コース

秋田
⇒広域農道⇒協和 荒川⇒角館⇒仙岩峠⇒雫石⇒網張⇒小岩井⇒滝沢⇒岩洞湖⇒

早坂トンネル⇒名目入 給油⇒国道340号 国見峠⇒葛巻⇒袖山高原
森のそば屋(昼食)

葛巻⇒沼宮内⇒八幡平温泉郷入口⇒松川温泉⇒八幡平樹海ライン藤七温泉 入浴

八幡平樹海ライン(途中まで往復)⇒八幡平アスピーデライン⇒玉川ダム⇒田沢湖⇒角館

協和荒川⇒広域農道⇒岩見三内⇒太平⇒モト ワークス ヒラタ 走行距離 500km



角舘で250と400が給油











皆さんのタイヤを確認して話が弾む。


これから向かう網張高原の走り方を確認して出発。
●イィー度胸してるジャン! ひょっとして大物!?
FUNKY今年四回目のツーリングは、初参加の新人一名を加え五台で秋田市を出発する事となっていた。出発時間はいつものようにAM6:00となっていたが、六時を回ったが新人さんのNSR250Rがやって来なかった。

普通、初参加の人間は興奮して早くから目が覚めてしまい早目に来るものなのだが、今回の新人さんは大物のようでAM6:05になっても音沙汰がなかった。一応電話で確認を取ろうと電話番号を探していたら、電話が鳴った。

それは新人さんからの電話であった。今起きたばかりのようで

彼は 「もう30分程で行きますから・・・。」 と言っている。

私が返事をしないで黙っていると、

「15分で行きます。」 と時間が短くなった。

彼はバイクで5分も掛からない所に住んでいるから、これから直ぐ支度をして出て来れば15分もあれば来れる筈で、私は来るまで待っている事を伝え電話を切った。

新人さんが寝坊して15分ほど遅れる事を皆さんに伝え、我々は出発の準備を整え新人さんが来るのを待つ事にした。

6時20分過ぎ新人さんがやって来る。挨拶もそこそこに新人さんを最後尾に据え我々は秋田市を出発する。何故新人さんが最後尾かと言うと、2サイクルという絶滅危惧種のNSRは、低回転で走ると白煙と不完全燃焼によるCOをチャンバーから吐き出しその後を走る人間の目をチカチカさせてくるのだ。

もっともエンジンの高回転域を使用し、爆発の圧力波がチャンバーとシンクロするようになれば白煙もCOも軽減されクリーンな排気も可能なのだが、新人さんのチャンバーの出口はしっとりと黒く濡れており、そうなるにはもう少し修行が必要のようである。

大仙市協和荒川までの広域農道は出発時間が少し遅くなった事もあり車が多く、そして新人さんもいる事だし我々は車の流れに乗ってゆっくりと走る。


●角館で給油!?

FUNKYで岩手県早坂方面に行く時、一回目の給油は国道455号名目入のGSで給油するのだが、名目入までは200kmの距離が有り燃料タンクが小さいNSRやFZRの場合燃費によってはガス欠の可能性が有る。実際、昨年の名目入のGSで給油した時、FZRのタンクには1リットルのガソリンも残っていなかったのである。

その為今回私は保険を掛けてNSRとFZRに角館で給油させる事にしたのだが、これが思わぬ結果を生む事になった。FUNKYツーリングに参加する場合満タン参加が原則なのだが、寝坊をしてしまった新人さんは出発前GSで満タンにする予定が狂ってしまい、出発時NSRのタンクの中には半分ほどのガソリンしか入っていなかったのである。

出発時満タンでないと給油タイニングが他のバイクと合わず、他のメンバーにご迷惑を掛ける事になる。先頭がそれを知らないで走っていて、行き成りガス欠では大迷惑なのである。

今回そんな事になっているとは私は全く知らなかった訳だが、偶々角館で給油したのが給油タイミングを合わせる結果になったのであった。秋田市を出発する時NSRが満タンで無かったのを私が知ったのは、八幡平で二回目の給油した時の事であった。

次回からは満タンで参加しましょう。さもなくば、その旨を申告して下さいね、新人さん。


●仙岩峠の登りで・・・


高速コーナーの為、中間付近のゴムがむしれている。
仙岩峠の登り口に在る登坂車線に差し掛かった時、偶然にも我々の前に車の姿は無く私は此処でスロットルをワイドオープンにしてみた。ここの登坂車線は、右と左の高速コーナーが各一個だけの短いものなのだが、結構スピードが乗って楽しかった。

登坂車線の先に在る峠の茶屋にバイクを滑り込ませ、リヤタイヤを見てみると良い具合に融けていた。このBSのBT−016のリヤタイヤ、走り込むに従ってハンドリングが素直になってきて走り易くなってなってきている

グリップ力も充分で、ドライ路面を走る上で問題は無いのだが、タイヤライフがミシュラン パイロット パワー 2CT に比較すると大分短そうで、我々の使い方では2500km程度になりそうだ。最低でも3000kmは持って欲しいのだが、現時点でそれをBSに求めるのは酷なようである。

新人さんに此処までの走りのチェックやこれからの走り方を説明し、我々は峠の茶屋を後にする。


岩洞湖レストハウスに到着。休憩としたが、ここがジモピーライダーのターミナルになっていて、先ほどのCBRの姿も有った。



ジモピーライダーと少し離れた所にバイクを止める。



木陰は涼しいが日向はジャケットを着ているのが辛いほど



NSRのアイドルストップスクリューを探す私。

●新人さん研修
仙岩トンネルを抜け岩手県に入った我々は、雫石から網張高原に上って行く。此処で私は先頭から新人さんの前に下がり、NSRを先導して岩手高原スキー場に上って行く事にする。前の三台は瞬く間に視界から消えて行ったが、私はNSRが追い着いて来ない程度のペースになるようスピードを調整して走る。

新人さんを先導する時のスピードのコントロールは結構気を使うもので、早過ぎると離れてしまい後が追い着こうと無理をしてしまうし、遅過ぎると楽をしてしまい上手くならない。後が楽をしないスピードで尚且つ無理をしないスピードを維持すると共に、コーナー手前でシッカリブレーキランプを点灯(ブレーキは殆ど掛けていない)して走るのだが、そんな時もミラーで後ろの走りをチェックしなければならず結構気を使う。

しかし、新人さんは先導される事により初めての道でも前のバイクから情報をもらえるから、怖い思いをしないでバイクを楽しむ事が出来るのだ。自分自身の判断で道を探りながら安定して走れるようになるには、最低でも四年は掛かる。それはFUNKYツーリングに全て参加しての話だが、NSRの彼は今日その一歩を踏み出したのである。

FUNKYでは速い遅いではなく事故らない走りをモットーにしているのだが、新人さん研修の目的の一つに新人さんに自分の走りのレベルを自覚させる事が有る。自分のレベルが分かれば、前が行ったからと言って自分も無理して着いて行こうとしなくなるから、それが安全に繋がる。

岩手高原スキー場に出た所で再び私が先頭になり、今度は小岩井農場方向に下って行く。この道には見通しが利く直線も有って結構スピードが乗るのだが、今日は後に新人さんもいる事だし、それなりのスピードで下って滝沢方向に左折する。

滝沢に出た我々は国道4号の下を潜ってJR滝沢駅前を通過、国道455号を目指す。


●昨年の北海道以来のコラボレーション・・・

国道455号に出て左折、我々は早坂高原を目指す。左折して直ぐ左側にお店が在って、そのパーキングにはいつも此処から先の道をホームとするジモピーライダーが屯しているのだが、今日はその数7〜8台?位はいたように見えた。

彼らを刺激しないように私はゆっくりとその前を通過したのだが、リッターSS&レーサーレプリカ集団の我々を彼らが見逃す筈は無かったのである。外山ダムへの登りに差し掛かったが、私は車が多く走っている事もあって慎重に走りを進めていた。登りの中間地点近くに少し長い直線が有って、私はそこで後の状態を確認すべくミラーを覗き込む。

すると最後尾に赤いバイクが二台見えた。赤いNSRの他にもう一台赤いバイクの存在を知る事になった私だったが、それが先ほどお店のパーキングに止まっていたバイクの一台だったとしても、我々の走りを変える理由にはならなかった。

ここでジモピーバイクに着かれたのは以前にも有ったが、私にこの曲がりくねった狭い道で彼らと共に走りを楽しむ気は更々なく、私はマイペースで先頭を走る。外山ダムまで来ると赤いバイクは一台一台前に進出して来ていた。

道は平らな中速コーナーと短い直線が組み合わされる高速ステージへを変わってくる。そこで私はジモピーライダーに敬意を表し、バイクを左に寄せ我々の前に出てもらう事にした。

その赤いバイクはヘッドライトの形からしてHONDAのCBRに違いなかったが、先頭に出たCBRは水を得た魚のように一段とペースを上げて走り始めた。この道を走り慣れたそのCBRの走りは突っ込み重視タイプで、コーナーの奥までブレーキを残すその走りはスロットルを開けるタイミングが遅い為立ち上がり加速がやや遅かったが、そのコーナーリングスピードは速くそして安定していた。

チョッと気になったのはコーナーリング中の頭の位置で、バイクのセンターから頭が少し外に出るリーンアウト気味になっていた事だ。これは突っ込み重視タイプに多く見られる傾向で、初めに体をイン側に入れてからバイクを引き込むようにすれば、頭が中に入ってハンドルに舵角が付きバイクが無理なく曲がって行くようになると思うのだが・・・。

サーキットとは違い公道においてはブレーキングを早目に終え、バイクの方向をシッカリインに向けてからスロットルを当ててクリッピングポイントに寄って行く方が安全に速く走れると私は思う。


CBRと共に走りを楽しんだGSX−Rのリヤタイヤ
それはスロットルを当ててコーナーに進入して行った場合、コーナーの先に何か有った場合スロットルを戻すだけで減速出来るからで、ブレーキングをしたままコーナーに進入した時何か有ってもそれ以上制動力を増す事は難しく、転倒や外にはらむ事になりかねない。

そんな赤いCBRの走りを見させてもらった後、私はコーナーの立ち上がり加速でCBRの前に出る。二番手のR1も私に続きCBRの前に出たようだ。

暫く走ってCBRとの間隔が空いたところで、私は少し離れた後続を待つ為スピードを落とす。その横をCBRがゆっくりと追い越して行ったのだが、私は共に走りを楽しんだCBRに右手を上げてエール?を送ったのでありました。


●岩洞湖レストハウス

その後我々は全車一体となって岩洞湖湖畔沿いのワインディングロードを楽しみ、岩洞湖レストハウスのパーキングにバイクを入れた。するとそこには先ほどのCBRと思われる赤いバイクを含め6〜7台のバイクが停まっていた。

この頃になると陽射しが強くなって暑くなっていた事もあり、私はそれらのバイク達から少しスタンスを取った木陰にバイクを停める。どうもこのパーキングはジモピーライダーのターミナル基地となっているようで、下のお店のパーキングとこのパーキング間を往復して彼らは走りを楽しんでいるようである。

我々は水分を補給したりトイレに行ったりして休憩を取る。いつもは早坂高原まで走って休憩を取るのだが、昨年の末早坂高原の下を通るトンネルが完成し狭い曲がりくねった早坂峠を通らずに峠の先に出られるようになっていて、今回は早坂高原に寄らない予定の為ここ岩洞湖レストハウスで休憩を取る事にしたのである。


赤いCBRはCBR600F F4i であった。

この岩洞湖レストハウスではライダー割引なるものが有って、ヘルメットを持って食堂に行くと全メニューが10%OFFになるらしいのだが、レストハウス入口のテラスには先ほどのCBRライダーが陣取っており、我々には近寄り難いものがあった為、今回レストハウス内に足を踏み入れる事は無かったのであります。

私はツーリングから帰って来るまで赤いCBRは1000ccだと思っていたのですが、レポートを書く為モデルを確認したら、10年近く前の CBR600F F4i という600ccのCBRであった。

どおりで立ち上がり加速が遅かったわけである。私にCBRは1000ccと言う先入観があった為600ccの事は頭に無かったのだが、600ccと分かっていたらそれなり対応をしたのにのCBRの彼には本当に悪い事をしてしまった。

我々が休憩している間に赤いCBRの彼は下のお店の方向に獲物を探しに?走り去って行った。私は昨年の北海道以来のジモピーライダーとの触れ合いを楽しんだ訳だが、基本的のジモピーライダーはその道を走り慣れておりブラインドコーナーも先が見えているかのように進入して行く事が多い。

我々ツーリングライダーはブラインドコーナーは探りながら進入するのが鉄則で、ジモピーライダーとは走り方を異にする。従って走りが違うジモピーライダーとのコラボレーションは、場所と相手を選ばないと大変な事になってしまうのだ。

私がジモピーライダーとコラボする時、相手の走りをよく観察してからにしているのは<勝てないコラボはしない> を信条?とするからなのだが、ジモピーの中には時々次元の違う走りをするライダーが存在する。そんなライダーが目の前に現れた時、私は尻尾を巻いて直ぐに引き下がる事にしている。

その道を知り尽くしたジモピーライダーには、どう逆立ちしても一介のツーリングライダーでは太刀打ちできませんから・・・。


NSRがアイドリングが効かないと言うのでアイドリングを上げる為、私はストップスクリューを探したのだが見付けられなかった。実はこのバイク、1ヶ月程前にキャブレターのオーバーホールをしていて、私はその時にストップスクリューをいじっていた筈なのだが、その位置をどうしても思い出せなかった。

本当に歳は取りたくないものである。1ヶ月前に調整した筈のスクリューの位置を思い出せず結局そのままで走ってもらう事になったのだが、帰ってからタンクを外しストップスクリューの位置を確認したら、フレームの陰の見えない位置にスクリューが有った。

この位置では調整がし難いとメーカーも考えたのだろう、NSRの次のモデルからはスクリューにケーブルを取り付け外で調整出来るようになっていた。


給油後、来た道を引き返し葛巻に向かいます。



店内はエアコンが効いて涼しいが外は暑いです。













●早坂トンネルは冷蔵庫の中
休憩を終えた我々は、名目入のGSを目指して走り出す。いつもは結構なハイペースで早坂高原のレストハウスまで走るのだが、今回は早坂高原には登らず早坂トンネルを初めて通る為、控え目なスピードで走る。

以前から工事が行われていた場所から旧道が左に分かれ、我々はそのままトンネル内に入って行く。トンネル内は冷蔵庫の中のように涼しく快適に走る事が出来たのだが、路面は冷気で濡れており滑りそうで怖かった。トンネル内の濡れた路面は簡単に滑る(リッターバイクの場合?)から皆さんも充分お気を付け下さい。

我々は数分で快適なトンネルを抜けてしまったのだが、早坂峠を通った場合15分以上は掛かった筈だから、トンネルの完成で大幅な時間短縮になっていた。このトンネルの最大に利点は、冬季の路面凍結時に曲がりくねった峠道を通らなくてもよくなった事のようで、余計な神経を使わないで峠を越えられるのは大きなメリットだろう。

国道を走る車の殆どがトンネルを通るようになった今、我々が良く利用していた早坂峠のお店がどうなってしまったのか気になるところだ。我々の場合トンネルよりワインディンクロードを走る方が楽しいから、次回は峠道を使ってみようと私は考えているのだが、我々の為に休憩場所のお店が存続している事を願うばかりである。

トンネルを抜けるとそこは三田貝川沿いの快適な中速ワインディングで、私は皆さんと共に大いに走りを楽しんだ後、名目入のGSにバイクを止める。昨年もいた元気の良いスタッフが出て来て声を掛けてくる。

給油後、我々はエアコンの効いた店内で、無料サービスのアイスコーヒーをご馳走になりながら暫しの休憩を取る。今の時間はAM9:30、秋田をいつもより20分以上遅く出て来て途中で一回給油している事を考えると結構良いペースである。


●FUNKYのガソリン高騰対策

昨年我々は、ここから東に向かい北山崎に行っのだが、今回は今来た道を戻り国道340号に入り国境峠を越えて葛巻に出る予定である。FUNKYでは今まで一回のツーリングで600k前後を走るのが通常だったのだが、最近のガソリン高騰で燃料代が7000円近く掛かる(昨年までは5000円台)ようになってきていた。

そこで最近は一回のツーリング費用を以前と同じ位に抑える為、私は走行距離を500km前後に抑えたコース設定を組んでおり、今回北山崎は予定から外されたのである。

給油後我々は葛巻を目指して走り始めたのだが、次第に体に当たる風が熱風に変わって暑くなってきた。気温は30度近くまで上昇してきていると思われ、走っているのが辛い状態になってくる。

予定では葛巻から平庭高原に出てその周辺のワインディングロードを楽しむ事にしていたのだが、この暑さに私の気持ちが折れてしまい早目にゆっくりしたくなってしまった。そこで平庭高原の手前に在る袖山高原のワインディングを楽しんだ後、麓の森のそば屋で早目の昼食にする事に予定を変更、私は袖山高原に向かった。


バイク達も欲求不満顔!?



風車はゆっくり回って発電中。



これからどうするかを考え中。

●今日の袖山高原

視線の先では草刈作業が行われているのだ。

国道281号から袖山高原に右折すると左に森のそば屋が見えてくる。いつも混雑している森のそば屋だが、さすがに今の時間(10時時半)では駐車場も空いており人影も見えない。我々はそのまま袖山高原のワインディングに向かって登って行く。集落を過ぎペースアップしようとした時、道端に草刈作業中の看板が立っているのが見えた。

草刈作業中とあっては道路状況を良く見て走らなければならず、私は慎重に走りを進める。袖山高原の登りは結構長い道程で、作業は一部の区間で行われているものと私は考えていたが、走って行くに従ってこの草刈作業の全貌が明らかになってくる。

我々がこの岩手県地域を訪れるのは例年6月初旬の3rd.ツーリングになっていたのだが、今年は6月の3rd.ツーリング時岩手方面の天候が悪く4th.ツーリング予定の山形方面と行き先をバーターしていた。

どうもこのバーターが裏目に出たようである。6月から7月にツーリングが移った事により、この1ヶ月間に草は大いに生長し道路に覆い被さるようになった為、近くの集落の皆さん総出で草刈作業を行っていたようなのである。

その作業に参加した車両の数は半端じゃなく多くて、麓から高原まで続く道程の殆どで草刈作業は行われており、我々が昨年のように各コーナー毎に幾本ものブラックマークを描く事など到底出来ない状況だった。


袖山高原は夏の装いだった。
我々には為す術もなく、作業の邪魔にならないようその横を通り過ぎるしかなかったのであります。欲求不満の塊になった我々は、昨年同様風力発電の風車近くのパーキングにバイクを停め休憩とする。

我々の遣る瀬無い思いを癒してくれたのは、周りに咲く白い花と麓に比べ幾らか涼しい風だったのであります。

今日の結果を受けて袖山高原を訪れるのは今後7月を避けた方が良いとの結論に達したのでありますが、我々が今ここで行う事は無く、早々に退散し麓の森のそば屋に向かって下って行くのでありました。




奥に見えるのが森のそば屋さん。
水車で蕎麦を挽いています。


いつもは順番待ちの人が大勢いるのですが・・・。
























囲炉裏では岩魚?が焼かれてますが、
この時期正直炭火は暑いです。



外でゆっくりブーツを履く私。
こんなに此処でゆっくり出来たのは初めてだったかも?


そばの花に囲まれて出発準備
●久しぶりの森のそば屋
森のそば屋に到着してみると、パーキングの横に蕎麦の花が満開だった。何回も訪れている私だったが、この場所に蕎麦が植えられている事に今まで気付かなかったのは、花が咲くこの時期に訪れた事が無かったのかもしれません。

東北で蕎麦の花はこの時期(七月上旬〜)から咲くようで、以前は山形県の鳥海山で見た事あった。大概のそば畑は広大な土地に植えられている事が多く、一面に咲く蕎麦の白い花は独特の景観を我々に見せてくれる。

秋(9月)に訪れる北海道幌加内(そば収穫量日本一)の蕎麦畑は、黒い実を着け一面を茶色に染めてどこまでも続いていたが、花が咲く時期に訪れればそこは白い花で彩られまた違った景色を見るが出来るのだろう。そんな事を想像してしまった蕎麦の花だった。

この森のそば屋さんはいつ訪れても車や人がいっぱいで、暫く待たされるのが普通なのだが、今回我々が到着したAM11:00(開店AM10:30)には人影は疎らで直ぐに席に着く事が出来た。

最近あまりにも待たされる(昼時だと30〜40分は普通)為スケジュール的に厳しく敬遠していた森のそば屋だが、今回のように早い時間であれば待たされる事無く利用できる事を知った。しかし、北山崎を周って来るとどうしても午後1時近くになってしまうから、今回のような予定でないと難しいかな・・・。


何故か一人だけ早く運ばれて来ました。
皆さんの注目を浴びながら頂きます。
店内に入った我々は、上がり口の大きなテーブルに席を取る、私はそば屋さんでの定番ざる大盛を注文、皆さんも思い思いの蕎麦を注文する。暫くしてざる大盛一つが運ばれて来たのだがその後が続かなかった。

作り手のタイミングなのだろう、同じ私のざる大盛は暫く運ばれて来ず、一人だけで食べ始めた彼は皆さんの注目を浴びながら申し訳無さそうに蕎麦を食べていた。

そんな中、私の歳の話から新人さんからありがたいお言葉を頂く。

「お元気ですよネェ・・。」 何故かこの言葉が私の胸に突き刺さった。

私 「お若いですネェ・・。」 と言う言葉は時々言われた事は有ったのだが、

「お元気ですよネェ・・。」 は初めてだったかもしれない。

それは二十歳代前半の彼から見たら、私は自分の父親よりずっと年上の充分な年寄りな訳で、そんな年寄りが元気よく自分の前を走り回っているのを目の当たりにし、私の歳と走りを鑑み先ほどのお言葉を発したものと思われる。

私、FUNKYで走っている時自分の歳を意識した事は全く無く、他のメンバー全てライバルだと思って走っております。またメンバーからも年寄りをいたわるような言葉を掛けられた事も無く、自分自身は他のメンバーと同じつもりで走っておりましたが、外から見たら私は立派な年寄りである事を思い知らされた新人さんのお言葉だったのであります。

今後、新人さんの口から 「お元気ですよネェ・・。」 の言葉が出ないよう精進したいと思います。


ざる大盛です。雑穀飯付

ここの蕎麦には雑穀飯(粟、稗等)が付いているのだが、その昔この地域では土地や気候の関係で米が穫れず粟や稗や蕎麦を食べて生活していた為、その雑穀を今でも作って蕎麦と共に出しているようだ。

その雑穀飯のお味はと言うと、米のような甘味が無く決して美味しい物ではなかったが、これを食べていた昔の人々の生活を垣間見た雑穀飯でありました。

ここの蕎麦の特徴は、地元で獲れた蕎麦を裏の水車で挽き、そのそば粉を地元のおかあさん達がそばに打って出しているところに有るようだ。

私は各地のそばを沢山食べてはいますが、そばの評論家でも何でも無くただのそば好きな為、森のそば屋のそばがどの位のランクの物なのかは分りませんが、私的には美味しいそばだと思います。


お腹も膨れてダレてます。
東北には昔から蕎麦を栽培し、そのそばを打って食べている所が各地にある。私は昔からその地域で蕎麦が栽培され、地元の人の手で伝えられてきたそばを味わうのを楽しみにしているところがある。

土地土地でそばの味は違っていて、私の舌に合ったり合わなかったりするのだが、私はそれはそれで楽しんでいる。

従って美味しいそばを探して都会のそば屋さんを食べ歩く事を私は殆どしない。脱サラしてそば屋を開店したという話はよく聞くが、それは美味しいそばなのかも知れないが、私的にはあまり興味が湧かないそば屋さんになってしまうのである。

早目の昼食を取ってお腹を満たした我々は葛巻を発ち、この暑さから逃れる為八幡平の標高1400mの所に在る藤七温泉に向かった。



レギュラー 1L 180円 の
八幡平温泉郷手前のENEOS GS




NSRと打ち合わせをして樹海ラインに向かう。








●八幡平温泉郷入口近くで給油
葛巻から岩手町沼宮内に出て八幡平に向かう時、通常私は七時雨に向かう道に出てそこから松尾総合支所の前を通り、東北自動車道松尾八幡平IC入口近くのGSで給油するのがパターンになっていた。

今回のツーリングの前に予定コースの
地図を見ていて私はある事を発見する。沼宮内から八幡平温泉郷に向かう最短ルートの途中に在る花輪線の踏切が無くなり、アンダーダーパスになったようなのである。

これは近くに新しく出来た?八幡平市役所が関係しているようなのだが、新し物好きの私はこのアンパスを通ってみたくなってしまった。踏切がアンパスになったからと言って一時停止するかそのまま通過するかの違いだけだからどうという事はないのだが、ガソリン価格高騰の折少しでも走行距離を短く出来ればと考えた?のである。

そしてそのアンパスは立派に完成していて、花輪線と平行して走る国道282号の二つをアンパス、その先の信号を右折すると国道282号に出て八幡平市役所に行けるようになっていた。

我々は直進し八幡平温泉郷に向かう道に出て右折、本日最後の給油を行うGSに向かった。予定していたGSの手前で1L150円台の異常に安いGSを発見したのだが、気付いた時既に前を通り過ぎていたのと、名目入で給油してからそんなに走っておらず今回の給油量はそんなに多くはない筈だがら、差額は大きな額にならないと考えそのまま通過したのだったが・・・。

予定の八幡平温泉郷手前の ENEOS GS にバイクを入れ、レギュラー満タン現金を告げ私はバイクを下りた。此処から秋田まで無給油で帰る為、ギリギリまでの給油をお願いしたら、年配のスタッフは少し嫌な顔(一人で作業していたので時間が掛かるのを嫌った?)をして

「バイクのお客さんの中には目いっぱい入れないで・・と言う人もいるんですよね。」 等と言う。

そちらの事情は分かるが、私はガス欠するのが嫌なのでギリギリ満タンまでOKを出さなかった。その結果、入ったガソリンの量は6.67Lで私が予想した通り少な目であった。

昨年までなら1000円札でお釣りがくる給油量なのだが、スタッフが持って来たレシートには、やっぱり ¥1,201 と書かれていた。小銭を探しながらレシートをよく見てみるとそこには < @180 > の文字が・・・!?

「180円 かーッ」 

先月のツーリングで、初のリッター170円を経験した私だが、今回のツーリングで初180円を経験する事になろうとは・・・!? 

先ほどの名目入のGSでは177円だったので今日は180円台は無いものと考えていたのだが甘かったようだ。次回8月のツーリングでは190円台、今年中にはリッター200円台を経験する事になりそうな最近のガソリン価格状況は、どう考えても異常としか思えない。

しかし、ガソリン無しではバイクも車も動かない状況下では、我々は高くても黙って支払わざるをえしないわけで、社会活動からは少し縁遠いところでガソリンを消費している身としては贅沢は言えないが、何とかこんな情況が解消される事を願うばかりである。

今日最後の給油を終えた我々は、八幡平樹海ラインを通って藤七温泉を目指し走り始める。


藤七温泉の売店へ入湯料支払に行く。


GSX−R1000 K5 が揃いました。


温泉の後はアイス&ドリンクでクールダウン。


私も定番の森永チョコモナカジャンボを食する。

























●八幡平樹海ラインと温泉を堪能!!
八幡平温泉郷入口の信号から松川温泉までの狭い道が終わりT字路を右折すると八幡平樹海ラインが始まる。トリッキーなコーナーが多いこの道は走っては結構楽しいのだが、注意する場所が多々有って初めて此処を走るライダーに取っては危険が危ない道となる。

私は新人さんの先導役を務める為後ろに下がり、NSRの前に入って初心者講習の講師を勤める。この樹海ラインにはジェットコースターのように急に下って急に上って曲がる道や、坂の頂上部分を越えると行き成り下りの左コーナー等、道を熟知していないと怖い思いをする箇所が多く有る。

此処を走る時の注意点として
「温泉の匂いがしてきたらスピードを落とす。」 と言うのが有る。

これは樹海ライン終点近くの藤七沢で温泉が噴出している所があって、それを見る為多くの車が止まって場所がある。そこでは人が路上を行ったり来たりしている場合が多く徐行して通過する必要があるのだが、張り切って走っていると

「左コーナーを抜けたら路上に人」 みたいな事になりかねない。

そこで 「プーッン」 と温泉の匂いがしたらスピードを落とす事をお勧めする。

しかし、これは風向きによって匂いがしない場合も有りますので、
「ブラインドコーナーには探って入る。」 と言う基本を守って走行して下さい。

私は新人さんのNSRと共に八幡平樹海ラインを走ったのだが、他のメンバーは各自のペースで樹海ラインを楽しんだようだ。あるメンバーは後に大変楽しかったと語っていた。

我々は藤七温泉の下で合流した後、藤七温泉のパーキングにバイクを停める。早速我々はタオルを持って売店に行き入浴券を購入、山側の露天風呂に向かう。このところ岩手山の見える展望露天風呂に入っていないが、今日は靄が掛かって岩手山は見えていなさそうだ。


一番下に在る大きな露天風呂
ゴマのような小さな虫が沢山いて落ち着かない。


小さな虫に悩ませられる我々。
昨年は女性の姿(此処の露天風呂は混浴)が見られた一番下の露天風呂だったが、今年はその姿は見られず我々は遠慮なく下の露天風呂に行ってみる。

ところがこの下の露天風呂、黒ゴマのような小さな虫が沢山いて体に纏わり付いて来る。陽射しも有って日頃肌を紫外線にさらす事が無い私は肌が赤くなりそうで心配になった。


暫くは我慢して入っていた我々だが、他のお客さんが増えてきた事もあって、日の当たらない内湯に移動する事にした。

内湯の温泉は、源泉と沢水とを出口で混合して温度調整をしている為、温泉自体は少し薄くなっている。殆どの人が外の露天風呂に行く為、我々は内湯でゆっくりと温泉を楽しむ事が出来た。

我々が内湯で寛いでいると窓の外からバイクの音がしてきて、外に止めている我々のバイクの傍に止まったようだ。すると窓の外を見ていたメンバーが、私に外を見るようにアピールしてくる。

私が立ち上がり窓の外を見てみると、そこには私と同じGSX−R1000 K5 (ブルー)に乗るFUNKYメンバーが立っていた。

彼は昨日の遅くまで飲みが有って今日のツーリングには参加出来ないと言っていたのだが、ここで現れるとは本当に驚いた。

彼は我々が温泉から出て来るまで外で待っているつもりでいたらしいが、温泉に入る時間は充分あると私が彼に温泉に入る事を勧め、彼も我々と共に温泉でゆっくりする事となった。


●八幡平樹海ラインを往復

藤七温泉で1時間以上の時間を過ごした我々だったが、時間はまだ早く後から合流したGSX−Rの彼が樹海ラインを走っていない事も有り、私は樹海ラインを途中まで下って引き返して来る事にした。

GSX−Rの彼の事を私は理由に上げていたが、今日の私は樹海ラインを楽しんでおらず、GSX−R ブルー の彼に託けて樹海ラインを楽しみたかったと言うのが本当の理由であります。

私を先頭に樹海ラインを2/3位下った我々は、Uターンして再び藤七温泉を目指す。私は時折スロットルをストッパーに当てて、皆さんと共に樹海ラインを楽しんでしまいました。

ところが藤七温泉近くまで戻って来ると、空から水滴がポツポツと落ちてきて、その水滴は樹海ラインからアスピーデラインに入ると次第に強まり路面も完全なウエットへと変わっていく。

空全体が厚い雲で覆われている情況ではなく遠くの方には明るい所も見えてはいるが、このままではずぶ濡れになってしまう事から私は雨具を着る事を決断する。しかし、雨に当たりながら雨具を着るのも嫌なので、後生掛温泉近くのパーキング(東屋等の軒先を借りる)で着る事にした。

着替えの最中遠くで雷鳴が聞こえ雨が強くなってくる。私はここで雨が小降りになるまで待つか、それとも直ぐに出発するか少し迷ったのだが、雨具も着た事だし空は所々明るい所も見え通り雨くさく、私は直ぐに出発する事を選択する。

この後に起る事を考えると、この選択が正しかったのかどうかの判断は難しいが、事は起こるべく情況に向かって進んで行くもので、「もし・・・」 とか 「IF・・・」 とかの話は事が起きた後に言える事であって、その事を起こすべく全ての事がそこに向かって集約されて行き事は起きるのである。


●そしてその時が訪れます・・・!?
雨の降る中、我々は後生掛を発って国道341号に向かって慎重に下って行く。私は雨での走行は好きと言うわけではないが、苦手と言うわけでもない。国道341号に出た我々が玉川温泉方面に進路を取ると、雨は次第に小降りになり黒く光りしていた路面も艶がなくなってくる。

中ノ沢を跨ぐ右にカーブする赤い橋を渡り左コーナーのシェルターを抜けると、道は緩い登りの殆ど直線に見える(緩く右に向きを変える)道に出る。

最初にお断りしておくが私の記憶はその先で途切れ、その次の記憶は私が路面を滑っている所から始まっていて、これから書く状況は他のメンバーから聞いた話しや状況証拠を私なりに考察したものである。



左コーナーのシェルターを抜けた我々(リッターSS四台)は、私を先頭にゆっくりとスロットルを開け直線に向けて立ち上がって行く。

四番手を走っていたライダーの証言によると、大きな水飛沫が三本立ち上りそれが収まった時、路面を滑って行く私とGSX−R(ブラック/イエロー)の姿あったと言う。

そうなんです。私は転倒したようなのです。その事を私が自覚したのは、

「ゴーッ」 と言う音と共に滑って行くGSX−Rが一瞬見えた時でした。

私は路面が濡れていた為か左側車線を結構な距離を滑った後、止まる寸前に一回転して止まったそうです。

私がゆっくりと立ち上がった時、バイクを止めたメンバーが駆け寄って来る。立ち上がる事が出来た私だったが、左肩が痛かった。左側車線に止まったGSXーRの左クランクケースカバーからはオイルが漏れており、左側のフートレストはステーの部分で折れていた。

しかし、その時の私は、
「オイル漏れを何とかすれば二速ホールドで乗って帰れるかも?」
と思ったのだが、兎に角左肩が痛かった。

バイクを道端の空き地に移動してもらい、私はこの状況をどう処理したら良いかを考える。

私の過去の経験(骨折経験有り)からして、この肩の痛さとこの気分の悪さは骨折している可能性が高く、GSX−Rを運転して帰る事は勿論タンデムシートに載って帰る事も無理と判断する。

GSX−Rは後で引き上げに来るとして、問題は私自身をどうするかであった。差し当たり近くの病院に行って診てもら為救急車を呼ぶ事にしたのだが、携帯が繋がらず連絡が取れる所まで一台走って貰う事にした。

救急車を呼びに行ったバイクが戻って来たところで、一台を残し他の皆さんにはツーリングを続けて秋田に向かってもらう事にした。秋田市に戻ったメンバーの中からGSX−R引き上げ隊を結成してもらい、軽トラでGSX−Rの引き上げをお願いする。

皆さんが秋田市に向けて出発し救急車が来るまでの間、私が何故路上を滑らなければならなかったを考えてみた。

水飛沫が上がった原因は、道路左側(左が山/右が谷)のU字溝が詰まってそこから溢れ出した雨水が道を横断し川のように流れていた所に我々が突っ込んだ為だった。

水が流れているのを発見すれば私は当然スロットルを戻した筈だか、そんな様子は見られなかったようだから、私には水が流れているのが分からなかったと思われる。

私のGSX−Rのリヤタイヤが水の流れに乗り右にスリップし転倒したのは確かだが、何故転倒したのは私だけで他の三台は転倒しなかったのだろうか?

他のメンバーも一瞬リヤタイヤが滑ったようだが、転倒するような事は無くその流れを通り過ぎたのに 「何故私だけ・・・!?」

考えられる要因は幾つか有る。まず履いているタイヤの銘柄が他の三台と私とでは違っていた事だ。他の三台は ミシュラン パイロットパワー 2CT (溝が長くタイヤの端まで続いている) だったが、私は BS BT−016 で2CTと比較すると明らかに溝は短く端まで連続してもおらず排水性が悪そうである。

普通真っ直ぐ走っている状態では、タイヤは空転しても横にスリップする事は少ないのだが、私の場合一瞬にしてスリップダウンしている事から、何らかの要因が作用して横にスリップした事が考えられる。

例えば轍のように縦溝の端に乗って横に滑った事も考えられるが、流れの中の段差を発見する事は難しいだろう。

何だかんだ言っても転倒したのは私だけで、これは日頃の悪行を見た神様が私に鉄槌を下したと考えるべきなのかもしれない。神様のお仕置きを受けた私は、救急車に乗って鹿角組合総合病院へと搬送されて行ったのであります。

この時点で私のツーリングは終了しましたが、ツーリングレポートは他のメンバーから聞いた話を基に続きます。


複雑な表情を見せるメンバー達。
●秋田市帰還 PM6:00 走行距離 500km
私と私の付き添いのメンバーを除いたメンバー四名のツーリングは、まだまだ続くのであります。彼らから聞いた話ですと、私が滑った場所の直ぐ先に在る大場谷地付近まで行くと雨は止み路面が乾き始め、少し下った玉川温泉近くではドライ路面になっていたらしいです。

私の大好物、宝仙湖沿いの高速ステージも完全なドライ路面でガンガン行ける状況にあったらしいのですが、皆さんさすがにそこは押さえ気味に走ったようです。しかし、田沢湖高原入口近くのコンビニでで雨具を脱いだ彼らは、協和荒川からの広域農道では路面に黒い線を描く走りを見せた模様です。

その話を聞いて私少し安心しました。FUNKYはそうでなくてはいけません。我々はバイク楽しむ為にバイク走らせているわけで、私の為にそれが出来なかったとしたら、私としては本当に心苦しいわけです。

FUNKYツーリングの目標は無事帰還する事であるのだが、今回私はそれを達成できませんでした。バイクの世界は日々修練であり、何十年走っているからと言ってそれで終わりと言う事は無い世界です。

私、今回の事を教訓とし今後の走りに生かして行きたいと考えておりますので、メンバー各位には今後とも宜しくお付き合いのほどお願い申し上げます。

                       おわり

                                   Report by Ryuta


●ツーリングレポート番外編 (別ルートで秋田市に帰還するまで)
救急車を呼びに行ってから20分程で救急車の音が聞こえて来て、私が考えていたより早く救急車が到着する。救急隊員から事情を聞かれた後、私はGSX−Rを現場に残しヘルメットとレイングローブを持って救急車に乗り込む。

一人のメンバーが私に付き添ってくれて、救急車の後を着いて来てくれた。救急車の中で血圧の測定器を腕に脈拍のセンサーを指先に着けられ私は、揺れるから横になってはと隊員から勧められたのだが、横になる程気分が悪くなく座っている事にする。

私が救急車に乗るのは久しぶりで、それは尿路結石で病院に運ばれた時以来だから10年ぶりの事だったかもしれない。その時は痛くて周りを見る余裕など無かったが、今回は肩が痛いだけで意識はハッキリしていたから車内を観察してみる。

脈拍と血圧を表示するモニターには私のデータが表示されピッピッと音を発している。周りにはいろんな医療機器が所狭しと並んでいたが、素人の私にはそれが何に使う物なのかは全く分からなかった。

バイク事故の場合大抵は外傷の応急手当をするのだろうが、私の場合プロテクター入りのレザースーツを着ていたので血が出ている所が殆ど無く、救急隊員も脈拍と血圧をモニターする事以外する事が無く、彼らの仕事はもっぱら病院と消防署への連絡が主なものだった。

唯一、彼らが行った治療行為は、路面を滑った時私は手の甲にプロテクションの無いレイングローブをしていた為、擦り傷が二箇所出来ておりそこにカットバンを貼る事だけだった。

八幡平を下りて花輪の町が近付くと路面は乾いており雨が降った様子も無かった。救急隊員は八幡平で雨が降った事に驚いていて、今回の雨は局地的なもののようである。つまり私はピンポイントで神様?に狙われたというわけだ。

信号を通過した救急車が道路左側に止まった。どうも救急車は赤信号で交差点を通過したようなのだが、後に着いていたメンバーのバイクも迷子にならないよう必死に救急車喰らい付いていたようで、緊急車両では無いバイクは着いて来ては駄目と言う事らしかった。

運ばれる鹿角組合総合病院の場所をこの先に在る消防署で聞くように支持されたメンバーは救急車から離れ病院を目指したのだが、その鹿角組合総合病院の場所が分かり難かったようだ。

私はカーテンの隙間からしか外が見えず、何処をどう走って病院に着いたのか分からなかったが、病院への行き方は国道から直接行く道は一方通行で使えず、病院の裏側に回ってから病院に入るようになっているようだ。

この病院へのアプローチルートは、秋田市から迎えに来たメンバーをも悩ませる事になるのである。

PM5:00過ぎ、私は鹿角組合総合病院に到着、救急治療室に案内される。左肩から落ちて左肩が痛い事を告げると、まず着ている物を脱ぐように指示される。レザージャケットの上に来ていた雨具はボロボロで使い物にならずどうでも良かったが、レザージャケットの下に着ていたアルパインスターのクールメッシュインナーを看護師さんが切って脱がそうとハサミを持ち出した時、私は慌ててそれを阻止した。

無傷のこのインナーを切られては堪ったものではなく、私は痛い左腕を必死に上げインナーを脱がしてもらったのであります。今回私は前開きのジャケットを着ていたからジャケットを切られずに済んだが、これがツナギのレザースーツだったら切られた可能性が高かったと思われる。

プロテクションンの充実したレザースーツも意外な弱点を持っているのである。

左肩が盛り上がっているを見た医者は、鎖骨が折れているようだと言いレントゲン室に行くよう私に指示をする。私が休日で閑散とした暗い廊下を通りレントゲン室に行くとレントゲン技師が待っていて、レントゲン撮影の機械の前に立つよう指示する。

私はその機械を見て驚いた。私の知っているレントゲン写真の撮影は感光板?みたいな板を体の後ろに置いて表からX線を当てるものだった筈だが、ここの機器は四角い箱の前に体を置き前方からX線を照射するもので、感光板?は使わない方式だった。

多分その箱の中にはカメラのCCDのようにX線を感じるセンサーが入っていると思われ、技師達は液晶ディスプレーを見ながら撮影具合を確認していた。何ポーズか撮影しその中から出来の良いものをピックアップして写真に焼くシステムのようで、富士フィルム社の製品だった。

最終的にはフィルムに焼くわけだから、富士フィルムの製品である事に納得した私だったが、10年位前に尿路結石でX線撮影をした時には無かったこの機器、医療分野でも急速にデジタル化が進んでいる事を知る。

そして出来上がってきた写真を見た医者は、

「難しい所が折れてますねぇ・・・。 端は難しいんだよねぇ
・・・。」 と一言。

鎖骨骨折の場合、中ほどで折れ大きくずれていない時はそのままにしていても治癒する場合がある。しかし、端の場合は手術が必要になる事が多く、私の場合2cm近く鎖骨が跳ね上がっている事から手術は必須のようである。

手術するにしてもしないにしてもこの病院で治療するわけにはいかないから、私は手の甲の擦り傷に薬を塗られ痛み止めの薬を飲まされたところで釈放となったのだが、これからどうするかが問題であった。

此処から秋田市までは130km位?あると思われるが、付き添いメンバーのタンデムシートに跨って帰る事は出来そうもなく、誰かに車で迎えに来てもらわなければなるまい。

うちのカミサンは運転免許証も車も持っているが、運転して自宅から10km以遠に出た事がない人で、花輪まで夜道を走る事など到底無理であった。ありがたい事に、付き添いのメンバーが今回参加していなかったメンバーに連絡を取ってくれて、花輪まで迎えに来てくれる事になった時、私はメンバー達のご好意に本当に感謝したのであります。

秋田市の店では、ツーリングから帰還したメンバーの中からGSX−R引き上げ隊が組織され二名が軽トラに乗って八幡平に向かう事になり、一方私をピックアップするメンバーも店で彼らと合流、打ち合わせをした後それぞれの目的地に向かって秋田市を出発する。

秋田市を出た時間から考えると迎えが花輪に到着するのは九時過ぎになると思われ、私はそれまでの時間を看護師さんが特別に使わせてくれた診療室で付き添のメンバーと共に過ごす事になった。

明かりは点いているがベットが並ぶ誰もいない寂しい診療室で、肩の痛み(痛み止めの薬が効いて少しはましになってはいたが・・・)に耐えながらジィーと一人で迎えを待っていたとしたら、多分私はその事に耐えられなかったと思う。事情を抱えているにも係わらず、最後まで私に付き添ってくれたメンバーには本当に感謝である。

お腹が空いただろうとコンビニで食料や飲み物を買って来てくれたり、引き上隊との連絡等その気使いには本当に頭が下がった。そのお蔭でお迎えが到着するまでの二時間余り、私は不安なく過ごす事が出来たのであります。


診療室でお迎えを待っている時、警察の方が今回の事情を聞きに来た。私は知らなかったが、付き添いのメンバーの話によると私が救急車で病院に運ばれて行く途中パトカーとすれ違ったそうで、そのパトカーに乗っていたのが彼らであったらしい。

救急車を呼べば警察に連絡がいくシステムになっている事から、消防からの情報を基に現場に駆けつけた彼らだったが、現場には誰もおらずそこで見た物は道路脇に停められた左クランクケースカバーからオイルを垂らすGSX−Rの姿だけだった。

それでも彼らはGSX−Rが路上で止まった場所(左車線上のオイルが漏れた跡を発見、彼らなりに今回の事を検証して病院に来ていた。彼らは、私が何らかの原因で下り坂(玉川温泉側から鹿角市方向に走っていた考えていた)で転倒、バイクを停めた所(止まった近くにバイクを停めるスペースが無く少し坂を下った所にバイクを停めていた)まで滑って止まったと考えたようだ。

路面が濡れていて路上のスリップ痕等が分かり難く、オイル痕と道路脇に停めてあったバイクだけしか検証要因が無かった訳だから無理もないが、我々から実際の情況を聞いて彼らは驚いていた。警察の方々にはお手数をお掛けしました。ありがとうございました。

午後九時過ぎ秋田市からの迎えが花輪に到着したのだが、鹿角組合総合病院の迷路に嵌りなかなか病院に近付けずにいた。付き添いのメンバーと携帯で連絡を取りながら彼は何とか病院に到着する。

お世話になった看護師さん達に挨拶した後、私は迎えに来た車の助手席におさまる。窓のブラインドを広げ「太陽にほえろ」の石原裕次郎のように我々を覗く看護師さんの見送りを受け、私は四時間程滞在した花輪の街を後にしたのであります。

国道282号の花輪〜毛馬内間を走るのは本当に久しぶりだったが、田んぼの中を走るバイパスが出来ていて驚いてしまった。バイパスはいつも小坂から毛馬内に出る国道282号の交差点に直接繋がっていて、旧道より大分走り易くなっておりました。

毛馬内からは走り慣れた国道103号、国道285号を走り、五城目からは広域農道を使い午後11時過ぎ私は秋田市に帰って来た。店の前に車が一台止まっていて、それは今日一緒に走ったメンバーの車だった。一旦家に帰った彼は私の事を心配して戻って来てくれたようである。

GSX−R引き上げ隊と連絡を取ると協和からの広域農道に入った所のようで、到着まではもう少し時間が必要のようであった。その後GSX−R引き上げ隊も無事帰還、私同様左側を損傷したGSX−Rが軽トラから下ろされる。

これまで(2万km+)立ちゴケも無く殆ど無傷で来たGSX−Rだったが、無残に傷付いたその姿を目の当たりにした時、私は本当にGSX−Rに申し訳ない気持でいっぱいだった。

しかし、倒れたのが左側(マフラーと反対側)だったのと、路上を滑っただけでどこにもヒットしていなかったのが幸いし足回り関係にダメージが無く、修理代が高額にならなかったのは不幸中の幸いだった。

そして長い長い一日は終わろうとしていた。今日一日で沢山の事を体験してしまった私だったが、今日の事で失った物も有ったがそれよりも何よりもFUNKYメンバーの温かい気持に触れた貴重な一日であった。

FUNKYメンバーの皆様方、本当にありがとうございました。 

メンバー達が帰宅するのを見送った後、私は再びメンバーの車に乗せてもらいカミサンが待つ家路へと着いたのでした・・・。

                                    平田 隆太郎
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