2010 FUNKY IN 北海道 Part.27 初日 2日目 3日目 4日目 5日目 最終日



































穂別の天気は最高! でしたが・・・。












道の駅 占冠 到着



























奥にトマムリゾートのツインタワーが見えている。

● 北海道最東端を目指して
北海道の朝は六時前に起きるのが私のパターンなのだが、昨日の盛り上がりが影響したのか目覚めたら6時半を回っていた。出発は8時を予定しておりまだ時間は充分有るのだが、私は慌ててベッドから起きてしまった。

私は窓のブラインドを「太陽にほえろ」の石原裕次郎のように指で広げて外の様子を見る。外には2台のGSX−Rが見えており空は青く風も無い穏やかな朝で、今日は雨の心配をしないで気持ち良く出発出来そうである。私は、7時から朝食を取る事にして出発の準備を始める。


ポレポーレの朝食
7時になって私は一階の食堂に行って朝食を取る。ポレポーレの朝食は和食の王道をいくたらこ、生玉子、納豆、トロロ、味噌汁が並び、いつもトースト1枚の私には十分過ぎる量だった。

ここに宿泊している工事関係者の方々は、朝からガッチリ食べて力を発揮しなければいけませんから何杯もお変わりするのでしょうが、私は頑張ってお変わりしたのにも拘らずおかずが余ってしまいました。

それでも残しては勿体ないとおかずだけ食べて完食はしましけど、後でパックに入った納豆は残せば良かったと後悔してしまった。

食後のコーヒーをお母さんが勧めてくれたので、私は飲み慣れたインスタントコーヒーを手に取ったのだが、お母さんはカップにお湯を注いで作るドリップコーヒーを勧めてくれる。

私、このドリップ方式のコーヒーと電動ポットに慣れておりませんで、ポットからお湯を注ぐ時にお湯を入れ過ぎてカップの中にコーヒー豆が入ってしまった。それを見かねたお母さんは私のカップを取って新たにコーヒーを入れてくれたのだが、何でも今の電動ポットにはドリップ用のボタンが付いているそうで、少しづつお湯を注げるようになっているのだという。

そんなボタンが有る事を知っていら私だって上手くコーヒーを入れられたのにと思ったのだが、それは言えませんでした。お母さんが入れてくれた美味しいコーヒーを頂きながら暫しの休憩を取った我々は、いよいよ出発の時を迎える。


お母さんの見送りを受けて根室へ
荷物をバイクに積む私の姿を見ながらお母さんは色々質問してくる。バイクは何ccなのか? そしてその値段は?

排気量は昨日貸してもらったZESTより大きな1000ccで、馬力は3倍近く有って重さは1/4しかないと言ってはみたが、お母さんはそれがどういう事なのかは分かっていないようだった。

準備を終えた我々は、母さんに見送られて予定通り8時に穂別を出発、昨日ZESTに乗って温泉に向かった道を今日はGSX−Rに乗って走る。

K9も昨年走った時よりは遅れずに着いて来ていて、我々は昨晩より早い時間で国道274号に出て日高方向に右折する。今日の国道274号は連休初日の為か日高方面に向かう車が多く、バイクも結構走っている。

車の流れに乗って穂別ダムを渡り幾つかのトンネルを通過してむかわ町から占冠村に入った所の信号を左折し占冠に向かう。国道274号を走っていた車の多くが左折していたが、これは占冠から高速道に乗る為と思われる。

我々もその流れに乗って左折したわけだが、我々は占冠からは高速道に乗るわけではなかった。その話は後ほど致します。

占冠の道の駅で休憩を取った我々だったが、いつ来ても空いている駐車場は満杯状態で我々は建物から離れた奥にバイクを停める事になる。我々はこの先の占冠〜トマム間に備え体調を整えたのだが、そこには私の長年に亘る思い入れがあった。



●7年ぶりの・・・
我々はこれからトマムに向かうのだが、車の皆さんは占冠ICから高速道に乗るのに対し我々は以前から在る道道136号を走ってトマムに向かう。私は毎年のように道道136号占冠〜トマム間を走っていたのだが、雨に降られたり工事のダンプトラックだったりトマムICに向かう車やICから出て来た車に影響されて思うような走りが出来ないでいた。

特にこの数年はトマムICまで延びた高速道に影響され道道136号の占冠〜トマム間は出来れば通りたくない道になっていたのだが、昨年の10月に高速道のトマムIC〜占冠ICが開通した事で道道の交通量は減っている筈で、私は7年ぶりに走るクリーンな占冠〜トマム間にモチベーションが上がっていた。

休憩を終えた我々は、まずは国道237号を北上しJR占冠駅前を通過し次の信号を右折、道道136号に入る。私が予想した通り道道を走る車は殆ど無く、GSX−Rのスロットル開度は次第に大きくなっていく。

コーナーを一つ二つと抜けるとK9の姿はミラーの中から消え、私は単独走行になる。そして7年ぶりに走る道は楽しかった。次々に現れるコーナーの手前でフルブレーキで減速、スロットルを当てながらコーナーを回り直線に向かってフルスロットルを当てる。

その繰り返しをしている内に鵡川沿いを走るワインディング区間はアッという間に終焉を迎へ、JRの高架の下を潜ると今度は直線主体の高速域に突入する。さぁーこれからだと直線の先を見ると、赤い物が前方でチカチカしているのが見えた。

ゆっくりとその発光体に近づいて見ると、それは駐在所等によく止まっているミニパトだった。私にそれを追い越す勇気は無く、前を走る乗用車と共に私はミニパトに連行されるように走りを進め、後続のK9が来るのを待った。

そう言えば9年程前、秋田県の比立内から米内沢までバイクで警察車両の後ろに着いて(その時は連行だった)走った事があった。その時の行き先は米内沢警察署で乗っていたバイクはセローだったが、私はその時の事を思い出しながら走っておりました。

JRトマム駅手前でK9が追い着いて来て再び2台となった我々は、ポレポーレのお父さんがきっとプレーしているであろうトマムリゾートを横目で見ながら通過、高速道に乗る前に給油する為GSにバイクを入れる。

今回が秋田を出て初めての給油だったが、まだ150km位しか走っていない為、8リットル弱のガソリンしか入らなかった。此処までスロットルが大きく開いたのは先ほどの区間だけで燃費も良かったようである。

北海道では200kmを目安に給油しているFUNKYだが、ここで給油しておかないとこれから乗る高速道にGSは無く、また高速道を下りてからも100km近くGSは無い為、早目に給油したのだった。

GSの年季の入ったお嬢さんの話によると、高速道にGSが無い事を知らずにガス欠する車が結構多いらしいから、トマムから高速道に乗るライダーはガソリン残量を計算して高速道に乗り事をお勧めする。

その点から言ってもこのトマムの出光は貴重な存在で、田舎のGSが次々に閉鎖していく中このGSがこれからも長く存続していく事を願うばかりである。




1時間半ぶりの休憩でトイレを探したのだが無く、
次の休憩まで我慢する事に・・・。。

思い起こせば、前回は草むらに走った記憶が・・・。




















道の駅 しらぬか 恋問 から見る釧路方向の空は、
厚い雲に覆われ雨が降っているように見えたが・・・。









● CB1300 SUPER TOURING?
ガソリンを給油し終えた我々はGSの先の信号を左折、直ぐ先に在るトマムICから高速道に乗る。このICが出来て久しいが、FUNKYでは今まで一度もこのトマムICを利用した事がなかった。

その理由は単にこの高速道が有料だったからなのだが、今回この高速道を使用する事になったのは民主党のお陰なのである。

トマムICから帯広方面に向かうと直ぐに長い長いトンネルに入る。私がトンネル内の単調な景色と走りに飽きてきた頃、我々は突然緑の草原の中に飛び出た。この予想もしていなかった景色の切り換えが見事で、私は周りの景色に見とれてしまいました。

 「国境の長いトンネル抜けると雪国であった」 

は川端康成の小説 「雪国」 の冒頭の文章だが、

 「トマムの長いトンネルを抜けると牧場であった」 って感じぃ・・・

北海道の牧場の景色は見慣れている筈の私だったが、その見事な演出には感動してしまいました。

そんな感動的?なシーンから始まった高速道だったが、基本的に片側一車線の高速道には車が溢れ、65〜70km/h程度のスピードで流れていた。我々がこのベルトコンベアーに乗って走っていると、IC付近の二車線区間で一台のバイクが(横浜ナンバー?)我々を追い越して行く。

本州から来た連中(特に大都会から来た)は、車が並んでいると何故か少しでも前に出ようとする癖?が有って、前が少しでも開けば追い越しを掛け先を急ぐ特性を持っている。その横浜ナンバーのCB1300 SUPER T0URING(多分だと思う)も追い越し車線を結構なスピードで我々を追い越して行った。

ベルトコンベアーの走りに退屈していた私は横浜ナンバーを追い掛けてみる事にしたのだが、彼のスピードは最高でも150程度の中途半端なスピードだった。もっとも追い越し車線にも車は走っているわけで、そのスピードでも直ぐに車に追い着いてしまい前を塞がれる事になる。

それでも北海道のドライバーさんは後ろから追い着かれると直ぐに道を開けてくれる方が多く追い越し車線を走り続ける事は容易なのだが、2km程度の追い越し車線では追い越せる台数は限られ、また走行車線に戻る時のリスクも有り私は横浜ナンバーを追い掛けるのを止める事にした。

横浜ナンバーは追い越し車線が現れると追い越し車線に出て先を急ぎ、我々の視界から消えて行きました。

我々が我々のペースで走っていると、本別JCT(ジャンクション)の手前で前方に横浜ナンバーが見えて来る。私の予想では阿寒湖方面に向かう為横浜ナンバーは足寄方向に進路を取ると読んでいたのだが、予想に反して彼は我々と同じ釧路方面に進路を取った。

その結果、我々は彼の後ろにピタリと着いた状態で高速道を下り、国道274号に入る事になったのである。我々は昨年この国道274号を反対方向に走っていて、その時は交通量が多っかたりレーダーパトに出会ったりして楽しむ事は出来なかった。

しかし今年の国道274号は車が少なく、横浜ナンバーは快調に我々の前方を走っている。レーダーパトが居そうな区間を横浜ナンバーの後ろで過ごし私は、トンネルに続くワインディングが始まった所で前に出てワインディングを楽しむ。


AM11:00 白糠町二股に到着


釧勝峠のトンネルを抜け白糠町に入っても今年の国道274号は車が少なく私はそれなりに楽しんで二股の集落でバイクを停める。トマムのGSを出てから此処まで1時間半の一気走りだった。

この二股は、以前(10年以上前)によく休憩した場所で自販機も置かれたりしていたのだが、今は人が住んでいない家が目立ち過疎化が進んでいるようである。

暫くしてK9が横浜ナンバーを後ろに従えてやって来た。私が横浜ナンバーを追い越した後直ぐ、K9も横浜ナンバーを追い越したのらしいのだが、直線では引き離すもののコーナーでつめられ横浜ナンバーとのバトル走行が此処まで続く事になったらしい。

この時のK9は北海道を走り始めたばかりでコーナーリングスピードがまだ上がっていなかったらしく、横浜ナンバーを引き離せなかった事を悔しがっていたのだが、後日この三日後に横浜ナンバーと出会たかったとも申しておりました。

以前霧立峠で同じような事が有って、地元ライダーに追い掛けられたメンバーが引き離せなかった事を悔やんで、初日ではなく三日後に出会いたかったと言った事があった。北海道はFUNKYメンバーを日一日一日成長させると云う事なのだが、K9の言葉を聞いた私は霧立峠の事を思い出し思わず笑ってしまいました。

「歴史は繰り返すもんなんですね。」   レベルは違いますけど・・・!?

国道274号から国道38号に出た我々は釧路方面に左折、北海道最東端の 納沙布岬 を目指す。内陸部から太平洋沿いに出ると雲が厚くなって雲行きが怪しくなって来た。海沿いの直線路を走っている我々の前方にまた横浜ナンバーが現れる。


北海道限定 GEORIA SANTOS の写真を以前
にも撮ったが、デザインは変わっているようだ。




左・全身カーボンパーツ&マグホィールの高級ブラックバード

右・普通のブラックバード  のツインズ


私は昨年も休憩した 道の駅 しらぬか恋問 で休憩を取ろうと考えていたのだが、横浜ナンバーさんも私と同じ考えのようで、右にウインカーを揚げて道の駅に入って行き、我々もそれに続く。

横浜ナンバーは少し離れた所にバイクを停め、我々と話をする事は無かったのだが、私がトイレに行くと横浜ナンバーの彼もトイレに入って来た。

彼は40代後半?のジェントルマン風?のライダーで、BMWに乗るライダーとは明らかに違う感じのライダーだった。

走っている時は気軽に手を揚げたりするライダーだが、結構な時間一緒の方向に走った仲でも面と向かって話し掛けるとなると結構勇気が要る。

お互い誰であるかは分かってはいた筈だが、言葉を交わす事なく彼とすれ違った私は外に出る。

外に出てこれから向かう釧路の街の方向を見ると、黒い雲が上空を覆っているのが見えた。それは明らかに雨を降らしている雲で、海の方向から陸に向かって移動しているように見える。

雨が降っているのが分かっているのだから、準備が良い人は雨具を来て出発するところなのだろうが、その場その場で対処する事が多い私は、雨具を着ずに恋問を出発する。



道の駅 厚岸グルメパーク 2階がレストラン














後に見えのが厚岸の街
我々はこれから橋を渡って向こう岸へ行きます。w






● 根室に雨は付きもの

予定ではこれから釧路駅近くまで行って、昨年走った昆布森方面(道道142号)に向かう事にしていたのだが、この状況では昆布森方面の路面は雨で濡れている事が予想され、私は道道142号をパスする事を決断する。

本来なら大楽毛から国道38号を釧路駅方面に向かうところなのだが、私は国道38号のバイパスをそのまま走り、釧路市の中心部を避けて根室に向かう国道44号に出る事にした。大楽毛を過ぎると予想通りというかやっぱり雨が降り出し、それは次第に強くなって来る。

遠目から見た雨は黒い雲の下だけで降っているように見え、それも結構なスピードで移動しているように見えた私は、雨は長くは続かないだろうと読んでいたのだが、雨はなかなか止まなかった。

レザーウェアーは直ぐに雨が沁み込む事は無く私は雨が上がる事を願いながら走行を続けたのだが、結局釧路市街を抜けるまで雨は上がる事はなかった。雨が肌に感じられるようになった頃、我々は国道44号に出る。

トマムで給油してから此処まで200km近く走ってはいたが、定速走行が続いたのでまだガソリンは充分残っている筈で、この先の厚岸まで充分に持つと思われた。しかし、雨に耐えかねた私は、雨具を着るの為JOMOからENEOSに変身工事中のGSにバイクを入れる。

予想通りタンクには10リットルもガソリンは入らなかったが、雨具を着た我々は昼食を予定している厚岸に向かって国道44号を走り始める。ところが走り始めて直ぐの峠に差し掛かると、次第に路面が乾いてきて雨も上がってしまったではないか。

折角雨具を着たのに雨具が必要だったのは10分もなかったわけで、もう少し雨具を着るのを我慢すべきだった後悔したが後の祭りだった。それでも厚岸の手前でまた少し雨が降って来たから、雨具を着た事は全くの無駄ではなかったのだが、本当に雨具を着るタイミングは難しいですね。

それにしても根室に向かう時はどうしてこう雨が降るんだろう?

FUNKYではこれまで何度も 根室 納沙布岬 に行く計画を立てているのだが、雨や霧の為に時間が無くなったり気力が無くなったりして、 納沙布岬 に立つ事を諦めた事が多かった。

その到達確率は、7回計画して1回行った位の確率で、本当に根室の天候には悩まされます。


生がき これで1500円


美味い!!


私が食べた えもん丼 1000円
具の種類が多過ぎて印象が薄い丼だった。

そして我々は釧路から1時間掛けて厚岸に到着、道の駅 厚岸グルメパーク で少し遅い(PM1:30)昼食となった。私は3年前にも此処で昼食を食べていて、その時食べた生牡蠣が美味しく今回また立ち寄る事にしたのである。

雨具を脱いで早速レストランの在る二階に向かうと、一押しメニューとして前回は無かった えもん丼 なる物の写真が掲げられていた。

前回私は かきバラエティセット 3,980円 を食べたのだが、それは生がきかきフライかきスパゲッティかきグラタンのセットで1品づつ注文するよりお得な値段になっていた。

今回私が えもん丼 を食べたい事もあって、セットではなく 私がえもん丼K9かきフライ、そして二人で生がきを食べる事にした。

結局、かきバラエティセットに近い合計金額となってしまったのだが、二人でかきバラエティセットを完食するのは難しく致し方あるまい。

かきバラエティセットは三人で食べると割安感が有るメニューで、三人以上で此処を訪れた時はお勧めです。

もっとも、スペシャルバラエティなるセット(4,980円)も出来たようなので、ここのメニューを全て制覇するには暫く掛かりそうである。

昼食を終えた我々は、いよいよ納沙布岬を目指して走り始める。雨は上がってはいたが路面はまだハーフウエット状態で、雨具を着るかどうかで迷ったあげく、我々は雨具の上だけ着て走り出す。

私とK9は昨年この道を反対方向に走っていて、此処を走るのは1年ぶりだった。厚岸大橋で対岸に渡った我々は、霧立布まで続く1st.ステージのワインディングロードを一気に走り抜け、そして浜中から初田牛までの2nd.ステージへと突入する。

2nd.ステージは、緩いアップダウンと適度なワィンデングが延々と続く楽しい道で、私はハーフウエット状態の道を昨年同様に大いに楽しんでしまいました。

一方K9、昨年走った時は走る事で精一杯状態だったのが、今年は少し余裕が出来たようで後に楽しかったと感想を述べておりました。

初田牛から道が根室本線沿いを走るようになると雨がポツポツ落ちてきて路面もまた濡れてくる。この状態では 「今年もまた納沙布岬には行けないかも?」 と私は心配していたのだが、根室の街に近づく連れ空が明るくなってきて青空も見えるようになってきた。

我々は厚岸を出てから1時間半近く走り続け根室市街に到着するが、私はもう一頑張りして納沙布岬まで走る事を決める。私が根室市内を走るのは久しぶりで、以前の記憶を思い起こしながら何とか納沙布岬に向かう道に出る事が出来た。

私は根室から納沙布岬まではそう遠くないと記憶していたら、結構距離(25km以上)が有ってなかなかノサップ岬平和の塔は見えてこなかった。




納沙布岬に向かいます。



最東端の岬、納沙布岬でお約束写真を撮る。
最北端の宗谷岬には行ったから次は襟裳岬か?




狙うのは戦時中に造られたという貝殻島の灯台
現在はロシアが実効支配している。



納沙布岬灯台は意外に高さが低かった。


久しぶりの納沙布岬

オブジェ 四島のかけ橋 へ向かいます。
中央に祈りの火が燃えている。


しまのかけはしと読む


望郷の家と北方館を見学。


ノサップ岬平和の塔高さが100m有るらしい。

そして午後4時前、納沙布岬に到着した我々は、大きな鉄製のモニュメント前のパーキング(望郷の岬公園)にバイクを停める。ここを訪れるのは本当に久しぶりで前回訪れたのは14年前だったと思うが、私には殆ど変っていないように見えた。

バイクから降りた我々は、早速モニュメントに向かう。周りに比較する物が無く遠目にはその大きさが分リ難くいモニュメントだが、近づくに連れその大きさが分かってくる。

特殊耐候性鋼板で造られた赤錆色のモニュメント 四島(しま)のかけ橋 は、底辺35m 高さ13mの結構な大きさで、国後島択捉島色丹島歯舞群島の四島を表していて、「北方領土」返還を祈念するために作られたシンボルであるらしい。

ドームの中央には沖縄で採火されたという祈りの火がゆらゆらと燃えており、寒々しい景色の中で唯一の暖かさを発しておりました。

我々は 希望の鐘 を鳴らした後、

返せ北方領土 納沙布岬

と書かれた柱の前で写真を撮り、望郷の家北方館を見学する。

館内には北方領土の歴史が展示されており、

我々は 「返せ北方領土」 

の思いを強くしたのでありました。

一通りの見学を終えた我々は、今宵の宿 根室 花咲港に在る 一福 に向かう事にする。根室市街から納沙布岬に来る時は太平洋側の道を走って来たのだが、帰りは根室湾に面した北側の道を走る事にする。

北側の道は途中に集落が少なく、交通量も少ない為走り易く、納沙布岬を訪れた時はこの道を使った周回コースで走る事をお勧めする。

根室市街に戻って信号に止まると、対向車線を走って来て信号に止まったバイクが目に入った。それは何と横浜ナンバーのCB1300で、彼もまた我々と同じ根室を目的地としていたようである。

私は横浜ナンバーの姿を見て、目的地が同じ根室だったらトイレの中で声を掛け一緒に走っても良かったかも・・・?と、考えてしまいました。

信号が青になり我々はそのまま花咲港に向い、横浜ナンバーは納沙布岬方向に走リ去って行ったのだが、旅では思わぬ出会いや再会等、縁みたいなものが有るだよな・・・。

私は明日の事を考え根室市街で給油する事を考えていたのだが、入ったセルフスタンドで赤っ恥を掻いてしまいました。

私はバイクを止め機械にお金を入れようとしたのだが、ここの機械は今まで見て来たセルフの機械と違っていて私は戸惑ってしまった。すると事務所の方からスタッフがやって来てやり方を教えてくれるのかと思ったら、

「セルフですか?」 と聞いてくる。

私はここはセルフスタンド何なんだからセルフでしょ・・・と思ったら、

「セルフは向こうです。」 と左の方を指さす。

「えぇ 向こうてぇ・・・?」

よく聞いてみたら、このGSはセルフ給油と給油サービス付きの二通りの給油方法が選べるGSのようで、私がたまたま止めたスタンドは給油サービス付きのスタンドだったようだ。セルフとサービス付きでは価格が1リットル当たり2円違うとの事で、どうするか聞かれた私は黙って隣のスタンドにGSX−Rを押して行く。

秋田近辺では見た事の無いこの手のセルフ給油と給油サービス付きを併設するハイブリットGSが北海道では増えているようで、網走にもハイブリットGSはございました

ハイブリットGS
が存在する事すら知らなかった田舎者の私は赤っ恥を掻いてしまったのだが、セルフ給油と給油サービス付きを併設しておけば両方のお客を取り込めるわけで、GS側としては当然の帰結ではある。

20円を節約(10リットル給油)した私は、今宵の宿が在る花咲港 一福 に向かう。





何故かスケボー用のスロープが置かれた一福前。






毎年の事なので蟹の処理のはお手のもの。

































青森から来たと云う彼は、今日函館からここ根室まで走って来たと云う タフガイ!


















カニは一気に処理してゆっくりと食べ方が良いと思います。


● 一福


雨が降っていない一福に到着したのは何年ぶりだろう?





夕食メニュー 花咲ガニが付きます。

一福 到着 午後5時少し前、このところ一福を訪れる時は雨が降っている事が多かったが、今日は久ぶりに雨は降っておらず、雨を気にせずゆっくりと荷物を下ろす。

荷物を下ろした後、私はチェーンにオイルを吹いておく事にした。明日の天気予報は雨で、雨の中でのオイル吹きは大変な為、晴れている内に吹いておく事にしたのである。

荷物を持って玄関に行きお母さんを探すが見当たらなかった。暫くして奥からお母さんが出て来て、我々の顔を見てなるやら不思議な顔をしている?

お母さん、昨年も来た我々の顔を忘れていたようだが、どこかに記憶が残っていたのだろう頭の中に?が出たようである。

我々が昨年の事を話すとお母さんの記憶が蘇り、直ぐに昨年のペースになって行く。お母さんに案内された部屋は、昨年と同じかと思ったらお母さん階段の途中で考えた末、一昨年泊まった道路側の部屋に案内される。

お風呂は直ぐに入れると言うので、昨年長湯でお母さんに急かされたK9に先ず入ってもらう事にする。その間私は、昨日買って有った焼酎をチビチビと舐め部屋で時間を潰す。

夕食時間には厳しいお母さんの事もあったので我々は時間通りに食堂に行くと、食事の用意は出来ていて、花咲ガニが二匹皿に載って置かれていた。

私はお母さんにビールを頼んだのだが、お母さんはお前さん達は勝手を知っているんだからケースから出して勝手にやって下さいと言われてしまう。

そう云う事であればと、我々は昨年同様に始めさせて頂きましたが、K9が昨年ここで撮った写真と いぶりがっこ のお土産をお母さんに渡すと、写真を見たお母さんは

「あらぁ 可愛い さぶちゃん」

昨年撮った愛犬 さぶちゃん(チワワ) と一緒に撮った写真を見て声を上げる。

聞いてみると、愛犬 さぶちゃん は今年二月に亡くなったそうで、在りし日の さぶちゃん の姿を見たお母さんは、

 「可愛い 可愛い さぶちゃん」

を連発しておりました。

さぶちゃんが亡くなった時涙が止まらなかったと云うお母さんは、さぶちゃんを抱く自分の写真を大事そうに胸に抱いておりました。持って来た写真がそこまでお母さんに喜んで貰えるとは想定外だったK9だったが、お母さんにはもう一つ悲しい出来事がに有ったのだった。

それは長年連れ添ったお父さんが一ヶ月程前に亡くなられた事で、ここまで何かと忙しかったそうだが、最近ようやく落ち着いてきたところだと言っておりました。

お父さんの葬儀の間も宿にはお客さんがいたそうで、お母さんは休まずに営業したと云うからこの一ヶ月間は心身共に大変だったようです。


お母さんの飲み物はビールから発泡酒に変わった。


その事とは無関係だと思いますが、お母さんが飲んでいる酒が以前のビールから発泡酒に変わっていたのでその理由を聞いてみると、昨年あれだけビール以外は飲まないと言っていたお母さんは、

「飲めば同んなじだ!」  と云いつつ、

いぶりがっこ を これは美味い!
と言いながら、発泡酒を飲んでおりました。

お母さんとの会話が弾んでいると、一人の男性が食堂に入って来た。彼は我々の後に一福に到着したライダーらしく、食事は我々の前に済ませていたようだ。

ライダーと云う事で、彼を交えて話は弾み我々の酒宴は続くのだったが、彼はアルコールは飲まないのにも関わらず我々に付き合って頂きました。

彼は昨日の夜フェリーで青森から函館に渡り、函館から根室まで高速道を最大限に使って走って来たのだと云う。我々の今日の走行距離は480km位だったから、函館〜穂別(200km以上ある筈)をプラスすると彼は1日で700km以上走った事になる。

我々も700km以上走る事は有るが高速道を長く走っても楽しくは無く、私は出来るだけそのようなコース設定はしないようにしているのだが、彼は1日でそれだけの距離を走っても疲れた様子も無くまだまだ余裕のようでした。

彼の愛車はXJR1200だそうで、キャブレターはFCRに変えて有りパワーは118PS以上?(後輪での話だと思うが記憶がハッキリしないので数値に自信が無い)出ているらしい。タイヤの話やブレーキパッドの話等バイクの事には詳しい彼との会話は続くのでありました。

彼は青森市に住んでいるらしいのだが、いつも一人で走っているようなのでうちの店で開催するオータムツーリングに誘ってみた。その後彼とは一緒に走る事になるのだが、バイク経験が豊富な本当にバイクが大好きなライダーさんでした。


今年のカニは色が鮮やか過ぎる。
今年も花咲ガニが出たのだが、今年のカニはもしかしたら冷凍であったのかもしれない。そんな事は口が裂けても聞けない私だが、カニの色といい身の水っぽさといい例年食べていた花咲カニとは味が違っていたように思う。

花咲ガニも毎年入荷量が減っているようだし時期的に漁は終わっている可能性が有り、冷凍物を使わざるをえない状況にあったのかもしれない。

長年カニを食べている経験者として、カニは剥きながら食べるのではなく、全てのカニを食べられるように処理してからゆっくり食べた方が良いように思います。

今日、根室の街では秋刀魚祭りが行われていたようで、XJRの彼は秋刀魚を食べて来たようだ。私はその情報を知ってはいたのだが、秋刀魚にはあまり興味が無くパスしてしまった。しかし、今年は秋刀魚が高くなかなか食べられないと聞くから、寄って来ても良かったかな?と少し後悔してしまいました。

我々が居る食堂にまた男性が入って来たのだが、その男性に私は見覚えが有った。彼は昨年も居たロシアの若い(30歳位?)お役人で、1年経ってもまだ花咲港で仕事をしているのだと云う。

我々は1年ぶりの再会に彼に声を掛けたのだが、彼も我々を思えていたようで流暢な日本語で応えてくれた。仕事とはいえ、外国での一人暮らしは辛いと思うのだが、ロシア人の若者は元気そうでしたね。

9時頃になってお母さんは後の事は我々に任すと言って部屋に戻って行った。お母さん、昨年と比べお酒が弱くなったようです。それは色々な事が有って疲れが溜まっているのが影響しているものと思われるが、お母さんにとってこの1年は激動の1年で有ったようです。

そして我々だけで酒宴は11時過ぎまで続くのでありました。明日XJRの彼は襟裳岬に行くらしく、私は行っても何もないし風が強く吹いているだけだと言ったのだが、彼は何が何でも行く気でした。

酒宴を終えた我々は後片付けから何から何まで行った後、食堂の電気を消して部屋に戻り寝る事に致しました。

明日の天候は雨が予想されており予定を大幅に変更せざるえない状況だが、明日の事は明日考える事にして私は布団の中に入る。

3日目
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