1961年第8回東京モーターショー
開催場所  晴海

                                                         
by Ryuta

  昔から残っていたアルバムの中に東京モーターショーの写真があって、それが何年のモーターショーなのかは定かではないが、写っている車等から見て1961年のもの(自信は無いが)と考えられる。誰が撮影(親父?)したかも分からないが紹介してみようと思う。



TOYOTA





 トヨタは1961年に発売したパブリカを展示していた。パブリカは国が進めていた国民車構想に沿ってトヨタが開発した大衆車であったが、あまり売れなかったと思う。パブリカは強制空冷の水平対向2気筒エンジン(OHV、697cc、28馬力)を搭載していて、私のパブリカのイメージは水平対向2気筒独特の バタッ バタッ バタッ と音を立てて走る姿であった。考えてみればBMWR65のエンジンで4輪を走らせているのだから、動力性能に不満が出ても当然だったかもしれない。








 ここに写っているモデルさん達も当時最先端をいく女性達なのだろうが、今のコンパニオンさん達と比べるとあまりにも体を構成するパーツの割合が違いすぎる。頭の大きさ、足の長さなど隔世の感が有る。ほんの六十数年で体形がこんなにも変わってしまうものなんだと感心していまう。




SUBARU





 形から最初 トヨタ スポーツ800(パブリカのエンジンをボアーアップしたスポーツカー。通称 ヨタハチ 1965年発売)だと思ったが、よく見るとスバルの文字が見える。昴マークも付いていてSUBARU SPORT なるオープンのショーモデルであるようだ。写真からは諸元等は分からないが、当時スバルはスバル360スバルサンバー360を発売していたが、展示車種が少なくショーモデルは絶対に必要であったのだろう。現代スバルの基本駆動方式(水平対向4気筒 FF)のルーツを持つ「スバル1000」が誕生する1966年までは、まだ5年もある。




NISSAN





 当時の日産はプリンスとまだ合併(1966年に合併)しておらず別々にブースを設けていた。ターンテーブルの上にはセドリック、フェアレディ、1959年に発売された初代ブルーバードが回っている。





 この初代ブルーバードは秋田でも売れた車であったのだろう、私の記憶の中にも結構残っている。発売当時の価格は 76万9千円  [参考] 公務員初任給10,200円 だったと言うから、現代の高級外車に匹敵する高価な車だったようだ。 





初代フエアレデイの美しい姿は当時の秋田では見た事は無かったが、80〜90年代になって時々見掛けるようになった。





PRINCE





プリンス自動車のスカイライン スポーツ。プリンスのデザインは当時の自動車メーカーの中でも独自のものを持っていて、私はグロリアの独自のデザインが今でも記憶に残っている。




















 このスカイラインスポーツは1962年にクーペとなって発売されたようだ。価格は驚きの185万円であったと言う。


















ISUZU





 いすゞ初めての純国産乗用車ベレルはこの年に発表された。ベレルは国産初の本格的ディーゼルエンジン搭載の乗用車として歴史に名を残す事になる。いすゞはベレルの後にベレットフローリアン、117クーペ、ジェミニ、アスカ、ピアッツアと乗用車の生産を行うが、現在いすゞは乗用車生産から撤退している。







 ISUZUブースの中にベレルに混じってヒルマン(左手前)の姿が見える。終戦後ISUZUはヒルマン(英国ルーツ社)のライセンス生産を行って乗用車の製造技術を修得していった。当時、NISSANはオースチン、日野はルノー4CVのライセンス生産を行っており、ヒルマン、オースチン、ルノーの外車?の姿を秋田でも結構見掛けた記憶がある。





MAZDA





 軽自動車のキャロル360は、水冷4気筒エンジンを搭載して静かで小型車なみの乗り心地をドライバーに提供したが、重い車重と非力なパワーで走らなかった。そこで登場したのがMAZDA700であったのだろう。これが発売されたかどうかは私の記憶には無い。








DAIHATSU





 当時ミゼットやハイゼットの貨物車が主力だったDAIHATSUが乗用車進出を目指したショーモデルと思われる。この後1964年にベルリーナ800、1965年にコンパーノスパイダーを発売し、1966年の軽乗用車フェローの発売に繋がって行く。











CONY





 愛知機械工業が販売していたコニーブランド(軽自動車)の乗用車モデルと思われる。しかし、乗用モデルは発売されず翌年ライトバンとして発売されたらしい。

 私はコニーの軽トラックに思い出があって、夏休みのアルバイト(1965年頃、16歳の学生の時)でコニーの軽トラの運転手をした事があった。その時のアルバイトの日給は確か450円(時給ではない。)だと思ったが、初めての経験で緊張した事を覚えている。狭い小路に入る時トラックを擦ってしまったが、その事を雇い主に言えずに悩んだ事など色々な体験をさせてもらったのがコニーの軽トラックなのだ。

 私が軽自動車免許(通称軽免許。軽自動車と自動二輪が乗れて、16歳から取得できた。試験は軽四輪で行い、二輪免許は付いてくる。今考えれば夢のような免許であった。)を取得したのは1965年の3月だったと思うが、軽免許はその年の6月で無くなり軽自動車も普通免許でなければ運転できなくなってしまった。私が軽免許取得の最終年代で、私以降の人は18歳まで四つ輪は運転できなくなった
従って私は自動二輪免許の試験を受けた事が無い。当然普通免許にも自動二輪免許が付いてきたので、私の上の年代の人は自動二輪免許を持っている人が多いのだ。










 この車が何なのか分からなかった。軽自動車である事は間違いないと思うが、どこのメーカーさえ分からなかった。分かる方、教えて下さい。



 注.ここに書かれているコメントは、私の曖昧な記憶によるところが多々有り、全てが正確なものではない事をご了承ください。