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2007年9月18日(火) 第5日目

大雪山中 幌加温泉の秋の始まり


バイク転回中。


ブレーキレバー対策中。


今朝も私の仕度待ち。


親父さんと一枚。




三国峠のパーキング。
大雪の山々は見えていなかった。















































然別湖は爽やかな陽射しに包まれ気持ちイィー。


ここも車が少なかった。
それには訳が有ったのだが・・・
.。


朝のご挨拶


朝の用足し中!


朝食をしっかり食べて今日の走りに備える。

▼秋の足音
朝一番早く目覚めた私は、先ずは温泉に行く。これは私が幌加温泉に泊まった時のルーティーンで、窓から差し込む陽の光に目を細めながら入る温泉は何とも清々しいのだが、今日の空は薄曇で眩しい程の陽射しが無く少し残念だった。ゆったりと温泉を楽しんだ私は、熱った体で温泉から出る。

汗ばんだ体を冷やす為、私は外に出てみる。昨晩は暗くて見えなかった周りの木々の色合いは、まだ一部の木々が色づき始めばかりで、昨年同様に今年の紅葉も遅れているようである。

部屋に戻ると皆さんも起きていて、朝食前にバイクのメンテナンスを行う事にした。チェーンにオイルを吹いた後、直ぐに出られるようバイクの方向転換を行う。

そして今だ回り続けていると言う、隼のブレーキレバー対策を行った。私が最終的に取った対策は、レバーを固定するのではなくダイヤル自体を固定する方法で、ワイヤーでダイヤルを動かないようにしっかり固定した。これ以降ダイヤルが動く事は無くなったのだが、何とも不思議なブレーキレバーではある。


▼時の流れ

我々が作業しているとお犬様がおばさんに付き添われて朝の用足しに出て来た。お犬様は用を足した後、我々に愛想を振りまいてヨチヨチと部屋に帰って行く。

お犬様は今年になって腫瘍の摘出手術を行ったそうで、最近ようやく元気になったのだと言う。以前と比べ何か元気が無いように見えたのはその為であったようだ。

お犬様がこの宿に来た時(1998年、まだ生まれて半年位?で、自分の耳を踏んづけて転んでいた)から知っている私は、今でもお犬様は子供の様に思っていたのだが、人間の年齢にしたらもう立派な大人になっていた事を知ったのであった。
 
部屋に戻って寛いでいると親父さんが朝食の用意が出来たと知らせに来てくれて、我々は一階の部屋に行き朝食をしっかり頂く。

今回はおばさんが手伝いに来てくれていたが、普段は親父さん一人で宿を切盛りしている言う。この宿を一人で切盛りする事は大変らしく忙しい時は友人に手伝ってもらっているらしいのだが、出来るだけ長くこの宿をやっていきたいと親父さんは語っていた。私も親父さんに負けないよう、来年もまたここに泊まれるようにと思うのでありました。

8時20分、我々は親父さんと共に写真を撮った後、親父さんに見送られて幌加温泉を後にする。


▼三国峠を往復


 朝で車が少ない三国峠のパーキング。
ここのパーキングは傾斜している為この方向にバイクを停めないとバイクが安定しない。
昨日の三国峠は楽しめなかった事から、我々は宿を出て先ず三国峠に向かう。朝一の走りであった為、私はウォーミングアップを兼ね徐々にペースを上げていく。時間が早い為か車も少なく、我々はアッと言う間にトンネル手前のパーキングに到着する。

我々がバイクの傍で休憩していると一人の男性(50歳代?)が話し掛けてくる。彼は我々の横に止まったバスに乗っていた人?で、そのバスは我々が追い越して来たバスに違いなかった。

追い越したバスの方から話掛けられるのはよくある事で、大体は年配の方と決まっている。それは私が年寄りである事と関係するのかどうかは定かでないが、質問される内容も大体決まっている。

会話は 「何処から来て、何処に行くのか?」 で始まり、排気量は ナナハン? で止めを刺す。年配の方々は、年寄りライダーに話し掛け易いのかもしれない。

今日の三国峠からの眺めは、遠くに見える筈の大雪の山々が雲に隠れて見えていなかったのが残念だったが、キリッとした空気が大変気持ち良かった。小休止の後、我々が来た道を引き返し糠平に向かって走り出すと、松見大橋は昨日とは違う姿を見せていた。。


▼やっぱり楽しい三国峠〜糠平間 そして然別湖へ 
昨日は暗闇の中で走った松見大橋下の高速コーナーを今日はバンキングを楽しみながら走り抜ける。昨晩の暗闇の中の高速コーナリングでは、ライト光もバンクする為ライトの光はコーナーの先を照らさず怖いものがあった。夜はバンクしないで?走る方が良さそうである。

高速コーナーを抜けると周りの木々は白樺に変わり、我々は白樺の森を抜け三股山荘前を通過、広い道幅の国道を気持ち良く走り幌加温泉入口まで戻って来た。そして私は一昨年GSX−Rのメーターが止まった直線に向かった。

ところがその直線の手前で工事が行われていて、停止させられてしまった。直線手前からスピードを乗せて行こうと考えていた私だったが、ゼロ発進スタートになってしまった。

係員からゴーサインが出され、私は長い直線に向かってスタートを切る。タンクに伏せたまま、各ギヤでフルスロットルを当てレッドまで引っ張って行くと、またメーターが止まった。前回はメーターが止まったところでスロットルを戻した私だが、今回はそのまま開け続ける事にした。

直線のエンドが近付いてきて私はどこでスロットルを戻すか迷ったが、ここのところGSX−Rのフロントブレーキにジャダーが発生していて充分な制動力を得られていない事から、スピードはまだゆっくり伸びていたが早目にスロットルを戻しブレーキを掛け減速する。

こんな事をしていたら糠平までそんなに時間が掛からなかったように思う。我々は糠平から次のステージ然別湖に向かう。この幌加峠を越えて然別湖に出るステージは、こまかなコーナーが連続する幌加峠の前半部とヤンベツ川沿いの原生林の中を走る後半部に分かれる。

私はこの然別湖までのステージは嫌いではないのだが、今回GSX−Rのフロントブレーキのジャダーな酷く安定した制動力が得られない事から、走っていてあまり楽しくはなかった。それでも何とか先頭でこのSSを走り切ったのであります。

さすがに長いホイールベースが災いして隼のペースは上がらなかったようだが、先程のGSX−Rのメーターが止まった時、340まで目盛られた隼のアナログメーターはGSX−Rのスピードを文字盤に刻んでいたようである。

然別湖に出た我々は、キラキラと陽の光を反射する湖面を左手に見ながら狭い道をゆっくりと然別湖畔温泉を目指す。然別湖畔温泉に到着してみると、いつもは車で混雑しているパーキングはガラガラで少し驚いたのだが、その時の私はその理由に気付かなかった。

三国峠からここまでの話題で皆さん会話が弾む。私もそうだが他の二人のライダーも得意な道と苦手な道が有って、苦手とするスチエーションではどうしてもストレスが溜まってしまう。乗るバイクにもよるし人間得手不得手が有る事は致し方無い事で、全ての場面で満足する走りが出来るライダーなどこの世に存在しないと私は思う。

三国峠〜糠平間は超高速区間、糠平〜然別湖間は超低速区間と両極端な区間をZX−10Rと隼は走って来たのだが、その区間によってバイクとライダーの特徴がハッキリ出たようだ。超高速を得意とする隼、細かなワインディングを得意とするZX−10Rとそれぞれ区間では楽しめたようなのだが、反対に苦手な区間ではストレスが溜まってしまったようだ。

苦手なところはいつまで経っても苦手と言うわけではなく、少しづつでも克服する努力をしていると突然上手く走れる時がくるもので、日々考えながら走る事が肝要なのである。

休憩を終えた我々は次のSS狩勝峠に向かった。


▼狩勝峠を堪能

森の奥深くひっそりとたたずむ駒止湖を垣間見ながら細い道を抜けて白樺峠に出ると我々の視界は一気に開け、眼下には十勝平野の雄大な景色が広がっていた。我々はその景色を眺めながらゆっくりと鹿追に下って行く。

鹿追から新得に出た我々は、国道38号を狩勝峠に向かう。狩勝峠下のパーキングを過ぎて私はペースを上げようとしたのだが、アスファルトの張替えの為か路面が削られておりそれは出来なかった。この事は三日前ここを下った時に分かっていたのだが、出だしから削られているとは考えていなかった。

結局、追い越し車線の有るSS区間の内1/3程度を無駄に過ごす事になったのだが、それでも削られた路面が終了すると同時に一気にペースを上げ我々は、高速コーナーでの深いバンキングを堪能したのであります。


その時の地面の近さは手を伸ばせは着いてしまうと思える程で、それは私が今まで体感した近さの中でも最も近いと感じさせるものだった。深くバンクしたまま加速していくコーナーリングは狩勝峠独自のもので、他では味わえない体験なのである。

何故狩勝峠だけかと言うと、狩勝峠の場合上り勾配での大きなコーナーであるところが他と異なる点で、上り勾配でより大きくスロットルを開けられたバイクは、リヤサスペンションを大きく沈み込ませ安定した独自の高速コーナーリングをライダーにもたらすのである。

狩勝峠を楽しんだ我々は国道38号をひた走り、昨年も止まった幾寅のホレンGSに入る。昨年は禁煙GSとして注目を浴びたこのGSだったが、今年は禁煙の張り紙が無くなっていたようなのだが、我々は気にも止めなかった。

何故なら今年はメンバーの中に喫煙者がいなかったからで、昨年当初は喫煙者が過半数を占めていたFUNKYも、今年になって喫煙者が少数派になっていたのである。時代の波?はFUNKYにもヒタヒタと押し寄せて来ているのだが、頑なにその波に抵抗しているメンバーもいて、今後FUNKYメンバーに喫煙者がいなくなるかどうかは定かではない。



十勝岳温泉到着。


温泉へ




眼下には富良野の街が見えている。

▼十勝岳温泉へ

鉄分の多い不老不死温泉に近い温泉だが、
十勝岳温泉の方には湯の華が浮いている。


残念ながら十勝岳山頂部の
豪快な景色は見えなかった。


自然の岩を取り込んだ内湯の造りは以前と変わっていなかったが、建物は綺麗になっていた。

我々のこれから先の予定は上富良野の十勝岳温泉に行く事なのだが、それには二つのルートが考えられた。最短と思われるルートは麓郷を抜けて斜線道路に出るルートなのだが、このルートは以前に何回かトライして道が分らず引き返しているルートだった。

このルートの下調べは充分して来ていた私だが、間違った時のロスを考えると少し遠回りにはなるが国道38号を布部まで走り、東九線から斜線道路に向かう事にする。

東九線は地図で見ると長い直線なのだが、山裾を走る為実際は高低差が有って直線を走っている実感が無い道だった。この道の沿線には幾つもの集落があるのだが、幌加温泉の親父さんはこの地域の出身だと言っていたのを思い出す。

今は道路も舗装され車も走っているが、親父さんが小さい時は砂利道で交通手段は馬車か歩きだったらしい。そんな話を思い出しながら私は景色を楽しみながら走っていた。

上富良野から十勝岳温泉に向かう道に出た我々は右折して十勝岳温泉に向かう。ここまでは一昨年も同じだった。その時はこの先で急に雨が降り出し十勝岳温泉に行くのを諦め引き返したのだが、今日は天気も良く快調に走って温泉に向かう。

私がこの道を走るのは久しぶりで、以前は狭い道が続いていた記憶が有ったが、道路改修が行われたようで二車線の広い道が続いている。

快適に走っていると道路工事で止められたのだが、そこから先は以前の狭い道だった。道は、忙しく左右に切り替えしを繰り返しながら急激に高度を上げて行く。

吹上温泉への分岐を過ぎると、道は更に急勾配に変わり間も無く十勝岳温泉に到着する。パーキングにバイクを停めた我々は、早速温泉に向かった。

久しぶりの十勝岳温泉は建物が新しくなって綺麗になっていたが、入浴料も大人800円と高級な設定になっていた。北海道で800円の入浴料を取る所は滅多にお目に掛からないが、以前見た露天風呂からの豪快な景色を見れるのなら高くはないと私は800円を支払い温泉に向かう。

温泉に行って見ると以前は混浴となっていた露天風呂が男女別になっていて、露天風呂自体も造り直され湯船が二つになっていた。以前来た時は水着を着た若い女性が入って来て興ざめだったから露天風呂が男女別になったのは良いのだが、露天風呂の造りに以前のワイルドさが無くなってしまったのが少し残念だった。

それよりも何よりも残念だったのは露天風呂から見える景色で、十勝岳の山頂部が雲に隠れて見えていなかった事だ。晴れていれば水蒸気を吹き上げる豪快な十勝岳の姿が迫ってくるのだが、今日の山頂部は雲の中で白く霞んで見えていなかった。

こればかりは自然が相手なので致し方無い事なのだが、こうなると800円の入浴料は高かく感じてしまう私であった。 残念!

リラックスした時間を過ごし温泉を出ると、時間は正午を回ったところで昼食の時間だった。ここでも昼食は取れそうだったが、私はここに来る途中に在った後藤純夫美術館(日本画家)のレストランも気になっていた。

それと私は、一昨年訪れた富良野 森の時計 のカウンター席でコーヒー豆をゴリゴリ出来なかった事も
心残りになっていて、いつかはカウンターでゴリゴリしたいと思っていた。

しかし、ここから森の時計まで行くとなると昼食は1時近くになってしまうと思われ少し迷った私だが、まずは後藤純夫美術館に寄って様子を見る事にし、十勝岳温泉を出発する。

後藤純夫美術館前までやって来たが、やはりここは美術館なわけで我々の格好では場違いな感じは否めず、私はここをパスし 富良野 森の時計 に向かった。我々は富良野平原広域農道を使って富良野市街を目指す。

この富良野平原広域農道は国道237号と平行に走る道で、交通量も無く信号も無い田んぼの中の一本道が真っ直ぐ富良野市街に向かっている。我々は意外と早く富良野市街に入る事が出来たのだが、ある事情から幹線道路を避けながら森の時計が在る新富良野プリンスホテルに向かった。

国道38号を500m程走り五条大橋を渡った我々は、チーズ工房前を通って新富良野プリンスホテル前のパーキングにバイクを停める。いつ訪れても車が満杯のこのパーキングが今日は何故か空いていた?

ニングルテラス横の森の小道を木漏れ陽を浴びながら下って行くと、森の時計は静かに森の中に建っていた。



富良野 森の時計で昼食。


ここを訪れるのは二年ぶり。


自分で豆を グルグル!








木漏れ陽が清々しい。


大竹しのぶの席を確保。


何をオーダーするか検討中。


森のカレー 1000円
木漏れ陽がユラユラする店内は安らぐ。


ブレンドコーヒー グルグル付き 500円






コーヒーカップにコーヒーを注ぐ。

▼森の時計でゴリゴリ
一昨年のフジ系ドラマ「 優しい時間 」 (この時共演した二ノ宮和也と長澤まさみが最近話題になった)の舞台になった森の時計では、ドラマ同様にカウンターに座って自分が飲むコーヒーの豆をミルでゴリゴリして飲む事が出来るのだ。

前回訪れた時はカウンター席が満席でテーブル席に座った我々は、今回こそカウンター席に座ると意気込んで店内に入ったのだが、今日の店内はガラ空きで我々はすんなりカウンター席に座ってしまったのであります。

何で今日はどこに行っても空いているのか不思議に思っていた私は、ある事に気付いてしまった。今日は火曜日で、祝日でも何でもない日である事に気付いたのである。

私は北海道五日目で曜日感覚を完全に失っており、ウイークデイであれば何処に行っても観光客が少ない訳で、その事に私はようやく気付いたのでありました。

我々が大竹しのぶ指定席に陣取ると、カウンター内に居た男性スタッフ(寺尾聡に似ていない二十五歳位?の男性)が、我々の格好を見て自分もバイクに乗っていると話しかけてくる。

このカウンターを仕切っていると思われる彼がコーヒーを入れてくれるのかと思ったら、まだこの仕事に着いて日が浅いと思われる若い女性スタッフが我々の担当になった。

私とU氏はお腹が空いていたので先ずはカレーをオーダー、その後にコーヒーを頼む。A氏はコーヒーだけをオーダーし、彼からグルグルする事になった。

彼女はぎごちない動きて最初にコーヒー豆を小さなステンレス製のボールに取り、「香りをお楽しみ下さい。」 と言ってA氏に渡す。

豆の香りを嗅げと言われたA氏は、戸惑いながらも一応嗅いだふりをしてボールを彼女に返す。

この辺はここのルーティーンになっているようで、我々の時も嗅がされる事になる。その後コーヒー豆とコーヒーミルを渡されたA氏は、コーヒーミルをグルグルするのでありました。


A氏が挽いた豆を彼女がドリップしてくれたのだが、その動きがとてもぎこちなくて私が変わってやりたいぐらいだったが、出て来たコーヒーの味はマーマーだったようだ。

カレーを食べた後、私も森の時計のルーティーンに従ってコーヒーを頂いたのだが、そのコーヒーは結構美味かった。


ここのカウンター席で飲むコーヒーは、飲むまでの手順と雰囲気を含めて楽しむ物のようで、それが良い旅の思い出となっているようである。


テーブル席で飲むコーヒーも500円、これだけ手順を踏んだカウンター席でのコーヒーも500円、同じ500円ならカウンター席で飲むコーヒーの方がお得なように思える。

森の時計でコーヒーを頂く場合、カウンター席が満席で待たされたとしてもても是非カウンター席でコーヒーを楽しんで頂きたいと思います。

森の時計で一昨年からの思いを晴らした私は、森の中の坂道を昨日の伝説の走りからくる筋肉痛を膝に感じながらゆっくりと登って行く。木々の葉の間から差し込む陽の光が優しく我々を照らし、短いながら我々は優しい時間を過ごしたのでありました。

これから我々は今回の北海道最後のSS、桂沢ダム〜夕張間に向かう。最後のSSに向け我々はモチベーションを上げて富良野を後にしたのでありました。
























桂沢ダム近くのパーキング。
この左手前に彼がいる。
































































































穂別のセイコーマートで休憩。


このタイヤ、終わったな。

▼ドラマの予感
国道38号に出た我々は島ノ下で富芦トンネルへ左折し国道452号に出る。この国道452号はウイークデイとあって行楽客の車は少なかったが、富良野〜札幌を結ぶ幹線なのだろうトラックの交通量が多い。

三階の滝付近から道央自動車道の美唄ICに抜ける道が今工事中で、これが完成すれば桂沢ダムまでの交通量が減って走り易くなると思われるが、それにはまだ数年掛かりそうである。

桂竜橋を渡り私はその先に在るパーキングにバイクを入れる。本当はここに止まる予定は無かったのだが、十勝岳温泉に行く途中トンボがヘルメットのシールドに衝突しシールドが汚れたままになっていて、私はシールドを掃除する為パーキングに止まる事にしたのだ。

北海道最後のSSを気持良く走ろうとした私の行動が、その後の我々の行動にドラマティックな展開を与える事になろうとは思ってもいなかった。


▼札幌ナンバーとの遭遇

我々がパーキングに入って行くと1台のカワサキZX−10R(’04モデル?/シルバーカラー/札幌ナンバー)が停まっていて、その横にレーシングスーツを着たライダーが一人立っていた。

それを見た私は、一瞬 「ヤバッ!」 と思ったのだが、そのままパーキングを出て行くけわにもいかず、私はZX−10Rとは少し距離をおいた所にバイクを止める。私はこのパーキングにいつも地元の走り屋さんが屯しているのは知っていたが、今日はウイークデェイでその手の走り屋さんは居ないものと考えていたが・・・居た!

バイクを止めた私は、バックの中から虫取りクリーナーを取り出しトンボの汚れを除去する。札幌ナンバーの彼は、SS系のフルカウル車(隼は違う?)の
グループが気になったのだろうチラチラと我々を見ていたが、我々より先に夕張方向に出て行った。

我々の横を通り過ぎる時、彼は我々に向かって軽く左手を揚げ我々もそれに手を揚げて答えたのだが、その時の私はこれで彼と二度と会う事は無いとホッとしたのであった。

何故、私がホッとしたかって? 

地元の走り屋さん達は、ホームコースを何十回、何百回と走って道を熟知しており、ブラインドコーナーでも先が見えているかのようにコーナーに進入して行く場合が多く、我々の様にブラインドコーナーは探りながら走る走り方では彼らの邪魔になってしまい、変に絡まれるのが怖かったのだ。


▼白黒クラウン

ZX−10Rが出て行った数分後、我々はパーキングを出て夕張に向かって走り出す。桂沢大橋を渡って少しペースを上げた私の前方に、先ほどのシルバーの10Rがユッタリとしたスピードで走っているのが見えた。

私は彼が何故ユッタリとしたスピードで走っているのかが分からず我々を待っていたのかとも考えたのだが、その理由はその直後に判明する事になる。私が彼の後ろに追い着き様子をうかがっていると、前方から二台の車がやって来てその後ろの車は白と黒に綺麗に塗り分けられたクラウンだった。

それはミニパト等ではなく立派な交機のクラウンだったが、屋根の上で赤い物が回っている訳でもなく、二番手だし私にクラウンを恐れる理由は無かったのだが、何故か?私はドキドキしてしまった。

私はクラウンとすれ違った後ミラーに集中しその動向に注目したのだが、クラウンは戻って来る事は無かった。すると前を走る10Rのペースが次第に上がっていき結構良いペースで走り始めたではないか。


今年も札幌ナンバーと・・・

こんな時は地元ライダーの後ろを走るのが一番と、私は10Rの後ろで彼の走りを見ながら走っていた。10Rの彼はブライドコーナーでも無理する事無くスムーズな走りをするライダーで、私は前に出る事は考えず後ろで幾つかのコーナーを過ごしていた。

緩い左の高速コーナーを抜け少し長い上り坂の直線に出た私は、スロットルを当ててコーナーを立ち上って行く。すると私のGSX−Rが前の10Rにドンドン近付いて来るではないか。そしてそのまま加速して行ったGSX−Rは、いとも簡単に10Rの前に出てしまったのであります。

10Rの加速が鈍かったのは10Rの作戦で有ったのかどうかは分からないが、私は図らずも?彼の前を走る事になってしまったのである。しかし、ここで前に出てしまった私に一つ心配な事が有った。

ここから峠の三夕トンネルまでの区間は左右の低中速コーナーが連続する道で、どちらかと言うと以前から私が苦手とする道だったのだ。私がここを走る時はいつも後ろに下がって誰かさんに先頭をお願いして後ろから着いて行くのだが、前に出てしまった手前今更下がる事も出来ず、私は10Rに突付かれないように少し頑張ってみました。

コーナー途中に穴凹が有ってフルバンク状態でサスがフルボトムしたりしながらも、私何とかトンネルまで逃げ切りに成功したのであります。トンネルに入りミラーで後続を確認するとシルバーの10Rの後ろにいる筈のHIDのヘッドライトは見えず、隼のヘッドライトが見えていた。

後から聞いた話だとA氏も私同様に穴凹にバイクを落としてしまったそうで、バイクが横っ飛びしてしまいそこで隼と順番が入れ替わったらしい。私はトンネルの中でスピードを落とし、隼を引き付け間隔が詰まるのを待った。

トンネルを出ると道は下りの中高速コーナーが連続する道に変わり、私は一気にペースを上げる。ここの道を嫌いでは無い私は、直線をフルスロットルで加速してコーナーに入って行くのだが、私のGSX−Rは一つの問題jが顕著になっていた。

前から起きていたフロントブレーキのジャダーがより大きくなってきていて、一気の減速が難しくなってきていたのだ。ブレーキのジャダーは高速になる程大きくなるから、私は減速をコーナーの大分手前から始めなければならなくなっていたのである。

私のGSX−Rはコーナーの立ち上がりで10Rを引き離すのだが、コーナーの進入でブレーキングが甘く追い着かれ、また立ち上がりで引き離す事を繰り返す。それでも10Rに並ばれる事なくGSX−RはSSを走り切ったのだが、いつの間にかシルバーの10Rは私のミラーから消えていた。

GSX−Rと10Rの全てを目撃していた隼のライダーによると、10Rの彼は途中に在ったパーキングに入って行ったようである。GSX−Rと10R二台の間隔は空いたり詰まったりの繰り返しであったらしいく、大きな荷物を後ろに積んだGSX−Rを身軽な10Rが追い掛ける様は、ある意味こっけいな光景であったと彼は感想を述べていた。

私としてはフロントブレーキが万全な状態で走れなかったのが少し残念だったが、今考えれば楽しい時間を過ごさせて頂いたZX−10Rのライダーに感謝の気持ちでいっぱいである。またこのSSを走る機会が有るかと思うが、地元の皆さんとは今回のようなフェアーな走りで楽しませて頂ければと思っている。

しかし、10Rのライダーからしたら結構感じの悪い 黒黄GSX−R であったろう事は想像に難くない。何しろ 黒黄GSX−R に乗るライダーが、白髪混じりのハゲ頭である事を先ほどのパーキングで見てしまっていた訳だから・・・。


▼あとはフェリー乗り場を目指すだけ

札幌ナンバーとのコラボレーション?を楽しんだ我々は、大夕張ダムのシュウパロ湖畔を走って夕張を目指すが、前にダンプカーが立ちはだかってペースが上がらない。ここでは新設ダム工事に伴う新しい道路(山の中腹)が建設中で工事車両が行ったり来たりしているのだが、この新しい道路が完成した時私はその道を走る事が出来るのであろうか? 完成までは暫く掛かりそうだから、完成が早いか私が北海道から引退するのが早いか微妙だな・・・。

いつもは夕張高校隣のセイコーマートで休憩を取るのだが、今回は出来るだけ桂沢ダムから離れたいと言う気持が有って?その前を通過、夕張紅葉山の交差点を左折して国道274号に入る。

この先ではよく(殆ど)ネズミ捕りをやっているのだが、今日もやっておりました。この数年は100%の確立でやっていますので、皆さんもここを通る時にはスピードの管理には充分お気を付け下さい。我々も当然止められないスピードで通過したのだが、今回は他の部分で気を付ける事が有って、後ろ二台は隊形をしっかり整え通過したのだと言っておりました。

初日のポレポーレに宿泊した時、宿のお母さんから穂別の温泉施設 樹海温泉はくあ の入浴券を頂いていて、今日はそこで温泉に入り夕食を食べてからフェリー乗り場に行く事にしていた。

国道274号沿いに在る 樹海温泉はくあ に到着してみると駐車場に車は無いし様子が何だか変であった。玄関に行くと本日休業の文字が・・・。後で調べてみると定休日は月曜日なのだが、祝・祭日の場合はその翌日が休業日になるらしく、今回の場合はそれにドンピシャだった。7・8月は無休らしいのだが、9月はもう繁忙期ではないらしい。

気を取り直した我々は、穂別で休憩、鵡川で夕食を取る事に予定を変更、穂別の街入口に在るセイコーマートにバイクを停める。バイクから降りたメンバーの口からは、桂沢ダムでの出来事や紅葉山での事が語られる。 「止められなくて本当に良かったね。○○さん。」

ふと隼のリヤタイヤを見るとスリップサインがしっかり繋がっていた。この隼は700km程走ったタイヤで北海道に上陸していたのだが、この四日間で使い切ってしまったようである。四日間と言っても二日は雨だったから、実質二日間で使い切ったと考えて良いだろう。

四日間全て晴れていたとしたら、新品タイヤで来ていた私も最終日まで持ったかどうか怪しい状況で、もし来年の北海道が有るとしたら全車新品タイヤでの参加が必須となるだろう。さもなくば、最終日はただ移動だけになってしまうかもしれない。 困ったもんだ・・・。


隼のリヤタイヤ 走行2800km。

GSX−Rのリヤタイヤ 走行2100km。




トラブル発生。


結構大事になってしまいました。











ししゃも屋さんでお土産を購入。
▼アクシデント発生
休憩を終えセイコーマートを出てポレポーレの前を通ったら、お母さんが愛車を洗車しているのが見えた。挨拶だけでもして行こうかとも思ったが、フェリー乗り場に着くまでは何が起きるか分からないから、寄り道しないで行く事にする。

そして、寄り道しなくて良かったと思う出来事が、起きてしまったのである。

穂別を出て鵡川沿いに走った我々は、平取に出る信号で止められる。信号が青に変わって発進した我々は、その先で行われていた道路工事でまた止められてしまった。

片側相互通行の信号がGOになって発進しようとしたその時、後ろの隼のホーンが鳴る。振り返って見ると隼に何か起きた模様で盛んにアピールしている。

バイクを道路脇に寄せ隼の所に行って見ると、クラッチレバーを握ってもクラッチが切れないと言うではないか。隼のクラッチは油圧式なのだが、握ってみると手応えが無くオイルラインにエアーが噛んだようだった。

ブレーキと違って通常クラッチフルードタンクの油面は下がらないものなのだが、タンクのキャップを外してみると中のベローズが伸びてフルードが足りない状態になっていた。フルードが無くなってエアーを噛んだのは明らかなのだが、見える範囲でフルードが洩れた形跡は見付られなかった。

原因はともかく、クラッチラインのエアーを抜かなくては発進する事は出来ない(軽いバイクだったらバイクを押して動かした後ギヤをローに入れ発進する事も可能だが、隼では無理)からエアーを抜く方法を考える。

不幸中の幸いと言うかこの隼の場合、クラッチマスターをニッシン製のラジアルポンプに交換してあって、クラッチマスターにエアー抜きのブリーダーボルトが付いていた。私は早速ブリーダーに取り付けるビニールチューブを取り出そうと荷物の中を探したのだが、見付からなかった。

私は2サイクルエンジンが焼き付いた時、オイルをシリンダー内に注入する為ビニールチューブを持っていた筈なのだが、最近2サイクル車が走らなくなった為ホースを積載リストから外してしまっていたようだ。ホースが有ればそれを使ってフロントブレーキフルードをクラッチに移そうと考えていたのだが、その方法は使えない事になった。

そこでU氏から提案され方法は、彼が持っていたペットボトルのキャップを使ってフルードを汲んで移す方法で、キャップがちょうどブレーキフルードのタンクに入った事からこの方法でフルードを移す事にした。この方法は、この隼のフロントマスターがラジアルポンプに交換されていて、フルードタンクが別体式になっていたから使えた方法で、標準のタンク一体式マスターでは使えなかったかもしれない。

ペットボトルのキャップをティッシュでよく拭いて水分を除去した後、フルードをブレーキからクラッチに移し、クラッチのエアー抜きを行う。クラッチを握ってブリーダーを開けると真っ黒いフルードがブリーダーから出て来た。

溢れたフルードをテッシュで拭き取りながら、その作業を繰り返すと次第にクラッチに手応えが出て来て、何とかクラッチが切れる状態になった。完璧ではないが、ここから秋田までの走行距離は50kmも無いから、秋田に帰るまでは支障なく走る事が出来る筈だ。

思わぬハプニングで30分以上タイムロスをした我々だったが、時間的にはまだ余裕が有り先ずはお土産を買いに鵡川のししゃも専門店に向かう。鵡川のししゃも屋さん到着4時45分、ここで皆さんはししゃもの燻製をお土産に購入する。このししゃもの燻製は酒の肴には最高で、試食を食べた私は日本酒が欲しくなってしまった。


四季の館で夕食を取ってフェリー乗り場へ。
ししゃも屋さんのお嬢さんに近くの食堂を教えてもらい向かったのだが、何故か閉まっていて食べる事は出来なかった。この近くで食事出来るのはあとは四季の館だけしかないとの事で、我々はいつもの四季の館に向かう事にする。

いつもは四季の館で温泉に入って食事を取るのだが、7月のプチ北海道の時フェリーの乗船時間が6時10分であった事からそれに間に合わせるには温泉に入っている時間は無く、我々は食事だけ取ってフェリー乗り場に向かった。





今回は早目にフェリー乗り場に来たのですが・・・。












PIAGGIO MP3-250RL登場!
このMP3はスタンド無しで立っている。
▼北海道とサヨウナラ
我々は苫小牧東港フェリー乗り場に5時50分前に到着する。我々の前にはバイクが既に並んでおり、もう直ぐ乗船が始まるものと思い私は乗船手続きが済んでいないA氏と共にターミナルビルに行き、お土産を買って急いでバイクの所に戻って来た。

ところがである。乗船がなかなか始まらないのである。フェリーの到着が遅れスケジュールが押しているのかとも思ったが、どうも遅れている理由は別にあるようだ。

我々の横をトレーラーを引っ張ったトラクターが引っ切り無しにフェリーの中に入って行っては戻って来ていて、今日は積み込むトレーラーの数が多いようで積み込みに時間が掛かっているようだ。

乗用車と違いトレーラーは一台積み終わって出て来るまで次は積み込めないから、積み込みに時間が掛かっているようなのだ。後で我々がフェリーに乗り込んで中を見たら、入口近くまでトレーラーがビッシリ並んでいて、こんなにトレーラーが多い車両甲板を私は初めて見た。


▼注目の的

辺りも暗くなった頃、1台のスクーターが我々の後ろに止まった。そのスクーターはフロント二輪のスクーターで、私はそのスクーターに見覚えが有った。

それは有って当然で、そのスクーターは私のところで販売したイタリヤ PIAGGIO製 MP3−250RL であったのだ。

MP3のオーナーさんは、私が北海道に出発する前に店に来て、もしかしたら私が帰りに乗るフェリーに合わせ北海道に行くかのしれないと話していたのだが、本当に現れたMP3に私は驚いた。

彼は私が七月のプチ北海道で周ったコースを参考に道南を走って来たようで、支笏湖の伊藤温泉に入ってフェリー乗り場に来たようだ。私と彼が話している横でMP3が大変な事になっていた。

周りにいたライダー達がMP3を見付け、MP3は大勢の人達からフラッシュの嵐を浴びせられ注目の的となっていたのである。フロントを覗き込んだり、オーナーの彼にも質問が浴びせられ、私もMP3の説明をする事になってしまった。

オーナーさんにMP3の良い所聞いたら一番は転倒し難い事だそうで、コーナー途中に砂が落ちていてバンクしながらその砂に乗ってしまったのだが、MP3は横滑りしただけでそのまま走って行けたそうだ。普通なら転倒するような場面でも転倒しないらしい。

安心してバイクを倒せる事から深くバンクしてコーナーリングしていたら、センタースタンドを擦りながらのコーナーを回ってしまったとも言っていた。それにMP3にフロントブレーキの握りゴケは無く(殆ど)どんな場面でも思い切りブレーキを掛けられる(姿勢変化は有るが)らしく、MP3はこけずに止まれる安全なモーターサイクルであるようだ。

私も少しだけ試乗した事が有ったが、独自のコーナーリングフィーリングは二輪に良いタイヤを履いた時のような安定感があり、コーナーを探したくなるスクーターであった事を思い出す。

それでも、オーナーさんは乗り始めに一度だけ立ちゴケをした事があるそうで、三輪といえども倒れる事を身を以て知ったようだ。二輪免許では乗れず(四輪オートマ免許以上が必要)、法的には高速道路でもヘルメット無しで走れるこのMP3、結構楽しめる乗り物だと私は思うのだが、まだ一般には知られていないようだ




北海道の無事を祝って乾杯!


北海道の思い出話に花が咲く。
▼北海道の思い出話で夜は更けていく

話は深夜まで続くのであった。

結局我々二輪が乗船出来たのは7時半近くで、出港も定刻より遅れていたようだ。我々は外で1時間半も待っていた事になり、いつもより早くフェリー乗り場に来たのが裏目に出てしまったわけだが、こんなに遅い乗船なら四季の館でゆっくり温泉に入って来るんだったと後悔したが遅かった。

乗船した我々は客室に場所を確保した後、ロビーに行って先ずは乾杯する。それからから始まった、北海道の話、バイクの話等話題は尽きず、酒やつまみを買い足しながら話は続いた。

そして一人が消え二人消え、最後は私とU氏と二人で会話は続くのであった。そのうちロビーの灯りが消え、周りに居た人達も消えてロビーに居るのは我々二人だけになっていたが、薄暗いロビーで二人の会話は途切れる事無く続くのであった。

今、その時にどんな話をしていたのか全く思い出せないが、何時間もよく話す事が有ったものだと感心してしまう。

ふと時計を見ると午前1時を回っている事に気付いた我々は客室に戻って寝る事にしたのだが、私のその時の寝付きはもの凄く良かったように記憶している。

さすがに北海道の疲れがドッと出たようである。

最終日
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