コース

秋田⇒広域農道⇒協和⇒角館⇒仙岩トンネル⇒雫石⇒網張⇒小岩井⇒滝沢⇒外山ダム⇒岩洞湖⇒

岩泉⇒安家⇒久慈⇒野田⇒北山崎⇒田野畑村 昼食 北川食堂⇒岩泉⇒葛巻⇒袖山高原⇒

葛巻⇒沼宮内⇒松尾⇒八幡平樹海ライン⇒八幡平アスピーデライン⇒玉川温泉 入浴

国道341号⇒玉川ダム⇒田沢⇒角館⇒協和⇒広域農道⇒モト ワークス ヒラタ  走行距離 642km































上空に薄っすら霧が掛かっているよう
だが、その上は青空のようである。















上空は青空

ジンクスついに破れる
この二年の間FUNKYではあるジンクスが静かに進行していた。それは私が八幡平の山中でアスファルトと仲良くした時から始まったのだが、今回ようやくその呪縛から開放される事になった。

それは例の出来事の原因となった雨がそもそもの始まりで、その時途中から参加したメンバーのGSX−R(青/白)と私のGSX−R(黒/黄)が一緒に走り出すと雨が降り出し、分かれて単独になると雨が上がると云う事が起きていた。

それが二台のGSX−Rが一緒に走ると雨が降るジンクスの始まりだったのだが、この二台のGSX−Rは同じK5モデルで登録日も同じ、ナンバーも連番と云う双子のようなGSX−R達であった。

黒/黄GSX−Rが目の前で滑って行くのを見ていた青/白GSX−Rは、驚きそして動けなくなった黒/黄GSX−Rを見て悲しんだに違いない。傷も癒え再び走り始めた黒/黄GSX−Rだったが、青/白GSX−Rは黒/黄GSX−R見る度にその時の悲しみが思い出され、涙(雨)を流していたのかもしれない?

 ・・・等と勝手な妄想をしていた私だが、そのジンクスは二年間の長きに亘り(しかも六回連続ですよ! これって凄い確率でしょ!?))しっかり守られてきていた。二台のGSX−Rが寄り添うように八幡平の山中を駆け抜けた今回のツーリングで、青/白GSX−Rはようやくその悲しみから立ち直りそれは終焉の時を迎えたようである。

これからは雨を降らす事?に恐縮する事無く、青/白GSX−Rはツーリングに参加出来る事でしょう。



肌寒い朝?
ツーリングの朝、私がいつものように目覚め窓の外を見ると空は曇り空だった。昨晩の天気予報で今日は青空が広がり気温も25度以上になると言っていたのだが、空は灰色だし気温も低そうである。

私が出発の20分前に店に到着すると、何と青/白GSX−Rが1台止まっているのが見え大いに驚いてしまった。彼がFUNKYで走り始めて12年目になるが、これまで遅刻して来た事は有ってもこれほど早く着たのは始めての事ではなかったろうか。

彼が早く来たのは事情が有っての事だったようだが、その彼には似合わない早起きが今日の走りに大きく影響する事になろうとは、その時の彼は知る由もなかったのである。

今日の参加台数は5台、いつものメンバー4名と今回も初参加の隼が1台(前回とは別の隼)走る事になった。全員定刻までに集合、AM6:00 我々は秋田市を出発して国道46号の仙岩峠を目指して走り出す。

私は今回GSX−Rのリヤに ミシュラン POWER PURE 190/55ZR17 の全くのニュータイヤを履いていて、まずはタイヤの慣らしを行う必要が有った。いつものようにタイヤを暖めながら秋田中央インター入口横の定常アールのコーナーでハンドリングを確かめる。

私は以前、50ハイトのPOWER PUREを履いた隼に乗った事が有ったが、この55ハイトの POWER PURE は50ハイトよりタイヤの回り込みが大きいせいかハンドリングに適度の安定感が有り、50ハイトより走って疲れが少ないように思えた。

タイヤの皮剥きも有るので協和までの広域農道はそこそこのペースで走るつもりでいた私だったが、55ハイトのハンドリングを気に入ってしまった私のペースは次第に上がっていく。広域農道から国道46号に入り角館までの近かった事、広域農道の交通量が殆ど無かった事も有ってか、これまでになく近く感じてしまった。

角館の街の手前で行われいるバイパス工事は大分進んでいて、この調子では今年度中には完成しそうな感じになっていた。このバイパスが完成するまで、国道46号は角館の街中を通るか途中からバイパスに出て岩手方面に向かうかなのだが、私はどちらのルートにするかでいつも迷ってしまう。

今回はマイペースで走る車が前に1台いて、私はその車と違うルートにする事に決めていたのだが、マイペース車はバイパスに曲がって行ったので、私は直進して街中を通るルートを使う事にした。結局はバイパスと合流する信号で停められた我々は、マイペース車の後になってしまうのだが、こんな事に一喜一憂する必要がなくなるようバイパスの早期完成を願うものである。


ホット缶コーヒーで暖を取る?

仙岩峠の上り口に在る追い越し車線で一瞬だけスロットルを開けた我々は、仙岩峠の茶屋にバイクを止める。峠の茶屋の上空は青空で陽も差して暖く感じたが、秋田市を出た時は15℃以下で結構寒かった。

ジャケットのインナーを外して来ていたメンバーはバッグからインナーを取り出し取り付けていたが、岩手県に入るとそれが要らなくなる程に気温が上がってくる事になる。

休憩を終えた我々は、仙岩トンネルを抜け岩手県に入る。トンネルを抜けた岩手県の空は青空で、陽が眩しいくらいの天気だったが、峠を下って行くと次第に曇って来る。岩手県も平野部の上空に霧が掛かっているようで、陽が射さず気温は低めのようである。

雫石の手前から左に入って雫石スキー場方面に向かうが、いつもは正面に綺麗に見えている岩手山の姿は見えず、辛うじて網張スキー場のゲレンデが見えていた。玄武温泉前を通過した我々の前にはBMW Z4?が走っていて、私は岩手高原スノーパークに上って行く道に入る前に処理しておこうとも考えたのだが、BMWの走りを見てみたい気持ちも有って私はBMWの後ろで右折する。

右折すると直ぐ大きなRの左カーブが始まるのだが、こんなコーナーは四輪FRスポーツカーが最も得意とする筈で、私はBMWの後ろでその走りを観察していた。BMWは我々を意識したのか次第にスピードを上げて行ったのだが、私が期待した程スピードは上がらずGSX−Rのバンクを楽しむところまでは行かなかった。

BMWに見切りを付けた私は、直線に出た所でBMWの前に出で先を急ぐ。玄武温泉から岩手高原スノーパークまでの道は途中建物の有る区間は気を付ける必要が有るが、結構な高速区間の為あっという間に岩手高原スノーパーク前のT字路に到着してしまった。私は一時停止した後、右折してバイクを左に寄せて後続を待った。

私は毎回のように一時停止前の左コーナーに気を付けるように書いているが、珍しい事に青/白GSX−Rがそこで少しはらんでしまったようだ。青/白GSX−Rは体調が悪いようで、視点が定まらず(寝不足?)目がスピードについていけずに左コーナー手前の減速がワンテンポ遅れてしまったようである。

残念?な事に私はそのデンジャラスなシーンを見る事は出来なかったのだが、後ろにいたFZRにはしっかり見られてしまったようである。・・・とは云ってもどうこうなるような事でも無く、後続が到着した我々は小岩井農場方面に下って行く。

大きな右コーナーを楽しんだ先の分岐を左折した我々は、滝沢に向かう。滝沢に向かう途中でバスに前を塞がれた私は前に出て後続を待ったのだが、いつもは私の後ろから離れる事のない青/白GSX−Rが暫くやって来なかった。その理由を私は知らなかいが、青/白GSX−Rの体調が本当に優れなかったのかもしれない。

いつものように滝沢駅前を通過し国道455号に出た我々は、信号を左折して岩洞湖に向かう。信号の先に在るいつもの商店をチェックしたのだが、今日は珍しく?バイクの姿は皆無だった。今日は平和に走れるとかも? と私は思ったのだが・・・。

















岩洞湖レストハウス前到着


遠慮して?レストハウスから離れた所にバイクを止める。

時代は移り変わる
・・・ところがである。外山ダムに向かって暫く上った先の右側のパーキングに、大型バイク数台と軽トラから下ろしたばかりと思われるNSR50or80の姿が見えた。どうも地元ライダーはこのパーキングを折り返し地点に使っていると思われ、どうりで先ほどの商店にバイクの姿が見えなかった訳である。

地元ライダーは、以前は峠の上で折り返して下の商店で休憩を取っていたのだが、どうもこのパーキングで折り返して岩洞湖レストハウスで休憩を取るパターンに変えたようである。


地元の方々
今日は車が多く我々は車の後に着いて上っていったのだが、ふとミラーを覗くと最後尾に赤いバイクが写っていた。我々のグループの中に赤いバイクは無く、それは間違いなく地元ライダーのバイクと思われた。

以前にも同じ様に最後尾に現れたバイクが我々をつぎつぎに追い抜いて行き、先頭に出た事(最終的にはそれをまた追い抜いたが・・・)が有って、私は今回もそのような展開を覚悟した。

対向車線からは高そうな縦二眼の赤いバイクがやって来たりしていて、この峠は相変わらず地元ライダーには人気のようである。それで赤いバイクがどうなったかと云うと、赤いバイクは我々のグループに割って入る事は無く、そのままのポジションで岩洞湖レストハウスに到着してしまうのである。

心の片隅では赤いバイクとのコラボを期待していた私だったが、岩洞湖沿いの道が変に補修されていてバイクをバンクしずらくなっていた事もありモチベーションが上がらず、それはそれで良かったのかもしれない。

此処まで来ると空は青空、陽射しも眩しく気温も上がってくる。私は自販機で水分補給用のペットボトルのお茶(500ml)を買ってバックにしまい込む。人間、汗を掻いて水分を放出すると血液が濃くなると集中力が低下するから、これからの季節熱中症対策としてこまめに水分を補給する事が大事である。その為にも休憩毎に水分を補給出来るよう、ペットボトルをバッグに入れて置く事をお勧めする。

ゆっくり休憩を取った後、我々は早坂高原に向かって走り出す。昨年は久しぶりに早坂峠(高原)に立ち寄ったが、今回は早坂高原の下を貫いている早坂道路(トンネル)を抜けて岩泉町に出る。早坂峠は曲りくねった(特に岩泉側)峠道でそれなりに走りの練習にはなるのだが、涼しいトンネルの中を数分走っただけで峠を通過出来るのは本当に楽である。

人間、楽な方を知ってしまうと大変な方にはよほどの理由がないと戻れませんね!?

小本川?沿いの国道455号を走って行くと 道の駅 三田貝分校 に出るが、この道の駅 立地場所がFUNKYにとっては微妙(この少し先で給油する)で、今回も立ち寄る事はなかった。小学校の跡地を利用した道の駅のようだが、美味しいソフトクリームでもあれば立ち寄っちゃうのだが・・・。





最近は珍しいノーブランドGS


カウルに虫が沢山着く季節になりました。










































トイレはダムの反対側に在りました。


奥には太平洋が見える筈でしたが、
海の上には霧が掛かっておりました。


久しぶりのルートに挑戦

目覚めのコーヒーになるか?
国道340号に出た我々は、いつものGSに入って給油を行う。このGSは秋田市から200km少々の距離にあり、給油地点として丁度良い距離に在るのと事務所内でゆっくり無料コーヒーが飲める為、FUNKY指定のGSになって久しい。

スタッフさんにもFUNKYは認知されており毎年顔を見せると元気に挨拶してくれるGSで、今回店長さんは来客中で挨拶を交わす事はなかったが、我々の事は認識していたようである。美味しいコーヒーを飲んで、少し目を覚ましたメンバーもいたようだが、その効果は長続きしなかったようだ。

休憩を終えた我々は、岩泉から県道7号に入って龍泉洞前を通過し安家に向かう。私がこの県道7号を走るのは本当に久しぶりで、それは15年以上前の事だったと思う。その間、安家で陸橋の下を潜った事(6年前)が一度有ったが、新しく改修されているという道が楽しみである。

龍泉洞を過ぎると右手に田野畑に抜ける道(昨年反対側から来て通行止めで引き返した道)の入口が在って、特に通行止めの表示はされておらず通れそうである。今回は反対側から此処に出てくる予定なので、それが確認出来て良かった。

岩泉から安家の間には峠(石峠)が在って以前は結構狭い曲りくねった峠だったのだが、その峠の下にトンネルが出来ていて我々は苦労する事無く峠の向こう側に出てしまった。トンネル前後の道も結構走り易い道になっており、我々は走りを楽しみながら安家に到着する。

安家の集落の上には陸橋(以前我々が潜った)が掛かっており、我々は安家集落の上空を通過して久慈に向かう。安家と久慈の間にも峠(大月峠)が在って、私は石峠と同様にトンネルが出来ているものと考えていたら、大月峠は昔のままの一車線の狭く曲りくねった峠道のままだった。

私がこんな峠道を走るのは久しぶりだった。20年前の岩手県では幹線国道以外どこでも見られた峠道の形だが、最近は峠の下にトンネルを通す方法でその数を減らし、この手を峠を通る機会は本当に少なくなった。

そんな峠道で、私は思わぬ生き物と遭遇する事になった。それは私の右手前方からノッシ・ノッシとゆっくり現れ、私に気付いたのか対向車線に止まって私の方を見ていた。その毛艶の良い灰褐色の姿は、狸に違いなかった。

私の狸のイメージとしては茶色で土にまみれたイメージが強かったが、2mという至近距離で見たその狸さんは銀色の毛が艶々と輝いていて本当に美しかった。生きている狸を真近に見た(死んでいる狸は数え切れないが・・・)のは動物園位しかなった私だが、ブレーキを掛け減速しながら狸さんの横を無事に通過する。

もし狸さんが私に向かって突進して来たとしても、私は走行ラインを変えるつもりは無かった。下手にバンクした状態で狸さんに衝突したら転倒する確率が高く、そのリスクは避けなければならない。小動物を避ける為に道路外に出てしまった事故を偶に耳にするが、動物さん達には誠に当に申し訳ないが私は正面から行きます。

私の後ろにいた青/白GSX−Rは、私と狸さんの睨めっこをしっかり見ていたようだが、彼もまた狸さんの美しさに見とれながらその横を通過したようである。



滝ダムガイドマップ
滝ダムから海が見えるのが売りらしい!

大月峠を越えると道は二車線路に戻り、我々は快調に走って長内川を堰きとめて造った滝ダムのパーキングにバイクを停める。このダムは以前私がこの道を通った時には無かったダムで、私はその変わりように驚いてしまった。

ダムからは久慈の街並みが見えていて、ガイドマップによるとその向こうに太平洋が見える筈なのだが、街の向こう側は雲が掛かったように白くなっていて何も見えていなかった。

トイレに行きたくなったメンバーがトイレ探しの旅に出たのだが、結局トイレが在ったのはダムの向こう側だった。メイン道路に面したこちら側でなく、遠く離れた反対側にトイレを設置した設計の意図が分からない。こう云うのをお役所仕事と云うのだろうか?

長いトイレ休憩の後、我々は三陸海岸の景勝地 北山崎 に向かったのだが、私はこの先で初めてのルートにチャレンジする事にしていた。県道7号から国道45号に出るには久慈市街まで行って国道45号に入るのが通常ルートなのだが、今回私は地図で見付けた滝ダムの先から国道45号に近道するルートを使う事にしていた。

FUNKYでは時々新しいルートにチャレンジする事が有るが、そんな場合は大概道を間違えてUターンするのがお約束になっている。それを防ぐ為、私は今回地図をしっかり頭に入れてそれなりのイメージを持って来ていたのだが、実際の道がイメージと大きく違っていて今回もUターンを2回する事になってしまった。

私のイメージでは、県道7号から国道45号に抜ける道の入口は二車線路の筈だったのだが、実際の道は中央線の無い狭い道だった。一瞬通り過ぎてしまった私だったが、目印にしていた駐在所(廃止になっていたが)を見付けて一回目のUターン。

私に橋を渡るイメージが無かった為、橋の手前で曲がってしまい二回目のUターン。結局二回のUターンを経て我々は無事国道45号に出たのだが、苦労して開発したこのルートも今回走ったコースの印象からして、今後使われる機会は少ないかもしれません。


北山崎駐車場に到着。
展望台に向かう。





























青空の下お約束の写真を撮影。



パークングには我々以外のバイクも結構停まっていた。




今年の北山崎
国道45号の宇部町から野田村に向かって走って行くと水の張られた田んぼから湯気と云うか霧?が立ち上っているのが見え、その向こう側は霧に覆われ見通しが悪くなっていた。我々は海岸線に近いづいたようで、海霧がこの付近まで入り込んでいるようである。

海霧は、やませと呼ばれるオホーツク海気団から噴き出した冷たい湿った空気が暖かい海水や地面に触れて発生する霧で、我々はその先端部の境目を見てしまったようで、それは何とも幻想的な風景だった。

野田村は完全に霧の中で、私は北山崎も昨年同様海霧に覆われている事を覚悟したのだが、普代村に入ると次第に霧は晴れて来た。普代の街に近づいた時、我々の前には法定速度−10位で走る車が1台いて、私は追い越しを掛けようかとも思ったがこの先にこれから向かう普代港に向かう近道が有る事から、私は追い越さずにその車の後ろを走っていた。

その入口が近づき私がウインカースイッチに親指を掛けたその時、前の車のウインカーが揚がったではないか。 ガッカリ である。 ようやくスロー走行から解放されると思っていたら、前の車の考えも私と同じであったとは・・・。

気を取り直した私は左折するのを止め、そのまま直進し正規ルートで普代港に向ったのだが、裏道と合流した時点で我々は例の車の前に位置していた模様である。普代港に出ていよいよ海岸線を走る道に左折しようとしたら、正面に通行止の柵が現れる。

崖崩れの為に通行止になっているようなのだが、北山崎への道はこれしか知らなかった私は一瞬頭の中が真っ白になってしまった。しかし、よく見ると柵の横に立て看板が有って、そこには回り道の案内が書かれていた。

一瞬今日の北山崎行きをを諦め掛けた私だったが、回り道の案内に従って北山崎に向かう。しかしこの回り道が長かった。正規ルートだったら10分も掛から筈なのだが、狭く曲がりくねった道は幾つかの小さな集落を通過しながら延々と続いていたのである。

それでも何とか正規ルートに出た我々は、北山崎のパーキングに無事に到着する事が出来たのだが、時間はいつもの倍掛かったような気がする。

お約束の田野畑ソフト 250円
今回は北山崎初体験のメンバーがいて、我々は早速展望台に向かう。

気温も上がってきた事もあり、私は途中に在るお店でお約束のソフトクリームを買う事にした。田野畑ソフト売るお店が二軒?あるのだが、私がいつもの手前のお店に行くと、いつものオネエサン?が出て来てソフトクリームを作ってくれた。

私に続いて他のメンバーもソフトを購入したのだが、我々が並んでソフトが出来るのを待っていると、他の観光客の皆さんも寄って来て並んでいた。我々はサクラでは無いのだが、客寄せパンダになっていたようである。

消費者心理とは面白いもので、我々の後ろに並んだ観光客の皆さんは、誰も並んでいないソフトを売るお店の前を通り過ぎて、わざわざ我々の後に並んでおりました。日本人は列に並ぶのが好きな人種のようである。

昨年は雲海のような景色を見せてくれた北山崎が、今年どんな姿を見せてくれるか私は楽しみにして展望台に向かったのだが、今年の北山崎は私がこれまで見たことの無い姿で我々を向かえてくれたのである。

今日の北山崎の上空は真っ青な快晴で、これ程に晴れている北山崎は今まで20回近く此処を訪れている私でも初めてであったと思う。北山崎は沖合いを流れる親潮の関係からか曇っている事が多く、陽射しが眩しく人影がこんなにクッキリ写った写真は始めてだったと思う。

昨年は殆ど霧に隠れて見えなかった海面が今年は青く輝いており、そしてその上に薄っすらと白い霧が載っている姿を私は今回初めて見た。晴れて(今日ほどではなかったが)海面がクッキリ見えていた事は何度かあったが、青空と蒼い海と白い霧のコントラストは今回初めて見る美しい景色でした。

美しい景色を脳裏とカメラに納めた我々は、パーキングに戻って今日のツーリングの目的の一つ 生ウニ丼 を食べに田野畑村の北川食堂に向かった。


    空は青空、海は蒼く薄っすらと霧が掛かった北山崎の景色は、今まで何度となく此処を訪れている私でも初めて見る光景でした。
                          ※ ポインターを写真に置くと昨年見た北山崎の景色に変わります。




















田野畑 北川食堂


































注:写真の丼の大きさはイメージです。
丼の大きさを保証するものではありません。


田野畑村 北川食堂
北山崎のパーキングを出た我々は、三陸鉄道北リアス線の田野畑駅方面に向かう。私がこの道をこの方向に走るのは久しぶりで、最近はコース設定の関係から逆方向に走る事が多かったのだが、この方向に走ると道の左側が断崖絶壁の場合が多く、何か気持ちが落ち着かなかった。

精神的には、逆方向の対向車線の先が断崖絶壁の方がベターだと思います。

そんな事を考えながらも私は交通量の少ないワインディングロードを充分に楽しんで、田野畑駅手前から内陸に入り北川食堂に向かう。


早速 生ウニ丼 に向かいます。

国道45号沿いの田野畑郵便局近くに在る北川食堂は、昨年初めて訪れその生ウニ丼の美味しさに感動したお店で、今年もその生ウニ丼を食べに訪れたのである。

北川食堂に到着してみると、昼時とあってパーキングは満杯状態で、このお店の人気ぶりが窺える。

店内も満席状態だったが、何とか座敷のテーブルの一つを確保、六時間ぶりにブーツを脱いで席に着く。此処の生ウニ丼には幾つかの種類が有って、高級な順に

           時 価
生ウニ重    ¥3,600−
生ウニ丼    ¥2,480−
ミニ生ウニ丼  ¥1,300−
東北じゃらん丼 ¥1,000−  となっており、丼の大きさはその価格によって違っている。

今年の時価価格は、生ウニ重で 80円、生ウニ丼・ミニ生ウニ丼で 100円、昨年よりお安くなっておりました。(東北じゃらん丼は同じ)

私は昨年食べた 東北じゃらん丼 ウニ大盛 1,500円 がご飯の量も丁度良く、ウニもタップリで気に入っていたのでそれを注文しようとしたのだが、今年は東北じゃらん丼にウニ大盛のオプションは無いと若いオネネさん(昨年のオネエさんとは違う人)に言われてしまった。

昨年は有ったのでお願い出来ないか厨房に聞きに行ってもらったのだが、厨房から戻って来たオネエさんの答えは No!! だった。

此処は新鮮な魚介類が入った磯辺丼等も美味しいと聞くので私はそれにしようかと思ったのだが、磯辺丼を写した写真の中に帆立の貝柱が入っているのを発見して止める事にした。他の海鮮メニューにも殆ど帆立が入っており、私は結局ミニ生ウニ丼を注文する事に致しました。

だって、また歯の間に挟まった貝柱を舌で探しながら走るのはイヤだったんだもん・・・!?

そして各自お好みの生ウニ丼を注文、暫くしてそれが運ばれて来る。初めて見る生ウニ丼は迫力充分でウニの量もタップリで美味しそうだったが、私にはご飯の量が多過ぎるようでした。

私の食べたミニ生ウニ丼はご飯の量も丁度良く美味しく頂きましたが、昨年食べたウニ大盛と同じ位ウニが入っていればもっと満足出来たのですが、それは贅沢・・・・!?

初めて此処の生ウニ丼を食べた青/白GSX−Rは、あえて一番小さなじゃらん丼を食べていたが、彼にはどこかの国の前首相のように腹案が有ったようである。

ウニを完食し幸せな気分で北川食堂を後にした我々は、岩泉に向かう。


くずまき高原牧場製ミルクドロップ
食べた感想は?
やさしいおいしさ = 薄味 のようです。














●田野畑から袖山高原へ
岩泉に向かうルートは、いつも使っている岩泉から田野畑に出るルートを逆に辿る事にしたのだが、そこには落とし穴が待っていた。国道45号を普代方面に向かって走ると峠が在って、その峠の途中から左折して岩泉方面に向かうのだが、その入口を見つけるのが大変だった。

峠の上り坂に差し掛かると我々の前には車の列が出来ていて、私はその列に並んでゆっくり走っていた。この道は今まで何度となく走っている道で道自体に不安は無かったのだが、私はこの道をこの方向に走るのは今回が初めてで、岩泉に向かう道を見付けて左折出来るか不安だった。

いつもは結構なスピードで下っているこの峠道は、車に着いて上って行くと長かった。もうとっくに入口が現れても良い時間帯なのだが、なかなか現れず不安になっていたところに突然前を走る車が減速して左側に止まってしまった。

今回のツーリングで、前を走る車が突然停止し我々を前に出して後に着くという行動に何回か遭遇していて、我々は前を走る車に特段の脅威を与えて走っていた訳でもなく、ただ後に着いて走っていただけなのだが、道を譲られると何か悪い事をしているかのような気持ちになって感じが良くなかった。

突然止まった車に気を取られそんな事を考えて走っていたら、左に曲がる道を十数メートル行き過ぎてしまった。バイクを左側に止めUターンする破目になってしまった私は、後続の車が行き過ぎるのを待ってバイクを押してUターン、何とか岩泉に向かう道に入る。

自分のミスを他人のせいにはしたくはないが、バイクが後に着いたからといって停止するのは止めてもらえませんかね。バイクに着かれて止まるドライバーは、以前にバイクに着かれてイヤな思いをした経験を持つとも考えられ、我々ライダーもドライバーに優しいライディングを心掛けたものである。

国道45号から入ったその道は狭いが二車線のそこそこのワインディングロードで、我々はそれなりに走って昨年引き返した夏節トンネルに入る。昨年はトンネルの前に通行止の柵がしてあったが、今年はそれが無く私は躊躇無くトンネルを通過したのだが、昨年と同じ場所で道路の舗装は途切れていた。

舗装の先は砕石が敷かれ舗装を待っている状況だったが、砕石は深くはなく結構路盤が締まった状態で新人さんでも走行可能と判断、砂利道手前で充分に減速た私はゆっくりと砂利道に入っ行く。後のメンバーの中には突然の砂利道に戸惑ったメンバーもいたようだが、あの程度の砂利道でビッビッてはいけません。

但し、砂利道の手前で充分減速出来るだけの余裕を持った走りをお願い致します。

砂利道を抜け午前中に通った県道7号に出た我々は、左折して龍泉洞前を通過、岩泉の街で再び国道455号に出て葛巻に向かう。浅内から小川まで国道455号と340号の共用区間走った後、国道340号の国境峠を越えて葛巻出た我々は、国道281号に入って森のそば屋の在る袖山高原入口に向かう。

私は森のそば屋のパーキングにバイクを停め、青/白GSX−Rの顔を見る。この地域に来たのが久しぶりだった青/白は久しぶりに森のそば屋でそばを食べたいと前から言っていて、昼食の生ウニ丼を小さなじゃらん丼にして森のそば屋に備えていた節がある。

加えて朝から体調が悪くここでエネルギー補給と休養を取る事を希望した青/白を森のそば屋に残した我々は、四台で袖山高原を駆け上る。袖山高原をそれなりに走るのは久しぶり(2007年以来)で、私のリヤタイヤからは黒い線が延びていたとFZRは言っておりました。


久しぶりにレストハウスで休憩を取る。
最近は袖山高原の風車の下で休む事が多かったFUNKYだったが、今回は青/白の事もあるのでレストハウスまで行ってゆっくり休む事にした。レストハウス前の草原には牛が放牧され北海道を思わせる景色が広がっており、遠くには岩手山も見えていた。

我々以外にもバイクが停まっており、袖山高原はライダー達にも人気のスポットであるようだ。ゆっくりと休憩を取った後、我々は森のそば屋に向かって下って行く。袖山の下りはスピードの乗る直線から急なカーブに入る事が多いので、直線で充分減速してコーナーに進入する事をお勧めする。


         岩手県 葛巻 袖山高原 は、北海道的な風景を見せてくれる。奥には薄っすらと岩手山が見えている。

袖山高原を下り森のそば屋の前に到着すると、青/白がお店の前に置かれたベンチの上で横になっていた。美味しい蕎麦を食べてエネルギーを補充した彼は、少しでも体を休めようと横になっていたようなのだが、その効果は徐々に現れてくる事になる。


太陽が山に隠れます。












 玉川温泉出発 6時半
































































茶立ての清水に全車到着






















































八幡平樹海ライン〜玉川温泉へ
我々のいつもの北山崎ツーリングでは二回目の給油は八幡平ICのGSと決まっているのだが、今回はコース設定がいつもと違った為走行距離が多く、袖山高原を登っている途中で私のGSX−Rの燃料コーションランプが一瞬点灯した。

それでも私のGSX−Rの航続距離からして八幡平ICまで充分燃料は持つのだが、タンクの小さいFZRが心配になって聞いてみると、やはりランプが少し前から点灯していたようだ。此処から葛巻のGSまでは10kmもなく充分ガソリンが持つと私は判断したのだが、ガス欠の実績を持つFZRはガス欠を心配していた。

葛巻の街にはGSが四軒ほど有るのだが、後の事を考え出来るだけ秋田に近いGSで給油したいと考えた私は、三軒目のGSが開いているのを見てそこで給油する事にした。四軒目の方がより良いのだが、今日は日曜日で閉まっている可能性も有り三軒目に致しました。

皆さんガソリンをタンクの給油口ギリギリまで入れて葛巻を出発、八幡平松尾を目指す。国道281号を走って一旦沼宮内で国道4号に出た我々は、直ぐに県道17号に入って八幡平アスピーデラインの上り口に在る昨年も休憩したパーキングに向かう。


八幡平アスピーデラインの上り口 到着 PM4:25

我々が八幡平に到着したのは4時半近くになっていて、陽が大分傾き影が長くなって来ていた。我々はこれから向かう八幡平樹海ラインに備え、十分に休憩を取ってモチベーションを上げる。

樹海ラインでは私が隼を先導して走る事を打ち合わせた後、我々はまず松川温泉に向かう。時間が遅いせいか樹海ラインに向かう道に車は少なく走り易かった。八幡平樹海ライン入口に到着し、私が後ろに下がって隼の前に着きペースを作って樹海ラインを上って行く。

八幡平樹海ラインは山の東向き斜面に造られていて、この時間(5時前)になると太陽は山の影に隠れ殆ど部分日陰を走る事になる。それでも走行には全く問題は無く、ミラーに映る隼は集中した走りで私の後を追っている。

八幡平アスピーデラインの秋田と岩手との県境で先行していたグループと合流、そこで私が再び先頭になってアスピーデラインを秋田県側に下ってい行く。ヘアーピンカーブの連続から始まるアスピーデラインの下りは、ヘアーピンカーブ前で十分に減速しコーナーは加速しながら曲がるとバイクが安定して楽しく走れる。

後生掛温泉を過ぎ大沼を過ぎると道はブナの森の中を貫いて走っており、マイナスイオンを感じながらの走るこの道は私の好きな道の一つだ。アスピーデラインから国道341号に出た我々は、左折して玉川温泉まで一気に走る。



久しぶりの玉川温泉
この時間になると国道341号を走る車は少なく、我々はそれぞれの走りを楽しみながら玉川温泉に到着する。今回私は玉川温泉の 湯治館 そよ風 に入る予定にしていたのだが、近道して玉川温泉の前を通って行こうとしたら、抜け道にパイロンが立っていて通行止になっていた。


玉川温泉到着PM5:30
以前(と云っても2001年でした)は通れていたので通れると思っていたら時代は変わっておりました。玉川温泉の人に聞いたら温泉に入れるという事で、我々は 元祖 玉川温泉 に入る事に致しました。

私が玉川温泉に入るのはそれこそ2001年以来9年ぶりだったのですが、その当時と大分雰囲気が変わっておりました。当時は建物の中も外も人で溢れ、温泉までの道の両側には路駐の車がぎっしり停められていて都会のような騒がしさでした。

ところが今回訪れてみると、車も人も少なく山の中の静かな温泉地になっていて好感触でした。私が何故9年間も此処を訪れなかったかと言うと、あまりの騒々しさにゆっくり温泉を楽しむ雰囲気ではない玉川温泉を、私の八幡平温泉リストから消していたからなのです。

今回も本当は少し離れた所に在る 湯治舘 そよ風 に行くつもりだったのですが、先ほど書きましたように抜け道が通行止めになっていた為やむを得ず 元祖 玉川温泉に 入る事になったのですが、これが正解でした。以前に路駐の車のマナー(人も含めて)の悪さが問題となって路駐が禁止されたのは知っていましたが、その効果なのか玉川温泉に静けさが戻っておりました。

バイクをパーキングに停めた我々は、早速温泉道具を持って温泉に向かいます。建物の中は以前と変わっていない様子でしたが、中の雰囲気は以前とすっかり変わっておりました。以前の玉川温泉は一種特殊な雰囲気を持っていて、病院の待合室に来ているような雰囲気が有りましたが、今回はどこにでも在る温泉場の雰囲気になってました。

我々は発券機で600円の入浴券を購入、それを係員に渡して浴場に向かう。玉川温泉は遊離塩酸を多く含有したpH1.05の強酸性の温泉で、無色透明だが硫化水素臭が有り各種細菌類に対し強力な殺菌力を発揮するという。また1ケ所からの温泉湧出量(9,000g/分)は日本一だそうで、湧き出した温泉が激流?となって流れ出る様は迫力ものです。

温泉は微量の放射能を含有しており、それが特別天然記念物「北投石」(ラジウムを放射)を生成、産出しており、ラジウムを放射する岩盤に寝まる岩盤浴が有名です。

私は久しぶりに強酸性の玉川温泉を味わったのだが、やはり100%源泉(39℃)は強烈で皮膚の薄い部分はピリピリしてきていた。湯船には50%源泉(40℃)も有って最初にこちら体を慣らしてから100%には行った方が良いかもしれません。

私は弱酸性の湯船が有ったのでそれに長湯しておりましたが、メンバーの中には蒸気湯(サウナ状態)に入ってその後の走りが変わったメンバーもいたようですから、保証はしませんが蒸気湯はライダーを蘇させる効果が有るのかもしれません。



FUNKYレポートの愛読者
温泉から上がって隼氏の足元を見ると、彼も五本指靴下を履いていた。FUNKYで五本指靴下は定番なのだが、FUNKYツーリング初参加の隼氏が五本指靴下履いている理由を聞いてみた。彼のお返事は、FUNKYレポートを見て買ったのだと言う。それも ファッションセンター しまむら で滑り止め付きの物を纏め買いしたのだと言うではないか。

私、忘れておりました。彼は昔からのFUNKYレポート愛読者で、実は以前に一度FUNKYレポートに登場した人物なのですが、どのレポートに出演?していたかは皆さんのご想像にお任せ致します。偶々私が五本指靴下をレポートで紹介した時(四年前)の黄色の五本指靴下(さすがに口のゴムが延び、左足の親指の上が薄くなってきている)を履いていた私は、彼にそれを見せびらかしてしまいました?

私のレポートを愛読していると人に時々お会いする事があるが、こんなレポートでも読んだ人に結構大きな影響を与える事を知り、私身が引き締まる思いが致しました。


玉川温泉に入ってリフレッシュしたメンバー(私も含め)もいたのですが、反対に疲れが顕著になったメンバーもいたようです。それは今回初参加の隼氏で、疲れの原因は温泉のせいと言うよりは疲れが彼のキャパシティを越えてしまったのが原因と思われる。

隼氏は、私の先導で走った八幡平樹海ラインを走り切った時点で電池が切れてしまったようで、それ以降は自らセイブモードに切り替え(偉い!)秋田市まで辿り着いたようである。隼氏はこれまで一日で最も長く走った距離が440kmで、樹海ラインを走り切った時にはとっくにその距離は越えており、彼は未知に世界に足を踏み入れていたのでありました。

人間、何事にも初体験はあるわけで、一度経験する事により人は経験値を上げ次の経験に役立てる事が出来る。新しい事にチャレンジしなければ新しい世界は開けないわけで、隼氏には今回の経験を生かしてまたFUNKYツーリングにチャレンジしてもらいたいと思います。



POWER PURE の思わぬ特性?

この幅広の立て立て溝が大物を拾い上げる。

温泉でリフレッシュした私は、玉川温泉を発って田沢の茶立ての清水に向かって走り始める。時間は6時半少し前だったが、走るにはまだ十分な明るさ有り我々は今日最後のスペシャルステージに向かう。

玉川温泉から新鳩の湯温泉までの道は道幅も狭く路面状態も悪い曲りくねった道で、私は慎重に走りを進めていたが、そこで私のGSX−Rのリヤに履いた ミシュラン POWER PURE の思わぬ特性?が発見される事になる。

玉川温泉を出て小石が多数散らばった路面を走っていた時、私の後ろを走っていた青/白GSX−Rがある事に気が付いた。それは私のGSX−Rが跳ね上げる石の大きさが、これまで経験してきた物より大きくそしてその数が多い事に気が付いたのである。

その要因としてGSX−Rに履くPOWER PURE(後輪)に彫らた2本の溝が縦方向(円周方向に石が飛び易い)になっている事と溝幅が5mm(PILOT POWER 2ct 3.5mm)と広い事が考えられる。

溝が広ければ大きな石を挟み込め、溝が2本有れば挟む石の数も倍になって後のバイクに浴びせ掛ける事になる。青/白GSX−Rは、私の小石攻撃から身を守る為少し離れて走る事にしたようだが、後でそんな事になっているとは知らない私は、小石を撒き散らしながら前に集中して走っておりました。

そして新鳩の湯温泉前を通過して高速ステージがスタートする。私はミラーに映る青/白GSX−Rの姿を大きくしたり小さくしながらクリアーなステージを駆け抜けた。走り慣れた宝仙湖沿いのステージを2台のGSX−R K5は、戯れ合うように走りを楽しんだのでした。

夕方になって体調が回復した青/白GSX−Rは、ようやく彼本来の走りになってきたようだ。それと共に今回新しく履いた難しいタイヤセットの走り方を、彼はここに来て理解したようである。自分に与えられたハードの中で走りをどう組み立てられるかがライダーの力量で、彼はそれが出来るライダーに成長したようである。


FZRが1分遅れで到着

鎧畑トンネルを抜けた2台のK5は、走りの余韻を感じながら茶立ての清水のパーキングにバイクを止める。いつもは間を開けずに到着する三番手のFZRが今回は1分程遅れて到着する。その事が後の私に大きな影響を与える事になるのだが、その時の私はその1分という時間の意味を理解してしていなかった。

三番手から暫く遅れて四番手、五番手が到着、暫しの休憩を取る。後は秋田市に帰るだけなのだが、私には一つ心配な事があった。それはタンク容量の少ないFZRのタンクの中身だった。

葛巻で給油した事で秋田市までは240km近く走らなければならず、15リットルタンクのFZRは平均燃費16km/Lでギリギリ秋田に辿り着ける計算なのだが、樹海ラインからここまでの区間をフルスロットルで走った場合、平均燃費16km/Lは厳しいと思われた。

そこでFZRに燃料ランプが点いているかを聞くと、まだ点灯はしていないと言う。点灯してから走れる距離は省燃費運転で40km程度で、角館(秋田まで50km)の手前で点灯すればガス欠する可能性が高い。そこでランプが点灯したら私に知らせる事をFZRに指示し、FZRを二番手にして我々は茶立の清水を出発する。

発進はゆっくりとギヤは即TOPに上げて定速走行する省燃費走行で私は角館を目指す。今考えたらそんな事をするよりも、田沢湖高原入口のGSでFZRに3リットルのガソリンを入れておけば何の気兼ねも無く秋田市に帰って来れたのだが、その時の私の頭の中には省燃費運転の事しかなかったのである。



秋田新幹線 こまち とコラボレーション
車の流れに乗って国道46号を角館に向かって走っていると、私の左後方から行き成り新幹線こまちが顔を出した。その場所は国道46号と秋田新幹線が並行して走っている場所で、音も無くヌゥーと表れたこまちの先頭車両は巨大(幅は本来の新幹線よりは狭いが充分な迫力だった)で、私は本当に驚いてしまった。

カーブ区間とあってこまちのスピードは我々と大差なく、我々は暫くこまちと並走する事になったのだが、こまちの車内から女の子が我々に向かって手を振ってきて私は思わず手を振って答えてしまった。

我々は車の後ろに着いて走っており出ているスピードは知れているわけで、一般国道を走る車と一緒に走る新幹線ってどうなんでしょう? それって新幹線って云えるのでしょうか?

秋田新幹線ならではの、微笑ましいエピソードのご紹介でした。

そんな事が有りながらも、私の頭の中はFZRのガソリンの事でいっぱいだった。角館手前の神代にGSが在ってそこが営業しているのを見た私は角館のGSも営業していると確信したのだが、私は今日が日曜日である事を忘れていた。秋田のGSの営業時間は、日曜日は大概PM7:00までとなっており、PM7:00を過ぎると閉まってしまう事を忘れておりました。

そして角館に到着した時、時間はPM7:00を回っていたのであります。私は祈るような気持ちで角館の街の中を走ったのですが、全てのGSの明かりは消えておりました。これから先秋田市まで我々が走るルートにGSは無かったのですが、私にはそのまま走り続けるしか選択肢はありませんでした。

しかし、FZRからは一向にランプが点灯した合図は無く、このまま秋田まで走れる可能性はまだ残されていた。我々は協和の荒川で広域農道に入って秋田市に向かったのだが、私はそこでFZRにランプの様子を聞いてみる。

FZRは左手を揚げてOKサイン?のようなものを返して来るが、この時点でもランプが点かない事に私は信じられない気持だった。この調子だと秋田市まで何とか辿り着ける可能性が出てきたし、もしガス欠したとしてもここまで来れば秋田から軽トラで引き上げる事も容易だから、私はこのまま省燃費運転で秋田市を目指す事にした。






これだけの距離を走ったのは久しぶりでした。




隼氏は初FUNKYツーリングに大変お疲れのようでした。
またのご参加をお待ちしております。


聞いてないよォ
私は真っ暗な広域農道をひたすら一定速度で走る事に勤めました。私自身は省燃費走行をする必要は全く無かったのですが、この際地球温暖化を阻止する為CO削減に協力する事に致しました。


秋田市に到着して直ぐFZRはGSに駆け込んだのだが、
何とまだ1L以上ガソリンが残っていたのである。

そして秋田中央IC出口と合流し前方に秋田の街の灯りが見えた時、私はある種の達成感を感じておりました。FZRがGSに入って行った時、私は万歳三唱をしたい位の気持ちだったのですが、当のFZRのとってはそれは当然の結果であった事を私は後に知る事になる。

店に到着すると隼氏から直ぐに家に帰ると云う申し出があった。その時の隼氏は疲労がピーク達していたようで、ここで一旦座ってしまうと再び立ち上がる自信がなかった為、そのまま家路に着いたと後に語っておりました。

FUNKYでは通常の事でも、初参加の彼にとっては想像を絶する一日であったと思われ、私は彼と隼の姿を写真に収め、家路に着く彼を見送ったのでした。

そしてGSでガソリンを給油終えたFZRが到着する。彼が言うにはガソリンは13.?リットルしか入らず、まだタンクには1リットル以上のガソリンが残っていたと言うのだが・・・!?

彼の話を聞くとそれは作戦通りの結果であって、彼はその結果に大変満足している様子でした。話が見えなかった私が彼の話をよく聞いてみると、大変な事実が判明したのである。玉川温泉を出る時、彼はこれから先のステージを通常ペースで走った場合とガス欠で秋田に辿り着けないと予想、その為茶立ての清水までを回転を抑えた省燃費走行で走る事にしたと云うのだ。

回転を抑えて走った結果が茶立ての清水での我々と彼との時間差の1分だったわけだが、いつもの彼だったら10秒〜15秒の遅れで到着する筈だから、その事に気付かなかった私が不注意だったとも云えるのだが・・・。

私としては 「聞いてないよォ」 と言いたいところだが、茶立ての清水で休んだ時彼が何か行っていたような気もするので、話をよく聞いていなかった私が悪い?

そんな作戦が有った事を知っていたら、FZRのタンクの中身の事など気にせずCOを撒き散らかせば良かったと思った私でしたが、それは後の祭りでございました。

何れに致しましても642kmと云う長い距離を走り切り、秋田に無事に帰還出来たのですから良しと致しましょう。


その時のハードワークが祟ったのか、年寄りは三日後(次の日やその次の日でなくて三日後ですよ)の水曜日に膝が痛くなって難儀を致しました。続けて走れば膝が鍛えられ次回からは膝の痛みは軽減されるのでしょうが、次のツーリングは1ヶ月ほど先で次回もまた膝が痛くなりそうな予感がしてます。


今回は岩手の県北地域を走りましたが、次回は地震以来二年ぶりに県南部の栗駒・須川・厳美渓地域を訪れたいと考えております。


                           

                                             by Ryuta
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