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2006年9月15日(金) 第1日目





















今回の北海道は赤、黄、青、緑の4レンジャーで走る事になった。




カウンターで乗船券を購入。




















ゲーム機の形は変わったが、昔の感覚は忘れていなかった様だ。




昨年まではここに灰皿が置いて有ったが、今は無い。喫煙者の居場所は確実に減っている。







推奨メニュー ビーフカレー(スープ付) 八百円



ニチレイのタコ焼がデザート?



子供じゃないだから昼寝と言ってもそう熟睡出来るものではない?


北海道上陸目前。
▼台風13号
朝、目覚めると外は快晴で東の空は薄っすらと明るくなり始めていた。昨夜の気象情報では八重山列島付近に台風13号があって、日本列島方向に進行方向を変えようとしていると言っていた。台風から数千キロ離れた秋田は快晴だったが、その後この台風13号が我々に大きな影響を与える事になる事は、台風の予想進路を見ると明らかだった。

昨晩、掲示板に我々が帰りに乗るフェリーに台風が影響するのではないかと心配する書き込みが有った。確かに予想円の日にちを見ると、我々が帰りに乗るフェリーが敦賀を出港する時間に台風は日本海にあり、何らかの影響を受けそうな状況であった。しかし、数日先の事を今から心配してもせん無い事、私はその時はその時に考える事に決めていた。

台風は気になったが、差し当たり秋田は快晴な訳で私は店に向かった。手形陸橋まで来た時ちょうど太陽が東の山から顔を出し、まともに朝日を浴びて前が一瞬見えなくなってしまった。普段のツーリングだったらこんな朝日を浴びたら一気にモチベーションが上がるのだが、今日は土崎の港まで走るだけなので何かこの快晴の天気が勿体ない気持ちになってしまった。

私が店に到着しGSX−R(黄レンジャー)を出していると隼(銀レンジャー)が到着、その後ZX−10R(緑レンジャー)が到着する。もう一台の参加車R1(赤レンジャー)はフェリー乗場で待ち合わせなので、我々は予定通り店を出発し横山金足線で秋田港に向かった。


▼FUNKY戦隊 4レンジャー 北海道へ

我々がフェリー乗場に着くと既に赤レンジャーがバイク待機場所に止まっていた。彼はこのフェリー乗場から乗船するのは三年ぶりで、今日ここに来た時以前とバイク待機場所が変わっていて驚いたらしい。私も場所が変わった時戸惑ってしまった事を思い出し、思わずニンマリしてしまった。

早速、乗船券を購入する為フロントへ行く。フェリー乗船券は予約してあったので問題無く購入出来たのだが、私は帰りのフェリーの日にちを確認する事を忘れなかった。以前帰りのフェリーの日にちが一日ずれていて、苫小牧東港のフェリー乗り場で乗船を拒否された事があったからだ。

乗船時間になって無事乗船となる。今回秋田から乗ったバイクは我々だけでこれは初めての事だったのだが、乗船して見たらそこにはバイクが一台しか止まっていなかった。このフェリーに乗る様になって七年ぐらいになるが、これほどバイクが少ないのは初めての事で少し驚いてしまった。


▼フェリー(秋田便)のバイクの停め方

新日本海フェリー秋田便に乗船する場合バイクを乗船口の直ぐ左側に停める時が多いのだが、スーパースポーツ系のバイクの場合それは結構辛いものがある。バイクはフェリーに乗って直ぐ一時停止させられるのだが、バイクを停める場所がその直ぐ左側にある為誘導員は我々に左に直角に曲がってバイクを停める様に要求する。

しかし、ハンドル切れ角が少ないスーパースポーツ系のバイクの場合、一気に方向を変える事は難しく何回か切り返しが必要になる場合が多い。これは股下に余裕がある人には大きな問題とはならないのだが、スーパースポーツ系の高いシート高に目一杯のライダーに取ってこれは死活問題となる。

こうなるとバイクから降りて押して切り返すか、右に大きく旋回して方向転換するのが安全な方法となるのだが、誘導員はライダーの個人的事情等分かっていないから早く来いと我々を急がす。

その為、誘導員の指示に対応できなくて焦ったライダーがアクシデントを引き起こす場合が多々あり、ここは誘導員が何と言おうと自分のペースでバイクを方向転換する事をお勧めする。

我々はバイクから荷物を降ろし(新日本海フェリーの場合荷物はバイクから降ろす様指示される)ヘルメットを網棚に置き(船が揺れた場合を考えあご紐を網に通して固定)必要な荷物だけを持って客室に向かう。


▼マッタリとしたフェリーの旅

今日の客室は乗客が少ないのか一部二等客室が閉鎖されていていたが、年配の方々と一緒の部屋に無事昼寝の場所を確保した後、ロビーに向かう。最初はこれから向かう北海道の話等で話は弾んだのだが、暫くして話題は尽きてしまいやる事が無くなってしまった。

先ほどからゲームコーナーから懐かしいインベーダーゲームの音が聞えていて、街灯に集まる蛾の様にその音に誘われゲームコーナーに一人また一人と吸い込まれて行く。その人物とは、インベーダーゲームが大ブームになった70年代後半から80年代前半に青春時代をおくった面々だった。

私やU氏は世代がチョッと外れていてそんなにインベーダーゲームに思い入れはなかったが、彼らは真剣にインベーダーから地球を守っていた。二人のインベーダー撃退数対決はM氏に軍配が揚がったようだが、それだけではそんなに時間は潰れる訳もなく、我々は上のフロアーに場所を移して暇を潰す。

船はちょうど青森県深浦沖に差し掛かっていたが、昼食のレストランが開く竜飛崎沖までにはまだ少し時間が必要の様であった。我々が話している所に一人のおじさんが話し掛けてきた。そのおじさんは我々がバイクに乗って来ている事を知っており、バイクの事を聞いてくる。

我々が普通の格好をしているのにも関わらず、我々がバイクで来ているのを知っているこの親父の正体は・・・。私は不思議に思って聞いてみたら、何の事はなかった。我々が荷物を置いた客室にいたおじさんだった。彼は法事で秋田に来て北海道(静内)帰る途中ところの様だった。

「静内は馬の牧場だらけですよね・・・。」 等と私が静内を訪れた時の感想を話したり、静内の競走馬事情などの話をして少しだけ時間が経っていく。

このおじさん(多分60歳代後半?)多少老人化現象が始まっているようで、我々が七月に走った日高自動車道(対向二車線の自動車専用道路)でゴム製のセンタポールをなぎ倒し対向車線に入り込み、オイルパンを割ってエンジンを焼き付かせ車を廃車にしてしまった話をしてくれた。そんな武勇伝を聞かされてしまった我々は、車に乗るのを控えたらとも言えず、ただただ頷くだけだった。

何だかんだで時間は経ちようやく竜飛崎が目の前に見えて来る様になって、我々はレストランに向かった。今年も昨年に引き続き開店を待つ列の先頭をゲットした我々は、扉が開くのを待っていた。しかし、時計は12時を回ったが、ドアを開けようとしないではないか。人間腹が減っていると怒りっぽくなると言うのは本当で、結構イライラしてしまった。

時計が12時を2分程過ぎた頃ようやく開門? 私はトレーを持ってカレーの場所に直行する。私がこの新日本海フェリーで食事を取るのは6〜7回目位だと思うが、これまでの経験からしてここで一番コストパフォーマンスに優れたメニューは、ビーフカレーと言う結論に達していた。

味は不味くはなく(この不味くないと言うところが重要)、ご飯の量も結構有って満腹感も有るから今後もここで食事をする時はカレーをオーダーする事になるだろう。各自それぞれの食事を取って、早々にレストランを後にする。

しかし、レストランを出てもまだ満腹感を感じていない御仁がいた。チャーハンを食べたM氏は、U氏を誘って自販機コーナーに行き、ニチレイのタコ焼きを買ってきた。このフェリーにはニチレイ製の冷凍食品を販売する自販機が有って、レンジでチンして5分後には温かいピラフや焼ソバやたこ焼きが出てくる。

こう言っては新日本海フェリーの方々には誠に申し訳ないが、このフェリーの中で売っている食事の中で一番美味しい物は、ニチレイのピラフだと私は思っていて、彼らの買ってきたタコ焼きも又美味しそうだった。彼らは、熱々のタコ焼きに舌鼓を打って満足げな表情を見せていた。

それにしてもM氏の食欲は相当なものである。乗船してから朝食にとニチレイの焼ソバを食べた後デザートにアイスクリームも食べ、そして昼食にチャーハン、食後のタコ焼きとよく食べる。彼が今回の北海道で何キロのウエイトアップを図ろうとしているかは不明だが、帰りのフェリーに乗った時彼のウエイトは確実にアップしている事になるだろう。

お腹も膨れチャイルドコーナーで戯れるキッズ達は、客室に戻ってお昼寝のタイムとなる。横にはなったが、寝れる訳でもなく目を閉じているだけの様な寝た様な複雑な時間を過ごした後、私は3時半に起き上がる。

ぶらぶらと何とか時間を過ごしてようやく下船の時間となる。朝に秋田からフェリーに乗って北海道に夕方上陸このフェリーは暇を持て余すのだが、このフェリーではなくその日の夜に八戸を出て翌朝苫小牧に上陸するフェリーに乗っていた頃の事を考えると、本当に贅沢な悩みである。

混雑したフェリーの中で寝られず寝不足のまま北海道に上陸し、そのまま宗谷岬に向かって走り始め雄冬あたりで猛烈な睡魔に襲われ堪えきれずに仮眠を取った事を思い出す時、宿に泊まって十分な睡眠を取り朝食もしっかり食べて走り出せる事を考えると、暇を持て余す事など本当に贅沢な悩みなのである。

PM5:20、我々は北海道苫小牧東港に上陸、穂別の民宿ポレポーレに向かう。民宿ポレポーレに泊まる様になってもう四年になる。秋田からのフェリーが苫小牧東港に夕方着岸する為、港の近くに安く泊まれる宿を探していた私は穂別町のHPで民宿ポレポーレを見つける。

自前のHPを見た(今もHPは写真を含め四年前と一切変わっていない)私はその女性3人(下心は無い?)が写ったスタッフの写真(撮り方が上手)と宿泊代を見て泊まる事を決めたのだが、その時は四年も続けて泊まる事になろうとは考えてもいなかった。

最近はFUNKYの北海道はポレポーレから始まるのが当り前の様になって来ていて、ポレポーレはFUNKUの別宅になりつつある。それには訳が有るのだが、それは後にお話したいと思います。















夕食は普通の家庭料理で特別な物はないが、ここの鳥の唐揚げは絶品である。



夕食から飲み会に移行し、それは12時まで続いた様である。



ポレポーレ 風邪薬レパートリー。
▼一年ぶりの再会
日が落ち暗くなり始めて頃、我々は穂別のポレポーレに到着する。バイクを止めバイクの停める場所を確認しに玄関に行くと、おかあさんが出て来て場所を指示してくれる。皆さんもおかあさんと一年ぶりの挨拶を交わす。今回のメンバー全員ポレポーレに泊まるのが初めてではなく、我々もおかあさんもお互いの顔を知っており気軽に言葉が飛び交っていた。

おかさんはの昨年一昨年と来ていたN氏の姿を探したようだが、彼が今回参加していない事を知って少し残念そうな表情を見せる。おかあさんにとって、それ程に印象深いN氏であったのだろう。

今年の部屋割りは喫煙者とノン喫煙者で二部屋に別れる事になって、それぞれの部屋に荷物を運び込んで一段落、それから交代でシャワーを浴びる事になった。


▼夕食から引続き飲み会へ

時間になって下の食堂に行き夕食となる。まずは今回の北海道の無事を願ってビールで乾杯。ポレポーレの夕食は普通の家庭料理で目玉となる料理はないのだが、どれもが普通に美味しい料理である。今晩のメイン食材は、名前は忘れたが何とかと言うキノコでそれはとても高価な食材で有るらしい。

何でも札幌では100g1500〜2000円もするキノコだそうで、私の隣で食事をしていて男性はしきりに貴重さを強調していた。私には秋田ではどこでも食べられそうなキノコに思えたが、御当地では大変貴重なものらしく有難く頂戴した。

しかし、この貴重なキノコに全く手を着けないメンバーがいた。彼は山菜系の食べ物を全くうけつけない体の持ち主で、今回彼は風邪をこじらせ鼻が詰って全く味を感じない状態になっていたからキノコを試食するには絶好の機会であったにも関わらず、彼はキノコに箸を着けようとはしなかった。

彼が風邪を引いている事を知ったおかあさんは、風邪薬を用意しておくから持って生きなさいと言ってくれる。風邪薬を一箱貰っては申し訳ないと最初は遠慮していた彼も、おかあさんの強い勧めに負けて結局風邪薬を一箱頂く事になった。

この宿の泊り客は長期滞在のお客さんが多いから風邪薬等の家庭薬は大量に常備されているようで、玄関のフロントに用意されていた薬は、種類といい数といい結構な量だった。

風邪引きの彼は、アルコールは風邪引きとは別との事で焼酎を買いに行こうとしていたらおかあさんが2,5リットルの焼酎を差し入れしてくれる。風邪引き君は、風邪薬に続きおかあさんに頭を深々と下げていた。

摂取するアルコールを確保した我々(・・・と言っても二人だけ)は、明日からの北海道の話、九州に上陸しそうな台風13号の話等で会話が弾む。途中おかあさんからアイスクリームの差し入れ等もあって話は続く。

私は11時を過ぎ眠くなって途中リタイヤとなったが、あとの三人は12時過ぎまで話し込んでいたらしい。私のいないところでどんな話がされていたかは知る由も無いが、きっと私には聞かせたくない話だったに違いない。

中途半端なアルコール摂取で寝付かれずにいた私は、相方が返って来た所まで記憶はあったのだが、いつの間にか眠りに着いていた。
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