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 ■ 2日目


函函館山を見るのも一年ぶり。


高速フェリーナッチャン
10月末で運行停止に・・・。


北海道上陸を前に
ストレッチで気合を入れる!?


北海道上陸
北海道上陸30分前頃、周りが騒がしくなって私は目が覚めた。目が覚めた言うよりは、目を開けたと言った方が正確かもしれない。目をつぶりながらも意識は有って、本人には寝たと言う感覚は無いのだが、寝ていたようである?

起きてモーニング缶コーヒーを飲んだ後、顔を洗って歯を磨く。フェリーが函館の港に近づいたようなのでデッキに出てみと、太陽はまだ顔を出していなかったが、空は青空で天気は良さそうである。

我々のフェリーは函館山の横を通過、前方に高速フェリーのナッチャンが見えて来る。確かこの高速フェリーは昨年の四月に就航したと思ったが、今月末(10月末)で運行休止になりナッチャンは何処かに売られて行くと聞く。一度はナッチャンに乗ってみたいと考えていた私だったが、その高額な料金から乗る機会無く終わってしまいそうである。


修学旅行の北海道

函館山を見る時、私が 「北海道にキターッ!!」 という思いがするのは45年前の事が影響していのかもしれない。

私が北海道に初めて渡ったのは、昭和38年(1963年)中学校三年の時の修学旅行だった。朝、列車で秋田を発った私達は、青森に到着した後青函連絡船に乗り換えて函館に向かったのだが、その青函連絡船上から見た函館山が私が生まれて初めて見た北海道であったのである。

また青函連絡船は私が生まれて初めて乗る大型船であったのだが、その時の津軽海峡は波が高く私は船酔い気味になっていて、船から函館山が見えた時これで船酔いから開放されると ほっ とした事もあって、  函館山=北海道 という図式が私の中に強く印象付けられたのかもしれない。

その時の修学旅行は三泊四日の日程で、函館に上陸した後トラピチヌ修道院や五稜郭等を見学、湯ノ川温泉で夕食を取り函館山の夜景を見学した後函館駅から札幌に向かう夜行列車に乗るという結構な強行スケジュールであった。

二日目は北海道大学や時計台、藻岩山等札幌市内を見学した後定山渓温泉に宿泊、三日目は中山峠を越えて昭和新山、白老等を見学した後洞爺湖温泉に宿泊、四日目にまた青函連絡船に乗って秋田に帰ると言うものだった。

当時、秋田の中学校の修学旅行は東京が主流で、北海道(道南)へ行く中学校は私が通っていや中学校ぐらいだったと記憶するが、私はその時から北海道に縁が有ったのかもしれない。

時間になって我々は車両甲板に降りて行ったのだが、昨年とバイクの下船方法が変わっていて焦ってしまった。昨年は車が全部下船してからバイクであったのに、今年は我々の前にいた車が出終わると我々のバイクの順番になっていた。

バイクは最後に下船とゆっくり構えていた我々は、係員に早く降りろと急かされてしまった。私はヘルメットのアゴ紐も締めず、北海道の大地に降り立ったのであります。




雨上がりの函館港に上陸。
天気は良いが路面は濡れている。
後は新しいターミナルビル









松前の先のSeicomartで休憩。
天気は良いが、風が強い。


信用度 ゼロ
ここで休憩していたら相方の携帯が鳴ったのだが、それは知らない番号からの電話だった。電話に出た相方は最初話が見えなかったらしいが、それは今日泊まる宿からの確認電話であった。

そういえば宿を予約した時、携帯の番号を聞かれたのだが、携帯を持たない私は相方の番号を教えていたのを思い出した。

それにしても、何度となく宿を予約している私だが、当日に確認の電話が入ったのは初めてだった。私信用されて無かったようです。

●世の中そんなに甘くはない・・・!?
一年ぶりに見る函館フェリーターミナルの景色は大きく変わっていた。新しいターミナルビルが建っていて一気に近代化された感じになっていたが、これもナッチャン効果なのかもしれない。

丁度朝日が顔を出した函館の空は快晴、こんな天気の函館に上陸するのは久ぶりだったが、道路は黒く濡れて朝日に光っていた。それは昨晩鳴っていた雷を伴った寒冷前線の仕業と思われ、昨晩私が考えたシナリオ通りの展開になっていた。

これで日が高くなるに連れ路面が乾いてもらえば文句は無かったのだが、その後世の中そんなに甘くない事を我々は思い知らされる事になるのである。

AM6;:30、朝日を受けながら我々は函館を出発、国道228号を西に向かって走る。途中私は25年目(つまりFUNKY IN 北海道PART1)に訪れていた男子トラピスト修道院に寄ろうと考えていたのだが、前を走るパネルトラックで前方の視界を奪われていた為、気付いた時には入口を通り過ぎいた。

Uターンして戻ろうかとも思ったのだが、Uターンが嫌いな(不得意)私はそのまま先に進む。しかし、そのトラピスト修道院に立ち寄らなかった事がその後我々に思わぬ幸運をもたらす事になるのである。


別行動

木古内のSeicomartで朝食!?

函館を出てから45分ほど走って木古内のSeicomartにバイクを停め、軽い朝食を取る。我々GSX−RコンビはここでV−MAXと別れ、国道228号を福島、松前と海岸線に沿って走り、上ノ国に出るのだが、V−MAXの彼女は山を越え松前半島を横断して上ノ国にバイパスする事にした。

距離的には我々の方が彼女の倍位走る事になり何処で追い着けるか分からないので、彼女にはマイペースで国道229号を北上してもらう事にした。

彼女が先発して道道5号に向かった後、GSX−Rコンビはまずは福島に向かって走り始める。福島の手前知内との間には峠が在って、少し楽しめる道になっていた。路面は生乾き状態ではあったが、少しスロットルを回せる状態になって来ており、我々は北海道の道を少し楽しむ。

松前を過ぎると西風が強くなって路面は急速に乾いていったのだが、今度は風が強過ぎて走るのに支障をきたす状態になって来る。松前から上ノ国までの国道228号は、日本海からの風をまともに受ける所を走っており、我々は左手から強い風を受け左にバンクしながら真っ直ぐ走って行く。

バイクは強い横風を受けるとタイヤがすくわれるように風下側に移動、頭の位置は変わらないがバイクは傾いて風の抵抗とバランスして真っ直ぐに走る。コーナーを走る時のバイクは遠心力とバランスして傾いて走るが、真っ直ぐ走っているのに傾いているバイクを見るのは不思議な感じである。

風の影響も有ったが、Google earthで見て走るのを楽しみにしていた国道228号は、思っていたより楽しくなかった。北海道の国道にしては道幅が狭く路面状態も良くなく、今後この道を使う機会は少ないかもしれない。

一方、V−MAX嬢の話によると道道5号の山越えの道は結構楽しかったと言うから、今度はそちらの道を試してみようと思う。私の知っている25年前の道道5号は、狭い曲りくねった道だったのだが、今は改修されて楽しい道に変わっているようである。


瀬棚のホクレンGS
雨は上がったが、気温が低く雨具は脱げない。



陰になって見づらいが後のトラックの運チャン
FM秋田の有名?なリスナーらしい。
天気は移り気
江差に近づくに連れ左側に見えている日本海の空が暗くなってきて、ポツポツと雨粒が落ちてきた。V−MAX嬢とは道の駅で待ち合わせていてのだが、江差の道の駅に彼女の姿は無く、我々は国道227号、国道229号と走って瀬棚を目指す。

熊石の手前まで来た時、我々の前にV−MAXの後姿が見えて来る。着ている上着の色が赤かったので一瞬彼女ではないのと思ったら、彼女は雨具を着ていた。三台一緒になって走り始めて少し走ると雨が落ちてくる。

我々はこれから国道229号を大成から峠を越えて北檜山に出るのだが、標高の高い峠では雨が降っている事が予想され我々も雨具を着る事にする。気温が低い事もあり体が濡れてしまっては体力の消耗にも繋がるから、この時期早目の雨具装着が大事である。

私の予想通り雨模様の峠を越えて北檜山に出ると雨は降っておらず、青空も見えてくる。昨年も大成と北檜山では天気が違っていたから、この峠は天気の分水嶺となっているようである。


瀬棚のリスナー

北桧山から瀬棚に出た所で北海道で初めての給油を行ったのだが、そこで我々は秋田の情報に詳しい人物と出会ってしまうのである。

ホレンの黄色いタンクローリーから降りて我々の所に近付いて来たV−MAXを所有すると言う彼は、我々が秋田から来た事を知って質問と自慢話?を始める。彼の話によると、ここ瀬棚のある場所では奥尻海峡を抜けて来たFM秋田の電波が受信出来るそうで、FM秋田の放送が聴けると言うのだ。

彼はFM秋田のある番組の中では有名な何とか言うリスナーだそうで、何々したのは私だとか、何々を送ったのは私だとか我々に自慢を話?沢山してくれたのだが、FM秋田を殆ど聞く事が無い私達は ???? の連続で、それはFM秋田オタク?ワールドの話であった。

適当な返答しか出来ず熱心に話してくれた彼には本当に申し訳なかったが、給油を終えた我々は国道229号を北上する。瀬棚から先の道は断崖にへばり付くように造られたトンネルが連続する道になっていて、トンネルの合間合間から見える奇岩や美しい景色は、我々の眼を楽しませてくれた。





道道523号の出口の標示




SSに向けモチベーションを上げる二人。
V−MAXが先発する。

●新しいSSを発見
昨年、国道229号の 道の駅 よってけ島牧 を過ぎて弁慶岬に向かう途中、私は右手に延びる良さそうな道を発見する。北海道から帰って地図とGoogle Earthで調べてみると、その道は黒松内に通じる道道523号と判明した。

Google Earth で見ると適当なアールでワインディングロードが続いており、これで道幅が広く路面の状態が良ければSSとして使えそうな道だった。

そして今日我々はその道を走るべく、道道523号に入った所に在ったパーキングにバイクを止め、これからの走りに備え雨具を脱ぎ身支度を整える。雨具を着ていると動きが鈍くなるし、お尻が革と比べて滑るからホールド感が違ってくるのだ。


勝負グローブ

また私は、グローブを勝負グローブに換え走りに備える。私は今年の事故の後、雨(防寒)用としてゴアテックスフィルム入りの防水グローブを購入したのだが、普通のレイングローブよりは操作性に優れるものの、使い慣れたレーシンググローブと比べると少し厚手の為操作性が少々落ちる。

グローブは使い慣れた物が一番で、革の厚さの少しの違いでも走りに影響が出てくる。この後防水グローブでニセコのパノラマラインを走る機会が有ったが、スロットルを戻しブレーキレバーに指を掛けた時、指が微妙にレバーに引っ掛かってブレーキを掛けるタイニングがコンマ何秒か遅れてしまった事が有った。

コンマ何秒かの遅れではあったが、スピードが高い場合ブレーキポイントは結構先にずれてしまう訳で、私は少なからずもドキドキしてしまった。

グローブだけではなく、安全な走りにはヘルメットもウエアーもブーツも体に馴染んだ使い込んだ物が一番で、気になる事がある時は無理をせずレベルを落として走る事をお勧めする。

因みに私に場合、パンツがボクサータイプでもトランクスタイプでもどんなカラーでも、走りには影響しないようである。


新たなSS発見

準備を整えた我々は道道523号に走り出す。まずV−MAXが先発し、少し遅れてGSX−R二台が追い駆ける展開でそれは始まった。

走り始めると道道523号は道幅は適度に広く、適当な長さの直線と適度なRのワインディングが組み合わされた道北地駒峠の勾配を緩くしたような楽しい道で、我々のスロットルは徐々にワイドオープンになっていく。V−MAXの姿を求め私はペースを上げていったのだが、なかなかV−MAXの姿は見えてこなかった。

峠と言う程の高低差はないが、この道の中間地点近くに在る防雪シェルター手前でV−MAXの姿を発見する。あの時間差でここまで逃げるとはV−MAX侮り難しである。シェルターの中で彼女の前に出た我々は、緩い下りに変わった道を駆け下って行く。それは久しぶりのシビレるフルブレーキイングの連続だった。

十和田樹海ラインの下り方向に在る長い下りの直線から進入する右コーナーのスチエーションにも似て、ブレーキを掛け始めるポイントを決めるのが難しいコーナーが一つだけでなく二つ三つと現れるのだからシビレが連続するのである。

しかし、コーナー毎にブレーキポイントが奥になっていきながらブレーキングが決まって行くのが自分でも分かった。何事も経験と言うか練習しなければ上達しないと言う事でしょう。

時間にすればそんなに多くはない時間だったが、それは今回の北海道で初めての至福の時間だった。

道路の分岐地点にバイクを停めV−MAXを待つ間、GSX−Rの二人は互いの顔を見合わせてニンマリしていた。

「車も少ないし、この道最高!!」

「ヤッパッ・・・北海道だよなーッ」

「道道523号」 
FUNKYのSSに認定です。

二人は久しぶりの北海道走りの余韻に浸っているとV−MAXが到着、次はこの近くに在ると言う トワ・ヴェール に向かったのだが、うっかりして入口を通り過ぎてしまい嫌いなUターンをする破目に・・・。

先ほどの走りの反動で注意力が散漫になっていたようです。

「申し訳ございませんでした。」




チーズやハム等を製造する
トワ・ヴェール
二階で食事が出来る。。



西から黒い雲が近付いて来ている?


東の空は青空なのだが・・・。







外に出ると路面はウエットに変わっていた。
●生まれて始めてのチーズフォンデュ
今日の昼食は、黒松内特産物手づくり加工センター(愛称toit vert トワ・ヴェールでチーズ フォンデューを食べる事にしていて、私は生まれてから60年一度も食べた事の無いチーズ フォンデュ初体験を楽しみにしていたのであります。

黒松内特産物手づくり加工センターは広々とした草原の中に建っていて、打ちっぱなしのコンクリート壁の建物は池田町のワイン城にも似て(規模は小さいですが)いたが、周りの雰囲気からは少し浮いている感じだった。


MEMU
左クリックで拡大



他の二人は初めてでは無かったようだが、
私は60年生きて初めて食べるチーズフォンデュー。




ソフトの季節は終わっていて、アイスだけでした。
スタッフお勧めのゴマアイス。
味は普通!!

土曜日にもかかわらず駐車場には殆ど車が停まっておらずお休みかと思ったが、入口まで行くと営業している事が分かり安心する。ブーツを脱いで二階に上がると、ここで生産している製品等が食べられる食堂?(リサーチルームと言うらしい)が有って、我々はそこでチーズ フォンデューを注文する。

ここのチーズフォンデュには、ワイン使用とミルク使用の二種類が有って、値段は各2,100円(二人前)となっていた。我々は三人と中途半端な人数だったが、ワインとミルクの両方を三人で食べる事にした。

そしてチーズフォンデュが運ばれてくる。陶器の鍋に入れられたチーズはアルコールランプで熱せられ、グツグツと泡を吹き出している。

この溶けたチーズの中にスティックの先に差した食材を漬して食べるのがチーズフォンデュなのだが、チーズの風味がよく食材(パン、ウインナーソーセイジ、ブロッコリー、カリフラワー)に絡んで美味しかった。

何れの食材も味的にはチーズの風味を邪魔しない味の薄い物が選ばれており、私はこの料理をチーズの風味を味わうものと理解した。ワイン使用とミルク使用の二種類それぞれ美味しかったが、私はワイン使用派かな?

それにしても四人前を三人で食べにもかかわらず、胃袋に満腹感を与える事は出来なかった。チーズフォンデュは食事と言うよりは、おやつ的な食べ物と理解すべきで、私が昼食にチーズフォンデュを選んだのは正しくなかったかもしれない。

我々がチーズフォンディュに舌鼓を打っている時、外は大変な事態になっていた。西から黒い雲が近づいてきたと思ったら強い雨がザァーと降ってきて、路面をビシャビシャにしてしまったのである。

我々ライダーは少々の雨は気にしないが、路面が濡れる事に関しては神経を尖らす。雨が上がっても路面が濡れてしまっては楽しく走る事が出来ない訳で、この通り雨は我々の気持を凹ませた。

考えてみたらここに到着するのが30分遅かったら、この雨で道道523号のスペシャルステージは楽しめなかった訳で、今朝トラピスト修道院に立ち寄っていたら道道523号を走る時にはウエット路面であった可能性が高い。

食事を終え我々が外に出た頃には雨雲も通り過ぎ雨は上がっていたが、私はここで雨具を着るかどうかで迷ってしまった。

現時点で雨は降っておらず、雨雲は通り過ぎたわけだからもう雨に当たる可能性は少ないと私は判断、雨具を着ないで走り出す事にしたのだが・・・!?

余市に行く予定が・・・
トワ・ヴェールを発って我々は余市に向かう為黒松内の街に出る。ここで私には二つの選択肢が有った。一つはここから道道9号を北上し道道265号で国道5号の熱郛に出るルート、一つは道道9号を少し南下し道道266号で国道5号の豊幌に出るルートである。

距離的には熱郛に出るルートの方が近いのだが、空を見上げると北の空は真っ黒で雨が降っているのは明らかだった。一方南の空には明るい所も見え、雨の降っている様子は無かった。本当はここで雨具を着て北に向かうのが正解だったのだが、無精な私は雨具を着る事を避けたいが為、南にルートを取る事にした。

読みは当たって、国道5号豊幌に出た頃には路面も乾いてきてこのまま行ける事を願った私だったが、国道5号に出た我々は当然雨雲が待ち受ける熱郛に北上しなければならない訳で、次第に路面が濡れてきてポツポツと雨が落ちて来る。


レインボーロード ルート5

これから先の国道5号は、先頭を走る私に本当に難しい判断を迫ってきた。雨は降ったり止んだりで、空は黒い雲に覆われ雨は止そうに無いように思えた。黒松内と蘭越の間に在る峠に差し掛かった時雨が強まり、私は峠を下った先に在ったパーキングにバイクを止め雨具を着る事を考えた。

しかし、前方のニセコの山々を見ると日が当たって青空も見えていて、それを見た私は雨具を着ないまま走り出してしまった。前方の日の当たる部分には、次々と虹が現れ、そして消えて行く。虹のバリエーションも多彩で、大きな虹、小さな虹、そして二重に重なった虹も現れ、我々の目を楽しませてくれた。

私が一度にこれだけ多くの虹を見たのは久しぶりで、私の虹思い出リストに新たなる1ページを加える事になったのである。

視覚的には楽しめた国道5号の走りだったが、昆布とニセコの間に在る小さな峠を越える頃には雨が一段と強くなってきた。このツーリングに来る前レザーウエアーにミンクオイルを塗り込んできていたとは言え、次第に雨が滲み込んできているのを感じていた私は、雨具を着る場所を探したのだが、バイクを停められそうな場所が見付けられないままニセコまで走ってしまった。

このまま余市に行っても雨だろうし、わざわざ余市まで行ってまた濡れた路面を戻って来るのは愚かの事に思えた私は、ニセコの街に曲がる信号に停まった時バイクを左側のパーキングに入れ後ろの二人に私の考えに意見を求めた。

お二人さんは私の言葉を待っていたかのように宿に直行する事に賛同、我々はニセコヒラフの宿に向かう為国道5号に別れを告げ、一段と強くなった雨の中ニセコヒラフスキー場に向かったのであります。


ニセコヒラフスキー場下の街並み。




温泉から見る羊蹄山。
雲の中では雪が降っていたようで
翌朝見えた山頂部は真っ白だった。



ニセコ 遊牧人
皮肉にも我々が宿に到着する頃には雨は上がり、雲が切れて明るくなってくる。今宵の宿はヒラフスキー場入口の信号(Seicomartが目印)をスキー場とは反対側に坂を下り、最初の小路を左に入り(小さな看板有り)直ぐ右に曲がり少し坂を下った左側に建っていた。

宿の前にバイクを停めようとした我々だったが、駐車スペースが坂になっていた為難儀を強いられる。特に車重が重いV−MAXはバイクの傾きにシビアーで、バイクが立ち過ぎたり、傾き過ぎたりして、丁度良い傾きで停められる場所を探すのに苦労する。

何とか明朝坂道発進が出来そうな方向にバイクを停めるた時、私は息が上がって薄っすらと汗を掻いておりました。出て来た宿のオーナーさんは、そんな我々の姿を何か言いたけな顔で見ておりました。

今日の宿は昨年泊まったニセコ旅物語網走アニマの里と同じ男女別相部屋を基本とするとほ宿なのですが、とほ宿のオーナーさんは個性が強い方が多く(殆どの方が本土から来た元旅人)各宿で規則や泊り客への対応が違っている場合が殆どだ。

私は初めてのとほ宿に泊まる時、その宿のオーナーさんの人となりに大変興味が有って、今回も遊牧民のオーナーさんがどんな方なのか楽しみだった。

荷物を降ろし玄関に行くと、我々は玄関横の部屋(四人部屋)を指定される。男女別が基本の宿の筈だから、私は女性部屋の場所を聞くと・・・

「一緒じゃ駄目?」  とオーナーさんは言うではないか。

彼女に確認すると 「私は構わないですけど・・・。」 

と言うので、皆さん仲良く?一緒の部屋で寝る事になった。

我々の部屋は二段ベットが作り付けられた部屋で、床に四人分の荷物を置いたら足の踏み場も無いくらい狭く、どうせ寝るだけなので私は本人が良ければ同室でも良かったが、彼女が着替えをする為に別室を使う了承をもらう。

今日の泊り客は我々だけのようで、二部屋使うより一部屋で済めば宿としては何かと都合が良いと言う事でしょう。

着替えた我々は二階のホール(食堂)に行って宿帳を記入する。時間はまだ三時前で、夕食(PM6:00時間厳守)までには時間が有り、我々は温泉に行ってゆっくりする事になった。オーナーさんから紹介してもらった温泉の中から、我々は一番遠い(行き:歩いて15分、帰り:10分)が一番景色が良いと言うスキー場近くの温泉に行く事にした。


ニセコヒラフスキー場の街は建設ラッシュ!!

外に出てみると、宿の周りでは数軒の豪華コンドミニアム(リゾートマンション)が建設中で、ヒラフの街の至る所?が工事中であった。ここではまだオージー(オーストラリア)バブルが続いているようで、この冬に向けて工事が進められているようであった。

宿を出てスキー場へ上がる坂道を登って行くと、道の両側にはショットバーや居酒屋、ホテル等が並んでいて、チョットした繁華街のようであった。ニセコ地域の中でこのような場所はヒラフだけで、ヒラフスキー場は特異な発展を遂げているようである。

もっともオーナーさんから聞いた話では、香港の不動産業者がニセコの他の地域で大々的にリゾートマンションを開発するという計画も有るらしい。しかし、今回の金融危機で先行きは不透明になりそうではある。

スキー場への坂道を登って行くと坂の向い側に在る羊蹄山が大きく見えて来る。距離的には離れていくのだから小さくなる筈なのだが、高さが上がるせいなのか大きく迫るように見えてくる。

羊蹄山の山頂部分は雲に隠れていたが、翌朝雲が取れた羊蹄山の山頂部は白くなっていたから、雲の中では雪が降っていたのかもしれない。 寒いわけである。

温泉にゆっくりと入った我々は、皆で今日の走りを振り返りながら乾杯する。

「温泉から上がって乾杯。」

普段の日帰りツーリングでは味わえない乾杯の味は格別であった。

今日は雨で予定通りの走りは出来なかったが、新しいSSを楽しむ事が出来たし、チーズフォンデュも食べられたから、私としてはそこそこ満足出来た一日であった。しかし、明日は是非晴れてもらって、快晴のニセコパノラマラインを思いっ切り走りたいものである。




温泉帰りにSeicomartで
飲み物を購入して夜に備えます。





夕食は洋食の本格派。
お味も良く完食してしまいました。
遊牧民の夕食
夕食の開始時間PM6:00に合わせて温泉を出た我々だったが、外に出ると雨が降ってきてそれは次第に強くなってくる。道の両側は駐車場ばかりで雨宿り出来る場所は皆無で、宿から傘を借りてくれば良かったと後悔したが遅かった。

暫く雨の中を歩いて行くと道路向かいの建物にテラスが有って、その下で雨宿りが出来そうな事を発見、我々はそこに駆け込んだ。テラスの下で暫く雨が上がるのを待ったのだが、雨は止みそうもなくこのままでは夕食の時間(PM6:00時間厳守)に間に合わなくなると焦った我々は、降り頻る雨の中に駆け出した。

水溜りを避けながら我々は走りに走ってSeicomartに駆け込む。時間は無くとも夜の飲み物と肴を確保しなければ、秋の夜長は過ごせませんから・・・。

急いで買い物を済ませた我々は、何とか六時五分前に宿に戻る事が出来た。急いで二階に上がって行くとテーブルの上には既に夕食が並べられておりました。

ここの夕食は洋食のコース料理だそうで、スープ、ポークソテー、コロッケ、デザートのチーズケーキ等が並んでいる。グラスワインも付いていて、皿にライスを盛ってテーブルに着いた彼女が乾杯しようとグラスワインを持った時、オーナーから声が掛かった。


「チョッと待ったーッ!!」 

時間が六時にまだなっていなかったのか、まだ何かが並んでいなかったのか忘れたが、兎に角彼女はワインを飲む事を許可されなかったのであります。

そしてその数分後、仕切り直しで全員揃ってワインで乾杯した後、我々の Dinner は始まった。

まずはスープを一口。  「美味い!」


次はポークのソテー、ナイフとフォークで切り分けてから頂きます。

「美味い!!」

今度はコロッケを頂きます。

「カニクリームコロッケ 最高!!!」 に美味かったです。

私は全ての料理を完食してしまいました。

遊牧民の夕食は、この手の宿の夕食の中ではランクが一つ上の感じで、大変美味しく頂きました。ここの食事はオーナーさんの奥様が作っているとの事でしたが、奥様は世界中を旅した人だそうで世界の料理を知る人のようである。

奥様はどこかで料理の修業をしたとかではなく、料理を作るのが大好きで研究熱心な人だとオーナーさんは自慢げに話しておりました。

バイクもそうだが、何事も好きな事に熱心に取り組めば結果は付いて来るという事でしょうか。




ナッチャンに乗って北海道へ。
10月末で運行停止になります。


バイクを中央に止めるナッチャン。



オーナーを交えて語らいは続く。
その時彼はナッチャンの中!?

ジャンボ機の機内のような
ナッチャンの二等客室。

我々が美味しい Dinner を頂いている頃、今回の北海道ツーリング最後の参加メンバーは高速フェリーナッチャンの中にいた。

今日の津軽海峡は波が高く、ナッチャンはエアーポケットに落ちたジャンボ機のように上下に激しく翻弄されていた。

最初で最後になるだろうナッチャンに乗って北海道に向かう彼は、ローリングでもピッチングでもないその独自の揺れ方(水平なまま上下に叩きつけられる)を初体験していた。

波の影響で少し遅れはしたが無事北海道上陸を果たしは彼は、既に陽は落ちて暗い国道5号をニセコ遊牧人に向かってZX−10Rを走らせるが、函館を出て大沼公園に出ると路面が濡れてくる。

濡れた黒い路面はZX−10Rのライト光を前方に逃がす為、ライダーは先が見え難い状態で走る事になる。しかし、国道5号の交通量は多く車の後ろに着いて走れば目的地に連れて行ってくれる筈で、彼は宿で一杯やる事を楽しみに夕食も食べずに走り続けた。


オーナーさんは吉里吉里さんとお友達

一方夕食を終えた我々はそのまま宴へと移行していったのだが、この宿では通常泊り客によるカンパ制飲み会が九時半から始まるらしく、それまでは飲んではいけない時間帯であったらしい。今日は我々の貸切であった為、オーナーさんが特別に許可してくれたようである。

九時過ぎ、オーナーさんが飲み物を持ってやって来る。ここのオーナーさんはニセコ地区のこの手の宿の中では古株で、昔の話から今のオージーバブルの話まで色々話してくれた。

バイクで来た泊り客の写真を撮ってスクラップしていると言うので、それは羽幌の吉里吉里と同じではないか尋ねると、オーナーさんは吉里吉里さんとは大の仲良しだそうで、吉里吉里さんを真似して始めたようだ。我々も明日の朝、バイクと一緒に写真を撮られる事になりそうである。

吉里吉里のオーナーさんはポーズや立ち位置に煩かったが、ここのオーナーさんが我々にどんな注文をつけるか楽しみである。


苦行の中の発見

ニセコを目指し雨の国道5号を直走るZX−10Rの彼は、長万部でミスを犯してしまう。通常函館からニセコに向かう場合国道5号を使うのだが、彼は長万部で内陸に入る国道5号ではなく海岸線を走る国道37号へ直進してしまったのである。

車の後ろを見て走っていたのがその原因だったのかは聞き忘れたが、その事に気付いた時既に結構な距離を走ってしまっていた彼は、長万部に引き返すのではなく豊浦から昆布に出るルートを選択する事にした。

この選択が彼に過酷な夜間走行を強いる事になるのだが、我々には新たな情報をもたらす事になるのである。

国道37号から昆布に出るルートは10年以上前私も走った事が有って、それは砂利道の林道みたいな道で苦労した記憶があったが、彼が選んだルートは豊浦から入る舗装路のルートだった。

舗装はされてはいたが森の中を走るそのルートは雨の夜間走行には全く不向きな道で、道路脇の反射板もガードレールも無くヘッドライトの光は森の中に吸い込まれていく為、ライダーが頼れるのは白いセンターラインだけだった。

しかし、その暗闇の中で描くセンターラインの軌跡は、日中走ればきっと楽しいに違いないと思わせる曲線を描いており、それは10Rの彼に昼間また走ってみたいと思わせるものであったらしい。そしてその事を確認する為、次の日我々はそのルートに向かう事になるのである。

長い長い暗闇を抜け出し国道5号に出て彼は、ニセコヒラフの宿を目指す。彼は五年ほど前遊牧民に泊まった事が有って、場所は知っているので直接宿に来る事になっていた。

フェリーの遅れ、ルートの変更や雨の影響で到着予定時間から暫く遅れた10時半過ぎ、彼から電話が入る。ヒラフのSeicomartまで来たが、周りの景色が五年前と違っていて宿の場所が判らないと言う。宿のオーナーさんも久しぶりに来るお客さんの中には場所が判らず迷う人が多いと言っていたが、彼もヒラフの変貌ぶりに迷子になってしまったようである。

そこで彼を迎えにSeicomartまで行く事にしたのだが、その役目をV−MAXの彼女が買って出てくれた。夜道に女性を出すのはどうかと思ったが、Seicomartまでは100mも無く、この時間徘徊している人間がいるとも思えずお願いする事にした。

そしてZX−10Rの彼が無事到着、玄関で出迎えると彼は雨具を脱ぎながら疲れた表情を見せながらもホッとした表情も見せていた。これで今回の北海道ツーリングの全メンバーが揃った訳で、私も一安心であった。

着替えた彼と共に全員揃って改めて乾杯、ナッチャンの話や豊浦から昆布までの暗闇ルートの話、我々の今日の話で談笑は夜遅くまで続いたのでありました。

日付が変わった頃、天気予報を見る為(明日は概ね晴れの予報が出ていた)に点けていたテレビを消し、BGMを流していたミニコンポの電源を切った私が二階から部屋に戻ると、他の皆さんは既にご就寝であった。

寝床の寝具は各自が敷く事になっていたのだが、私の寝具はありがたい事に綺麗に敷かれていて、他のメンバーが私の分も敷いてくれたようである。

私は部屋の灯りを消し、布団の中に潜り込む。布団は少し冷たかったが、直ぐに温まり私は眠りに就いたようだった。


3日目

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