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 July 2015  Petit Hokkaido Touring
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 北海道最終日の朝は晴れ

 私が泊った部屋は、六畳を二間繋げた押し入れも無い簡素な部屋で定員は五名、今回は東京から来た二人と我々の二人の四名で使用した。昨日館主は飛び込みで一名増えるかもしれないと言っていたが、結局飛び込み客は無かったようである。

 いつものように六時前に目が覚めた年寄りは、カメラを持って外に出てみる。外はそんなに寒くなく天気は良さそうだ。今日は北海道最終日、一日ドライ路面で走る事が出来そうで少し安心する。

 朝食まで時間が有った私は、昨日アイドリングが効かずしょっちゅうエンジンが止まっていたGSX−R1000のアイドリングを上げる作業を行う事にした。今のインジェクションの殆どは回転数を感知して自動で一定回転に保つようになっているのだが、私のGSX−R1000K5のフューエルインジェクションの場合、キャブレターと同じくアイドルスクリュウを回しアイドてリングを調整する構造になっている。

 そんな時、このGSX−Rが10年前のバイクで有る事を意識してしまうのだが、このGSX−Rアイドル調整ノブが手でアクセス出来る場所に無く、フューエルタンクを上げる必要が有った。タンクを上げるには、前部のヘキサゴン穴のボルト2本外す必要が有るのだが、ヘキサンゴンレンチが入ったバッグが部屋に有った為、私が部屋に戻るとZZRは起きて出発の準備を始めていた。

 私はGSX−Rに戻ってヘキサゴンレンチでボルトを外そうとしたのだが、1本のボルトの六角穴が舐めっていてなかなか外れなかった。この8万km走ったGSX−R、これまでタンクを上げた回数は数知れず、ボルトの六角穴が舐めっていても不思議ではないのだが、工場で整備する時に使う工具(それになりに高精度)と違い、持っていた工具が携帯工具(精度がそれなり?)の為か微妙な所で回す事が出来なかった。

 数分の格闘の結果何とかボルトを外す事に成功したのだが、帰ったら新しいボルトに交換する事にいたします。バイクが古くなると思わぬトラブルに見舞われる事が多々有るのだが、機械は人間と違ってパーツの交換が効きますから助かります。

 人間もバイクのように壊れたり摩耗したパーツを新しく出来たら良いのですが、そうもいきません。それが出来たなら私は交換したいパーツが山ほど有るのだが、今のところ騙し騙し使うしかないのが残念です。近い将来IPS細胞とか何とかでその可能も有る・・・のかな?

 私はエンジンを掛けアイドリング回転数を少し高めに調整(標準 1,150±100rpm)してタンクを閉じたのだが、帰って来て改めてアイドリングを調整しようと気付いてしまいました。ドライバーのような棒が有れば、タンクを上げなくても左横のプラスティクカバーを外せばアイドリングスクリューを回せる事を・・・。

 アイドリング調整はタンクを上げた時にしか行っていませんでしたので私はその事に全く気付かなかったのですが、思い込みは人を盲目にする事を思い知らされました。

 時間になって我々は朝食を食べに下に行く。増毛館の朝食はこの手の宿のスタンダード的なもので、美味しくいただきました。ここのご飯は前日の宿と違って普通に美味し良かったです。



5人部屋

増毛館 朝食


 出発の時間になり我々は荷物を抱えてバイクの下へ・・・。我々を見送りに東京のグループ全員が出て来てくれたのだが、その中には自転車のオネエサンもいて東京の皆さんと共に写真に納まっていましたね。

 皆さんの見送りを受け我々が出発しようとしたその時、走ってやって来た館主に私は握手を求められる。突然の事に私は驚いてしまったのだが、館主さん握手も良いですけど出て来るのが遅い・・・。

 信号を曲がって見えなくなるまで皆さんは我々を見送って下さいました。今回の増毛館の宿泊は、奇跡の出会いも有って本当に思い出深いものとなりました。



奇跡の再会を果した皆さんと記念写真を撮って増毛を出発します。 右から2番目の女性は札幌から来たチャリダーオネエサン。


 ビクッ・・

 我々は昨日走って来たルートを引返し、国道231号から道道94号に入って北竜へ向かう。道道94号は昨日とは反対に緩い登りで、バイクはより大きな駆動力をが必要とするのだが、その微妙な駆動力の違いがZZR250に思わぬ症状を生じさせたようだ。

 昨日はZZR250に乗って初めての体験をしたZZRだったが、今日も一瞬 ビクッ・・とする経験をしたようである。フルスロットルで長い直線を加速中、ZZR250のタコメーターが一瞬跳ね上がった。現象としてはクラッチが一瞬滑ったと考えられるのだが、下りより登りの方がクラッチに負担が掛かるとは言え、それ程にZZR250のクラッチ容量に余裕が無いのか・・・?

 ZZR250は昨年クラッチ板を新しくしてから8000km弱走っているが、クラッチ板が消耗しているとは考え難い。もしかしたら、ZZR400とよく間違えられる?ZZRの走りがクラッチに負担を掛けていたのかもしれません・・・?

 そのビクッ・・が起きたのは1回だけだったようなのだが、ZZRはそれが気になってそれ以降の走りに影響が出ていた模様です・・・?

 私は恵岱別ダムの先で後続と合流して北竜に向かう。今回のツーリングで発見した道道94号のスぺシャルステージだが、通常の北海道ツーリングの中にこの道を組み入れるのは難しそうではある。次回走るのは何時になる事やら・・・。


 ビクッ・・U

 北竜の街に出た我々は国道275号を横断して道道94号を直進、T字路にぶつかって右折し道道94号を妹背牛に向かう。妹背牛の街で道道47号に左折して函館本線の跨線橋を渡りそのまま直進、深川へ向かう。我々は深川沼田道路の下を潜った先に在ったホクレンGSにバイクを入れ、給油と休憩を取る事にする。

 時間を見るとまだ9時前、増毛から深川まで考えていたより早く到着してしまった。北竜からは信号も少なく道も殆ど直線、一時停止をして直角に曲がったのは2回、それでここまで来てしまいました。

 給油後深川の街に出て国道233号に右折、国道12号を突っ切って道道72号に入り道央道深川IC前を通過し丘を上って行く。この丘は公園のようになっていて、眼下に深川の街並みを望む事が出来るのだが、我々は止まることなく芦別を目指す。

 道道72号はT字路に出て右折、我々は道なりに走って丘を下り音江町住吉に出る。そのまま道道72号を走っても道道4号の新城峠手前に出るのだが、遠回りになるので我々は左折して道道4号の更進に出て右折、新城峠に向かう。

 この道道4号は夕張から旭川に向かう時に度々使っている走り慣れた道で、新城峠を越えた我々は芦別の国道38号に出て左折、富良野へ向かう。連休中とあってここまで来ると観光バスや行楽の車が多く走っていて、我々はその流れに乗って富良野を目指す。

 右側に滝里ダムの人造湖が見えていて道幅が広く先が見通せる場所に出た私は、対向車が無い事を確認して前の車の先に出る事にする。しかし、如何にも

 < どうぞ追い越しを掛けて下さい。 >  と言っているかのようなスチエ―ションに

私は一瞬 ” トラップ ” の文字が頭をよぎったのだが、その時既に私はギヤを落としスロットルをワイドオープンにした後だった。

 私が追い越しを終えスロットルを戻した時、道路左側に止まっているパンダカーの後ろ姿が目に入る。

  ” ビクッ・・ ” 

とした私だったが、そのまま走って行く。後ろの2台は、パンダカーにサイレンを鳴らされ一応スローダウンしたようで少し遅れてやって来たが、 パンダカーさんは対向車線のネズミ捕り(レーダーパト)をしていたと思われます。

 背後から突然現れた我々に驚いたパンダさんだったが、出来る事は少なくサイレンを鳴らして注意を促したものと思われます。

 皆さんには国道38号を富良野から芦別方向に走る場合、左側に人造湖が見えたらスピードを確認する事をお勧めします。

 富良野の街に入る少し手前から左に入り、富良野大橋で空知川を渡った我々は裏道(と言っても交通量は多い)を通って中富良野の富田ファーム(ラベンダー観賞)へ向かう。


 ラベンダーの富田ファームは大渋滞

 この連休中、富田ファーム周辺の道路は車で大渋滞する事は以前から聞かされていたのだが、バイクの機動性を生かして何とか行けると私は考えていたのたが、実際に行ってみると考えが甘かった事を痛感させられる。

 予想していた通り中富良野に近づくと道路が渋滞していたのだが、私は車が渋滞していてもバイクなら何とかなると考えていた。しかし、富田ファームに向かう車の中には大型観光バスが結構混じっていて、バイクの機動性を発揮出来なかったのである。

 それでもチョッとづつ富田ファームに近付く事は出来ていたのだが、ふとミラーを除くと後ろ2台の姿が見えなくなっていた。私は富田ファームへ向かう道の最後の信号手前で後続を待っていたのだが、突然その信号から後続の2台が出て来たのには驚いた。

 道の左側に迂回路が有ったようで彼らはそれを使って前に出て来たようなのだが、私はこのまま富田ファームに向かうかどうかを考えていた。その信号から富田ファームまでは500m程だったのだが、この状況では辿り着くのに1時間は掛かると思われ、ここでの1時間のロスは今後の予定を考えると痛いロスだった。

 我々本来の目的は北海道の道を楽しむ事で有り、観光はあくまでもおまけでここで時間をロスし予定をしていた道を走れなくなるのは本末転倒な訳で、ZZRには大変申し訳無かったが(私とR750は昨年ラベンダー観光済)、私は富田ファームを諦め麓郷に向かう決断をする。

 これは北海道から帰ってから地図を見ていて気が付いたのだが、2台が出て来た道を反対に方向に進むとラベンダー畑の下に出てラベンダー観光が出来た可能性が有ったようだ。

 実際は行っていないので分からないが、渋滞に嵌った時その道にエスケープしてみる価値は有りそうである。

 JR富良野線を渡り国道38号を横断した我々は、畑の中の狭い道を通り抜け道道298号に出て右折、麓郷に向かう。道道253号に左折した我々は快適な道を楽しんだ後麓郷の街に入り信号を左折、直ぐ先の左側に在るふらの硝子の駐車場にバイクを停める。

 時間は午前11時近くになっており、中富良野の渋滞で大分時間をロスしてしまったようだ。最初から富田ファームを避け直接麓郷に来ていれば、ドラマ 北の国から ゆかりの観光地 五郎の石の家 等を観光する時間も有ったのだが、これからの予定を考えるとここで観光する時間は無く、我々はふらの硝子を軽く観ただけで麓郷を後にし、狩勝峠へと走り出す。


 

富良野 麓郷到着 暑いです。


 狩勝峠を楽しむ

 麓郷の信号を左折し我々は国道38号目指したのだが、私は老節布から西達布に抜ける近道を探して走っていた。以前に 西達布⇒老節布方向 には走った事が有った私だが、昔の事でその道が道道253号の何処に出たかを思い出せなかった。

 昨年も其の道を探して走ったのだが、発見出来ないまま東山に出てしまった。今年こそはと地図を頭に入れた私は郵便局を目印に走って行ったのだが、郵便局が見付けられず今年もまた東山まで走ってしまいました。

 東山に出ても間違いではない(通常のルート)のだが、私的には2年連続で近道を見付けられなかった事が何とも悔しかった。それらしき道は有ったのだが、郵便局は無いし道幅は農道のように狭く以前走って来た道とは到底思えなかった。

 もう一度西達布から走ればハッキリするのだろうが、最近狩勝峠から富良野へ向かう時は トマム⇒占冠⇒金山⇒東山 ルートを使用する事が多く、その機会は少なそうだ。

 国道38号東山に出た我々は、左折して西達布から樹海峠を越え幾寅に出て落合を通過、狩勝峠を下って峠下のパーキングにバイクを止める。このパーキングでゆっくり休憩したのは今回が初めてだったが、トイレも有って休憩場所としては結構使える使えるパーキングでした。

 このパーキングはネズミの捕獲場所としてよく使われる所なのだが、道東道が道央道と繋がってからは交通量が激減し採算が合わなくなった為か最近ネズミの捕獲作業を見る事は無くなりましたね。 

 連休中にもかかわらず今日の狩勝峠の交通量は少なく、時々バイクや車が通り過ぎるだけしたので、我々としては好ましい状況ではありました。

 暫しの休憩後、我々は私を先頭に狩勝峠を上り始める。私は深いバンク角を存分に楽しんだ後峠の上で後続を待っていたのだが、最初にやって来たのはZZR250だった・・・?

 高速ステージの狩勝峠ですから、私はGSX−R750が先に来るものと考えていたのだが、ZZR250が先に来るとは・・・。やはりあのバイクはZZR400なのかもしれません・・・?

 登坂車線と追い越し車線の両方を車で塞がれ、GSX−R750が躊躇しているところをZZRが前に出てそのまま上がって来たようなのだが、それにしてもZZR400?は早過ぎです・・・!?。

 峠を越えた我々は、昼食を取る為落合に在るおそば屋さんへと向かう。



狩勝峠下のパーキングで小休止


 落合のおそば屋さん おち庵

 狩勝峠を越え長い直線を走った後、落合の街?に入る少し手前に大きな左コーナーが在るのだが、その少し手前右側に小さなパーキングが在って以前からそこにそばと書かれた幟が立っていて、私はその幟が気になっていた。

 狩勝峠下の新得は蕎麦の産地として有名で、我々はこれまで そばレストラン 玄穣 でそばを食べる事は多かったのだが、今回は以前から気になっていた幟の正体を解明すべく、パーキング脇の舗装された小道に入って行く。

 少し走ると右側にログハウスが見えて来たのだが、建物の周りには多くのキャンピングカーが停まっていて、私は最初そのログハウスがおそば屋さんとは思わなかった。しかし入口にそばの幟が立っており、そこがおそば屋さんで有るようだ。

 バイクを停めログハウスに行くと確かにそこはおそば屋さんだったが、中はおそば屋さんの雰囲気では無かった。

 靴を抜いて中に入ると、店内には木製テーブルに椅子4脚の付いた席と窓際のカウンター席(椅子2脚付き)、そして奥には大きな木製テーブルの周りに8人分のソファーが置かれた席が有った。我々は空いていた椅子4脚の席に着いたのだが、赤ちゃん連れの若い御夫婦はカウンター席、年配の御夫婦が奥のソファー席に座っていて蕎麦が出て来るのを待っていた。

 このお店は店主が一人で切り盛りしているようで、赤ちゃん連れの若夫婦は暫く待たされている様子だった。我々も暫く待ってもらう事になるがそれでも良いかと店主に確認されたのだが、今更他に回るのも面倒だし三組目ならそれほど待たされる事は無いだろうと判断し待つ事にした。

 そうこうしている内に、子供連れの大家族(6人?)のお客さんがご来店、座る席が無かったので我々は奥のソファー席に移り老夫婦と相席にしてもらった。

 ところが店主は大家族のお客に対し、蕎麦が人数分用意出来ない事、時間も1時間近く掛かると言っているではないか・・・。我々はギリギリセーフで良かったのだが、もう少し遅く到着していたら蕎麦は食べられない状況のようでした。

 結局、大家族はここでの食事を諦め出て行ったのだが、この店主、私同様?商売っ気無さ過ぎでしたね・・・?

 この店主さん、ログハウスのお店の造りといい、脱サラしてそば作りを覚え、そしてそば屋を始めたと私は読んだのだが・・・どうなんでしょうか・・・?

 少しして若夫婦と老夫婦にお蕎麦が運ばれて来たのだが、我々にお蕎麦が運ばれて来たのは注文してから20分以上経っていましたかね・・・。蕎麦を註文して50分待った経験の有るFUNKYですから特に驚きもしませんでしたが、若夫婦は大分待たされていたようで、店主は代金を割引していましたね・・・。

 そして食べた蕎麦のお味だが、普通・・・ と言うところでしょうか

 蕎麦の長さが短めで、そこが少し残念だったかなぁ・・・。

 お店には周りでキャンプしている人達が食事をしに来ていましたが、ここはキャンプ場では無く店主さんのお知り合いの方々がキャンプしに来ているのだと言っていました。

 近くを流れる空知川では釣りやラフティングツアーが行われているようで、大きなゴムボートを積んだマイクロバスが落合の街を走っているのを目にしましたし、川沿いの道にも多くのキャンピングカーが停まっていました。

 ここ落合は、夏の大リゾート地?となっているようです。


 
落合のおそば屋さん おち庵 で昼食



 スペシャルステージを走って一気に富良野へ 

 落合を出た我々は、国道38号から道道1117号・道道136号に入り、トマム〜占冠間のスぺシャルステージを楽しむ。今回は路面状況も良く走り易かったのだが、今回リヤタイヤをいつものミシュランでは無くピレリ ディアブロ ロッソ コルサで来ていたR750は、トンネル内の濡れた路面(夏場トンネル内の気温が低く路面が汗をかいた状態)でリヤタイヤが滑って怖かったと大分遅れてやって来た。

 いつものミシュラン パワースーパースポーツで滑った事は無かったらしいから、R750は次に北海道に来る時は絶対 ミシュラン パワースーパースポーツ で来る(次からはEvoになりますが・・・)と言っていましたね・・・。

 占冠から国道237号に入り北上、我々は富良野を目指す。金山トンネルを抜け金山・下金山と走ると、下金山の街中でネズミ狩りをしていた。いつもの事で驚く事も無いのだが、今回は道路左側の法面の上にパイプ椅子の人がいて驚いてしまいました。

 手を変え品を変え本当にご苦労様です。

 国道38号に戻って左折、山部駅手前で左折し踏切を渡って北の峰へ向かい、我々は新富良野プリンスホテルの駐車場に到着する。


 森の時計でグルグル・・・

 連休中とあって新富良野プリンスホテルの駐車場は満杯状態でバイクを停める場所を探すのに苦労はしたが、ファーム富田のような渋滞は無く何とかバイクの置き場を確保する。

 今回我々は森の時計グルグルコーヒーを飲む為に新富良野プリンスホテルにやって来たのだが、新富良野プリンスホテルもちょこちょこ変わっていましたね。森の時計に向かう坂の左側には、これまた倉本聡ドラマの中に登場する 風のガーデン (森の時計と同様、倉本聡が仕掛けた施設)に続く道が在るのだが、その道をセグウェイに乗ったスタッフが動き回っていた。

 私はセグウェイの実物を見るのが初めてで立ち止って見てしまったが、電動なので音も無く走る姿は自然の中を走る乗物としては有りかと思いましたね・・・。

 我々はウッドチップが敷き詰められた森の中の小道を下り森の時計へと向かう。数分前まで人の大勢いるパーキングにいた我々だったが、今は静かな深い森の中に居て何ともこのギャップが不思議な感じでした。

 森の時計
に到着、その扉を開けると・・・ 何と其処には大勢の人が席が空くのを待っていた。

 以前来た時も席が空くまで結構待たされましたので待つのは織り込み済みだったのだが、問題はその待ち時間である。我々は今日の午後7時30分苫小牧東港発のフェリーに乗らなければならず、遅くても6時半にはフェリーターミナルに到着したいと私は考えていた。

 これまでの実績から午後2時に富良野を出発すれば、鵡川でラーメンを食べても6時までにはフェリーターミナルに到着できる事が分かっていて、ラーメンをパス(今日は月曜日でお休み)するとして、午後3時に富良野を出れば午後6時頃までにはフェリーターミナルに到着出来と考えていた。

 時間は午後2時を回ったところで、待ち時間を30分以内に抑えられれば何とかなりそうなのだが、順番待ちのボードに名前を書いて順番を確認したら6〜7番位だった。この順番なら何とかなりそうと思ったのだが、一つ心配な事は我々の希望するカウンター席(別名グルグル席?)の席数がテーブル席より少ない事でしたね。

 我々は外に出て森の綺麗な空気中で順番が来るのを待つ事にする。暫く外で時間を潰し、そろそろかな? と行ってみるとあと3組になっていた。

 我々はそのまま中で待つ事にしたのだが、お客さんが次々にやって来て 森の時計 は大賑わいでした。結局30分は待っただろうか? ようやく我々の順番が来て、我々はカウンター席へ案内される。



新富良野プリンスホテル 珈琲 森の時へ


 カウンターでグルグル

 我々は以前にも座った事のあるカウンターの角席に案内されたのだが、奥の窓際の席には若いカップルが座っていた。普通に日本人かと思っていたら聞こえてきた会話が中国語?だった。

 順番を待っている時も中国or台湾or香港の方々がおられまして、森の時計は彼の地でも知られた存在なのかもしれません。倉本聡のドラマ 「優しい時間」 が中国語圏で放送されているかどうかは知らないが、中国のカップルも日本人カップルとなんら変わらない感じでしたね・・・。

 しいて言わせてもらえば、彼らはアイスコーヒーを飲んでいたのだが、折角のカウンター席でしたので自分でグルグルしてホットコーヒーを味わってもらいたかったですね。

 我々は勿論 ブレンドコーヒー 540円 を注文、暫くして1人前のコーヒー豆が入ったスプーンが運ばれて来る。それを各人コーヒーミルグルグルして挽き、挽き立てのコーヒー豆の香りを楽しんだ後、スタッフがコーヒーをドリップしてくれる段取りになっている。

 確か私がここでグルグルしたのは今回で四回目だったと思うが、コーヒーを入れてくれるスタッフでコーヒーの味が違うように感じる。当然飲んだ間隔は1年以上空いている訳で豆も違っているとは思うのですが、入れる人によってそれぞれの特徴が出るのだと思います。

 今回はドリップしてくれたのは若いイケメン男性だったのですが、その前は50歳代男性、その前は若い女性(20歳代前半?)、その前は30歳代の男性スタッフでしたかね・・・?

 私がこれまで飲んだコーヒーの中で、50歳代の男性スタッフの入れたコーヒーが一番美味しかったように感じるのだが、スタッフの見た目からくる先入観が味に一番影響していたかもしれません・・・。

 イケメンスタッフの入れてくれたコーヒーをじっくりと味わいながら、我々は今回の北海道最後のスペシャルステージに備え 優しい時間 を過ごすのでした。



グルグルコーヒーが出来上がるまで・・・。

 我々が森の時計を出たのは3時少し前、私の考えではこれで苫小牧東港に6時頃までには到着出来る筈なのだが、途中の道路状況が分からない状況では出来るだけ早く富良野を出発する事にする。



森を抜け現実の世界へ戻ります。


 不幸な出来事

 新富良野プリンスホテルのパーキングを出発した我々は、先ずはいつも給油する北の峰から国道38号に出た所のGSへ向かったのだが、北の峰の信号に止められた時私は左手のお店を思わず見てしまった。そのお店ダウンヒルはソフトクリームが美味しいお店で、最近は北の峰に来た時必ずと言って良いほど立ち寄っていたのだが、今回は断腸の思いで通過する事にいたしました。

 GSで北海道最後の給油を行った我々は、国道38号島ノ下から道道135号に入り国道452号の桂沢ダムを目指す。この道は富良野から札幌に向かうメインルート?で、休日最終日の午後とあって私は混雑を予想していたのだが、意外とスムーズに車が流れていた。

 この調子で行ければフェリーターミナル6時到着は楽勝と私は考えていたのだが、桂沢ダムサイトのいつものパーキングで休憩していると、三笠から来た救急車がサイレンを鳴らして夕張方向に走って行くのを見て、私は悪い予感が・・・!?

 私は、バイク事故・・・?位の認識でいたのだが、この先で深刻な事態が発生していた事をその時の私は知る由も無かった。


 



休憩している我々の前を救急車がサイレンを鳴らして走り去って行く・・・。


 休憩を終え、我々は北海道最後のスペシャルステージに向かって走り出したのだが、気になるのは先ほどの救急車である。この先で救急車が止まっている事は確実な訳で、私は探りを入れながら走って行く。

 川沿いを走っていた道が峠のトンネルに向かって登り始めると、道はアールの小さな深いコーナーが連続するようになる。私はどちらかと言うとこの登りを苦手としているのだが、救急車の事も忘れて深いバンク角でコーナーを楽しんでいた。

 もう直ぐトンネルかな? と考え始めた頃、コーナーを立ち上がった所に作業着を着た若者(近くで行われていた工事の作業員?)が立っていて、我々に向かって手を上下させスピードを落とすよう促してくる。此処だったのかと悟った私だったが、前には車が数台止まっていて警官が交通を規制していた。

 その奥にはミニパトが1台、救急車が2台、消防の工作車の赤い車が1台止まっており、道路の左側にはライトバン(営業車?)が脱輪して止まっていた。その奥にはバイク数台とそのオーナーと思われるライダーが立っていて、私はそのライダーの仲間がライトバンと絡んだ事故のように思えた。

 しかし転倒したと思われるバイクが見当たらず、救急車の隊員に特に急ぐ様子は見られず淡々と何かをしている感じだった。救急隊員が急いでいない状況から考えられる事は、受傷者の死亡が確認されている状態ではないかと思われる。

 同じライダーとして何とも遣る瀬無い思いでいっぱいだったが、問題はこの交通規制がいつ解除されるかである。我々に取って最悪の事態は、フェリーの乗船時間に間に合わなくなる事で、それだけは絶対に避けなければならなかった。

 前に止まっている車のドライバーが警官に交通規制がいつ解除されるかを聞いている様子だったが、話を聞いて戻って来ていた。

 正確な時間は計っていなかったが、15分〜20分位して工作車が動き出し撤収する動きを見せる。すると我々が呼ばれ、車より先にバイクを通すようである。

 我々は救急車の横をすり抜け工作車の後に続いたのだが、現場の横を通った時道路左側の法面に張り付いたバイクの姿が・・・。

 私が考察する事故状況はこうだ・・・。

 これはあくまでも私の想像だが、トンネル側から峠を下って来たライダーは左コーナーに差し掛かる。ライダーはオーバースピードでにコーナー進入、バンクした状況でブレーキを掛けてしまったバイクは転倒、バイクとライダーは滑って対向車線に進入して行く。

 バイクはそのまま法面へ、ライダーは遅れて対向車線を滑っていたところへライトバンが来て衝突してしまう最悪の状況に・・・。

 ライトバンは左車輪を側溝に落としていたので、ライダーを必死に避けようとしたと思わます・・・。

 気になるのは救急車が2台いた事で、受傷者が2名だったのでしょうか。ドライバーも怪我をしていた可能性も有るが、タンデムだった可能性も有る。

 いずれにしても、バイクが法面に張り付いていた状況を考えると、バイクは結構なスピードで転倒したと考える。

 ライダーに何が有ったのか・・・?

 警察の皆様方には、事故状況を詳しく解明し今後に生かしてもらいたいと思います。


※最近秋田の国道341号(八幡平と田沢湖を結ぶ国道)で、この手の死亡事故(下りの左コーナーで対向車線にはみ出したライダーが対向車と衝突する事故)が連続して起きている。ライダーは、自分の身を守る為にもコーナーの進入スピードをどの位にすれば安全にコーナーを通過出来るかを練習してもらいたいと思います。

 教習所では下りコーナーの走り方は教えてくれません。ライダーは地道に練習(ゆっくりなスピードから始める)するしかないのですが、分からない事が有ったら遠慮せずにベテランライダーに質問してみるのも良いと思います。


 何とか無事苫小牧東港フェリーターミナルに到着

 我々は工作車の後に着いてトンネルを抜け三笠市から夕張市に入る。前を走る工作車は夕張市所属の工作車で、先ほど現場にいたもう一台の救急車も夕張から来た車両だった。事故現場は三笠市だったが夕張と三笠の殆ど中間地点に位置しており、最初は夕張から工作車と救急車が駆けつけたようである。

 夕張市の消防本部はこの国道452号が道道38号と交わる清水沢に有って工作車はそこへ戻るようなのだが、そこまではまだ30km以上の距離が有った。

 私はこの赤い車を追い越して良いものかどうかで悩んでしまった。以前私は室蘭発のフェリーに間に合わせようとサイレンを鳴らして走る救急車に追い越しを掛けた事が有るのだが、その時はスピーカーで駄目出しされ室蘭まで救急車の後に着いて走った経験が有った。

 今回は緊急車両ではあるがサイレンを鳴らして走っている訳ではなく、追い越しを掛けても駄目出しされる事は無いとは思ったのだが、なかなか踏ん切りが付かず暫く赤い車の後ろで時間を過ごす事になってしまった。

 こんな状態で北海道最後のスペシャルステージを終える訳にいかなかった私は、道がシューパロ川に沿って走るようになった所で赤い車にゆっくりと追い越しを掛ける。追い越しを掛けながら聞き耳を立てていた私だが、赤い車からアナウンスは無く、次のコーナーをクリアーした所で赤い車の視界から消えるべく私は一気に加速、次のコーナーに飛び込んで行く。

 そこから先の国道452号に車の姿は皆無で(20分近く通行止になっていたので当然ですが・・・)、私は北海道最後のスペシャルステージを楽しむのでした。

 清水沢で石勝線の踏切を渡り左折、紅葉山に出て国道247号に左折、穂別を目指す。

 紅葉山の交差点から日高方向に向かった所で以前は頻繁にネズミ取りが行われていたのだが、狩勝峠と同様道東道が開通し国道247号の交通量が減った為か最近は見なくなった。それでも私は信号を過ぎると50km/hで走ってしまうんですよねぇ・・・。

 体に染み付いた習慣、恐ろしいです!

 国道247号から道道74号に入った我々は、走り慣れた道を快適に走る。ここにきて、どうした訳がここまで走りに迷いが出て悩んでいたR750の走りが一変、遅きに失した感は免れないが今回の北海道の最後の最後に思うような走りを取り戻したようである。

 我々は穂別の民宿 ポレポーレに立ち寄りお土産を渡し9月の北海道の確認、9月の再会を約束してお母さんと別れ鵡川を目指す。

 数キロで国道235号に出る所まで来た時、対向車線を走る車の運転手さんが我々に向かって大きく手を振って来る。何やらこの先に何かが有る事を教えたかったようなのだが、それが何なのかは直ぐに分かった。

 少し走ると対向車線に車が2台止まっていて、後ろの車の屋根には赤い物が・・・。

 後ろの車はシルバーのレガシィーで、覆面さんでした。さっきのドライバーさんはこの事を我々に教えたかったのだと分かったが、対向車線の覆面さんには特に興味は無いです。

 これまで北海道で出会った覆面さんの殆どはクラウンだったが、レガシィーの覆面さんもいるんだと感心してしまった。秋田でも最近レガシィーのパンダさんが増殖中で、考えてみたら雪国でFR車は冬使い物にならないから、四駆のレガシィーが増えるのは当然の成り行きかもしれません。

 私は二人乗車のレガシィーに追い着いたら気を付ける事を脳内ハードディスクにインプット、フェリーターミナルに急ぐ。

 途中色々有ったが、午後六時過ぎ我々は無事苫小牧フェリーターミナルに到着する。パーキングには既に多くの車やバイクが止まっており、直ぐにでも乗船が始まりそうな感じだった。乗船はいつも六時半過ぎからと思っていたら今日は早そうである。

 我々は乗船前にターミナルビルでお土産を買ったり夕食を取る予定にしていたのだが、この様子でそれは難しそうである。そこで私は係員に乗船を後に出来るかを聞きに行くと、バイクを列から外して停めておけば後からの乗船もOKの確認を取る。

 我々はターミナルビルに向かい、売店横のブッフェでカレーやラーメンで夕食を取る。船内でも夕食は食べられるのだが、高いし特に美味しくも無いので私は乗船前に夕食を取る事にしている。私は食事が出て来るまでの時間を利用し隣の売店でお土産を購入する。ここの売店はカードが使えますので、もし道内で現金を使い果たしてもお土産は買えます。

 我々が用事を済ませバイクの下に戻ると、バイクの列は綺麗に無くなっていて、新潟行きの車の乗船が始まっていた。通常バイクは一番最初に乗船、その後に新潟行きの車、秋田行きの車の順番で乗船するのだが、秋田行きのバイクの場合、乗船口の直ぐ横に停めますので一番最後の乗船でも何の問題も無いです。

 我々は新潟行きの車の乗船が終わった後、秋田行きの車の前に乗船を果す。これで明日の朝には崎の港に到着出来ますので、先ずは一安心です。



夕暮れのフェリーターミナルで乗船待ち


 反省会

 荷物を持って客室に向かい先ずは寝るスペースを確保。秋田行きの良い所は、ツーリストJ(一番安い部屋だが新日本海フェリーでは枕と毛布が付く)の客室がいつも空いている事で、今回も一室を5〜6人で使用しました。夜は飲んで寝るだけですから、我々はツーリストJで充分満足しています。

 我々はお風呂で旅の埃を落とした後、ロビーのテーブルを確保して反省会の準備に取り掛かる。

 反省会と言っても売店でお酒とツマミを買って来て、飲みながら今回の北海道ツーリングに付いて話すだけなのだが、これがまた楽しい時間なのである。

 私は緊張感から解放された安心感からか酔いの回りが早く、いつもヨレヨレになってしまうのだが、北海道で有った事を肴にして飲む酒は本当に旨く楽しいです。

 初めての北海道だったZZR氏、北海道ならではの体験も出来たようですし、今回の北海道ツーリングに満足していただけたようで、私も安心しました。

 北海道初日は雨で本来の走りは出来ませんでしたが、雨もツーリングの一部ですので、それも含めて楽しんでもらえばと思いますね・・・。

 R750はこのフェリーの中でも知人と遭遇、顔の広さを証明する事になったのだが、その知人さんはSUZUKIのTS200Rをこよなく愛するOFFライダーさんで、楽しくお話させていただきました。

 今回のフェリーでは、久しぶりに酔っぱらいを上のカフェラウンジに誘導する処置が取られたのだが、必ず誘導される訳では無くその判断基準を知りたいものである。以前は決まった男性乗務員と乗り合わせると必ずと言っていほどカフェラウンジに隔離されていた我々だが、今回は女性乗務員からの誘導でしたね。

 分かっているなら最初からカフェラウンジで飲めば良いのだが、そうすると売店でお酒やつまみを追加する際買い出しが遠くて大変なんです。

 我々の反省会はいつものように日付が変わるまで続いたのだが、国稀から買って来たお土産のワンカップまでも飲み干し、飲む物が無くなってお開きとなった。

 静々と部屋に戻った私は毛布に包まって寝たのだが、良く覚えていません・・・!?


 ツーリングでの最も大切な目的とは・・・

 朝、私が目を覚ますと時間は六時半を回っていた。下船はAM7:45でまだ時間に余裕が有り、私はロビーに行ってモーニング缶コーヒーを飲む事にした。

 昨晩はそんなに飲んだ訳ではないのだが、話し過ぎて声がガラガラ声になっていた。最近歳と共に声帯が弱くなっているようで、声も以前と少し変わってきたように感じる。しゃべり過ぎると直ぐに声が枯れてしまうのは老化のせい・・・?

 体のあらゆる部分に老化を感じる今日この頃だが、幸いな事に今のところバイクの操作系に関しては特に不都合な老化は見られないようだ。

 先日のツーリングでGSX−Rを押していて反対側に倒してしまったのだが、それは体全体の筋力が落ちているためで、操作系に関する老化では無かった。

 今シーズンは大丈夫そうだが、来シーズンはどうなんでしょう?  分かりません!?

 時間通りに秋田港に着岸したフェリーから、我々は通勤ラッシュで混み合う崎の街に降り立つ。いつもは土崎の街を抜けて横山金足線で店に向かうのだが、今日は土崎の祭りの筈でまたトラブルになるのが嫌なので、今回は新国道経由で向かう事にする。

 この時間帯に新国道を通るのは久しぶりだったが、以前より車の流れが良くなっているように感じた。秋田市の人口も年々減っている(平成の合併で30万人は確保したが実質以前よりは減っている?)ようだから、通勤する車も減っているのかもしれませんね・・・。渋滞が無いのは嬉しいが、何か寂しくなっちゃいました。

 AM8:30 我々はスタート地点に無事帰って来た。私のツーリングの最も大切な目的は、スタート地点に全員無事に帰還する事で、この目的が達せられれば私にとってそのツーリングは80%成功だったと云って良い。

 あとの20%は、楽しい走りだったり、綺麗な景色だったり、美味しい食べ物だったりするのだが、全員無事に帰還する事が私の一番のご褒美となるのである。

 これを書き上げた頃には、また新たなツーリングへ旅発つ予定なのだが、楽しいツーリングなってくれればと願うばかりである。



無事帰還しました。   他の皆さんは今日はお休みのようですが、私はこれから一旦家に帰ってから戻って来て仕事です。




おわり





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by Ryuta
2015
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