんは山側奧に頭を置いて座らないように気を付けて下さい。

この温泉の泉温は結構高く70度以上?はありそうで、熱い場合は沢水を引いたホースで温度を調整するようになっている。今回は前に入っている人がいたので温度は調整済みだったが、朝最初に入る場合は温度が下がるまで裸で10分以上待つ事になりかねないので、入っている人がいない場合は温泉の温度を確認してから服を脱ぐ事をお勧めする。これは、地元のお父さんからのアドバイスでした。

この温泉の源泉は上の建物の所?に有ると思われるが、建物の横に温泉がボコボコ出ている所が有った。そこも温泉が噴出したり止まったりしているので、ここの源泉は間欠泉なのかもしれないが、、だたたんに下の温泉施設に温泉を送る関係で間欠泉の様に出たり止まったりしているのかもしれない。平田内温泉の露天風呂は、出たり止まったりする不思議な温泉であった。


▼遅れて来た高山のお兄さん



体が温まったところで、私はコンビニで買って来たサンドイッチで朝食を取る。皆さんも岩に腰掛ながら御握りを食べゆっくりとした時間を過ごしている。横を流れる沢の音が少々騒がしかったが、それもまた日常では聞く事のない音で我々は久しぶりに過ごす沢筋の空間を楽しんだ。



朝食後、私がもう一度温泉に入り温まってから脱衣小屋に行くと、そこでは高山のお兄さんが服を脱いでいた。我々から遅れる事約30分、飛騨ナンバーのBAJAはようやく平田内温泉に到着したようだ。約40kmの距離で30分の時間差という事は、速度差は幾らになるんだろう。計算が苦手な私には分からないが、結構な速度差であることだけは何となく分かる。

この高山のお兄さんは結構お茶目な方で温泉に入っている彼に私がカメラを向けると、彼は背を向けて立つと腰に手を当ててポーズを取ってくれた。私の撮影が終わると、それを見ていたM氏から、 「OKです。」 の声が掛かる。彼とはほんの少しの間しか話す事が出来なかったが、気の良い若者である事は良く分かった。彼が楽しく北海道の旅を終えられる事を願うばかりである。



駐車場に戻るとBAJAがポツンとご主人様を待っていた。我々は熱った体を冷ました後、平田内温泉を後にして瀬棚に向かった。






▼モーゼの奇跡

国道229号はせたな町大成区宮野まで海岸線をはしり、そこから内陸に入り峠を越えて瀬棚に抜ける。私は内陸に入ったところでペースを上げる。緩やかなワインディングを楽しみながら桧山トンネルを抜けると、我々は十数台のバイク軍団に追い着いてしまった。

GLやBMW等の高価格バイク(総額数千万円)で構成されるそのバイク軍団が我々の前に立ちはだかった。目の前には美味しいワインディングロードが続いており、指を銜えて見ているのも芸が無いし、このまま過ごすにはあまりに勿体無い話だ。追い越す事は簡単だが長い車列の為一気の追い越しは到底無理で、追い越し途中に列に割り込むのは必至と思われた。

無理に割り込んで嫌な顔をされるのは避けたいし、さりとて金魚の糞にはなりたくないし、私の心は揺れていた。  するとどうでしょう !?  目の前のバイクが次々に左側に寄って一列になってゆき、我々の目の前に一本の道が出現したではないか !?

私には幼い時こんな光景を映画で見た記憶があった。その映画とは1958年日本初公開の 「十戒」 である。十戒は私が小学生だった頃、学校の授業の一環で有楽町(秋田市)の映画館に行って見た映画で、上映途中に休憩時間が入る長い映画だった記憶がある。

映画の中でチャールトン・へストン扮するモーゼが、エジプトからユダヤの民と共に逃れる時、目の前に立ちはがかる紅海の海を割って道を造りシナイ半島に逃れるシーンが有ったが、正に目の前の光景はそれと同じ?で我々の目の前に突然道が出現したのである。

この時のモーゼ役は最後尾のGLライダーの様で、彼の指示により車列は綺麗に道路左側に寄って行き、我々の道が開かれたのであった。最近の傾向として雑多なライダーがただ並んで走るツーリンググループが多い中、私の長いバイク人生の中でこれほど見事に統率されたツーリングチーム(あえてチームと呼ばせてもらいます。)は今まで遭った事がない。

複数のバイクでツーリングする場合、安全面からも交通の円滑さの面から言ってもある程度のルールの基でツーリングする事が絶対必要で、FUNKYでも一列になる時の指示方法や並んで走る時の間隔の取り方、追い越しの仕方等最低限のルールを決めて走行している。

私は感謝を込め何回も頭を下げながら彼らの横を通り抜け、そして一気にペースを上げ下りの峠道を大いに楽しんだ。峠を越えると次第に青空が出てきて日差しも出てきて、南より北の方が天気は良さそうである。

瀬棚から寿都までの国道229号は別名追分ソーランラインと呼ばれ、断崖絶壁の海岸線を走っていて奇岩・巨岩が我々の目を楽しませてくれる。しかし、昔と比べるとトンネルが多くなった分、景色の良い場所が少なくなったのは少し残念である。


島牧の道の駅で休憩。


チェーンスモーカー?


寿都のGSで給油と洗車でリフレッシュ。


柿崎商店前にバイク置場が新設された。


歩道の上の喫煙場所に2人は速攻向かう。


今年は階段下からスタート。


今年は別室でゆっくりとお食事。


上   イクラ丼 680円
下 うに丼白 1,460円


食事を終えて外出てみると順番待ちの長蛇の列が出来ていた。

柿崎商店の二階が海鮮工房になっている。
▼寿都で給油、当丸峠を越えて余市へ
瀬棚を出て海岸線のワインディングを自分の走りを確認しながら走る。途中、島牧の道の駅で休憩を取る。止まってタイヤを確認すると、結構端まで使われていた。隼のU氏は結構いっぱいいっぱいの走りだったと言っていたので、流していた割にはそこそこのペースであったようだ。

1時間半近く走りっぱなしであった為、タバコ依存症候群(健康保険適用の病気)の二人は、両手にタバコを持ってチェーンスモーカー状態で一気にニコチン摂取に励んでいる。禁断症状から開放された二人と共に我々は島牧を発って寿都に向かった。

寿都で給油の為にGSに入ったのだが、昨夜からの雨中走行でバイクの汚れが目立ちそのままにしておくのに忍びず洗車する事にした。水洗車の料金が百円とお安く、百円で4台のバイクを洗車する事が出来た。秋田では水洗車が二百円だから北海道は秋田の半分の料金である。

寿都を出て岩内、神恵内と海岸沿いを走り、そこから内陸に入り積丹半島を横断する当丸峠に向かう。私が当丸峠を走るのは十年ぶり以上で、以前と大分様子が変わっていた。

当丸峠神恵内側コーナーの殆んどがグルービングされた縦溝仕様に変わっていた事と、峠付近の殆んどの道にシェルターが掛けられていた事だ。グルービングが大嫌いな私は、コーナーの度にフロントタイヤの挙動にビクビクしながら走る事になってしまい、全く楽しくない道に変わっていた。

これは私の推測だが、以前冬季閉鎖だった当丸峠を冬季期間も通行させる為にシェルターを掛け、クルービングを施したしたものと思われる。積丹半島を周る道が通行不能になった場合陸の孤島になるのを防ぐのがこの峠道の役目で、通年通行する必要が有ったのだろう。

それに引き換え当丸峠の古平側は、シェルターもグルービングも無く走り易かった。以前より道幅が広げられコーナーも大きく改修されており、私は神恵内側の鬱憤を古平側で発散してしまった。

この峠をまた使うかと聞かれたら、結構微妙である。古平側の上りは楽しめそうだが、神恵内側は全く使えないから、プラス・マイナス ゼロ という感じである。夏を除けば神威岬を周った方が楽しそうだが、夏は海水浴客で海辺の道は混雑するからこの峠を通った方が良いのかもしれない。

古平から余市までの道もトンネルが増えていて、ロウソク岩を見学しようと探していたら、いつの間にか通り過ぎてしまっていた。豊浜トンネルの崩落事故からこの付近の道路はトンネル化が進んでいるようである。

余市に近づくに従い気温が上がってきた。昨年も余市で暑い思いをさせられた我々だったが、今年も暑そうである。今年は昨年の順番と反対に、柿崎商店海鮮工房を最初に訪れニッカウヰスキーを後にする事にする。


▼海鮮工房で食の北海道を満喫 !?

海鮮工房を訪れるのは今回が2回目と言う事で、道にも迷わずすんなり到着する事が出来た。昨年と違いバイク置き場が設置されており、バイクを停めるのにも苦労する事はなかった。

昨年は歩道に長蛇の列が出来ていた海鮮工房も、今年は到着時間が11時半と早かったせいか階段下に直ぐに並ぶ事が出来た。昨年は階段下に来るまで30分近く掛かっていたから、今年はそんなに待たなくても良さそうである。

並んで15分後、我々は食券を買うレジの前にいた。昨年は一品の量が分からず注文し過ぎて食べ過ぎてしまったが、今年は今日の夕食時に食欲が有る様に昨年の教訓を活かして注文する事にした。

我々は今回、イクラ丼、うに丼(白)、焼魚ほっけを2セット注文し、1セットを二人で分けて食べる事にした。これで一人前の値段が1,190円である。新鮮なうに(蝦夷むらさきうに)やイクラ、ほっけを食べて一人1,200円もしないのである。安すぎると思いません。安いと評判の産地近くの食堂(うに丼が2,500円前後?)で食べるのが馬鹿らしくなる値段である。

レジで食券を買って席に着こうとしたら、レジの人が我々の人数を聞いて「席を向かいの部屋にしましたので向こうでお待ち下さい。」と言われる。最初意味が分からなかったが、通路の向かい側に在る部屋で待てと言う事だった。

向かいの部屋の存在は昨年から知っていたが、団体客や予約客用の部屋と私は考えていたので少し驚いてしまった。向かいに行って見ると、騒がしいレジが在る部屋に比べお客が少なく静かな雰囲気の部屋であった。ここならゆっくり食べられると徳した気分であったが、この部屋に振り分ける選考基準が何なのかが分からない。レジの人の裁量で決まっているように思えるのだが、何で昨年はアッチで今年はコッチなの・・・?


▼うに丼にチャレンジ?

FUNKYの中でも食わず嫌いとして有名なM氏が、今年食わず嫌いの汚名?を返上すべく未知の食材にチャレンジしている事は、2nd.ツーリングでのしろうおの踊り食いをご覧になった方はご存知だと思いますが、今回また未知の食材 雲丹 にチャレンジする事になった。本当はイクラも食べた事が無かったM氏だったが、それは数ヶ月前に制覇しており今回全く問題はなかった。

そして我々の食券番号が呼ばれ、トレーに載せられたうに丼とイクラ丼が運ばれて来た。うに丼を手に取ったM氏は、ウニを(エゾムラサキウニ)を恐る恐る口に運ぶ。そして彼のご感想は、

「ウニって、旨い。」

彼がイメージしたウニと、エゾムラサキウニとでは味が別物であったらしい。以前食べたウニ(ムラサキウニ)で美味しくないという刷込みが出来てしまったM氏は、それ以降ウニに手を出す事はなかったのだと言う。

これでまた一つ、M氏の食わず嫌いは減る事になったのだが、このまま食わず嫌いが減っていっては、彼がただの凡人になってしまわないかと私は心配している。

                            初めてのうに丼を喰らうM氏。完全な喰わず嫌いでした。


▼今年はホッケをリベンジ

U氏もA氏も海鮮工房は2回目と言う事で、昨年の反省に基づき控え目なオーダーで、二人仲良く美味しそうに食べている。A氏の場合、今回絶対に食べなければならない物が有った。

それは昨年のトイレ事件で食べ損ねたホッケの焼魚で、彼は昨年の悔しい思いを胸にホッケを味わい、昨年のリベンジを果たしたのであった。

            焼魚ホッケ 240円



私もU氏も昨年も食べたうに丼とイクラ丼を食べたのだか、一年ぶりの丼の味は昨年と変わらず大変旨かった。ここのウニは臭みが無くトロッと溶けて甘く、こんなウニは都会では決して味わう事は出来ない。本当にここの食材は新鮮なのだと思う。

                 旨いっす・・・。



今日の海鮮工房は、待ち時間は短かったし、静かな部屋でゆっくり食べられたし、美味しく腹八分目に食べられたし、申し分なかった。また訪れる時には今回の教訓を活かしたいと思います。

外に出て見ると歩道には長い列が出来ていた。やはり昼食は11時半頃までに入店するのが長く待たない骨の様である。何かお土産に出来る物がないか一階の柿崎商店を覗いてみたが、バイクに積んで行ける様な気の利いた物は無かった。美味しそうな魚や烏賊や干物が沢山有ったのだが、残念ながら持って帰るには荷物になり過ぎる物ばかりだった。

我々は食休みの為、ここの直ぐ裏に在るニッカウヰスキーのゲストハウスに向かった。

奥に見えるのはニッカウヰスキー世一工場のgrストハウス。




ブランディーアイス200円を買うとハイボール缶が一つ付いてきた。お得でした。



休憩場所としては申し分ないゲストハウス。エアコンは効いているは、飲み物は無料だし言う事無し。


この位置でタバコから手を離すと
タバコは下の灰皿に落ちる。



昨年に比べ少し気温が低く過ごし易かったた今年の余市だったが、私の余市のイメージは、いつ来ても天気が良く暑い所かな?
▼最高級の無料休憩所
昨年も利用させてもらったニッカウヰスキーのゲストハウスは最高級無料休憩所で、エアコンの効いた部屋で無料で美味しい飲み物が飲めるのだからこれ以上の無料休憩所は他には存在しないだろう。

パーキングにバイクを止めゲストハウスに入って行くと、昨年は無かった入口横に喫煙室が出来ていた。・・・と言う事は二階に有った喫煙場所は無くなった? 困る人間が約二名いるだろうが、私には関係ないか。

二階に在る休憩ルームに行くと模様替えの工事中でカウターが使えなくなっていた。席のレイアウトも少し変わっていて席数が少し減っているようだったが、座る場所は直ぐに確保する事が出来た。私は昨年食べたブランディーアイスの味が忘れられずに、フリーザーの中からブランディーアイスを取ってレジに持っていく。

代金200円を払いアイスを受け取ろうとすると、袋の中に350ml缶をおまけに入れてくたではないか。それはニッカウヰスキーが今年の1月新発売した BLACK HIGHBALL なる飲み物で、ブラックニッカベースのアルコール飲料(ALC6%、フレーバーは「TONIC」「DRY GINGER」「LIME COLA」「LEMON AND SODA」の4種類 希望小売税込み価格180円)だった。

200円のアイスを買って180円のHIGH BALLが付いて来るという何ともお得な買い物だった。このHIGH BALL、アイスだけに付いてくるのではなく後で土産を買った時にも一缶付いてきたから、お買い上げ毎に一缶付けるHIGH BALL拡販キャンペーン中であっと思われる。

今回、初めてブランディーアイスを賞味した甘いもん好きのM氏も、ブランディーの味がほのかにするアイスを美味しいと賞賛していた。昨年は元となるブランディーが試飲コーナーに置かれていて、それとアイスを交互に食べるとブランディーの味が倍加して美味しくいただけたのだが、残念な事に今年の試飲コーナーにはブランディーが置かれていなかった。

私はここの売店でニッカウヰスキー特製ゼリーなる物を購入したのだが、帰ってから食べてみると6個全てウヰスキー味のゼリーだった。当然と言えば当然の事なのだが、商品説明にはワインやブランディー味のゼリーも有った様だったので私は購入を決めたのだが、そうではなかった 。私の勘違いか?

ウヰスキーとゼリーのコンビネーションは完全にミスマッチで、私の意見としては美味しいとは決していえないゼリーだった。ウヰスキーゼリーを否定するのものではないが、6個中2個までにして欲しかった。そうすれば不満は無かったのだが・・・。


▼M氏 壷に嵌る?

充分に休憩を取った我々は1階に降りて行く。するとそこには喫煙室が有るわけで当然の様にM氏が中に入って行く。タバコを吸わない私とU氏もそれに付き合う事にした。部屋の中には昨年まで二階に置かれていた煙を吸い込むテーブルが置かれていて、ご丁寧にもタバコの自販機まで置かれていた。

早速M氏は、タバコを箱から取り出しそれを口に持っていこうとしたその時、タバコが彼の手をすり抜け落ちて行く・・・ッ。 落ちて行くその先には丸い蟻地獄の様な丸い灰皿が口を開けてタバコを待ち受けていた。タバコは狙った様に真中の穴に吸い込まれていく。

M氏は灰皿の蓋を取ってタバコを拾おうとしたのだが、蟻地獄の中はご丁寧にも水が入っていて、落ちたタバコは沐浴中であった。高い税金を払って購入したタバコは、煙となってM氏の肺を汚す事無く役目を終える事となったのである。

タバコを吸わない私は 「アーッ 勿体無い・・・。」 と思ったが、それを見たM氏は一瞬 「しまった。」 様な表情を見せたものの、直ぐに新しいタバコを取り出し火を着けていた。M氏にとってただ単に次のタバコに火を着ける時間が早くなっただけの事の様である。M氏が10円玉と五円玉を賽銭箱に入れた、タバコ蟻地獄事件でした。

タバコを楽しみながらM氏は我々の後から入って来た、紺色の制服を着た三人の女性に注目していた。彼女らは消防署方面から来た地方公務員の様で、会話をしながら三人共タバコを吹かしている。

私は彼女らが何を話していたか聞いていなかったが、M氏はその内容を理解していた模様で、彼女らを見ながら笑いが止まらない様子だった。俗に言う 「壷に嵌った。」 というやつですか。とにかく、彼女らに悟られないように彼一人笑いを堪えていた。

何がそんなに笑えたのか私は知らないが、確かに制服に身を固めた30歳代と思われる女性職員三名が、職務中に彼女らの天敵火事の出火原因NO,1のタバコを仲良く喫煙室で吸っている姿は、良く考えたら笑える情況だったのかもしれないな・・・?


今回は2階の喫茶店で休憩いたします。


FUNKYには、似合わない?店内のハイソな雰囲気。



ソフトアイス クラッカー付き。 500円
これが美味いんだ。



納得の表情を見せるFUNKYメンバー。下で売っているソフトと中身はおなじだが、食べる雰囲気とクラッカーとの相性が絶妙で違った食べ物の様に感じた。














▼余市を発って赤井川へ 赤井川村でFUNKY迷子に・・・
充分に休憩を取った我々は、ニッカウヰスキーを発って赤井川を目指す。本当は国道5号を南下してワイス温泉に向かえば近いのだが、まだ時間に余裕が有ったので少し寄り道して赤井川村経由でワイスに向かう事にする。

余市から赤井川村に向かには冷水峠を通って行くのだが、この峠を私は走ってみたかったのだ。そう16〜17年も昔の事になるが、お店のお客さん4〜5人で北海道にツーリングに行ったのだが、間違って通った冷水峠で一台が転倒、その車は結局廃車になって北海道に置いて来た事があった。

私は転倒する位の峠だからきっと難しい峠に違いないと期待?しながら冷水峠に向かった。峠の手前にはヨーロッパに来たかの様なメルヘンチックなゴルフ場が在ったりしたが、峠道と言うほどの高低差は無い道で峠とは気付かない内に道は下り始めた。

この道は峠と言うよりか丘越えの道と言った方がよさそうで、FUNKYのスペシャルステージにはなりえない道だった。私が見た限りこの峠に転倒しそうなコーナーは無かった様に思うが、どのコーナーで転倒したのか物凄く気掛かりだった。

大きなヘアーピンカーブの途中に赤井川村役場の案内板を発見した私だったが、時すでに遅くまたまた通り過ぎてしまった。そこでヘアーピンの先に在ったパーキングでUターンし、さっきの脇道に戻って赤井川村役場に向かうと道はT字路にぶつかった。

私はT字路を右折、先に進むと赤井川村の街の中に入る。左側にはガソリンスタンド、右側にはコンビニ風の店が在ってその前にバイクが一台停まっておりライダーが我々の方を見ている。村役場の前を通り過ぎ街から出ると前方に直進方向 キロロ、小樽の青看板が見えて来る。

我々は小樽に行くわけではないので、私は道を間違えたものと考えUターンする事にした。きっとさっきのT字路を左折するのが正解だったのだ考えたのだが、その後その判断が間違いであった事を思わぬ事で知る事になる。

引き換えして街中に入ると先ほどのバイクはまだ停まっていたが、ライダーの姿は見えなかった。そのまま先ほどのT字路を直進すると前方に「直進 余市」の表示が出て来る? 「アレー・・・?」 と疑問が沸いたところで左側に先ほどUターンしたパーキングが見えて来た。 「何で戻ってしまったの?」 私の頭の中はグジャグジャになって自分達のいる位置が一瞬分からなくなってしまった。

いずれにしてもこのまま進むと余市に戻ってしまう事だけは確かで、先ほど曲がった脇道に入りT字路に出て右折、我々は先ほどのライダー前を三度目の通過を果たす事になった。私はそのライダーに何回も三回も前を通る我々の感想を是非聞いてみたかったのだが、恥ずかしいから止めた。もし彼が引き返した時の我々を見ていなかったとしたら、我々は同じ方向に二回彼の前を通った事になり、彼はきっとホッペを抓った事だろう。

結局、最初の道順で問題なかった様でそのまま進むと国道5号に戻る分岐が見えて来る。そこを右折し我々は国道5号に出て国富に向かう。国道5号は相変わらず込んでいて、車の後ろに着いて稲穂トンネルを抜け国富、小沢と走ってワイス温泉に出ると、右折 岩内の青看板が出ていた。


▼新たなるスペシャルステージを発見 ワイス温泉〜岩内間

ワイス温泉から岩内に抜ける道は、本来なら昨年走る筈だったのだが、私の優柔不断な判断の結果直ぐ手前で引き返してしまい走る事が出来なかった。今年走ったその道の感想は、昨年引き返さなければ良かったと後悔させる程、素晴らしく楽しい道だった。

この手の道は公にしないで秘密にしておくべきだと思うのだが、私が知らなかっただけの事で地元では結構有名な道であるようだ。その証拠に右折して直ぐスポーツ系バイク数台でワインディングを楽しんでいるのとすれ違ったし、結構走っているバイクの数は多かった。

ニセコの山の裾野を巻くように走るこの道は、大きな高低差はないがワインディングが延々と続く道で、道幅もそこそこに有って走っても飽きない千差万別のコーナーがライダーを待ち受けている。

少し走って状況も分かってきたので、この手の道が好きそうなM氏とA氏を前に出しその後をU氏と共に追う事にする。ここのコーナーの多くはトリッキーなものではなく、楽しく走れるコーナーが多かった。皆さんはこのワインディングを充分に楽しんだようだが、思いのほか早く見覚えの有る終点が見えて来て、楽しい時間は終了となってしまった。

全長15kmにも満たないワインディングだったが、練習には持って来いの道で秋田にお土産に持って帰りたい道だった。

このワインディングの終点はニセコパノラマラインが始まるクレールチーズの在るパーキングの前で、パノラマラインと一体として考えるとワインディングの長さは相当なものとなるのである。


▼ニセコパノラマラインを下見

クレールチーズの前を通り過ぎ、パノラマラインの様子を見に神仙沼のパーキングまで行って見る事にする。パノラマラインを登り始めて少し標高が上がると、低く垂れ込めた雲の中に入ってしまい視界が10〜20m程度まで落ちてしまった。

こうなると車の後に着いて行くのが一番楽な走り方で、ただただ車のテールランプを追い掛けて走る。神仙沼近くになって雲の上に出た様で視界が回復、青空も見えて来る。いずれにしてもパノラマラインのおいしい所は雲の中で、今日パノラマラインを楽しむ事は難しいようである。神仙沼のパーキングで我々はUターンして麓にもどる事にした。


▼場違いなFUNKY

我々は再び雲の中の時間を過ごした後、クレールチーズ横のパーキングにバイクを停め休憩を取る事にした。今回はクレールチーズ二階の喫茶店で休む事にする。この喫茶店は昨年ソフトを買った時店の人に休んでいくように勧められたのだが、その時は遠慮して二階には上がらなかった。今日は時間もある事だし上がって見る事にした。

二階に上がって見るとそこはハイソな感じの洋風の室内で、大きな窓の外には緑の景色が広がっていた。我々が入って行くと一瞬我々に多くの視線が集まり、そして離れていくのが分かった。レザースーツを着た我々はあまりにも場違いな格好であったのだが、そんな事はいつもの事で気にしないで6人掛けのテーブルに席を取る。


▼絶品ソフトアイス

店の人にソフトを注文出来るか聞いてみると、中身は同じだが200円高いソフトアイス(クラッカー付 500円)になると言う。200円は席料という事で我々全員ソフトアイスを注文する。

暫くして運ばれて来たソフトアイスは、ガラスの器にアイスが盛られ横にクラッカーが二枚添えられていた。早速食べてみると、これが絶品であった。中身は下で売っているソフトと同じ筈なのだが、クラッカーとのコンビネーションが絶妙でソフトとは別の食べ物の様に感じる。

勿論、店の雰囲気もプラスされていると思うが、食材が同じでもアレンジを変える事で別物に感じてしまう事を勉強させてもらった。お近くを訪れた際は、クレールチーズの二階でゆっくりと休憩され、是非ソフトアイスをご賞味する事をお勧めいたします。

窓から我々のバイクを見ていたら、傍にブルーのZRX1200が停まりバイクを降りたライダーとタンデムライーダーが我々のバイクの方に歩いて行った。二人はお父さんと小学生男子(高学年?)の親子ライダーの様で、我々のバイクのタイヤを見たりして何やら話していて、それは何とも微笑ましい親子ライダーの姿だった。私は彼らの会話内容にひじょうに興味があったのだが、我々が戻る前に彼らはワイス温泉に向かう道に走り去って行ってしまった。 「何を話していたか、聞きてぇー。」

ゆっくりとした時間を過ごした後、私は一階に降りてカマンベールチーズを購入する。出て来たオネエさんに昨年もチーズを買った事を話したが思い出せない様子だった。隣接する建物の二階のドアの話をすると「アァ・・・。」と相槌は打っていたが、多分思い出してはいない様子だった。


▼お泊りの準備の為 岩内へ そして五色温泉へ

今夜の宿はにニセコの山の上に在る昨年も泊まった五色温泉旅館で、周りにお店は無く酒類の買出しが必要な事と、明日の予定を考えるとガソリンを入れておく必要があったので、岩内の街に向かう事にする。

私は十数年前、ニセコに上がる前に立ち寄ったガソリンスタンドに向かった。私の記憶に間違いはなく、そのスタンドは昔の場所に少しお洒落になって存在していた。給油を終え道路の向かいに目をやると、そこにはスーパーマーケットらしい建物が建っていた。スタンドの人にそこで酒を売っているかどうか聞いてみると、売っているとのご返事。A氏とU氏は酒の買出しに、M氏はタバコの買い溜めに道路を渡って行った。

私にはニッカウヰスキーで貰ったブラック・ハイボールが2缶有るのでアルコールは充分間に合う為、皆さんが帰って来るのをスタンドで待つ事にした。宿に向かう準備も整い、我々は再びニセコパノラマラインに向かった。

パノラマラインは相変わらず雲の中にあって、我々はテールランプを頼りに上って行く。先程は視界が良かった神仙沼付近も雲の中で視界は最悪、我慢の走行が続く。岩内側とニセコ側分けるパノラマライン最高点を過ぎると、ようやく視界が回復してくる。パノラマラインと別れ五色温泉に向かう道に入ると、車もいなくなって今日最後の走りを楽しんだのだが、それも一瞬で五色温泉に到着してしまって終了となってしまった。



















不安な表情を見せるメンバー。





























































無事部屋に落ち着く事が出来て一安心。






























昨年通じなかった携帯が今年は使えた。
▼予約されってませんから・・・!?
昨年も泊まった五色温泉旅館なので勝手は分かっており、我々は建物奥のスペースにバイクを停め、荷物を降ろし玄関に向かう。日帰り入浴の客が多いのか、それとも泊り客が多いのか、玄関前のスペースは車やバイクが所狭しと並んでいる。
「今日は満室か?」

玄関に入りブーツを脱ぎ下駄箱に納めてから私はフロントに行く。

私  「予約している○○ですけど・・・。」 と中にいた男性に告げた。

 するとの彼の顔に一瞬戸惑いの表情が走ったのを私は見逃さなかった。

彼  「○○様のご予約は昨日の15日になっておりましたが・・・?」

私  「エェーッ ウソ それはないでしょう。」 とは言わなかったが、
    私の体の中に衝撃が走った。  「ガッビィーン」

彼  「昨日、何回もお電話したんですけどお出になりませんでした。」

私  「何時頃でした?」       彼  「7時頃だったと思います。」

私  「その時間なら店にいたよな・・・。 イヤ いなかったかも・・・?」
    「食事処で秋刀魚を食べ、喉に小骨が刺さった頃か・・・!」

過ぎてしまった事は変えようがないわけで、ここでの問題は我々の今夜の寝床である。 そして、彼は申し訳なさそうな表情でこう付け加えた。

彼  「本日、客室は予約で満室になっておりまして、お部屋をご用意できません。」

 先ほどの私の読みは、見事に的中していたのであリました。

私  「それなら我々にどうしろと言うのか教えてくれ・・・。」 心の叫び!

部屋は無いと言った彼だったが、泊められないとは言わずに電話を掛けたり何かやらゴソゴソやっている。 そして数分後 

彼  「少し離れた別館になりますが、宜しいでしょうか。」

私  「泊まれればどこでも結構です。」

彼  「泊まりは別館になりますが、食事はここの食堂にご用意しておきますので
    こちらに来て取って頂きます。」

私  「贅沢は言いません。泊まれれは、どこでも結構、結構でぇーす。」

部屋が無いと言われた時途方に暮れてしまった私だったが、その時私の後ろでこの近くの宿を携帯でピックアップしていたメンバーがいたという。見事なバックアップであったのだが、幸にもそのリストは使われる事は無かったのである。


▼災い転じて・・・

我々は別館の部屋の鍵をもらい、荷物を持ってまた外に出て五色温泉旅館別館に向かった。別館の存在は知ってはいたが、その実態を私は知らなかった。別館の玄関に行くと係りの人が我々を二階の部屋に案内してくれる。新築されて間もないのだろう、全ての設備が新しく、気持ちが良い部屋だった。

そして別館の実態が明らかになった。この別館は食事が出ない自炊が基本の宿泊施設で、その為の厨房が設けられている。温泉も石造りの綺麗な内湯と露天風呂がちゃんと有って、源泉も本館と違っているという。ニセコの山に登る登山者などの利用が多いとの事で、今晩も我々の他に登山者とおぼしき泊り客が数名いた。

つまりこう言う事のようだ。一日遅れてやって来た我々を何とか宿泊させとうとフロントの彼が考え出した奥の手は、食事の出ない別館の空き部屋に我々を泊め、食事は本館に用意すると言うハイブリットな宿泊方法だった。

我々としては、食事の為に本館まで出向く手間はあったが、宿泊料金が2割程安くなる思わぬメリットが有ったし、設備は綺麗で充分快適だったから最初からこのパターンでお願いしたいくらいだった。

 「災いを転じて福となす。」 とはこの事か。  「ラッキー!?」 でした。


▼加齢臭からの脱却

実は秋田を出た時から私を悩ませ続けていた事があった。それは秋田を出発する為にヘルメットを被った時からそれは始まっていた。その時、私は2週間前のツーリング後初めてヘルメットを被ったのだが、2週間の間に私の大二郎は発酵していたかの様に悩ましい香りを発していた。

夏場に被るヘルメットは、汗を大量に吸収しそのまま放置しておくと加齢臭の様な香りを発生するようになる。被ったその時はキツク感じる香りも次第に鼻が慣れてその感覚は薄れていくのだが、ヘルメットを脱いで新鮮な空気を吸った後またヘルメットを被った時、それはまた最初から始まってしまうのだ。

私は次第にヘルメットを被るのが苦痛にさえ思えてきてしまったのだが、しかしその香りから逃れる術は内装を外し洗濯するしかないわけで、私は宿に着くのを心待ちにしていたのだ。ようやく宿に落ち着く事が出来た私は、洗面台に溜めた温水に、持っていた小袋入りの洗濯洗剤を溶かし、大二郎から外した内装を浸け込んだ。

するとどうでしょう!温水は見る見るうちに黒く変色していくではないか。そういえは内装を洗濯したのは久しぶりで、少なくても1年間は洗っていなかったような・・・。ヤバイ、ヤバイ、これでは加齢臭と言われても致し方あるまい。

洗濯は終わったが脱水機が無く手で絞って自然に乾燥するのを待つ事になったのだが、明日の朝まで乾くかどうかが問題だ。寝る前に触った感じでは無理っぽかったが、その対策は朝起きてから考える事にする。



▼五色温泉旅館の夕食を美味しく頂く
夕食の前に我々は下の自販機から買って来た缶ビールで乾杯する。宿に着いて飲むビールの味は格別で、緊張から解き放たれた安堵感から喉に弾けるビールの泡が何とも心地良い。

時間になって本館に夕食を食べに向かう。昨年は昼の海鮮工房で食べ過ぎた関係で、夕食の時間になっても食欲が湧かず料理に箸を付けるのが躊躇われたが、今日は違った。昼食の量をコンロールした結果、適度にお腹が空いていて美味しく食事を頂く事が出来た。

献立は昨年と殆んど変わらなかったと思うが、人間の味覚が食欲によってこれほど影響されるとは思ってもみなかった。昨年は美味しくないと感じた料理が、今年は普通に美味しく感じるのだから、食事を美味しく頂く骨は腹を減らして食べる事のようである。


▼温泉を楽しむ

食後、温泉に行って体を綺麗にしてから、ゆっくりと温泉に浸かる。今回は本館に有る二つの浴場の内、昨年入ったからまつの湯ではなく大浴場に入ってみる。ここのお湯は八幡平の蒸の湯や大深温泉と同じ硫化水素泉系の白い温泉らしいお湯なのだが、内湯手前の浴槽はかなり熱く43℃位?あり、奧の浴槽は41℃位?と少し低く、外の露天風呂はそれよりも低く39℃?位と思われる。

露天風呂は長湯するには丁度良い温度で、露天風呂からは明るければニセコアンヌプリが見える筈だが、今は日が落ち真っ暗で何も見えていない。しかし、暗くてもゆったりとした気分になれる大きな露天風呂だった。

この露天風呂にもからまつの湯同様大きな板が浮いていて、この板の使用法についてU氏とM氏が疑問を投げ掛ける。沈めて腰を降ろす板だとかビート板だとか色々な使用法が出たが、私も何の為の板なのか知らなかったので疑問は未解決のまま残る事になった。。しかし、建て替えられる以前(15年以上前)から露天風呂に大きな板が浮いていたから、それなりの理由が有るものと考えられる。


▼宴

別館に戻った我々は、各自仕込んでおいたアルコールを取り出し宴が始まった。今日の走りや色んな話題が次々に出てエンドレスに会話が続く。私はハイボールを2缶持っていたのだが、1缶飲んで2缶目に取り掛かろうとしたところでハイボール缶に種類が有る事が分かった。

よく缶を見ると色とデザインが微妙に違っていて、それぞれフレーバーが違うようだ。皆さんが貰って来た物を合わせると4種類有る事がわったが、私には大して味は違わない様に感じた。酒を嗜む人は味の微妙な違いを感じ取れるのだろうが、私に違いが分かるのは最初の一口ぐらいで、その後はどれも同じ味だった。私には2缶空けるのが精一杯で、ニッカから頂いたアルコールでちょうど良かった。 「ニッカに感謝 !?]


▼携帯を握りながら・・・

時間も遅くなった(11時過ぎ?)ので、布団を敷いて寝る体制に入る。携帯電話をお持ちの方はメールの確認等をしている。昨年は携帯が通じなかった五色温泉だったが、今年はバリ3でアンテナが立っていると言う。次の日の朝、外を確認してみると携帯の地上局の様な建物が見えたので、アンテナが新設された模様である。こんな山の上でも携帯電話が使用出来る時代になったんだと感心してしまった。

ふと見ると携帯を握り締めたまま、夢の世界に旅立った御仁がいた。ここで起こしたら昨晩のフェリーの二の舞になりかねず、私はそのままにしておいた。きっと溜まっていた疲れがドッと出てしまったのだろう。 「触らぬ神に祟りなし。」 である。

我々も彼の後を追う様に、五月雨式に眠りについたのであった。

後 編