FUNKY Librery TOP 第1日目 第2日目 第3日目 第4日目 第5日目 最終日 Home



























三段滝公園前のパーキングで一服
奧に見えるトイレが清掃中になり使用中止に・・・。






































風連で小休止
旭川のGSから此処まで1時間20分の一気走りであった。



道の奧正面に風連駅
青看がある所が国道40号
人影は見えない、
北海道における地方の典型的な日中の風景?





























いつもの思い出多きa愛別の出光GS



この年季の入ったソファーに何人の
FUNKYメンバーが座った事か!
U氏も今日その一人になった。

▼二人でカッ飛び
いつものように5時半に目が覚めた私は、テレビで天気予報を確認して今日の予定を考える。予報によるとどうも午後から雨が降るらく、これは午前中に走っておかないといけないようだ。

昨晩、お母さんには7時に朝食と言っておいたが、早飯して早く出発した方が良さそうである。U氏も起きたので6時半から朝食にして早目に出発する事を伝える。

我々が朝食を終えた頃お母さんがやってきて「味噌汁が有ったのに」と言う。お母さんは我々が7時から食事すると聞いていたので、出てくるのが遅れて味噌汁を出しそこねたようである。今度からは厨房に入って勝手に味噌汁をよそう許可をお母さんにもらっておいた。これからは勝手にやらせて頂きます。

出発の準備をして7時半前にポレポーレを出発する。今日はまたポレポーレに泊まるので必要最小限の荷物を私のバッグ積み込み、U氏の隼のタンデムシートは空にして走り出す。これには訳が有るのだがその話は後ほどお話いたします。

先ずは夕張〜桂沢ダム間のスペシャルステージに向かう。穂別から国道274号に出る道道には、ZX氏の仲間と思われるダンプカーが沢山走っていて私は彼の姿を探したのだが、残念な事に追い越したダンプの中には彼はいなかったようである。

そして夕張〜桂沢ダム間のスペシャルステージが始まった。昨年此処を走った時はウエット路面で楽しめなかったが、今年はドライ路面でおおいにペースが上がる。まして乗っているバイクはGSX−R1000K5、速い速い!アッと言う間に桂沢ダムに着いてしまった。

国道452号に出て北上、三段滝公園前のパーキングまで一気に走って一服とする。穂別から此処まで1時間と少々の時間で来たようだある。トイレに入ろうとしたら、清掃が始まり使用禁止なってしまい行きそびれてしまった。この次に止まるのは旭川の予定で、それまで大丈夫か自信は無かったがその時はその時何とかなるだろう。

芦別から神居古澤に出て旭川に向かう。いつもなら神居古澤で茹でトウモロコシを食べるのだが、まだお腹が減っていなかったのとU氏は昨年食べていたので今年はパスする事にする。午後から雨の予想なので午前中に少しでも多く走っておきたいところで、時間を少しでも節約する為もあった。

旭川市街に入ったところで、昨年も給油したセルフスタンドでガソリンを満タンにした後トイレに行き、これからの高速ステージに備える。GSを出た我々はバイパスに入って幌加内に抜ける江反別峠を目指す。

昨年も旭川から幌加内に行くつもりだったが、バイパスから江反別峠への入り口が分からず国道40号を和寒まで行ってしまった。今年はシッカリ入り口を予習して来たので間違う事なく江反別峠を越え幌加内に出る事が出来た。

此処からが国道275号高速ステージの始まりである。この時U氏はいきなりのスピードアップに戸惑ったようだが、5分もしたら隼の高速性能を利してシッカリ私の後ろに着いて来ていた。

この道は昨年も走った道だったが、昨年はウエット路面でそれなりのスピードしか出せなかった。しかし今年は全開加速を体験しながらの走りを楽しむ事が出来たのである。

雨竜川に1995年に廃線になった深名線(深川〜名寄間)の第三雨竜川橋梁(ポンカムイコタン鉄橋)が見えて来ると、昨年昼食を取った道の駅 ほろかないの前に出る。


▼昔の国道275号

私が最初にこの道を走った1990年頃には、この道には鉄道の踏み切りが数ヶ所有って時々一時停止を強いられいたのを思い出す。真っ直ぐな広い道がいきなり曲がって踏み切りを渡り、また広い道に戻るような事を繰り返していた。

今、考えると鉄道が廃止されるのを見越して新しい国道の計画が作られていたのは明らかで、現在国道275号を走っていて深名線の面影を残す物は第三雨竜川橋梁だけで他に鉄道が有った痕跡を見出す事は出来ない。もっとも、この鉄橋も取り壊される予定になっていた物を、観光資源として生かすという事で残されたらしいのだが。

路面のうねりに気を付けながら、高速走行を楽しみ添牛内に入りそこから朱鞠内に向かう。此処からは森林の中を走るようになり道は中速コーナーが多くなる。アベレージは落ちるが、GSX−R1000の場合加速が良く短い直線でも結構なスピードが出ていまいブレーキングに神経を使う。

朱鞠内を過ぎ母子里に向かう。この先予定ではここから下川〜愛別に抜ける道に出るのだが、今まで私は母子里から名母トンネルを抜けて名寄に出るコースを使っていた。しかし、今回は時間短縮の為朱鞠内湖から風連に抜ける道を初めて使ってみる事にした。

この道は以前から気になっていた道でどんな道か期待していたのだが、道幅も広くなく、路面も良くなく、走っても楽しくない道だった。やはり母子里から名寄に抜ける道の方が数倍楽しく、これから先この道を使う事は少ないだろう。


▼風連の町で

我々が旭川のGSを出てから1時間20分後、JR風連駅近くにバイクを停めた。此処まで何キロ走ったか知らないが、アッという間の出来事だったように感じる。

最近FUNKYツーリングでも1時間半位の一気走りはよくやっているが、北海道の一気走りは走った距離が違い過ぎる。この走りをしたくって北海道に毎年来ているのだが、北海道はまだ始ったばかり、こんな事で驚いてはいけませんぞ、U氏殿。

風連を出て国道40号を横切って、下川町との境に在るパンケ越峠に向かう。暫く走っていると高校生と思われる男女が道路の両側を走ったり歩いたりしているのに出くわす。どうも競歩大会を行っているようで、折り返し点から帰って来る者と向かう者が行ったり来たりしている。私も学生の頃よく走らせられたのを思い出す。当然?私は一番後を歩いているグループの中にいたのだが・・・。


▼パトカーの後ろに着く 1回目

パンケ越峠を越え下川と岩尾内を結ぶ道に出るとスペシャルステージが始る。パンケ川沿いのワインディングは変化に富んだ楽しい道で、私は一年ぶりに走りを楽しんだ。昨年はフロントタイヤが横っ飛びするような凹が有ったが、今年は路面状況も良く工事も行われていなかった。

糸魚トンネルを抜けると下りになって少しアベレージが上がる。岩尾内ダムに曲がる分岐の手前に少し長い下りの直線が有って、私はその直線を楽しみにして走っていた。しかし、その直線の手前で我々はパトカーに追い着いてしまったのである。

パトカーの後には先客がいて、彼はパトカーに少し間隔をおいて走っていた。VFR800?と思われるそのバイクは暫く前から金魚の糞状態だったようで、我慢しきれなくなったのか私が楽しみにしていた直線を過ぎた所で、バイクを道路左側に寄せ止まってしまった。

その為我々が繰り上がってパトカーの後ろに着いて走る事になってしまったのである。私はパトカーを追い越し前に出る事も考えたのだが、この先の岩尾内ダムへの分岐でパトカーは我々と違う方向へ向かう事は分かっていた?ので、自ら墓穴を掘るのを辞めピタッとパトカーの後ろに着いて分岐まで走る。

予想通りパトカーは士別方向に直進し、我々は左折して岩尾内ダムに向かった。岩尾内ダムを過ぎ上紋峠に向かう道と分かれ愛別方向に右折して天塩岳の登山口入口を過ぎると、スペシャルスーテージが始る。此処から愛別ダムまで一気に走ってしまった。以前に比べて路面が荒れてきているが、いつ走っても気持の良い道である。

ダムを過ぎゆっくりと愛別に向かって走っていると、大きなバックをゴムネットで緩々にリヤシートに積んだCB400SFに追い着いてしまった。あんな状態ではバッグが踊って走り難いだろうと心配してしまったが、走っているスピードを見てそれは余計な心配で有った事が分かった。緩々でもバックが踊るような走りを彼は決してしない、それが一目で分かる彼の後ろ姿であった。


▼FUNKYの秘密基地

彼をパスした我々は、愛別の国道39号に出た所に在るいつものGSにバイクを入れる。時間はちょうど12時、風連から1時間チョッとの一気走りであった。旭川から2時間40分走って、私のGSX−Rには14.54Lのガソリンを飲み込み、隼はGSX−Rより2L位ガソリンを多く消費する。

GSX−Rの最新インジェクションは必要な時必要なだけガソリンを吹いているようで、回した時はそれなりに燃費は落ちるがゆっくり走った時は20km/L近くまで燃費が伸びる。そこが最新のインジェクションの優れたところで、明らかに初期のインジェクションより燃費が良い。

全開で走った後、GSX−Rのマフラーエンドバイプ(チタン製)は紫色に焼けて綺麗だし、パイプの内面を指で擦っても黒いカーボンが殆んど付着しないところを見ても余計なガソリンを吹いていない事が分かる。最新の排気ガス清浄技術の優秀さは相当の物のようである。

給油後事務所に入って休憩とする。そこには10年以上前から置いてあると思われる古いソファーが有って、我々はそこに座って休憩を取る。このソファーに座ったFUNKYメンバーは数知れず、FUNKYの北海道ツーリングに参加したメンバーの殆どが腰掛けた由緒あるソファーなのだ。U氏がソファーに座った証拠写真を撮っておく事にする。


▼これからの予定を考える

私はそのソファーに腰掛けこれからの予定を検討する。今の時間は12時で昼食の時間なのだが、まだそんなに腹が減っておらずそれは先に延ばす事にする。

今日の予定の中で動かせない時間があって、それは新千歳空港にPM5:00まで必ず行くという事だった。その為そこから逆算して予定を立てる事にする。

新千歳空港に5時という事は、今までの経験から富良野を2時半に出れば間に合う筈で、ここから富良野までは車の込みようにもよるが1時間半から2時間で行けるとすれば、富良野で遅い昼食に30分〜1時間の時間が取れる事になる。富良野で昼食を取る事を決め愛別を出発する。


▼私にとって苦手なルート

U氏に昼飯が遅くなる事を伝えて、先ずは富良野に向かう。ガソリンスタンドの前に有る信号で国道39号を横切って愛別の駅に向かって走り出す。最初の信号で私はやらかしてしまった。

その交差点は、以前反対方向から来て左折するところを直進してしまい何キロも遠回りしてしまったのだが、今回は右折するところをまた直進してしまった。

間違いには直ぐに気が付いたから、以前の時のように数キロも遠回りする事は無かったが、どうもこの交差点私にとって鬼門であるようだ。しかし、今回の間違いでハッキリとこの交差点の方向関係を把握出来たので、今後間違う事はないだろうと思う。

私は今回とは逆方向の東神楽町から愛別に抜ける時二度も迷った経験が有ってこのルートに不安を持っていたが、今回は東神楽町に在る旭川空港に向かって走れば迷う事が無いと考えていた。

予想通り旭川空港への表示はしっかり出ていて、迷う事なく旭川空港を経て国道237号に出る事が出来た。しかし、結構込み入った道で反対方向から迷ったのも無理がなかったと思える道だった。途中には今旭川で最も有名な旭山動物園が有ったりして交通量も多い道だったが、多分次回は迷う事無く行ける自信は有る。 かな?


▼ついに天から水が・・・

国道237号を南下し美瑛の丘の辺りから水滴がシールドに着き始め、美馬牛を過ぎ前方に富良野盆地が見えて来る辺りから本格的に雨が降って来た。左側に屋根の掛かったテラスが有るお店を発見、そこにバイクを止めて雨具を着る事にする。

無料で屋根を使わせてもらうのも気が引けたので、ソフトクリームの看板を見つけた私は少し寒かったがソフトクリームを買う事にして店の中に入る。店の中にはお土産用の小物が所狭しと並べられていたが、私の興味を引く物は無かった。

中には母娘と思われる二人の女性がいたが、私は娘さんと思われる人にソフトを注文する。土地柄かやはりお勧めはラベンダーソフトのようで私はそれを注文するが、味は全く普通に売っているソフトで味に特徴は無かった。

雨具を着て走り出すと遠くに見える富良野の山には雲が掛かっていたが、左に見える十勝岳は頂上まで見えていて、雨は次第に小降りなり富良野に着く頃には殆ど雨は上がって、雨具を着なくても良い状態になっていた。


富良野 北時計



今日の北時計は静か?



ここでは回せません?



ここに来てチーズケーキは必須でしょう。



お勘定。
この方が癖になると言った人。


雨カッパを着ての出発となった。



夕張のセイコマート お約束です。

▼富良野で昼食
今回私が昼食の場所としてピックアップしたのは、今年の春フジテレビ系で放送されたたドラマ「優しい時間」の舞台となった喫茶店「森の時計」で、そこのカウンターにレザースーツを着て腰掛、コーヒーミルをゴリゴリしながら食事をする姿を私はイメージしていた。

それはキッと店の雰囲気とマッチして絵になる筈?と考え、我々は「森の時計」の在る富良野プリンスホテルに向かった。ホテル前のパーキングに到着してみると連休初日の為か人と車が溢れていて、バイクを停めるスペースも無い状態だった。

我々には5時に新千歳空港に行くという縛りがあり、食事に多くの時間を割けなかった為、今回は「森の時計」を諦めパーキングを一周しただけで富良野プリンスホテルを後にする。


▼3年ぶりの北時計

こうなれば勝手知ったる北時計に行くしかないと来た道を引き返す。先ほど北時計の前を通ったが駐車場は空いていたから並ぶ事は無い筈だ。北時計のパーキングにバイクを停め雨具を脱いで店内に入ると、カウンターの有る下のフロアーは満杯だったが上のフロアーの窓際のテーブルが空いていた。

出来ればドラマ「北の国から」の中で、宮沢りえが外の吹雪を見つめながら純を待っていたテーブルが良かったのだが、考える事は皆さん同じようでそのテーブルは塞がっていて、我々はそのテーブルの隣に席を取る。

今日の北時計は連休初日にしてはやけに静かだ。前回訪れた時は外のテラスの席まで使っていても待たなければいけない状態で騒がしかったのに、今日の店内は静かで落ち着いた雰囲気である。スタッフさんも前回の高校生のバイトらしきスタッフは見当たらず、教育のゆきとどいたのスタッフが対応している。

これが本来の北時計に姿で、私が昔訪れた北時計は戻っていた。この北時計の静けさは、先ほど訪れた森の時計の賑わいのとは無関係ではなさそうである。観光客の興味が近所に新しく出来た「森の時計」に集中して、北時計を訪れる観光客が減ったのではなかろうか。

経営者の方には誠に申し訳ないが、北時計のこの状態は私に取っては歓迎すべき状態で、ゆっくりとした時間を過ごす事が出来るのはありがたい事である。私としては9月だけもこの状態でお願いしたいところだ。

早速、食事を注文する。U氏は スパゲッティー、私は グリーンカレーを注文する。





スパゲッティー
(たらこ&しそ)
   650円










グリーンカレー
  750円







私は前回M氏がグリーカレーを食べているのを見て、次回はグりーカレーと決めていて食べるのを大変楽しみにしていたのだ。そしてグリーカレーのお味は? 鶏肉・野菜などが入ったタイ風の辛目のカレーという事だったが、田舎者の私にはタイ風の意味が分からずこのカレーの良さがよく分からなかった。何かの香辛料が多く入っているのは分かったが、味的には「これも有りかな?」という感じで、私には普通に美味しいカレーだった。

U氏が食べたスパゲッティーは私も以前食べた事があって美味かった印象が有ったが、U氏も美味かったと感想を述べていた。北時計の食事メニューはどれも美味しいが、私の一番のお勧めはスパゲッティーになるかもしれない。


▼北時計のレアーチーズケーキ

私は此処に来てレアーチーズケーキを食べないで帰るわけにはいかないので、レアーチーズケーキ 350円を注文する。チーズケーキを運んで来たマネジャーとおぼしき年配の女性は、「これは癖になるんですよね。」と私に言う。そうなんです。私「癖になちゃんたんです。」

まだこの美味しいチーズケーキを食べた事の無いU氏の前で私だけ食べるのも大人気ないので、私はチーズケーキをU氏と半分づつ食べる事にした。U氏がチーズケーキを一口食べ言った言葉は、「上品な味ですね。」だった。そして「大変美味しい。」とも言った。

彼がまた北時計を訪れた時、彼はきっとレアーチーズケーキを注文するだろう。この次は半分でなく丸ごと一個食べたいと思ったに違いないからだ。その時がいつになるかは知らないが、私はそう遠くない将来になりそうな気がする。

外に出ると雨は殆んど上がっていたが、この先止まって雨具を着るのも面倒なので、雨具を着て出発する。時間は予定通りPM2:25であった。


▼久しぶりの千歳への道

富良野から今朝走った桂沢ダムと芦別を結ぶ道に出て夕張に向かう。雨は大した事は無かったが、路面は所々ウエットで探りながらの走りになる。桂沢ダム〜夕張間もおもいっきり楽しめる状態ではなかったが、それなりに楽しむ事が出来た。

夕張のいつものセイコマートで小休止。FUNKYの幾つものドラマの舞台になったこのコンビニで休むと、私には色々な事が思い出されるのだが、U氏に取ってはただのコンビニで私の気持と彼の気持の間には大きな温度差が出来ていた。

ここから新千歳空港まで1時間もあれば着けるだろう。時間は3:45、途中何も無ければ予定通りに行ける筈である。国道274号に出て右折川端から国道234号の追分に出て千歳に向かう。このルートは苫小牧東港から秋田に行くフェリーが出来るまで室蘭に向かう為よく使ったルートで、懐かしく走っていたが、道路沿線の景色は大きく変わっていた。

この道と並行して造られたいた道東自動車道が完成しており、途中にインターチェンジも出来ていた。この道は道央自動車道に直結しており急ぐ時は使えそうな高速なのだが、夕張から札幌に向かう場合は高速が遠回りしている為下道を使っても時間は10分と違わないと合コン好きの運ちゃんは言っていた。時間が大して違わないのに高い高速料金を払って高速を走る奴はいないと彼は言っていた。

国道337号に入って千歳に向かった我々は、千歳駅の横に出て7月のプチ北海道で走った国道36号に入り、5時10分前新千歳空港に無事到着する。




























































新千歳空港到着出口
一般車進入禁止です。




A氏、到着いたしました。




トイレの中でレーシングスーツに変身!
トイレでの着替えはA氏の得意種目?




タンデムで苫小牧東港へ向かいます。
ライダーは股下寸法の関係からA氏が担当します。





N氏と無事合流

▼そろそろ 何故新千歳空港なのかを・・・
大分引っ張ってしまったが、U氏と私が新千歳空港に向かった訳をお話しましょう。

話は出発の10日程前に遡る。以前から仕事の関係で初日頭からの参加が危ぶまれていたA氏が、事情が変わって2日目の午後にならないと秋田を出発できない事になってしまった。

その為A氏は先発している我々と出来るだけ早く合流出来方法を検討する事になったのである。色んな方法が検討された結果、バイクは初日我々と一緒にフェリーに乗せ(注)、本人は2日目の午後飛行機で新千歳空港に飛んで電車とバスを乗り継いで苫小牧東港に行き、バイクを引き取った後帯広まで走って泊まり、次の日開陽台辺りで我々と落ち合う計画を立てた。
(注)新日本海フェリーの場合、バイクの乗船・下船は送り主が行う事になっている。

しかし、その計画が出発の四日前に他の事情が変わり変更される事になった。出発の四日前の夕方、電話が鳴ってN氏が仕事の関係で初日のフェリーに乗れない事を知らせてくる。N氏は初日の午後8時過ぎに秋田を発ち、青函フェリーに乗って翌日の朝、我々が泊まっている穂別まで走って来ると言う。

夜もろくに寝ないで穂別まで来て、それから根室まで走るのはあまりにも危険が危ない計画で、私はA氏の事情も合わせて今回の北海道ツーリング計画を練り直す事にした。

当初の計画では初日の宿泊場所は穂別、2日目は根室に泊まる事にしていたが、4名の参加メンバーの半分が根室に行けない事になると3日目も途中まで2名で走る事になる。それではメンバー全員が一緒に走れるのは2日間だけとなってしまい、私はメンバーがバラバラで走るのを出来るだけ避けたかった。

私はどうしたら参加メンバー全員が一緒に走れる時間を多く取れるかを考え、新しい計画を策定した。その計画とは・・・。


▼前代未聞の新計画

我々が出発した次の日(2日目)の朝、苫小牧東港行きの新日本海フェリーに秋田港からN氏が乗船、その時A氏はそのフェリーにバイクを乗せてN氏に託す。

A氏は秋田空港PM4:00発の新千歳空港行きのJAL2826便に乗って北海道に向かう。そのA氏を私とU氏が新千歳空港で待ち受けU氏の隼に乗せて苫小牧東港に運び、そこでN氏がフェリーから降ろしたZX−10RをA氏が引き取るという筋書きである。

我ながら良く出来た案だと自画自賛した計画だったが、この計画を実行する為には我々(U氏&私)の2泊目の宿を苫小牧東港の近くに取る必要があって、当初予定していた根室の宿で食べる筈だった花咲ガニを諦めざるをえなかった。

この際、個人の事よりのチーム全員で行動する事を優先する事にして、我々は穂別のポレポーレに連泊する事を決めたのであった。


▼北海道ツーリングとチームワーク

北海道ツーリングでは、参加メンバーがチームの一員として行動する事がとても大切な事だと私は考えていて、それが安全に繋がると考えている。

四日間で2000km以上を走るFUNKYの北海道ツーリングでは、個人が自分勝手に走っていたのでは何が起きるか分からない。出来るだけ安全に北海道を楽しむ為には、チームワークが必須なのである。

自分が出来ない事を助けてもらったり反対に助けたり、他のメンバーが気付ていない事を教えたりチームとしての総合力を上げて行かなくては、無事帰還する事は難しい。

FUNKY北海道ツーリングの目的は、沢山の北海道の楽しい思い出を持って無事秋田に帰還する事で、その為にはチーム全員で行動する事がとても大切になってくる。チームで行動する事により思い出を共有する事ができ、より沢山の思い出を持ち帰る事が出来るのである。


▼A氏到着

そして新計画は実行に移され、我々が新千歳空港に到着した時点でN氏とA氏のバイクの乗船と、A氏の飛行機への搭乗は携帯電話で確認されていた。便利な時代になったものである。この新計画も携帯電話が無ければ実現出来ていなかったかもしれない。

そして今我々は、A氏が新千歳空港JAL到着出口Bから出て来るのを待っているのだ。

私が新千歳空港に来たのは初めてで、到着口がどこに有るのか分からず迷ってしまった。一般車という案内に従って走っていたら、到着口を左手に発見するもそこには柵が有って行けないではないか。どうも到着口前の道路は、タクシーやバス専用で一般車は入れないようになっているようだ。

しかし、そこには一般車と思われる車も見えるし、道路脇にはバイクが置けるスペースも有ったので、私は再度チャレンジする事にした。一周して戻って来た私は、一般車進入禁止の道に心を鬼にして突入すが・・・誰にとがめられる訳でもなくすんなりと進入を果たす事が出来た。

JAL到着口と書かれた出口の横にバイクを停めヘルメットを脱いでJALの到着ロビーに行くと、掲示板には秋田便16:50到着済みの掲示が出ている。ここで待っていればA氏が出て来ると安心して待っていると、U氏が掲示板の到着口の欄にBの文字を見つける。目の前の到着出口にはAの文字が書かれていてBの文字が書かれた出口は無かった。

JALのカウンターに行き女性の方にBの場所を尋ねると、右手80m先に到着出口Bが有ると言う。新千歳空港JAL到着出口には80m離れたAとBの出口が有りますので皆さんもお気を付け下さい。

A氏が出て来ていたら大変と雨具を着た格好で我々は80m先の到着出口Bに急いだ。建物の中の80mは結構な距離で、急いで歩いたら暑くなって汗をかいてしまった。幸いにもA氏の姿はそこに無く、彼はまだ出て来ていないようである。

それから暫くして、イエローのオーリンズTシャツを着てレーシングブーツをジーンズで隠し、手にはレーシングスーツが入った袋を下げたA氏が到着出口Bから出て来た。飛行機の出口から遠い方に座った為、出るのに時間が掛かったようである。

A氏は飛行機に乗る時、悩んだ事があったらしい。タンデムでバイクに乗らなければならない事が分かっていた彼は、出来るだけ荷物を少なくする為機内にレーシングスーツを着て搭乗する事を真剣に考えたらしい。搭乗口で「キンコン」と鳴ったら素早くレーシーングスーツを脱ぐ自信は有ったらしいが、結局係員の前でレーシーングスーツを脱いで調べられるのが恥ずかしかったようで止めたらしい。

到着出口を出たA氏は、トイレに直行し着替えを行う。変身するにはやはりスーパーマンのように電話BOXが良いのではないかと私は電話BOXの場所を調べておいたのだが、A氏はやはり着替えはトイレと言う拘りが有るようでトイレに直行する。

着替えを終えて出て来たA氏が一言。身障者用のトイレを狙っていたら使用中で断念、普通のトイレに入って着替えたらしいのだが、余市のトイレと違ってここのトイレは広くて楽勝だったらしい。A氏トイレでの着替えにはウルサイです。


▼タンデムでフェリー乗り場へ

新千歳空港をPM5:15に出発、苫小牧東港にバイク二台三人で向かう。FUNKYでタンデムといったら、故障か事故と相場は決っているが今回のように最初からタンデムで走りだす事は今まで無かったと思う。

新千歳空港からフェリーターミナルの在る浜厚真までは分かり易い道で、空港を出て苫小牧方向に走り国道36号を横断して原野の中を走る真っ直ぐな道をいけば国道235号に出て、そこから苫小牧東港までは直ぐである。

走り出すと次第に暗くなり路面も濡れていた事もあり私はそれなりのスピードで走ったのだが、隼のライダーを務めたA氏は隼の性能をもう少し試してみたかったようである。

我々は、陽が落ちたフェリーターミナルに6時前到着する。そこにはGSX−R1000とZX-10Rの傍に立ち手を振って我々を迎えてくれたN氏がいた。それは私がプランを立てた新計画が成功した瞬間であった。これで全員が揃い、私はそっと胸を撫で下ろす。


▼雨の夜間走行

雨が次第に強くなってきて雨具を着ていなかったN氏も雨具を着込んで今日の宿穂別に向かう。昨日より時間が遅いため辺りは真っ暗、雨も降っていて走りずらい。

私とU氏は、愛別でガソリンを入れてから200km以上走行しており、また明日の事もあるので私は鵡川の四季の館近くのGSで給油しようと考えていた。すると、鵡川の町外れでガソリン120円/Lの看板が目に入った。今時120円のガソリンは安!ここで給油するを決めGSにバイクを入れた。

しかし世の中そんなにあまくはない。出て来た女の子がボソボソと何か言っている。よく聞いてみると会員カードを持っているかを聞いているようだ。こんな所の会員カードは無いと答えると、カードの無い方は130円/Lだと言う。先ほど見た看板を確認して見ると、120円の数字の上に小さく会員価格と書いてあるのを発見する。

「やられた」 この手の看板はよく見かけるので驚きはしなかったが、会員価格と一般価格の差が10円とは恐れ入った。15L入っても150円の差だからそのまま給油をする事にしたが、車だったらここを立ち去ったかもしれない。一般会員との価格差はせいぜい五円程度だろう。

四季の館近くのGSでは126円/Lの看板が出ていたから、この辺の相場は126円なのだろう。相場より4円高く売る手段として120円の看板が有るのだろうが、あのGSの会員が何人いるか知りたいところだ。

穂別に近づくにつれ雨は本降りになって来て、路面で飛び跳ねる雨粒がライトに照らし出されるようになる。夜の雨中走行は最も避けたい状況だったが、それも穂別の街の明かりが見えて来てその緊張から開放される事になる。穂別到着PM7:00。 「ただいま・・・!」って感じかな。

昨年は、お父さんが雨が降ると言う事でポレポーレの車庫を我々に開放してくれていたので、私は今年も車を出して我々を迎えてくれていると期待していたがあまかった。車庫の中にはしっかりとオデッセイが収まっていて、我々は雨の降る中荷物を降ろしそして雨具を脱ぐ。

朝ポレポーレ前に停まっていたZX-12Rの姿が消えていた。オーナーはZX-12Rに乗って札幌に合コンしに行ったようである。今日のお相手は何さんチームなんでしょうね。

今日も飲んでます。 焼酎割!



今日も食べてます。
お母さんの案内で部屋に行くと、昨日泊まった部屋に四人一緒にしようとしたので、私は部屋を分けてもらえないか交渉してみる。隣の部屋が空いたので隣の部屋を使ってもよいとの返事をもらったが、ある事情でもう一部屋お願い出来ないか再度交渉すると、太っ腹のお母さんはその隣の部屋も使ってよいと言ってくれた。これで私とU氏はぐっすりと寝られる事になった。


▼ポレポーレ宴会U
部屋に雨具を吊るし革を脱いで部屋着に着替えると、緊張していた気持ちが開放されて一気にリラックスする。交代で風呂に入った後下の食堂に食事に行くと今日のメインディッシュはお母さん特製のうどんだそうで楽しみである。

先ずは四人揃ったところでビールで乾杯する。ビールの後は昨日の4Lボトルが登場して宴会Uのご開帳である。酒の肴は鶏の唐揚げや特製塩辛、北海道出身のN氏は子供の頃食べた葺きの煮付けが懐かしいと食べていた。北海道には伝統の食べ物が有るんだと感心してしまったが、秋田には何が有るんだろうと考えたが思い出せなかった。

飲み方が長くなり食事が遅くなるとお母さんに迷惑を掛ける事になるので、うどんを頂く事にする。このうどんが美味かった。昆布出汁が効いたつゆがいい塩梅で、お店で出しても(ここもお店か?)恥ずかしくないプロの味だった。

そして4Lボトルの中身は減り続けていた。特にA氏は今日の過密スケジュールでお疲れだったにも関わらず、ハイピッチで飲んでいた。氷が無くなると台所に行って冷蔵庫から自分で氷を持って来る気の入れようで、今此処でこうして飲んでいられる事がよほど嬉しかったに違いない。

途中からお母さんも参戦し宴会Uは続く。お母さんからアイスクリームの差し入れを頂き、酔いを冷ましてまた飲む。昨日も出てきたアイスクリーム、ここの冷蔵庫の中には常にアイスのストックが有るようだ。今年になってかなりのウエイトアップを果たしたと言うお母さん。原因はこんなところにもあるようである。

話は続いたが昨日のように遅くまで続く事はなかった。今日はそれぞれの体にそれぞれの疲れが残っていてそれを許さず、4Lボトルが空く前に宴会Uは終了となってしまったのである。

11時前に部屋に戻った我々は床に入る。灯りを消して目をつぶると遠く彼方から音色の違う音がハーモニーになって聞こえている。その音が何の音だったのか分からなかったが、その音を子守唄のように聞いていた私はいつしか眠りに就いていた。
3日目