第2日目 9月22日(土)  青森⇒函館⇒大沼⇒長万部⇒昭和新山⇒中山峠⇒小樽⇒積丹⇒余市⇒岩内⇒寿都⇒瀬棚

 9月23日 AM3:40 S氏が周りのザワメキに目を開けると窓から函館の明かりが真近に見えていた。早速上陸の準備を整え、予定より少し早くAM3:55 FUNKY RZ軍団は初めて北海道の土を踏んだのである。

 まだ闇の中の函館の街を、4台のRZは路面電車の軌道を気にしながら函館山に向かった。函館山ロープウエイの横を通過し函館山に登る道を目指していたS氏は、方向を見失って左折する所を右折してしまった。間違えに気付いたS氏は、坂道でUターンをする。それに続くV氏は、いつものつもりでUターンをしたのだがRZVのハンドルがストッパーまで切れてしまった。RZVのハンドル切れ角は、それまでのバイクと比べると明らかに少なかったのである。それでも現在のスーパースポーツよりは大分マシなのだが。

 その光景をミラーで見ていたS氏は、それはあたかもスローモーションフィルムを見ている様であったと語っている。V氏は傾いていくRZVを守るべく体をバイクの下に入れて支え、RZVへのダメージは奇跡的に少なく済んだのだが、これはもうV氏の執念と言うほかは無いだろう。何しろRZV500Rは750ccが60万円台だった当時、破格の83万円でヤマハ最初のオールアルミフレームを搭載した高価格車であり、また走行距離1,000kmにも満たないピカピカの新車であって、V氏も力が入ったのであろう。

 まずは大事に至らず不幸中の幸いと気を取り直して函館山の登り口向かうと、そこには心配していた通り二輪進入禁止の標識が立っていた。ここ北海道の地にも二輪車差別が浸透しているようで二輪は函館山には登れない事になっていたのである。しかし今の時刻はAM4:20で辺りはまだ闇に包まれている。このまま登っても検挙される心配はまずないと思われたが、今だ検挙歴の無いFUNKYとしては函館山からの夜景を諦める事になったのでる。(それから10年後、FUNKY軍団は同じフェリーで函館に上陸しバイクで函館山山頂を究める事になる。当然その時も二輪進入禁止であったのだが。)

 この決定で一番ショックを受けたのはこれまで夜景を見た事の無いR氏であった。岡山生れの彼は初めての北海道で函館山の夜景を楽しみにしていたのだが、それは次の機会に持ち越される事になったのである。


 薄っすらと空が白み始めたAM4:50、函館山を背にしてRZ軍団は大沼公園に向かった。国道5号を走る車の数は、早朝にもかかわらず多くさすがに連休を感じさせる。大沼公園に到着する頃には夜も白々と明け、湖面の向こうに駒ケ岳の姿がハッキリと望むことができる。大沼の冷たい澄みきった空気が、我々から眠気を連れ去ってくれたようで爽やかな朝を迎える。今日の天気は最高のピーカンである。
















 そこで以前からFUNKYで問題になっていたR氏とFone氏とのFUNKY雨男論争に決着が付くことになった。今日の好天はFone氏が不参加であったからであり、R氏が雨男では無いとの証明になったのである。

 AM5:20 大沼公園到着。
 函館から42km。 所要時間 30分。
 記念写真を撮り、国道5号に戻って長万部に向かう。


 今回の北海道で我々には幾つかの目的があったが、北海道のカニ、ジャガイモ、トウモロコシ、牛乳、アイスクリーム、ジンギスカンを食べる事もその一つであった。

 AM6:47 長万部でカニの看板を見付けカニを食べる事にする。
 大沼公園から80km。 走行時間1時間17分

 カニにも色々ありまして、一匹1,000円もする毛ガニもあれば、一山1,000円のカニもある。我々は迷わず一山1,000円のカニに噛り付いた。

 さすが一山1,000円のカニの味は水っぽく身も少なっかったが、目的の一つは達成されたのであった。 


  教訓 安いカニは食べるべからず。














 長万部発 AM7:35。 次の目的地は洞爺湖の近くにある昭和新山である。車の流は本州より20km/hは速く、噴火湾沿いに快適に走る。洞爺湖の入口にある虻田町にAM8:00到着しガソリンを給油する。

 長万部より51km  走行時間 45分  平均時速 68km/h

 燃費コンテスト
 @RZ125S 26.2km/L  ARZ250R 22.3km/L  BRZ250RR 21.3km/L  CRZV500R 19.4km/L


 RZ250R・RZV500Rが最高燃費を記録する。特にRZ250RはRRを抜いて2位入る。R氏は、前回の燃費のままでいけば25,000円の予算をオーバーするのではないかという危機感があり、省燃費運転に徹した結果と思われる。


 AM8:55 昭和新山到着
 虻田町より14km
 走行時間 15分
 平均時速 56km/h

 さすがに昭和新山は有名な観光地、バイクからも駐車料を徴収しようとバックをぶら下げたオッチャンが駐車場前で待ち構えていた。我々はその前を通り過ぎ、駐車場横の空き地にバイクを停める。そこには、ホンダスペーシー(カーコンポ付き)と赤いフラッシュが停まっていた。





 噴気を吹き上げる昭和新山をバックに記念写真を撮る。昭和新山は畑だった所が急に盛上がって山になったという。この付近は火山活動が活発で、ここの向かいに有る有珠山も噴火したし、数年前の噴火では虻田町と洞爺湖を結ぶ道路近辺に多くの噴火口が出来て穴だらけになってしまった。噴火口でなく、山が出来ていたら平成新山となって新たな観光地になったであろうに残念ではある。

 R・V両氏はお店でプラスチックカップに入ったアイスクリームを食べて北海道に来た目的をまた一つ達成する。RR氏はお土産のキーホルダーを選ぶが、店のオバサンと意見が合わずなかなか決まらず時間が掛かったが、2個のキーホルダーを購入する。

 買い物を終えてバイクの所に戻ると、我々は修学旅行中と思われる学生服の集団に取り囲まれてしまった。 ヤバイ!!  その中のボスと思われる男が口を開いた。
 「一緒に写真を撮らせてください。」 ??
 V氏と共にRZV500Rの後ろに立った学生がカメラを持った仲間に言った。
 「バイクをチャンと入れろよ。」S・R・RR氏には最後までお呼びが掛かりませんでした。

 結局人気があったのはRZV500Rであったのだが、21世紀の今高校生がバイクと写真を撮りたがるかは甚だ疑問である。バイクが高校生の憧れの的であった良き時代のエピソードであった。




 AM9:15 昭和新山を出発。 洞爺湖畔を半周して中山峠を目指す。連休中のためか車の数が多く走りずらいが、天気は良くポカポカして暖かく快適に走ってAM10:20 中山峠に到着する。 峠から見える蝦夷富士羊蹄山が美しい。

 

  昭和新山より69km 
  走行時間 1時間5分
  平均時速63.7km。














 早速、中山峠名物の揚げジャガイモ(1本180円)を買って食べ、また一つ目的を達成する。

 AM10:43 中山峠を出発し、定山渓温泉から小樽方向に向かって定山渓国際スキー場を目指す。そこにはジンギスカンを食べさせるレストランが有る筈であったのだが・・・。

 スキー場に着いてみると、何とゴンドラの増設とかでレストランは休業中であった。朝から水っぽいカニとジャガイモしか食べていなっかた我々は、スキー場の前で暫し立ちすくしでしまった。しかしここにはスキー場の他には何も無く、空腹を抱えてまま我々は小樽に向かったのであった。

 そこから小樽に向かう途中に朝里峠というヘアーピンカーブが続くの峠があって、そこには十数台の峠小僧が走り回っていてコーナーにはカメラマンが待ち構えていた。そこはまるで北海道の奥多摩有料道路(当時、走り屋が集まる場所として奥多摩が有名であった。)の様であった。

 RZ軍団の前にゼロハンの改造車が現われた。我々はナンバープレートをヒラヒラさせて走る2台のバイクを一気に抜き去り、その先を走る400ccのバイクの後ろに付く。すると何故かそのバイクは道路左側に停まってしまった。RZ軍団の前に対抗する者はいないのか? この峠は下りより登りの方が楽しそうであったが、空きっ腹を抱えた我々は引き返すわけにもいかずそのまま小樽に急いだのであった。それ以降FUNKYは朝里峠を走る機会に恵まれず、いつかはあの峠を登ってみたいと考えているのだが。

 小樽の街は車で渋滞していた。並んだ車の脇をすり抜けながら食事が出来る処を探したが、見つけられないままいつの間にか小樽の街を通り過ぎてしまっていた。今だったら美味しい寿司屋さんをインターネットで探してそこに行ったのだろうが、その時は初めての北海道で情報にも疎く行き当たりバッタリ的なツーリングであったのである。

 小樽から余市方面に向かう国道5号は積丹に向かうと思われる車で渋滞が続いていて、我々はなかなか先に進めないでいた。それに加えて北海道とは思えないくらい暑く昨夜からの疲れがドット出て来る。十数キロの渋滞を走って道路左側にウッドベッカーなるレストランを発見、PM12:40 そこの駐車場にバイクを止める。

 中山峠より 77km
 走行時間  2時間10分
 平均時速  35.5km/h 一気に平均スピードが落ちる長い渋滞であった。

 レストランの中に入ると暑いのにクーラーも入っていなかったが、そもそも当時の北海道にエアコンは存在していなかったのかも知れない。上着を脱ぎ捨ててから、メニューに眼を走らせ一番安いカレーライス 450円を全員注文する。ジンギスカンの夢は会えなく潰え去ったのであった。

 PM1:10 食事を終え外に出てみると道路の渋滞は嘘のように解消されていた。先程までの渋滞原因が何だったのかそれは謎であった。その後、余市まで走ったが渋滞の原因になりそうな物は発見出来なかったので、これを自然渋滞を呼ぶのかもしれない。

 余市から積丹半島に向かい海岸線に出ると道は断崖絶壁の下を走る様になり、海にはロウソク岩や○○岩などの奇岩が見えて来る。

 当時この道は今の様に岩内まで通り抜けが出来なかった。また時間も限られていた我々は、トンネルを抜けた先に在ったパーキングで休憩した後、余市に引き返すとにしたのであった。

 その時のトンネルがその後一躍全国的に有名になる豊玉トンネルであったのだが、その時の我々に十数年後に起きる岩盤崩落事故(バスと乗用車1台が押し潰されて多くの人が無くなった事故)など知る由も無かったのである。

 写真で見ると、トンネル出口の岩壁にはネットが掛けられていて当時も落石はあったと思われる。


 事故当時はトンネル出口にコンクリート製のシェルターが造られていてこの写真と違っていたと記憶しているが、崩れ落ちた岩壁は丁度ネットが掛かっている所と思われる。

 事故の後もこのトンネル通過した事があったが、この場所はFUNKY初めての北海道ツーリングの記憶と共に、私の記憶の中に深く刻まれている場所である。




PM1:30 ウッドベッカーから20分









 積丹半島から戻った我々は、余市にあるニッカウイスキーの余市工場を見学する。入口の案内所でパンフレットをもらって広い工場内を見学するが、RR氏・R氏共に疲労がピークに達し歩くのも大変そうになっている。

 入口から一番奥にある建物二階には、無料でウイスキーやワイン等を飲ませてくれる所が有ったが、いつもは元気いっぱいのRR氏は二階に上がる気力が無いほど疲れていた様で、我々が一杯やって二階から降りて来るまで下でジーット待っていた。私がこんな疲れ果てたRR氏を見たのは、初めてであった。


 R氏にウイスキー工場見学の印象を聞いてみると、「いなふく米菓の工場と同じ醤油の臭いがした。」と言っていた。そう言えば彼は、いなふく米菓で煎餅を醤油に漬けるアルバイトをやってバイク購入資金を作った男であった。





 PM2:30
 ニッカウヰスキーを出発国道5号で岩内に向かう。

 PM2:40
 
 仁木町でガソリン給油
 余市より11km

  第三回燃費コンテスト
 @RZ125S  28.0km/h
 ARZ250RR 20.6km/h
 BRZ250R  19.6km/h
 CRZV500R 17.8km/h
 このへんからRRはRにジリジリと差を広げ始めた。



 1980年に発売されたRZ250の後を受けて、1982年にRZ250RはY.P.V.S(YAMAHA POWER VALVE SYSTEM)を装備して35PSから43PSにパワーアップして登場した。しかしその次の年1983年に発売されたRZ250RRは45PSにパワーアップして登場する。しかしこの一年で一番改良されたのは燃費の向上で、この改良により29Lエンジンは完成の域に達し長くRZ250R(1AR/1XG/3HM)と共に生き続ける事になるのである。

 この時期のバイクは一年で驚くほどの性能向上が見られ、400ccでもXJ400からXJ400ZSになると45PSから55PSに10PSの馬力アップが図られるなど、一年前のバイクとは全く別物のバイクになっていた時代であった。あの当時の一年は、今の十年に相当する位の差が有った思う。毎年が感動の連続だった良き時代であった。

 給油を終えGSを出ようとしたS氏は、タンクバッグが落ちそうになっているのに気付きバックを付け直した。その間に4〜5台に車がS氏の前を通り過ぎたのだが、その中にパンダカラーの車が入っていた。運良くパンダ車の後ろに付いた我々は、暫くパンダの行動を観察する。

 パンダは制限速度の10km/h+で正確に走って行く。制限速度が50km/hの所は、60±2km/hのスピードで後続の車を引き連れて走っていく。本州だったら制限スピードで走るパンダが多いと思うが、10km/hプラスのスピードと言うところが北海道らしいと言えるのかもしれない。

 どこまでも続くと思われた大名行列も山道に差し掛かった所でパンダが右側の脇道に姿を消して終了する。しかし全員の視線がミラーに集中してパンダの動きに注目したが、パンダは二度と我々の前に出て来なかった。


 富岡で国道5号と別れ岩内に向かうと道路左側に見覚えのあるスクーターが2台止まっていた。それは昭和新山で我々の隣に停まっていた2台のスクーターであった。何処をどう周ってここに来たかは分らないが、原付スクーターで北海道をツーリングしている様である。原付スクーターでのツーリングとは、考えても楽しく無さそうであるが、彼らにはそれはそれできっと楽しいツーリングなのだろう。

 岩内から日本海沿いに南下して寿都に到着したのが
 PM4:13 仁木のGSから81km  
  所用時間 1時間13分  平均速度66.6km/h

 
寿都から今日の宿泊予定地の瀬棚までは約70km、明るい内に宿に着けそうなところまで来たが、この時まだ宿は決まっていなかった。

 寿都の町に人の気配は無く店も閉まっていたが、自販機でジュースを買って飲み今日最後の走りに備える。

 寿都〜瀬棚間の道は断崖絶壁の海岸線を走っていて、ワインディングがどこまでも続いている。折しも太陽は日本海に沈もうとしており真横から我々と景色を赤く染めていた。そこには岩壁に開けられた多くのトンネルがあって、3桁のスピードで飛び込んだトンネルの海側に窓の様に幾つもの穴が開いていて、そこから夕日の赤い光が差し込んでいた。我々は、その幾つもの光のビームを貫いて走り抜けて行く。それはあたかも横からストロボライトを浴びながら走った様なもので、今まで体験した事の無い不思議な光景であった。

 我々はこの71kmにもおよぶスペシャルステージをRZ軍団の中で一番トップスピードが低いRZ125Sを先頭に一気に走り切った。我々を興奮状態にしてしまったここでの走りは、道路状況と言い、景色と言い、長さと言い、本州では有りえないもので、寿都〜瀬棚間71kmは我々に北海道と言うものを強く印象付けたであった。この時からFUNKYは北海道にハマッテしまい、それ以降毎年北海道を訪れる事になるのである。

 瀬棚到着 5:13  走行時間 39分  走行距離 71km  平均スピード109.23km/h

 全区間全開で走って、殆んどブレーキを掛けた記憶が無い程の熱い走りの結果が平均スピード109km/h。最高スピード140km/hのRZ125Sが39分間精一杯頑張って出した結果であったが、後続のRZ達は結構退屈していたのかもしれない。しかし一番楽しかったのはRZ125Sであった事は断言できる。

 宿が決まっていなかった我々であったが、瀬棚のタバコ屋さんで紹介してもらった民宿 おがわに泊まれる事になってまずはひと安心。民宿 おがわ(一泊2食付き 4,000円)は結構大きな民宿で仕事関係の宿泊客が多く泊まっていた。店で買って持ち込んだビールで、まずは今日の走りと北海道に乾杯乾杯する。 美味い!!   落ち着いた所で夕食を食べに下に行き、その後風呂に入って部屋に帰って来たら疲れがドット出て眠くなってしまった。

 明日の予定を検討してから少し早かったが布団を敷いてPM9:00には眠りにつく。昨晩の寝不足が響いて早目に布団に入ったのだが、バイクが外を走り回っていて音が気になって寝付かれない。こんな田舎に暴走族がいるとは思えないが400ccと思われるバイクは行ったり来たりして走り回っていた。

 そんな音を聞きながらいつしか眠りについてしまったようである。


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