気ままに寄り道バイク旅 < みちのく編 >

突然の電話

  それは私が入院して鎖骨の固定手術をし、退院して来た日の事だった。店の電話が鳴って東京の制作会社の者だと言う人物からテレビ撮影に協力してもらえないかとの話が有った。その番組は、昨年清水國明氏と国井律子嬢(以下敬称省略)が北海道を走ったNHKのバイクツーリング番組 <気ままに寄り道バイク旅> の東北版だと言う。

何で私の所に電話が掛かってきたのか聞くのを忘れたが、北東北の道路・観光情報を教えて欲しいと言う事だったので、私はツーリングに良さそうな場所を紹介したりしたのだが、走るコースは既に決まっている様子だった。

七月の下旬に秋田へ下見に行くので会ってもらえないかと言うのでそれは構わないと返事をしたのだが、実際に彼らが秋田に来た時には私が清水らと共に十和田樹海ラインを走る話になっていた。

「是非お願いします。」 

と彼らから頭を下げられたのだが、私の乗るGSX−Rの左側はある事情からまだ壊れたままだし、左肩に鎖骨固定のチタンプレートを入れたばかりで、私はどうしたら良いか考えてしまった。

かし、撮影日(八月初旬)までにはGSX−Rの修理は終えそうだし、腕は上られなくてもバイクには乗れそうだから何とかなるかな・・・!?

「これから先テレビに出る事など無いだろうし、冥土の土産に出てみるか。」

・・・と私は考え、走る事を了承した。

「ところでどんなバイクに乗っているんですか?」

・・・と聞かれたので、私はGSX−Rの右側を見せたのだが、彼らの興味はどんなバイクかではなくどこのメーカーであるかだった。

彼らは、SUZUKIの文字を見付けて

「丁度良い!」 


と言ったのだが、その訳を聞いたら番組に登場するバイクの中にSUZUKIがまだ無かったらしいのだ。某放送局では国内四メーカーを平等に出さないとクレームが付くらしく、これで条件をクリアー出来ると製作会社の人々は大変喜んでおりました。

これで私が清水らと十和田樹海ラインを走る事になったのだが、その為にはもう一つクリアーしなければならないハードル有った。彼らが言うには、基本的にこの番組は視聴者から募集した道を走るというスタイルを取っている為、誰かに十和田樹海ラインの紹介を応募してもらいたいと言うのだ。

「テレビはそこまでするのか!?」 

と感心?した私だったが、それはFUNKYの皆さんにお願いする事にした。そしてそのFUNKYメンバーの応募が、清水國明によって読み上げられる事になるのである。

それとスタッフから私と一緒に走るバイクを集めて欲しいと依頼される。撮影日はウィークデーで仕事を休んで参加してくれる人は少ないだろうし、樹海ラインを速く走るのなら兎も角ゆっくり走リたいと考える殊勝なライダーは多くはないと思われた。

そんな中、私の頭の中にある人物の顔が浮かんだ。それはV−MAXに乗る女性ライダーで、清水&国井コンビに対抗してGSX−R&V−MAXの最強?コンビで樹海ラインを走る事を私は考えたのである。

私がV−MAXライダーにこの話をしたところ、何とか仕事の都合もついて彼女も撮影に参加する事になり、私は撮影の為の準備に入ったのであった。



テレビ撮影

  して八月初旬、テレビ撮影の日がやってきた。GSX−Rの私とV−MAXの彼女は十和田樹海ラインの七滝で清水國明と国井律子を待ち伏せる為、彼らが走るコースを先行するかたちで田沢湖から国道341号を通り小坂に向かったのである。

途中、私がある事件を起こした八幡平の山中で現場検証を行ったりしながら我々は待ち合わせ場所の十和田樹海ライン上り口の七滝向かったのだが、撮影班は待ち合わせ時間のPM1:30には現れなかった。


七滝に到着した二台のバイク


国井が乗るKAWASAKI W400
ゴールドラメのヘルメットが印象的だった。

に彼らの撮影スケジュールを聞いたのだが、午後1時半に彼らが七滝に現れる事など到底不可能なスケジュールで、最終的に彼らが到着したのは午後四時になってしまうのである。

彼らを待つ間、我々は樹海ラインを往復したりして時間を潰していたのだが、二時間半遅れで七滝に現れた清水國明は大変お疲れのご様子
(この年の暮、清水氏に癌が発見されましたが、今考えるとその事も影響していたのかもしれません。その後清水氏は手術とリハビリを経て翌年の夏元気に 気ままに寄り道バイク旅 初夏の瀬戸内を行く編 に出演されております。)で、タレントのオーラも感じられず私には唯のオッサンにしか見えなかった。

その原因は30℃を越える気温の為だったり、早朝からの撮影と走行で疲労がピークに達していたものと思われるが、放送には使われなかった七滝での撮影を終えた清水氏は、売店で買ったアイスクリームを食べながら椅子にもたれ掛かって動こうとはしなかった。タレントとは本当に大変な商売である。

スタッフとの打ち合わせでは、清水が私に話し掛け一緒に樹海ラインを走ると言う段取りになっていたのだが、清水らに私を仕込んである事を話をしていない為、それはあくまでも自然の流れでそうなればという話だった。

制作会社は基本的にヤラセ仕込みはOK!?)を嫌うようで、このままではわざわざ秋田市からやって来た私の出番が無くなってしまう事に焦ったスタッフは、私の所にコッソリやって来た。

そのスタッフは、この事態を打開する為私から清水に話し掛けてくれと言うではないか。

 オイ オイッ 


タレント(ギャラを貰っている)は向こうなのに、ノーギャラ(一応バイク業界の端くれとしてガソリン代も自分持ち)の私に

「タレントに対し素人の私に小芝居しれってか!?」

「Qを出しますから宜しく。」 と言ってスタッフはそ知らぬ顔で去って行く。

そして私に向かってが出た。

それを見て私は覚悟を決める。

「やってやろうじゃないの・・・。」

演技と言えば幼稚園の学芸会でキノコの役しか演じた事のない私だが、生まれて初めてのテレビ出演(ラジオは20年位前にバイク関連でFM秋田に出た事が有った)に向かって歩み出す。



予想外の展開

  私が歩き出すと先ほどまで私の横で撮影班を見ていたBMW(八戸ナンバー)に乗る若者ライダーが後ろから着いて来た。

「オイオイ 空気読めよ。」

と言いたかったが、着いて来るなとも言えずKYな若者ライダーはその後しっかり撮影の中に入り込んでしまのである。結局その若者ライダーは私と共に十和田樹海ラインを走る事になってしまうのだが、それは私にとって全くの想定外の事で、樹海ラインの走行では苦労させられる事になるのである。

また当初の予定ではV−MAXとGSX−Rのコンビが清水らと樹海ラインを走る予定になっていたのだが、現地でV−MAXの出演が見送られる事になり、これも想定外の展開であった。

想定外の展開の中、私は椅子に座ってアイスをナメナメしている清水國明に対し、必死の思いで話し掛ける。

「清水さんですよね。」

テレビ放送では私が清水に話し掛けてから何処から来たかを聞かれ、その後樹海ラインを走る話になっていたが、実際にはそこに話を持って行くまでには結構な時間と私の葛藤が有ったのである。しかし、それは
放送では見事にカットされておりました。

イスに座って動こうとしない清水国明に、スタッフから言われた台詞

「発荷峠まで一緒に樹海ラインを走りませんか。」

を切り出すタイミングを窺っていた私の額からは、高い気温のせいばかりではなく、大粒の汗が滴り落ちていたのであります。

私が仕込みで話し掛けていたのにその事に清水らに気付かなかった(多分?)のは、BMWの彼がカムフラージュになっていたのも確かに有ったと思う。結局スタッフの思惑通り自然な流れ?で私と清水國明&国井律子+αは、めでたく十和田樹海ラインを発荷峠まで一緒に走る事になったのである。

しかし、その樹海ラインの走行は、私にとって大変疲れるものとなってしまうであった。



最低速度の樹海ライン
  十和田樹海ラインの走行シーンの撮影は、最初カメラ車(VW Beetle Cabriolet オープンカー)が前で、その後に私のGSX−R、BMW、清水のCB400SF、国井のW400と続く走行順で行われた。

十和田樹海ラインの上り始めはRの小さなコーナーが続きバイクを左右に切り返す場面が多いのだが、前に車がいるので先頭の私は車に近づけとか離れろとかのカメラマンの指示に従っているだけで良かったから楽だった。

しかし、途中からカメラ車が我々の後ろに着いて撮影するようになると事情が変わってきた。走リ出す前、先頭の私はスタッフから速度は60`+10`まででお願いしますと指示されていて、私はスタッフの指示通り直線もコーナーもスピードメーターと睨めっこしながらスピードを60〜70`の間に入れて走っていた。

ふとミラーを見た時、何故か私の後に見知らぬ乗用車が走っていて、その後が大きく空いていた。どうも私のペースに二番手のBMW君が合わせられなかったようで、私との間隔が開いてしまい車に入られてしまったようなのである。

道はRの小さなコーナーが続く所を過ぎ直線が多い区間に入っており、60km/h程度のスピードでコーナーリング出来ないコーナーは無かった筈なのだが、BMW君にはスピードが少し速かった?ようであった。

※この件に関しては後日BMWの彼からメールがございまして、車が私と彼の間に入ったのは後の撮影カーからの指示で彼が左端に寄って車を前に出した為でした。私がメーターに集中するあまり後の指示を見落とし、一人だけ取り残されたのか真相のようです。BMWの彼の名誉の為に書いておきますが、彼が決して私のスピードに合わせられなかったからではありません。

後ろの乗用車を前に出した後、私はスピードメーターではなくミラーの中のBMW君を見ながら走る事にしたのだが、GSX−Rのデジタルメーターの数字は50〜55の間をウロチョロしていた。

もっとも突然撮影に参加する事になった彼は緊張しまくりだったと思われ、それも致し方ない事だった思われる。

私がこんな数値で樹海ラインを走ったのは今回が初めて
BMWの彼も初めてだったと言っておりました。)で、ついついコーナーの立ち上がりでBMW君との間隔が開いて行くのが映像に写っていた。

後のペースに合わせて走る事がこんなに大変な事だったとは思ってもいなかったが、私も偶にビギナーを引率して後のペースで走る事は有る。しかしその時は走りをレクチャーしながら走るので、今回のように変な疲れが溜まる事は無かった。

十和田樹海ラインを走り終え、発荷峠のパーキングに着いてヘルメットを取った私は、変な緊張感から開放されドッと疲れが出てしまった。

ヘルメットを取った清水國明は、十和田樹海ラインを評して

「バイク乗りの為に造られたような優しい道やね。」

と言っていた。凡人の私には優しい道と言う意味がよく理解出来なかったが、あれほどゆったりとしたペースで走ったにも係わらず、彼らに樹海ラインを走る楽しさ面白さを分かってもらえたらとしたら、それはそれで大変良かったと思う。

テレビ放送でも意外と走行シーンの時間を多く取っていて、十和田樹海ラインのスチエーションが少しは視聴者に伝わったように思う。

しかし、今回のような走りでは全く問題は無いとしても、今までこの十和田樹海ラインでは何人ものライダーが命を落としている事も事実で、ここを走るには臆病な程の慎重さが必要な事を付け加えておこうと思う。


清水國明と国井律子の役割とは?
  イクから降りた我々は発荷峠の展望台へと向かう。展望台からは眼下に十和田湖の青く大きな湖面が眺望され、それを見た清水國明は意味不明な言葉を発し続け私は少々困惑気味になってしまったのだが、それこそがタレント清水國明の真骨頂で有った事を私は放送を見て理解した。

食べ歩き番組で食べた料理を大げさに美味しいと誉めまくるパターンは全てのタレントに共通するもので、それはギャラを貰っている者の義務?になっているように思える。

それと同様に清水國明が十和田湖を見てその景色の素晴らしさを彼なりの表現力で賞賛したのが、あの意味不明の言葉だったのだと思う。しかし、その時の私には、清水國明が疲れた体を鼓舞して自分自身のテンションを無理くり揚げていたとしか見えなかったが・・・。

私は最初十和田湖の説明等を清水にしていたのだが、話す事も無くなったのでBMW君に清水を任せ後ろに下がって彼らを見ていた。するとスタッフから前に行って話しをしてくれと言われてしまった。

楽をしないでちゃんと仕事?をしろと言う事なのだろうが、それならば私は国井律子と会話をする事にした。そりゃそうでしょう。オッサンと話すより若い?オネエサンと会話する方が楽しいですから・・・。

国井嬢と会話している内にこの番組の撮影の仕方が薄っすらと分かってきた。このテレビ番組の主役は清水國明で、国井律子はアシスタント的存在だと私は考えていたのだが、実際はそうではないようだった。

ハッキリとしたシナリオが無い状態で撮影を行っているこの撮影班は、基本的の清水國明の行き当たりバッタリ感を中心に進行していくと言うのがスタッフの考えのようなんだが、鉄砲玉のように行きっぱなしになりかねない清水をコントロールし、脱線しないようにするのが国井嬢の役割となっているようだった。

この二人が上手く絡み合って番組を作り上げているようで、どちらかが欠けてもこの番組は成立しないように私には思われた。

十和田湖を見ながら色々話している内に国井律子が私に質問してきた。
「今日はお休みなんですか?」
「 ドギッ 」
確かに今日はウイークディで観光地をウロウロしている人間は少なく、彼女の質問は的を射たものであった。またそれは私を仕込みとは思っていない証明でもあったのだが、私は答えるのに一瞬間を作ってしまった。

「お二人と走る為、店を閉めて来ました。」
と本当は言いたかったのだが、ここで仕込みをバラスのも何なので、
「 はい。 」  と、私は大人の返事をしてしまいました。

展望台の撮影を終わり、スタッフからこの撮影が8月末放送の某国営放送の番組である事を聞かされたBMW君は、私の所に飛んで来て

「8月末にBSで放送されるそうですよ!」 と嬉しそうに教えてくれたのだが・・・。

「BMW君、お前なぁ・・・」 君には言いたい事が山ほど有った私だが、
「アッソ・・・」 とだけ答えておいた。

※この件に関しては、BMWの彼から某国営放送の番組である事を最初から教えてもらいたかったと言われたが、出来るだけ自然な流れて番組を作っていくという番組のポリシー?から言っても、番組中の彼の自然なしぐさを見ても知らないで良かったと私は思う。

番組の内容を知ってカメラの前に立つと結構緊張する(私の場合)もんなんです。BMWの彼は清水國明も国井律子もこのバイク番組も、全く知らなかったそうですから、あの様に自然にいられたのだと思います。


樹海ラインに一旦戻った我々は、地上から四台揃って走るシーンを撮影した後、別れの時を向かえる。

清水國明と国井律子から
「また何処かで会いましょう。」 
と、別れの握手を求められた私は、もう会う事は無いとは思ったが、
「撮影頑張って下さい。」  
と彼らに労いの声を掛けた後分かれたのでありました。

彼らと別れた私は、フルスロットルを当てたGSX−Rのエキゾ−ストノートをその場に残し、十和田樹海ラインを駆け下りV−MAXの待つ七滝に向かったのであります。

七滝までその速かった事、速かった事。行きと帰りでは時間が3分の1?ぐらいであったかもしれしれません。



プロの仕事
七滝でV−MAXと合流した私は、秋田市に向かって走り出したのですが、秋田に帰って来たのはすっかり暗くなった午後八時過ぎになっておりました。テレビ撮影参加という大仕事?を無事にやり遂げた私は、V−MAVと別れそれなりの達成感を持って家路に着いてのでありました。

そして八月末、 
気ままに寄り道バイク旅 < みちのく編 >  は放送されました。

実際に放送されて番組を見てみると、番組製作というものがうものが如何にロスの多いものだと言う事が良く分かった。撮影日数だけでも四日間有るものを90分にまとめ上げるのだから編集は大変な作業である事は想像出来る。

何を残し何を切るかで苦労するのだろうが、結局は何処を切るかの作業になるのだろうと思う。私が参加した七滝から十和田樹海ライン、発荷峠の撮影だけでもカメラは1時間以上回っていたように思うが、放送されたのは5分も無かったように思う。

結局多くの撮影映像の中から番組の趣旨に沿ってまとめ上げて、視聴者に番組として提供するのがプロの仕事なのだろうと思う。そう言う意味では、今回の撮影参加は、プロの仕事を垣間見れた良い体験であった。

しかし、私だったらもう少し違った形で東北の道の魅力を表現したとは思うのだが・・・・。
 


                by Ryuta

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