FUNKY Librery TOP 第1日目 第2日目 第3日目 第4日目 第5日目 最終日 Home
2007年9月17日(月) 第4日目

瓶牛乳を飲む時は、手は腰にが基本。


モーニングコーヒーと自家製ヨーグルト
アニマの朝はやっぱこれでしょ・・・。




主人を待つGSX-Rと足元がおぼつかない主人。



頼もしいバイク達。
彼ら有ってのツーリングです。
今日も宜しくお願い致します。


出発準備完了です。いざ、伝説の一日に出発!




能取湖でサンゴ草休憩。

※マウスポインターを画像に当てると拡大します。

       アニマの里の朝
バイクの横にはワンちゃんと昨晩の彼女用の自転車がもう用意されていた。


子羊の朝食は哺乳瓶で。


彼?は朝から牧場内を見回っておりました。



何だかんだと言って、いつも支度が遅い私。


出発前にお約束の写真を一枚。

▼伝説となる一日が始まる
いつもより遅い六時過ぎに目が覚めた私しは、皆さんを起こさないようにそっとロフトから下りカーテンをめくり外を見る。青空は見えていなかったが、空は薄曇で雨の心配は無さそうで安心する。三日連続雨ではシャレにならない。

外の空気を吸う為外に出ると牧場の柵の中から一匹の子羊が私の方を見ながら 「メェー メェー」 と盛んに鳴いている。朝っぱらから元気のよい子羊だと思っていたら、下から独りの女性が手に哺乳瓶を持って上がって来た。

彼女が柵の中に入ると子羊は彼女のところに駆け寄り哺乳瓶にかぶり付いた。子羊が 「メェー メェー」 と鳴いていたのは、朝食を催促する泣き声であったようで、美味しそうに一気に哺乳瓶のミルクを飲み干したが、子羊はまだ飲み足りないようでその後も彼女の後を追い回していた。

多分あの子羊は、毎朝鳴いてミルクを催促しているものと思われ、お腹が空くと鳴いて(泣いて)催促するところは人間も羊も変わらない事を知った出来事だった。それにしてもあの子羊の親はどうしたのだろう? 気になる・・・。

談話室に戻るとA氏が起きて来て新聞に目を通している。それはビジネスマンの彼の日課ようなのだが、彼は北海道にいても仕事からは逃げられないようで、いつも携帯をチェックしていて現代のビジネスマンの厳しさを感じる。

その点、私のように独りで仕事している人間は自由ではあるのだが、反面全ての結果に責任を持たなければならず一寸先は闇の現代では、どっちもどっちなのかもしれない。

いつもはアニマの里を八時頃に出発するのだが、今日の予定を考えると少しでも早く出発した方が得策と考えた私は、皆さんに七時半出発を告げる。

七時前に食事の用意が出来て、いつもの美味しい朝食を頂いた後、我々はレザースーツに着替え戦闘モード?に入る。

皆さんは出発時間に合わせてバイクに荷物を積み終え、今日の走りにモチベーションも上がっているようだ。特にU氏は、この二日間ウエット路面のSSしか走っていない事もあって、今日の走りに期するものがあるようだ。

七時半出発の予定も結局私の支度が遅れ 7時40分 アニマの里 出発となってしまった。


▼出だしは穏やかにスタート

我々の最初の目的地は滝上で、幾通りかの行き方が有るのだが、今回私の選んだコースは網走から浜佐呂間に出て、そこから内陸に入り佐呂間、若佐から遠軽に出た後、峠を越え国道273号に出て滝上に向かうものだった。

若佐に出るにはいつも使用する北見近くの端野トンネルを通るのが近いのだが、今回は色づき始めたと言う能取湖の
サンゴ草を見る為、チョッと寄り道をする事したのだ。

今日の行程を考えれば本当はそんな余裕は無かったのだが、走りっ放しの一日と言うもの何なので、チョッとだけ観光を入れてみました。

国道238号能取湖沿いのパーキングにバイクを停めると、能取湖の岸辺にはピンク色のサンゴ草が広がっていた。サンゴ草は色づき始めのようで色の広がりが今一だったが、皆さんにサンゴ草の美しさを少し分かってもらえたのではなかろうか。

私がここでサンゴ草を見るのは二回目で、その時は雨の降る生憎の天候にサンゴ草の色がくすんで見えていた。今回は青空のもと鮮やかなサンゴ草を期待していたのだが、今回も空は曇っており色合いが今一だったのが少し残念だった。

能取湖を発った我々は、常呂を経て浜佐呂間に出る。私がこの道を走るのは六年ぶりだったが、いつもは反対方向に走っていて今回の方向で走るのは浜佐呂間に在るサロマニアンに泊まった時以来16年ぶりだった。サロマニアンにはそれ以来泊まってはいないが、宿は以前と同じ姿で建っていたから、今でも営業しているようである。

この道を通るといつも思い出すのがサロマ湖畔に在る船長の家で、アニマの里に泊まるようになるまではよく宿泊していた。船長の家は昔からカニが有名だったが、最近は一泊二食付7,690円(税込み)で死ぬほどカニが食べられるらしい。

一昨晩、一福に同宿したコペンのご夫婦も今回泊まったらしいのだが、確かにカニは死ぬほど沢山出たそうで、死にたくないので残してしまったと言う。お二人にカニの味を聞いてみると、一福で食べた花咲ガニとは比較にならないとも言っていた。我々がよく泊まった十数年以上前(一泊二食付で5,000円以下)の船長の家とは様子が変わっているようである。

浜佐呂間から内陸に入り昨年竜巻被害が出た若佐を通過、国道333号に入り旭野トンネルを抜け遠軽に出る。遠軽から上原峠を越え紋別市鴻之舞町に出る予定だったのだが、私は以前走った時のイメージと今走っている道が違っている気がしてバイクを停め確認する事にした。

途中、道路工事の泥道で昨日洗車したばかりのバイクが汚れてしまったのもショックだったが、私の記憶の中では遠軽から上原峠までは近いと考えていたのに、なかなか現れない峠道に私の不安は増していた。

A氏の持つ地図を借りて確認すると、遠軽と上原峠が近いと言う私の記憶は間違いで、今来た道で間違いない事が分かった。私がこの道をこの方向で走るのは初めてで、走る方向が逆だった為距離感の記憶があいまいになっていたようだ。

小休止の後、走り始めた我々の前に低速コーナーが続く上原峠が現れる。道幅も狭くクイックなコーナーが続く峠を、我々はウォーミングアップを兼ね楽しんだ。峠を下りて道はT字路(紋別市鴻之舞泉町)にぶつかる。

正面の崖には 左-滝上 右-紋別 の看板が出ていて、私は一瞬迷ってしまった。我々は滝上に向かっている訳で看板に従えば左折するべきなのだろうが、その道が全舗装されているのかどうかに私は自信が無かった。

その滝上に繋がる道が以前から工事中で有る事は知っていたのだが、工事が完了したと言う情報を私は得ていなかったのだ。今日の行程から言って、舗装されていなかった場合の時間的ロスを嫌った私は右にウインカーを揚げる。

今考えれば、表示が出ていると言う事は舗装されている可能性の方が高かったと思われるのだが、ここも急がば回れで以前走った事のある道を私は選択したのであった。次回は左折の道にチャレンジしてみようと思っている。


▼国道273号の思い出

予定通り国道273号に出た我々は滝上を目指す。私にはこの国道273号のある場所に忘れられない思い出が有って、私はその場所でスピードを落としそしてそこで起きた出来事を思い出していた。

それは2001年FUNKY18回目の北海道の事で、そこで起きたアクシデントで我々は大きなダメージを受けてしまったのだが、その時の状況は最近起きたノリックの交通事故死の状況と似ているところが有った。

長い直線路を走っていた我々の前をVWゴルフが走っていて、その直ぐ前をトラックが一台走っていた。私がその二台の車を追い越そうと対向車線に出たタイミングで、先頭のトラックが道路右側にある脇道に右折しようとブレーキを掛け右にウインカーを揚げたようなのだが、私には前のゴルフが壁になってトラックのブレーキランプもウインカーも見えていなかった。

しかし、私がゴルフの横に出た時ゴルフのストップランプが点灯したのが見え、トラックの運転手さんとミラー越しに目が合った。私はとっさにフルブレーキを掛け減速する。大したスピードでも無かったし、私は脇道の手前で止まれる筈だったのだが、事はそれでは済まなかった。

私の突然の減速で後ろの二台でパニックが起きてしまったのだ。直ぐ後ろのバイクは私に続き加速しながら対向車線に出たところで、私が急制動を掛けたのに気付いた彼もフルブレーキを掛け私のバイクを避ける為ラインを外に振ったのだが、如何せんバイクの間隔が近過ぎた。

それはもう30cm外にずれていれば彼は私に衝突する事無く停止する事が出来たのだが、残念ながら彼のフロントタイヤが私のマフラーをヒット、二台共アスファルト上を滑って行く事になる。

その状況を見ていた三台目のライダーもバイクが傾いた状態でパニックブレーキを掛けた為、フロントからスリップダウン彼もまたアスファルト上を滑って行ったのであります。

バイクの損傷はその時のレポートを見てもらうとして、我々ライダー自身の怪我はレザースーツのおかげて軽い打ち身程度で走行に支障は無く、バイクも何とか走れる状態に修復する事が出来て秋田に帰る事が出来たのだが、このアクシデントから学ぶ事は多くそれ以降のFUNKYの走り方に大きな影響を与えた出来事だった。


▼学ぶべき事

我々が六年前のアクシデントから学んだ事の一つは、ゆっくりと走る地元の車(特にトラック系、軽トラックは特に注意)には注意が必要で、遅いからと言って直ぐに追い越す事はせず少し様子を窺う事であった

その時、特に気を付けたいのは道の右側に脇道が有るかどうかで、脇道が有った場合は追い越しはせずそれを通り過ぎるまで待つ事を心掛けたい。車がゆっくり走っているのには理由が有る訳で、流れの中で異様に遅い車に追い着いた場合は一気に追い越すのではなく、一旦その後ろに着いて動きを観察してからにするべきである。

大抵の場合、前の車はウインカーを揚げると同時に右が左に方向を変え、彼方は様子を見ていて良かったとホッと胸を撫で下ろす筈だ。片側二車線路の場合も同様で、左側車線を異様にユックリ走る車には注意が必要で、スピードを落としその車に注意を払いながら追い抜く事が肝要である。

二輪は車のドライバーから確認しづらく、何よりも車と違って接触しただけでライダーは大きなダメージを受ける。ライダーに過失が無くても痛い目を見るのはライダー自身な訳で、ライダーは自分の身を守るライディングを心掛けなければならない。

また、先頭が追い越しを掛けた時、二番手は直ぐそれに続くのではなく一呼吸おいて追い越しを掛ける事が大切で、それが事故を未然に防ぐ事に繋がるのである。

アクシデントは気を付けていても起きてしまうからアクシデントなのだが、起きたアクシデントから何を学び取る事かがアクシデントを防ぐ最良の方法となるのである。


滝上のGS。
これから始まる伝説の走り。





幌内越峠の先に在る、
いつも休憩するパーキング。



結構膝に来てます。



洗車して気分転換。
▼500kmにもおよぶスペシャルステージがスタート
滝上の以前給油した事のあるGSで今日初めての給油を行う。給油を終えた我々は、9時50分 まずは上紋峠を越え岩尾内ダムを目指し走り出したのだが、走り出したのは我々だけではなかった。先程まで我々に愛嬌を振り撒いていた犬(種類は分らないが大型犬)が我々を追い掛けて歩道を走り始めたのだ。

我々は200m位走って左折したのだが、犬は左折するまで全力(時速50km以上のスピード)走り続け、私は犬と絡まないか心配してしまった。我々は犬の熱烈な見送りを受け、先の展開が読めないSSへと走り出したのであります。

何故我々が今日予定しているコースに不安を持っているかと言う、それはそのSSを走った事が無いからではなくて、全てのSSを走った事が有りその過酷さを知っているからこそなのである。

今日走る予定のコースは、道北に泊まる時に行きと帰りの二日間で走るSSで、今回はそれを一日で走ってしまおうと言う計画なのである。一日分でも走り応えのあるSSを二日分まとめて一日で走ろうと言うのだから、走り切れるのかどうか不安になるのは無理も無かった。

私には何となく行けるんじゃないかと言う予感が有ってこのコース設定をしたのだが、その予感が正しかったのかどうかを証明する為、我々は今走り出したのだ。

私の上紋峠に対する今までの印象は、路面状態が悪く(凸凹やうねりが多い)バイクのホールド練習には最適な峠と言うものだったが、改修工事が進んでいて以前よりは走り易くなっていた。しかし、相変わらず峠付近では工事が行われており、この峠で無理は禁物である。

岩尾内ダムに出た我々は、下川に出るのSSに向かう。岩尾内〜下川間のSSはパトカーがいたり工事が多かったりするのだが、今回は殆ど障害となるものが無く快適に走る事が出来た。

下川の街で一瞬緊張から開放された我々だったが、直ぐに幌内越峠へのSSへと入って行く。サンル川沿いに走るこの道は、広くはない細かなワインディングが延々と続き気を抜く場所が無く、いかに集中力を切らさないで走れるかが試される。

途中、道路左側上方に新しい道が造られているのが見えた。幹線でもないこんな山の中に新しい道を造っているを不思議に思ったが、もしかしたらこの場所にダム建設が計画されていて、現在の道がダム湖に沈む為新しい道を造っているのかもしれない。

だとすれば、将来ここに新しい高速SS(ダム湖沿いの道は大抵高速ステージが多い)が出来上がる事が考えられ大変楽しみである。しかし、まだダムの本体工事は始まっていないようだから、道が完成するまで私がバイクに乗っていられるかどうかの方が問題だ。

AM10:45 幌内越峠を越え我々は、いつものパーキングにバイクを停める。滝上発ってからここまで、工事で止まったのが数回、赤信号(信号機は一か所だけ)で止まったのが1回だけで、走りっ放しの1時間であった。

さすがに膝にきた私は、バイクから下りてヨタついてしまう。国道39号の愛別からここに来た時も膝にきていたが、滝上からの方が少し距離が有るようで膝への負担も大きかったように思う。

しかし、今日の長い行程からすればこれはまだ序の口で、こんな状態では先が思いやられる。休憩の後、我々は歌登を目指して再びSSに走り出し、美深峠を越え仁宇部に出た後、天の川トンネルに向かって駆け上って行く。

この天の川トンネル前後の道は道幅も広く結構スピードが乗るSSで、我々は快適に走りを楽しんだ。天の川トンネルを抜けた我々は、歌登まで一気に走り二回目の給油の為GSにバイクを入れる。

滝上で給油してからまだ1時間40分しか経っていなかったが、GSX−Rは14.99Lのガソリンを呑み込み、燃費は12km/Lを切ってその走りを物語っていた。私は遠軽近くの工事区間で泥だらけになっていたバイクが気になり、ここでバイクを洗車する事にした。泥だらけのバイクで走るのはどうも気分がよろしくないのだ。

11時35分 給油と洗車を終えた我々は、中頓別を経由して知駒峠に向かう。知駒峠は今日のコースの中で一番北に位置する峠で、そこに何時に着けるかでそれから先の予定に目途が立つと思われる。


後ろに見えるのが知駒岳。
あの山を一気に越えて来た。


レバーが動かないように
ワイヤーで固定したのだが・・・。


タイヤは端まで綺麗に当たってます。
ここで一気にタイヤが減ったような気が・・・。


▼恐るべし 知駒峠

中頓別で国道275号に出た我々は、左折して知駒に向かう。そして国道から離れ知駒峠のSSが始まった。この知駒峠は深いバンク角を楽しめる中速コーナーが延々と続き本当に楽しい峠なのだが、今回はこの峠を往復して走る事から、峠を下った所に在るパーキングで休憩する事にしていた。

私は峠への上りを楽しみテレビ塔下のいつも休憩するパーキング前を通過、下のパーキングに向かって下って行ったのだが、峠を半分位下った所で私の集中力が途切れ始める。

SSの途中で集中力が切れた事など今まで一度もなかった私だが、今回ばかりは次々に現れるコーナーにスロットルを開けて行く気持ちが薄れていったのである。

人間(私の場合)が本当に集中して走れるのは5分〜10分位もので、それ以上は続かない事を痛感した今回の知駒峠だった。今まで上のパーキングで休憩を取っていたのは大正解だった訳で、知駒峠を一気に越えるのは無謀な事であったようだ。恐るべし 知駒峠! である。

12時10分 峠下のパーキングに我々はバイクを停める。すると皆さんの口からも途中で集中力を切らした事が語られた。やはり知駒峠は一気に走ってはいけない峠であるようだ。勿論、普通?のスピードで走れば、何の問題もないのですが。


▼呪われたブレーキレバー

隼に乗るU氏は知駒峠を走っている間中、動き回る(レバー位置調整ダイヤルが回ってレバーが近くなる)ブレーキレバーに悩まされていたと言う。その症状は以前から時々発生していたもので、ブレーキレバーが開かないようにタイラップで固定されていたのだが、それでも突然ダイヤルが回ってレバーが近くなってしまったと言うのだ。

タイラップでも動く(プラスティックの為少し延びる)のならステンレスワイヤー(殆ど延びない)で固定すれば大丈夫だろうと私はワイヤーで固定したのだが、それでもダイヤルは回るのであった。

私のGSX−RやA氏の10Rにも同じニッシンのラジアルマスターが装着されているのだが、ダイヤルが回る現象は
U氏の隼にだけに起きていてその原因は解明されていない。私には隼のレバーが呪われているとしか思えないのだが・・・。なんとも不思議な現象である?


▼バイクの楽しい走らせ方

今の時間は12時20分。いよいよ本日の後半がスタートする。これから我々は南下して音威子府に向かうのだが、音威子府の駅に午後1時までに到着する事が出来れば、私は今宵の宿 幌加温泉 に六時までに到着する事が見えて来るような気がしていた。果たして音威子府到着は 何時になるのか?

知駒峠の復路を我々はコーナーをゆっくり楽しみながら走り抜けて行く。それは往路の集中した走りとは対照的な一つ一つのコーナーを丁寧にトレースして行く走りで、これもまた走っていて楽しい。

バイクの楽しい走らせ方には二通り有って、一つは往路のような集中した走り。そしてもう一つは復路のような丁寧な走りである。この二つはお互いに補完し合うもので、集中した走りにだけでは長続きしないし、丁寧な走りだけでは飽きてしまう。

この二つの走りを上手くミックスする事で、バイクを長く楽しむ事が出来るのである。

知駒を越え国道275号に戻った我々は、音威子府を目指し青空の下降注ぐ眩しい日差しを浴びながら国道を直走った。午後1時少し前、我々はJR音威子府駅前のパーキングにバイクと停める。

何と我々は、1時前に音威子府に着いてしまったのである。

それは 「これは行けるかも・・・。」 と思った瞬間だった。

この時、我々は何となく予定通りに行ける確信みたいなものを感じたのである。網走を出発する時、午後1時に音威子府に居る事など有り得ないと考えていた我々だったが、実際にそれが出来ている現実。

私には、5時間後幌加温泉に居る事など容易に思えて来たのである。




緊張から開放されホッとする一時。


美味いです。






















昨年の思い出の地、霧立峠。


昨年と違い今年は峠でゆっくりご休憩。

















上の霧立峠からここ層雲峡温泉まで
一気走りでした。



ここのセイコーマートはシックな店構え。
▼一年ぶりの音威子府そば

音威子府そば。
この黒い色が特徴の美味しい蕎麦。




この駅に思い出を持つA氏、
列車の時間まで頭に入っていました。



音威子府13:16発 名寄行 発車です。
昨年食べた音威子府そばの味が忘れられず、途中に在った道の駅にも止まらずお腹を空かしていた我々は早速駅舎に向かう。

今日の厨房には昨年居た奥様の姿は無く、ご主人お一人で営業されていて、私は天ぷらそばを注文する。昨年は月見そばを食べていた事から天ぷらにしたのだが、他のメンバーが天玉そばを注文するのを見て、天玉そばにすれば良かったとチョッと後悔する。

どっちでも良い事なんですげど、天ぷらと玉子のコラボレーションを急に食べてみたくなったんです。それは次回の楽しみと言う事で。

そして一年ぶりに食べた音威子府そばは旨かった。どこがどう旨いかと聞かれても私には説明出来ないが、手打ちのそばとは違った旨さがこの音威子府そばには有ると思います。

他の皆さんも一年ぶりの音威子府そばには満足した様子で、六時間ぶりに口にした固形物で血糖値も上がり、これから先の走りへモチベーションも上がったようである。

そばを食べ終えた我々は外に出て食休みを取る。すると駅のプラットホームに列車?(一両)が入って来て、警笛を鳴らして出て行った。

それを見ていたA氏は1時13分発の名寄行きと言い当てた。彼は昔この周辺の鉄道を乗りまくっていたようで、今でもこの辺の鉄道には詳しいようだ。

FUNKYが北海道を走り始めた当時の北海道には、沢山のローカル線が走っていて多くの踏み切りを渡ったものだが、国鉄がJRに変わってその多くが廃線になり線路も撤去されていった。

しかし、それ以降廃線になった地域の道路整備が進んだの確かで、これから向かう母子里や朱鞠内を走る深名線(深川と名寄を結ぶ)鉄道が廃線になった後、急速に国道275号の整備が進んだのを私はこの目で見てきた。

この旭川駅と稚内駅を結ぶ宗谷本線もいつまで存続出来るかは分からないが、毎年北海道を走っていると時代の流れの中で生き残る難しさを痛感する出来事に結構出くわす。

私がいつまで北海道を走れるかは分からないが、これからも北海道の移り変わりの様を見て行きたいと思っている。

休憩を終えた我々は国道40号を南下、昨年も給油した美深のGSに1時50分到着し今日三回目の給油を行う。本当はもう少し先で給油したかったのだが、この先100km位GSが無い事からここで給油する事にしたのだが、GSX−Rには11.16L入り燃費は13km/L台に上がる。これはアベレージスピードが高く、高いギヤで走る機会が多かったからと思われる。


▼昨年の思い出の地 霧立峠へ

給油を終えた我々は国道275号に入り母子里を目指す。私がこの道を美深方向から走るのは初めて(多分)で、同じ道でも新鮮な感じで走りを楽しむ。美深峠(今日二つ目、午前中の美深峠とは違う峠)を越え母子里から朱鞠内、添牛内と走り、国道239号に入る。

昨年札幌ナンバーとバトル?した霧立峠への道を我々は一気に駆け上り、昨年は取り込み中でパスした峠のパーキングに 2時25分 バイクを停める。この静かな峠には車が数台とバイクが三台(但し原付スクーター)やって来たが、昨年のようなドラマは生まれる事は無かった。

休憩後、我々は今来た道を引き返し添牛内に戻り、そこから士別峠を越えて士別を目指す。峠を下るとフェンスに囲まれたトヨタ自動車の自動車試験場が見えて来る。そのフェンスの長さは5km以上にも及ぶ長大な物で、その規模の大きさが想像される。

北海道には陸別の日産や網走のデンソー等自動車関係のテストコースが沢山有って、北海道の厳しい自然環境が製品作りに役立っているようである。

士別に出た我々は、市内を横断して今朝通った岩尾内ダムに出る。我々は約5時間で知駒まで行って戻って来た事になる。岩尾内ダムを通過した我々は国道39号の愛別に出るSSに入る。この道は愛別ダムまでがSS区間となるのだが、結構アベレージスピードが高いSSで、我々は瞬く間に国道39号に出てしまった。

ここ愛別から上川まで新しい自動車専用道(国道450号)が完成していて、我々はその道を使って層雲峡を目指す。愛別〜上川間(国道39号)はいつも車が多く渋滞する事も多いのだが、新しい道は信号も無く流れが良いから時間が読めるところがありがたい。

自動車専用道を上川で下りた我々は、国道39号に戻って層雲峡に向かったのだが、後に再び上川に戻って来る事になろうとはその時は考えてもいなかった。層雲峡に向かう国道39号は、流れてはいるが相変わらず車が多く我々は流れに乗って走っていた。

すると道路左側にミニパトが止まっているのが見え一瞬ネズミ捕りかと思ったのだが、どうも対向車のハミ禁を取り締まっているようで、警官の視線は前方の直線路に向けられていた。

我々は車の流れに乗って走っておりビクビクする事は無いのだが、パンダ色の車に反射的に反応してしまうところがライダーの悲しい性である。このパンダ色には後日また遭遇する事になるのだが、それはその時にお話したいと思います。


▼時代は流れている

4時15分 我々は層雲峡温泉に到着する。ここから宿の幌加温泉までは1時間と掛からないから5時半には宿に到着出来ると思われ、明るいうちに三国峠SSを楽しむ事が出来そうである。

私はここ層雲峡温泉で今夜のお酒の購入とガソリンの給油を考えていたのだが、昨年給油した温泉手前に在ったGSを見付けられないまま、層雲峡温泉に着いてしまった。「 アレッ 」とは思ったのだが、まずは予め地図で確認していたセイコーマートで酒の買出しをする事にする。しかし、私の考えていた場所にセイコーマートを発見出来なかった。

温泉街を一周してパーキングにバイクを止めると、A氏が温泉街に入った所にセイコーマートが在ったと教えてくれる。

「在ったかぁ ?」 私は信じられなかったが、A氏の先導で戻って見ると、
「在りました。在りました。」

オレンジ色のセイコーマートではなく、地味色のセイコーマートが在りました。国立公園内の為なのか、周りの風景に配慮した為なのかは分からないが、普通の家の一階が店舗になっておりました。

A氏の観察力に感服した私でしたが、A氏の鋭い観察力はもっと重大な事実をも発見していたのであります。A氏によると昨年給油したGSの在った場所は更地になっていて、GSは無くなっていると言うではないか。

どうりで見付けられない訳だ。私は自分の観察力の無さに呆れてしまったのだが、問題はここにはGSが無いという事だった。私のGSX−Rは予備のコーションランプが点滅しているし、我々がこれから向かう先の三国峠方面には、幌加温泉の先 上士幌 まで行かなくてはGSは無い。

そこまでガソリンが持つかどうかも分からないし(ZX−10Rが危ない)、予定では上士幌には行かない予定だから、明日のコースを変更しなければならなくなる。

そこで我々の出した結論は、先ほど通って来た上川まで戻って(片道20km×2)給油する事だった。これで明るいうちに三国峠を走る事は難しくなってしまったが、大雪の山中でガス欠するリスクを犯す訳にもいかず、我々は渋々上川に戻る事にしたのである。

それにしても糠平に在ったGSも無くなり今度は層雲峡のGSも無くなるとは、三国峠周辺からGSが消えていくのは困った事だ。これで上川から上士幌までの100km近い区間にGSは無くなった事になる。北見方面から来た場合も温根湯温泉が最後のGSになるから状況は上川の場合と大して変わらない。

車と違ってバイクは航続距離が短いから、三国峠に向かう場合は早めの給油を心掛けたい。上川、上士幌、温根湯から三国峠に向かう場合、タンクにガソリンが半分以下だったら給油してから三国峠に向かう事をお勧めする。

三国峠近くでガス欠経験を持つ、私からのアドバイスでした。


▼ニヤミス事件発生

我々はセイコーマートでアルコールを仕入れた後、4時30分 国道39号を上川に向かって引き返す。この時間になって宿と反対方向に走るのには少し抵抗があったが、20分掛けて上川に戻った我々は、GSに飛び込む。

タンクを満タンにした我々は、再び層雲峡に引き返す。車の流れに乗って走る我々が片側一車線のハミ禁解除の場所に出た時、我々の前には数台の車が走っていた。

私は先頭車の前が大きく空いていた事から追い越しを考えたが、道路中央にベタの白線とゼブラーゾーンが描かれた右折車線が現れ、それが終わるまで私は追い越しを見合わせる事にした。

ゼブラゾーンが終わったのを見て私が追い越しを掛けようと対向車線に出ようとしたその時、右後方から一台のアウディが追い越しを掛けて来ているのに気付く。

私もシッカリ後ろを確認してから出れば良かったのだが、セブラゾーンで追い越しを掛ける車は無いだろうと言う思い込みから、アウディとニヤミス状態に陥ってしまったのである。今回はニヤミスで済んだが接触転倒の危険性も有った訳で、私自身反省する点が多いニヤミス事件だった。

私の後ろでその状況を見ていたお二人は、後ろから来ていたアウディの事も分かっていたそうで、私の不用意な行動を冷静に観察していた模様である。

このアウディのドライバー(二十歳代?男性)は何で急いでいるのかは分からなかったが、それは無理だろうという追越を仕掛けては、跳ね返されて戻って来ていた。世の中には色々な方がいらっしゃるから、信じるのは法律ではなく自分自身の目である事を再認識した出来事だった。


▼今日一日のご褒美

5時20分 層雲峡温泉前を通過、大雪ダムに向かうが、両側岩壁に囲まれた層雲峡を走る我々には闇の世界が忍び寄っていた。長い銀河トンネル、大函トンネを抜け大雪ダムで国道39号と別れ国道273号に右折する。

岩壁の底から抜け出した事で少しは明るさが戻ったが、真っ暗な闇に包まれるのはもう時間の問題だった。薄明かりの中、我々は宿に向かって道を急いだ。三国トンネルを抜け峠のパーキングを通過すると、薄明かりの中ナトリウム灯に照らし出される松見大橋が見えて来る。

松見大橋に沿って緩やかにカーブ描くオレンジの光が橋を照らし出し、それは何とも幻想的な景色だった。少し霞が掛かったように柔らかに広がるオレンジの光は、闇に浮いているように橋を照らし出していた。

しかし、それだけではなかった。私が松見大橋を渡りながらふと上を見上げた時、そこには今下って来た上の道に沿ってオレンジの光が連なり広がっていたのである。それは上から見た松見大橋の姿より美しいと私は思った程で、私は今日の走りの終わりに素晴らしいご褒美を貰った気分であった。

すみません。ここでも写真は撮りませんでした。


伝説の一日を走り切った
そんな事も有りつつ、我々は真っ暗な大雪の森の中を走り抜け幌加温泉入口までやって来た。暗闇の中で幌加温泉への入口を発見するのが遅れた私は、ブレーキを掛けるのが一瞬遅れ少し行き過ぎてしまった。

後ろのお二人さんはしっかり止まって私が戻って来るのを待っていて、行き過ぎてしまったのは私だけだった。人間年齢を重ねると暗い所で物がハッキリ見えなくなる(これを鳥目と言う)もので、困ったものである。鳥目対策にヘッドライトをHIDで換える事も考えなければいけないかもしれない。

そして我々は、午後5時50分 幌加温泉玄関前にバイクを滑り込ませる。走った距離はトリップをセットしていなかった為正確なところは分らないが600kmは優に超えていると思われる。

FUNKY史上、今回より長い距離を走った事は何回かあったが、それに掛かった時間は今回が最短であったと思われ、それは伝説となったのである。今日一日の走りは、私の長いバイク人生の中でも初めて出来事であり、私のバイク歴に新たなる1ページが書き加えられたのでありました。



今日の健闘を振り返って乾杯!







部屋に戻って話は続く。



やはり温泉では浴衣でしょう。

幌加温泉でリラックス
バイクの音で我々が到着したのを知った親父さんが出て来て、元気そうな笑顔で我々を出迎えてくれた。

荷物を降ろし玄関に行くとおばさんも出て来て一年ぶりの挨拶を交わす。親父さんは私の荷物を持って昨年と同じ部屋に案内してくれたが、勝手しったる部屋で我々は自分の部屋に帰って来た感じで安堵する。

夕食の準備は出来ていたようだが、我々は先ずは温泉に入って今日の疲れを取る事にする。一年ぶりに入る幌加温泉の湯船は、昨年より少し深くなったようで中腰の位置が数ミリ高くなったような気がする。この湯船、毎年確実に成長しているようである。

温泉から上がった我々は、夕食の前に今日の完走を祝しビールで乾杯する。このビールが本当に美味かった。目標を達成して飲むビールの味は最高だった。


▼ツーリングと縦走登山との共通点


一番奥のピークが最終目的地の秋田駒ケ岳。
手前の尾根から奥の尾根へと、秋田と岩手の県境を伝って歩いて行く。
食事を終えた我々は、部屋に戻って今日の走りを肴に焼酎を空ける。

今日の走りを振り返る時、私は2001年に行った八幡平縦走登山を思い出した。この縦走登山は私がインターネットで情報を集め綿密な計画を立てたのだが、それはあくまでも机上の計画で実際の事は何にも分っていなかった。

実際に八幡平のスタート地点に立った時、最終目的地の山の頂は遥か彼方に在って、そこに続く尾根の長大さを目の当たりにした時、二日間であそこまで辿り着けるのか正直不安になったものだった。

今日のスタート時、私の気持ちは八幡平のスタート地点に立った時と似ていた。目的地は見えていてそれに至る道筋も分っていたが、その道程があまりにも遠かったのだ。

縦走登山と言うのは、一つのピークを必死になって登りつめ頂に立つと、また次のピークが現れそのピークに向かって下ってまた登るという事を繰り返し、最終目的地を目指す。

折角登って稼いだ標高を何故下っているのか自分でも腹立たしくなるのだが、これを下らなければ次のピークには行けず、最終目的地にも辿り着けない。

今日一日、私は幾つものSS(ピーク)を走り(越え)仲間と共に最終目的地 幌加温泉 に無事到着する事が出来た。私はそれを遣り遂げた達成感や充実感に今仲間と共に浸っている。私にとってそれは縦走登山を遣り遂げた時の達成感や充実感に優るとも劣らないものだった。


▼充実感の代償

北海道に上陸して一昨日・昨日と雨でストレスが溜まっていた私とU氏は、その二日分のストレスを今日一日でを吹き飛ばし二日分の充実感を獲得した気分であった。

しかしその充実感の代償は大きく、雨で消耗の少なかったリヤタイヤは今日の走りで一気に磨耗が進行してしまった。

私のGSX−Rの場合、FUNKYツーリング(550km前後)でリヤタイヤ(ミシュラン Pilot Power 2CT)は約1mm程度磨耗するのだが、今日の走りでは3mm以上磨耗したものと思われる。

私の場合は新品タイヤで来ていたのでまだ良かったが、U氏の隼の場合700km程走ったタイヤで来ていた為、もし道内四日間が全てドライ路面だったら確実にタイヤの溝は無くなっていたと思われる。

神様は今日の為に一昨日・昨日と雨を降らして下さったのかもしれない?
然もなくば、我々が今日走り終わっ時点で、明日走る為のタイヤの溝は残されていなかったかもしれないのだ。我々は二日間雨が降った幸運に感謝したのであります。


明日は北海道最終日。天気も良さそうだし、この数年行こうとして行けていない十勝岳温泉に行く事が出来そうで楽しみである。
第5日目
FUNKY Librery FUNKY Library Home