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左のセローが秋田ナンバーの女性ライダー



右のBMWが岩手ナンバーの男性ラーダー
彼は朝早く岩手を出て此処にいる?
髯顔の今時のBMWライダー



フェリーも港を出て少し落ち着いた
今此処に居られる幸せを感じてる?
窓の外には男鹿半島



この雲の高さは一万メートル近いが直ぐそこに見える。
比較する物が無い海の上では、高層の雲に手がとどきそう。



昼飯 特に書く事無し



昼寝から目覚める



GSX−R後のバイクはYSR80 懐かしい!
彼はシートカウルに荷物を積んで北海道を走るのだ
▼波乱の幕開け
今回22回目となるFUNKY IN 北海道は、私を含め4名のメンバーが北海道の大地を駆け巡る事になった。参加するバイクは隼、ZX-10R、そしてGSX−R1000K5が2台と未だ嘗て無いハイパワー車が揃って、今回の北海道がどのような展開になるのか私にも予想出来ていなかった。

そして出発の朝が明けた。私は集合時間のAM5:50に間に合うように家を出て店にはAM5:30過ぎ到着する。私は店の前に止まっている隼の姿を探したのだが、店の前には誰もいなかった。私の予想では準備の良いU氏の事だから、私より先に来ていると読んでいたのだが、読みは外れたようである。

工場からバイクを出し、着替えて出発の準備を整えU氏の到着を待つ。しかし集合時間の5:50になっても彼は現れなかった。家に確認の電話してみるが何度呼んでも出なった。それではと今度は携帯に電話してみたがこちらも出なかった。両方の電話に出ないのは、こちらに向かっていているもの判断し暫く待つ事にする。

彼の家からここまで5分もあれば来るので5分間ほど待ってみたが、彼はやって来なかった。私は再び受話器を取りU氏の家の電話を鳴らした。1回、2回、3回・・・と呼んだが出ない。私が受話器を置こうとしたその時、 出た。

私  「○○だけど、北海道に行くんだよね?」
U氏 「集合時間は6時前でしたよね?」
     彼は4時半を少し回った目覚まし時計を見ながら私に言った。
     何でこんな早くに電話して来るんだと、彼は私が電話している
     意味をまだ理解出来ていなかった。

私  「もう6時なんだけど・・・。」
U氏 「・・・・・・・・・・・・・。」
    彼は部屋に有るもう一つの時計を見て一瞬フリーズしてしまった。
    賢明なるU氏の事、自分の置かれている立場を即座に理解する。

U氏 「直ぐに行きます。」  と言って彼は電話を切った。
    鳴る筈だった目覚まし時計を手に取った彼は、目覚まし時計が
    電池切れで4時半で止まっている事を知る。

何というタイミングの良さ?であろうか。この大事な朝に、5時にセットした目覚まし時計の電池が、その30分前に事切れてしまうとは・・・。

しかし、彼にそんなタイミングの事に思いを巡らす余裕は無かった。幸いにも前日に出発の準備を終えていた彼は、直ぐに着替えて隼に乗ってやって来た。私は彼の到着を待って直ぐに出発、予定より15分程の遅れで秋田港に到着する事が出来た。

直ぐに受付カウンターで乗船手続きを済ませバイクの所に戻ったが、乗船時間にはまだ充分余裕が有って問題は何も無かった。U氏がこの目覚まし時計電池切れ事件で支障が有ったのは、朝に用意するつもりでいたサンダルを忘れて来てしまった事ぐらいで、その為彼はフェリーの中をブーツを履いて闊歩する羽目になってしまった。

フェリー乗り場に止まっているバイクは、我々二台の他に秋田ナンバーのセローに乗る女性(20歳代前半?)と岩手ナンバーのBMW(オフ系)に乗る男性(30歳代前半?)のバイク二台だけだった。それにチャリンコも一台いた。連休前日にしてはバイクの数は少ないようだ。

乗船時間になって係員から乗船を促され最初にチャリダーがタラップを自転車を押して上って行く。次はバイクの番になって、私は我々より前に到着していたセローの彼女が一番に乗船するものと思っていたら、彼女は行こうとしないで私に一番を譲ろうとするではないか。どうも彼女フェリーに乗るのが初めてのようで、タラップを上って行くのに自信が無かったようである。

順番は守らなければなりません。私は黙って動かなかった為、彼女は渋々発進タラップのスロープを上って行った。その後に続くBMWの後からFUNKY先発隊?の二台がフェリー乗船を果たし北海道に向かったのである。

最初にも書いた通り今回の北海道ツーリングの参加者は四名であった筈ですが、今日フェリーに乗船したのは私とU氏の二人だけでだった事に皆さん疑問をお持ちのだと思います。其の辺の事情に関しては複雑な経緯がございまして、二日目のレポートの中で順次ご説明いたしたいと思いますので、このまま話を勧めさせていただきます。


▼特に何も無かったフェリーの旅

バイクを係員の指示された場所に止めた後、ヘルメットを前の棚に固定し降ろした荷物を肩に担いで客室に向かうと、セローの彼女が客室に上がる入口が分からずウロウロしていた。やはり彼女はフェリーが初めてのようである。

彼女を先導して客室に上がった我々だが、このフェリーには女性専用の客室が有る為彼女と同じ客室に入ると言う私の目論見は見事に果たせず、次に彼女の顔を見たのは夕方の下船時のバイクの前であった。

秋田から苫小牧東港までの約10時間の船旅は、優雅と言うか退屈と言うかする事が限られ一言で言えば暇である。いつものように窓際に椅子が並んだ上のデッキで、U氏と話をして時間が過ぎていった。

今日の天気は秋晴れの良い天気で、高層にある筈の秋の雲が手のとどきそうなところに浮いている。海上から見る雲は陸の上で見る雲と違って比較する物が無いため近く見えるようである。ジェット旅客機の飛行機雲も、ほんの2〜3千メートルの高さあるように見えていて、不思議な感じであった。

窓に竜飛崎が見えて来るとそろそろ昼食の時間である。レストランに行って昼食を取る。U氏はハッシュドビーフ、私はメンチカツを食べたが、ここの食事に私は多くを期待していなかったから味に文句はなかった。間違ってもラーメンだけは注文しないよう注意はしたのだが。

食後は昼寝をするのがいつものパターンで、客室に戻って横になる。寝たような寝なかったような中途半端な時間を過ごした私は、3時半過ぎ目を明ける。

下船は5時過ぎなのでまだ少し時間があり、ブラブラして時間を潰す。今回の船旅はピンポンをする訳でもなく、スリッパを取られることもなく、携帯が鳴る事もなく平穏に時間が過ぎて行ったのであった。

5時前、下船のアナウンスに促され車両甲板に行き、バイクに荷物を積んで下船の準備をする。セローの彼女も準備を終え下船を待っていて、少し時間が有ったので彼女に北海道の何処に行くのかを聞いてみる。

すると近場を周るとの事だったので、「富良野辺りですか?」と聞いてみると彼女は何となく頷いていた。「我々も明日富良野に行くので会うかもしれませんね。」と言うと、ただ笑っているだけでそれ以上の事は何も起こらず、その後彼女と出会う事は無かった。

PM5:05 我々は北海道の大地に上陸し、今日の宿が在る穂別を目指した。天気は薄曇、気温は低くなく秋田と変わらない。国道235号を東に走り、鵡川から道道には入り北上する。

この道は平取に抜ける裏道となっていてトラックの交通量が多く無理は出来ない。平取に曲がる生田の信号を過ぎると交通量も減り走り易くなる。穂別に着く頃には日も落ちて灯りの無い道を走って行くと、穂別の明るい街の灯りが見えて来て我々を出迎えてくれているようである。

右から2人目がZX-12Rのオーナー
酒 強いです!

















▼一年ぶりのポレポーレ
午後6時前、穂別の民宿ポレポーレに到着する。ちょうど下のお嬢さんが学校から帰って来たところで、彼女は我々にチラッと視線をくれて家の中に入って行った。バイクを停めて玄関に挨拶に行くと、先ほどの下のお嬢さんが出てきた。前回会った一昨年(中学生)と比べると彼女はすっかり大人になって可愛い高校生になっていたのに驚いた。この年頃の女子の1〜2年の変化は、人生の中でも一番大きな時期なのかもしれない。

玄関の横にリヤホィールにロックが掛けられた黒のKAWASAKI ZX−12Rが停めあるのが目に留まった。ロックが掛けられリヤシートにはカウルが被せられていたので、ツーリング中のバイクでは無さそうである。もしかしてバイクが好きだと言っていたお父さんがバイクを買った? しかもZX-12Rとは・・・。

玄関横の奧に場所を移されたお犬様が我々に向かって吠えているのを横目で見ながら玄関に行き、彼女の案内で2階一番奧の部屋に行く。二段ベット二つの4人部屋を二人使用するようである。荷物を解きお土産を持ってお母さんに挨拶しに下の食堂に行くと、食堂では他のお客さんが食事中であった。今日の夕食はジンギスカンのようで、皆さん鍋を囲んで楽しそうに食事をしている。これは夕食が楽しみになってきた。

お母さんと一年ぶりの挨拶を交わしお土産を渡すと、お母さんはお客さんからお土産をもらったと大変恐縮しながら嬉しそうだった。私はいつも泊まる宿には、秋田のお土産を持って行く事にしている。バイクの場合積める荷物が限られるので大した物は持って行けないのだが、気持の問題である。


▼夕食はジンギスカン

我々は食事の前に風呂に入りさっぱりとしてから食堂に行くと、男性2人がジンギスカンを食べていて我々はその2人と同じ鍋を囲む事になった。まずはビールで乾杯し今日を締めてからジンギスカンを食べ始める。

テーブルの上に置かれたマトンの肉が半端じゃなかった。4人分とはいえお肉屋さんで使うようなステンレス製のトレーに盛られた肉は山盛りで、到底食べ切れる量ではないと思われた。その他にレバーも用意されていて、食べられるものなら全部食べてみろという感じに置かれている。

昨年はポレポーレの夕食が無い日で近くの焼肉店で我々は食事をしたのだが、その時に食べた肉に私は良い印象を持っていなかった。今日のポレポーレの肉は普通に美味かった。以前ナイタイ高原牧場で食べたジンギスカンには及ばなかったが、穂別の焼肉店で出して欲しいほど?の肉であった。

そしてU氏と私は、肉を食べに食べた。肉肉野菜、肉肉肉野菜、肉肉肉肉野菜と他の物はほとんど食べずにジンギスカンを食べ続けたのである。


▼ZX−12Rのオーナーと

同じジンギスカン鍋を突っつきながら話してをしていたら、外に置いてあったZX−12RのオーナーはU氏の隣に座っている御仁である事が分かった。お母さんにお父さんが買ったと思ったと言ったら、そんな金はないと即座に否定された。

彼はダンプの運ちゃんで札幌から高速道路の建設工事の為に穂別に来ているらしく、ポレポーレに泊まって土砂を運ぶ仕事をし週末には合コンしに札幌に帰るという夢のような生活をおくっているらしい。

最近は仕事が忙しくZX−12Rで走りに行く時間が無いとぼやいていて、昨年買ったZX-12Rの走行距離はまだ3000kmを越えたばかりだと言う。札幌から何処に走りに行くか聞いてみたら、厚田村の何とか公園に行くと言っていた。彼のZX-12Rのタイヤを拝見させてもらったが、彼は我々とは違った種類のライダーであるようだ。

彼との話の中で北海道のダンプ業界の厳しさを教えられる。夏は道内の道路工事などをしているが、冬は札幌市内の雪捨てをしているらしい。その雪捨ての仕事が大変らしく、1日の睡眠時間は3時間前後でほとんど家に帰る事はなくダンプの中で寝て雪を運んでいるらしいのだ。それが冬中続くと言うから普通の体力では勤まらないと思われ、彼はガッチリとした丈夫そうな体つきをしていた。

雪運びの仕事が終わる春が一年中で一番仕事が無いそうで、春には本州の中部地方までダンプに乗って出稼ぎに行くらしい。それほどに北海道は不景気で仕事が無いそうで、今回の衆議院選挙で当選したムネオさんへの期待は大きいようだ。

そんな話をしながら8時を過ぎても我々はジンギスカンを食べていた。しかし、マトンの肉の山はまだ半分残っている。仕事が一段落したお母さんが、口を開けたばかりの4リットルボトル(デカッ)の焼酎と氷を差し入れしてくれて会話は更に続いていった。

お母さんも加わって穂別での仕事の話になった。北海道では北海道電力の人達が送電線の保守や工事の為山に入る際、工事の人とは別に猟銃を持ったハンターがグループに一人付くと言う。ヒグマ対策の為にハンターが付くらしいのだが、それが結構な日当になるらしいのだ。

年配のハンターが多いらしく中には耳が遠い人もいるという。あれでは熊が来ても分からないから襲われちゃうかもとお母さんは言っていたが、ハンターの方の中には銃の音で耳が悪くなる人が多いと教えてあげた。

秋田で熊対策にハンターが同行すると言う話は聞いた事がなく、さすが北海道のヒグマは違うと感心してしまった。

長々といろんな話題で話は弾んだが、11時を過ぎ明日の事もあり焼酎のボトル2/3以上を開けたところでお開きとなった。ZXのオーナーは結構な量の焼酎を飲んでいたが表情に殆んど変化は無く、酒は相当強そうであった。

一方、FUNKY代表?のU氏もアルコールに強いところを遺憾無く発揮しZXの彼と対等に渡り合っていて、彼もまた表情に変化は無かった。私は明日の予定を考えなければいけなかったのだが、アルコールが回ってしまい思考回路がダウンしてしまった為、明日の事は明日考える事にして早々に布団に横になったのであった。


第2日目