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 ■ 〜初日

田沢湖を回って小坂へ向かう。



小坂鉱山事務所内のレストランあかしや亭
で昼食を取った後、七滝へ向かう。







二時間半遅れで撮影班が七滝に到着。




国井律子嬢がライディングするのは
 KAWASAKI W400
(ビデオカメラ付きの特別仕様車)


国井が乗るバイクに付いては、スタッフから面白い話を聞いたのでご紹介しよう。

昨年の北海道版では国井嬢はヤマハのSR400に乗っていたのだが、SRの振動で取り付けたカメラが二台も壊れてしまったそうです。

またSR400のエンジン始動はキックなのですが、国井嬢はキックでエンジンを始動する事が出来ず、毎回スタッフがエンジンを掛けていたそうです。

そんな事も有って、今年はW400になったようです。





















































































初めての OCTOBER HOKKAIDO
FUNKYの北海道は通常プチ(JULY 道南)とフル(SEPTEMBER 道東/道北)の二回に分けて行われるのだが、今年は七月のプチが私が怪我をした関係で中止、9月のフルは諸事情により中止となってなっていた。

24年間連続で行われてきた FUNKY IN HOKKAIDO を今年で途絶えさせてはと、私は10月の連休に照準を合わせ北海道ツーリング計画を画策していた。

北海道の10月といえば標高の高い峠道では雪が降る事も考えられる時期で、私はこれまで10月の北海道には一度も渡った事がなかった。少々不安も有ったが、道北・道東を周るフルではなく道南のプチで計画を立て参加者を募る事にした。

そうしたところ、昨年参加のメンバー二人と新メンバー一人の参加表明が有り、計画は実行に移される事になったのである。

それは金曜日の夜10時に秋田市を出発、日付が変わったAM2:40青森港発のフェリーで函館に渡りその日はニセコに宿泊、次の日の夜室蘭発のフェリーに乗って月曜日の朝青森港に到着、八甲田・十和田・八幡平を回って夕方秋田市に帰って来る計画であった。


プチからフルへ
ところが出発の一週間前になって計画を変更せざるをえない事態が勃発してしまうのである。それは今回遠方から参加するメンバーが、事情で月曜日の朝青森港から秋田に直行し帰らなければならなくなったのである。

月曜日は青森県と秋田県内を走る予定にしていた他のメンバーは、秋田に直行する彼とは別行動で良かったのだが、私はせっかく北海道まで行って月曜日に本土に戻って来るのが勿体なくなってしまった。

一人のメンバーは火曜日も休みだし、私は月曜日&火曜日も北海道に泊り水曜日の朝秋田に帰って来る計画を立て、火曜日も休みの彼にフル北海道とも言える計画を打診する。

そして一晩考えた彼から私の計画に乗るとの返事が来た。彼は事情で土曜日の夕方秋田を発ち北海道に来る予定になっていて、北海道を走るのが日曜日だけしかなかったから、月・火と北海道を走れる新たな計画は、渡りに船の計画だったのである。

残る問題は新人さんだった。この新人さんは北海道に渡るのが始めてで、一人ではフェリーに載る自信が無いと言う御仁で、FUNKYツーリングに参加するのも初めてだったのである。

七月に予定していた道南を周るプチ北海道に参加する予定になっていた彼女(そうなんです、その御仁は女性なのです)は当初のプチ日程という事で参加を許されていたのだが、フル日程となると話は違って来る。

道南と違って月・火と走るコースは高速ステージが多く、FUNKYツーリングが始めてでノンかウル車のV−MAX(そう彼女はV−MAX乗りなんです)には荷が重いコース設定になっていて、私は彼女に声を掛けるかどうか迷ってしまった。

しかし、以前私は彼女と二人で走る機会が有って、彼女が自分の判断でシッカリした走りが出来る事を知っており、コースもバイパス設定が可能な事もあって一応声を掛けてみる事にした。

仕事の休みが取れるかどうかの問題も有り、彼女のフル日程参加は無理だろうと私は考えていたのだが、何と彼女からのご返事はフル日程に参加すると言うものだった。


某テレビ出演の真相

ここで私が彼女と二人走った時の事を書いてみようと思う。

それは私が鎖骨の手術を終え退院して来た日の事だった。店の電話が鳴って東京の制作会社の者だと言う人物からテレビ撮影に協力してもらえないかとの要請が有った。それは昨年北海道を走った清水国明氏と国井律子嬢(以下敬称省略)のツーリング番組の東北版だと言う。

その番組が放送されると言う事はある筋の情報で知っていた私だが、何で私の所に電話が来たのか疑問ではあった。東北の情報を知りたいと言う事だったのでツーリングに良さそうな処を紹介したのだが、走るコースは既に決まっているようだった。

七月の下旬に下見に秋田へ行くので会ってもらえないかと言うのでそれは構わないと返事をしたのだが、実際に彼らが秋田に来た時には私が清水らと共に十和田樹海ラインを走る話に変わっていた。

「是非お願いします。」 

と頭を下げられたのだが、GSX−Rの左側は壊れたままだし、左肩にプレートを入れたばかりだから私は考えてしまった。

しかし、撮影まではGSX−Rの修理は終えそうだし、腕は上られなくてもバイクには乗れそうだから何とかなるか・・・。

「これから先テレビに出る事などないだろうし、冥土の土産に出てみようか。」
・・・と私は走る事を了承した。

「ところでどんなバイクに乗っているんですか?」
・・・と聞かれたのでGSX−Rの右側を見せたのだが、彼らの興味はどんなバイクかではなくどこのメーカーであるかだった。

彼らは、SUZUKIの文字を見付けて 「丁度良い!」 と言ったのだが、その訳を聞いたら番組に登場するバイクの中にSUZUKIがまだ無かったらしいのだ。某放送局では国内四メーカー平等に出さないとクレームが付くらしく、これで条件をクリアー出来ると製作会社の人は喜んでいた。

しかし、私が十和田樹海ラインを走る為には、もう一つクリアーしなければならない事があって、それは基本的に清水らが走る道は視聴者から募集した道を辿るというスタイルを取っている為、誰かに十和田樹海ラインの紹介を応募してもらいたいと言うのだ。

「テレビはそこまでするのか!?」 と感心?してしまった私だが、それはFUNKYの皆さんにお願いする事にした。

それと、私と一緒に走るバイクを集めて欲しいと依頼されたのが、撮影日はウィークデーで仕事を休んで参加してくれる人は少ないだろうし、樹海ラインを速く走るのなら兎も角ゆっくり走リたいと思うライダーは多くないと思われ、集めるのは難しいだろうと私は考えたのだが、頭の中にある人物の名前が浮かんでいた。

それがV−MAXに乗る彼女であったのだが、清水&国井コンビに対抗してGSX−R&V−MAXの最強?コンビで、樹海ラインを走れば絵になるだろうと私は考えたのである。


初めてのテレビ撮影

そして八月初旬、十和田樹海ライン七滝で清水国明と国井律子を待ち伏せるべく、私と彼女の二人は田沢湖から国道341号を通り小坂に向かったのである。

途中、私が事件を起こした現場検証を行ったりして走ったのだが、彼女の走りは自分の限度を知った安定したもので、私がペースを上げても自分のペースで走っていたのが印象的だった。

しかしそれも当然で、彼女はこの二年間でV−MAXを二万`以上走らせ走りの勉強を積み重ねてきていて、私が知っている一年前の彼女とは走が全く別物になっていた。

我々は昼過ぎ小坂に到着し、昼食を取った後待ち合わせ場所の七滝に向かったのだが、約束の時間の午後一時半になっても彼らは現れず、電話で連絡を取ったらそれが二時半になり最終的には四時になってしまうのである。

中々現れない彼らを待つ間、我々は樹海ラインを往復したりして時間を潰していたのだが、我々が時間を持て余している時、清水がバイクを路肩に止め寝ていた事実を私は放送を見て初めて知った。

スタッフとの電話では車が故障して遅れているとの事だったが、スタッフも清水が寝ていて遅れているとは言えなかったようである。。

七滝に現れた時、清水国明にタレントのオーラは感じられず疲れ果てた唯のオッサンにしか私には見えなかったのだが、それは30℃を越える気温の為だったり、早朝からの撮影と走行で疲労がピークに達していた事も有ったものと思われる。

放送には使われなかったが七滝での撮影も終了し、ソフトクリームを舐め舐めしながら椅子もたれ掛かる清水に、スタッフは困ってしまった。スタッフとの打ち合わせでは、清水が私に話し掛けるという段取りになっていたのだが、二人には私を仕込んである事を話しておらず、あくまでも自然の流れでそうなればという話だった。

制作会社は基本的にヤラセ仕込むはOK!?)を嫌うようで、このままではわざわざ秋田市からやって来た私の出番は無く、困ったスタッフは私の所にやって来た。

スタッフは、私から 「清水国明さんですよね?」  
等と話し掛けてくれと言うではないか。

 オイ オイッ 


タレントは向こうだろう。私はノーギャラ(一応バイク業界の端くれとしてガソリン代も自分持ち)で来ているのに、

「タレントに対し素人に小芝居しれってか!?」

「Qを出しますから宜しく。」 と言ってスタッフはそ知らぬ顔で戻って行く。

そして私に向かってが出た。

それ見た私は覚悟を決める。

「やってやろうじゃないの・・・。」

演技と言えば幼稚園の学芸会でキノコの役しか演じた事のない私だが、生まれて初めてのテレビ出演(ラジオは20年位前にバイク関連でFM秋田に出た事が有った)に向かって歩みだす。


KY BMW

すると先ほどまで私の横で撮影班を見ていたBMW(八戸ナンバー)に乗る若者が私の後ろから着いて来た。

「オイオイ 空気読めよ。」

と言いたかった私だが、着いて来るなとも言えずKYなBMWはしっかり撮影の中に入り込んでしまのである。結局彼は私と共に樹海ラインを走る事になってしまうのだが、それは私にとって全くの想定外の事あり、樹海ラインの走行で苦労させられる事になるのである。

予定ではV−MAX&GSX−Rコンビで樹海ラインを走る筈だったのだが、ある事情により直前に彼女の出演が見送られる事になったのは非常に残念であった。皆さんに彼女の華麗な走りをご覧頂く良い機会だったのだが・・・・残念でした。

そして私は教えられた台詞で清水国明に話し掛けた。

「清水さんですよね。」 

アレッ? 国明が抜けている。 放送を見た私は国明が抜けている事に気付いた。
自分では清水国明と言ったつもりだったのだが、緊張のあまり国明を省略してしまったようである。

放送では私が清水に話しかけてから何処から来たかを聞かれ、その後樹海ラインを走る話になっていたが、そこに持って行くまでには結構な時間と私の葛藤が有ったのに、それは見事にカットされていた。

イスに座って動こうとしない清水国明に、スタッフから言われた台詞

「発荷峠まで一緒に樹海ラインを走りませんか。」

を切り出すタイミングを窺っていた私の額からは、大粒の汗が滴り落ちていたのであります。

私が仕込みで話し掛けていたのにその事に清水らに気付かなかったのは、BMWの彼がカムフラージュになっていたのも有ったのかもしれない。結局スタッフの思惑通り自然な流れ?で私と清水国明&国井律子+αは、樹海ラインを発荷峠まで一緒に走る事になったのだが、その走行が私にとって拷問のような疲れるものだったのである。


最低速度の樹海ライン

十和田樹海ラインの走行シーンjは、最初カメラ車(VW Beetle Cabriolet オープンカー)が前で、その後に私のGSX−R、BMW、清水のCB400SF、国井のW400と続く。走リ出す前先頭の私に対し最高速は60`+10`までとスタッフから指示があった。

十和田樹海ラインの上り始めはRの小さなコーナーが続くのだが、前に車がいるので車に近づけとか離れろとかの指示に従っているだけで良かったが、途中から私が先頭になりカメラ車が最後尾に着いて走るようになると、色々問題が起きて来た。

私はスタッフの指示通りスピードメーターと睨めっこしてスピードを60〜70`の間に入れて走っていたのだが、ふと後ろを見ると何故か見知らぬ車が走っていた。どうも私のペースに二番手のBMW君が合わせられなかったようで、私との間隔が開いて車に入られてしまったようなのである。

車を前に出した後、私はスピードメーターではなく、ミラーの中のBMWを見ながら走る事にしたのだが、BMW君のペースに合わせて走っているとデジタルメーターの数字は50〜55の間をウロチョロしている。

私がこんな数字で樹海ラインを走ったのは今回が初めてで、コーナーの立ち上がりでついついBMWとの間隔が開きぎみになっていたのが放送の映像にも写っていた。

遅く走る事がこんなに大変な事だったとは思ってもいなかっが、私も偶にビギナーを引率してゆっくり走る事は有る。しかしその時は走りをレクチャーしながら走るので、今回のように変な疲れは無い。最後にはBMW君にバイクの走らせ方をレクチャーしたくなってしまった十和田樹海ラインの走りであった。

発荷峠の展望台から十和田湖を見た清水国明は、意味も無い言葉を発し続け私は少々困惑気味になってしまったのだが、彼は彼なりに疲れた体を鼓舞していたのかもしれない。私は話す事も無くなったので、BMW君に清水を任せ後ろに下がって彼らを見ていたら、スタッフに前に行って話してくれと言われてしまった。


国井律子の役目とは?

それならと、私は国井の横に立って国井と会話をする事にした。そりゃそうでしょう。オッチャンと話すより若い?オネエサンと会話する方が楽しいでしょう。

国井嬢との会話の中からこのテレビ撮影を仕切っているのは、清水国明ではなく国井律子である事が分かってきた。国井の頭の中には撮影のスケジュールが入っており、彼女はそれを基に清水をコントーロールしているようなのである。

要するに出来るだけ清水をフリーにさせて行き当たりバッタリ感を出そうと言うのがスタッフの考えのようなのだが、鉄砲玉のように行きっぱなしになりかねない清水を引き戻すのが国井の役割のようなのである。

十和田湖を見ながら国井律子が私に質問してきた。

「今日はお休みなんですか?」

確かに今日はウイークディで観光地をウロウロしている人間は少なく、その質問は的を射たものであった。またそれは私を仕込みとは思っていない証明でもあった。

私は答えるのに一瞬考えてしまった。

「お二人と走る為、店を閉めて来ました。」

と本当は言ってやりたかったのだが、ここで仕込みをバラスのも大人気無く、私は

「 はい。 」  と返事をしてしまった。

発荷峠の撮影を終わり、スタッフからこの撮影が8月末放送の某国営放送の番組である事を聞かされたBMW君は、私の所に来て

「8月末にBSで放送されるそうですよ!」 と嬉しそうに教えてくれたのだが・・・。

「BMW君、お前なぁ・・・」 君には言いたい事が山ほど有る。

しかし、私は 「あっそ・・・」 とだけ答えておいた。

樹海ラインに戻って地上から四台揃って走るシーンを撮影した後、清水国明と国井律子から

「また何処かで会いましょう。」 と、別れの握手を求められた私は、
もう会う事は無いとは思ったが、

「撮影頑張って下さい。」 と彼らに労いの声を掛ける。

彼らと別れた私は、フルスロットルを当てたGSX−Rのエキゾ−ストノートをその場に残し、V−MAXの待つ七滝に向かったのでありました。

七滝までの速かった事、速かった事。行きと帰りでは時間が3分の1位?であったかもしれないです。

結局、秋田に帰って来たのはすっかり暗くなった午後八時過ぎだったが、テレビ撮影参加という大仕事を無事にやり遂げた私は、それなりの達成感を持って家路に着いてのであります。



この時のV−MAXの走りを見ていた私は、フル北海道計画を立てた時彼女にも声を掛ける事にしたのだが、それが間違いでは無かった事は追々このレポートの中でご紹介していこうと思う。




雨は降っていない。



無事スタートラインに着きます。



青森に向けてスタート PM9:30
二十五年目の北海道へ

飛行機に乗ってやって来た
彼のGSX−Rを準備する。



今回の北海道ツーの主役?が到着。
そして北海道に出発する日がやって来た。前日の天気予報では今晩秋田や青森の降水確率が高くなっていて雨が心配された為、私は秋田出発PM10:00の予定をPM9:00に繰り上げていた。

ところが六時半過ぎ、遠方から参加するメンバーから飛行機の出発が遅れ九時出発には間に合わないかもしれないとの電話連絡が入る。元々十時出発でもゆっくりな予定なので問題ない事を告げたのだが、心配なのは雨である。

この数年プチの青森に向かう間(夜間)に雨に降られる事が多く今回も良くない予報が出ていた。雨雲レーダーの画像には日本海に雨雲が映っていたが、九時現在雨は降っておらず雨具を着て秋田を出発しなくても良さそうではある。

予定より少し遅れて遠方からのメンバーが到着、続いてV−MAXの彼女か到着する。初めての北海道に防寒対策を完全にして来た彼女は、バックの中にもインナーウエアーを沢山持って来ていた。しかし、どう考えてもその数が多過ぎた為整理して置いていく事になってしまった。

私も経験が有るが、初体験の時は色んな事が心配になって過剰な準備をしてしまう。それが経験を積む事により余計な物が削ぎ落とされ、必要最低限な物に集約されて行くのである。

夜遅くの出発であったにもかかわらず二人のメンバーに見送られた我々は、PM9:30秋田を出発、200km先の青森港フェリーターミナルを目指し走り出す。


女性が参加する北海道は17年ぶり

FUNKYの北海道ツーリングに女性が参加したのは1991年が最後だったから、もう17年も前の事になる。その女性はそれまで何回も北海道を走っており、他のメンバーと同じ様に走っていた。

しかし、今回参加の彼女はV−MAXでの参加で、我々と同じ走りは出来ない事から一部別行動を取る事にしている。それにしてもあの小さな体でV−MAXを走らせる彼女の根性?には感心してしまう。

押したり引いたりするだけで私は疲れてしまうV−MAXを、彼女はもう2万`以上も走らせているのだ。これだけ重いバイクで走りを勉強すれば得られるものも多いと考えられるが、私は今回の北海道で新たなバイクの世界を体験し、V−MAXの走りにより磨きが掛かればと考えている。




1回目の休憩は北欧の杜公園入口のローソン。



2回目は昨年も休憩した大鰐IC近くのコンビニ。
無事フェリーに乗船し北海道へ
秋田市を発って国道285号を使って比内に出た我々は、大館パイパスを通って国道7号に出た後、県境の矢立峠を越える。矢立峠では前回のツーリングでボイラー故障で入れなかった矢立温泉の明かりが見えていて、ボイラーも直って営業している模様である。

私は雨を心配しながらの走っていたのだが、青森県に入ると空に月明かりが見えるようになってきた。夜の走行は前が見えず苦手だと言っていたV−MAXは、この北海道の為にヘッドライトを強化してきたそうで、その効果も有って夜道の苦手意識が薄れて来たようだ。


ヘッドライトの上向き
またライトを上向きにして走ると視界が広がって走るのが楽だったとも言っていた。皆さんにも夜間走行の時は、ライトをこまめに上向きにして走る事をお勧めする。車と違ってライトの数が少ないバイクの場合、下向きの光では視界が狭く走り辛いのだ。

複数で走る場合でも後続はライトを上向にして視界を確保すべきで、そうすれば前方の明るさは車と同等になる。しかし、前を走るライダーはミラーから後続のライト光を受ける事になるから、その場合はミラーの角度を少し変えたりして眩しくならない対策を取る必要がある。

私のGSX−Rの場合、上手い具合に腕が後続のライト光を遮蔽しミラーへの入り込みを防ぎ眩しくはないのだが、各自眩しくならない方策を考えておく事をお勧めする。

日付が変わった午前1時過ぎ、青森市に到着した我々はいつものGSでガソリンを給油する。ここで給油する時はいつも燃費が良いのだが、今回も燃費が23km/Lを越える高燃費であった。この燃費で走ったらGSX−Rの航続距離は400kmを越える事になるのだが、燃費の良いのはここまでで、北海道に渡ってからは度々ガス欠の恐怖と戦いながら走る事になるのである。


東日本フェリー

青森港フェリー乗り場に無事到着した我々は、乗船手続きをする為受付窓口に行く。しかし今回はインターネットで乗船手続きをしてあったので、窓口ではなく窓口の横に置かれた機械の前に立つ。

インターネットからプリントアウトした二次元バーコードを機械にかざすと、乗船券が人数分出て来た。東日本フェリーの場合インターネットで手続きすると料金が10%引きになるので大変お得なのだが、東日本フェリーは11月いっぱいで青森〜函館間を含め国内フェリー事業から撤退する事が決まっている。

青森〜函館間はグループ会社の道南自動車フェリー株式会社に継承されるようだが、他の航路はまだ決まっておらずその動向が気になるところだ。来年北海道に渡る時、その選択肢が減る事だけは避けてもらいたいと思う。

フェリーが青森港を出港するのはAM2:40、乗船は二時頃でまだ時間が有る為我々は二階の待合室で乗船までの時間を過ごす。遠方から参加した彼は夕食を取る時間がなかったらしく奥の食堂でラーメンを食べている。お腹が空いた状態では寝付きが悪いだろうから、ここで食べておく事は大事だ。

青函フェリーの乗船時間は3時間40〜50分で、睡眠を取る時間が少なく集中的に寝る事が必要になるのだ。


小柄な男!?

乗船時間になってフェリーの前に行くとセローが一台停まっていて、我々の後ろに二つ目の黒いGSX−Rが並ぶ。今日このフェリーに乗るのは我々を含め五台だけのようで、10月にバイクで北海道渡る物好きはそう多くはないようである。

その二つ目GSX−Rライダーと後に話す機会が有ったV−MAX嬢から聞いた話だが、上から下まで真っ黒なレザーウエアーに身を固めたV−MAX嬢を見た二つ目さんは、最初長髪の小柄な男性だと思ったらしい。そしてヘルメットを脱いだ姿を見て、驚きそして感心したようである。

その意外性こそがV−MAX嬢の狙いなのだろうから、私は二つ目さんからその話された時のしてやったりの彼女の顔を見てみたかった。

乗船待ちをしていると、海の向こうで閃光が走り遠雷が聞こえて来る。しかし雷はまだ遠くこのまま雨に当たらずに乗船出来そうである。我々がフェリーに乗っている間に前線が通過し、函館に着いた時に雨が上がってくれれば理想的なのだが、そうは上手くはいかないか・・・。


ドキドキ乗船

フェリーへの乗船を待つ間、ドキドキしながらそれを待つメンバーがいた。それはフェリー乗船初体験のV−MAX嬢だった。フェリーの車両甲板にはフック等の凸凹が有ると言うし、濡れて滑る所も有るらしい。私は指定された場所にV−MXを止める事が出来るのだろうか・・・?

彼女の頭の中は人から聞いた話で不安が渦巻いていたようだ。しかし、青函フェリーの場合二階に上がるスロープが有るわけでもなく、真っ直ぐ入って壁際に寄せるだけだからそんなに怖れる事はないのだが・・・。

そして乗船が始まった。我々は係員からチケットのバーコードチェックを受けた後フェリーに乗り込む。凸凹のゲートを通過し床面一面に設けられている丸い輪ッカを避けながら係員が呼ぶ方向へバイクを向け、指定された場所にバイクを止めギヤを1速に入れたままメインスイッチを切ってハンドルロックを掛ける。

この一連の作業を終えればライダーの役目は終了、後は係員がベルトでバイクを床に固定してくれる。東日本フェリーの場合バイクから荷物は降す必要はないから、ヘルメットと必要な物を持って客室に上がって行けば良いのである。

V−MAX嬢も一連の作業を無事に終了、ある種の達成感を持って私と共に客室に上がって行く。

今日の二等客室は比較的空いていて簡単に寝床を確保出来たのだが、どうした訳か枕の数が少なく、誰かさんに買い占め?られてしまったようである。我々がこの二等客室で行う事は少なく、着替えてビール(男が発泡酒、女性は高級ビール)を買って来て乾杯、歯を磨いてサッサと寝て少しでも睡眠時間を多くする事ぐらいの事であった。

四時間弱と言う睡眠時間は寝ていたような起きていたような中途半端な時間なのだが、他のメンバーが私の鼾を聞いたと言うから寝てない訳ではなかったようである。


2日目

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