ひまわり祭り |
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ひまわり祭りの行われているひまわり観光センターは、国道から少し入った分かり易い所に在って、我々は二輪と観光バス専用の広いバーキングにバイクを停めたのだが、停めてある車両は我々だけだけだった。
ひまわり祭りが始まっていて、連休中にも関わらずこの車の少なさは・・・もしかして・・・・?
私は不安を抱えながらひまわり畑に向かったのだが・・・・!
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到着した時はパーキングはガラガラだったが・・・。
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観光写真で見る黄色い広い丘は、黄色では無くまだ緑一色でした。厳密には所々に小さな黄色が点在してはいたのですが、そこには綺麗な緑の丘が広がっておりました。
しかし、その丘の手前に設けられた世界のひまわりと書かれたゲートの奥には結構ひまわりが咲いておりまして、辛うじてひまわり祭りを盛り上げておりました。
後で立ち寄ったソフトクリーム屋の青年に聞いたところ、今年は雨が少なくひまわりの生育がおくれているそうで、花が咲くのが遅れ背丈も伸びていない状況だそうです。花が咲き揃うのは十日〜二週間程先にになるのではと言っておりましたので、ひまわり祭りは八月に入ってからが本番のようでした。
我々は緑の丘を見て、一面黄色に染まった丘を想像して帰って来ましたが、一応ひまわりと一緒の写真も取れましので良かったです。
それにしても北竜と云う地は暑い所で、気温は30℃をゆうに越えていたと思われます。我々は先ほどから気になっていたひまわりソフト(幟が彼方此方に立っていた)を食べにひまわり観光センター(通常は屋内ゲートボール場?)に向かう。
ひまわり観光センター内には沢山の出店が出ていたが、ひまわりソフト売場はセンター入口の一番良い場所(ショバ代も一番高そう)に店を構えており、場内では一番の稼ぎ頭のようだった。
1個 300〜360円?(コーンで違う?)だったように記憶しますが、ハッキリ覚えていません。塩ソフト同様、何を持ってひまわりなのかはハッキリ感じ取れませんでしたが、一応ひまわりの種の粉が入っていると店の青年は云っておりました。
そしてそのひまわりソフトの味だが、ソフトクリームとしての味は結構ランクが上のソフトで、私のランキングではAランクに入ると思います。店の青年が云うには、北海道では有名な少し高級な何だか乳業のソフトクリームベースを使用しているそうで、彼が云うにはソフトクリームの味はベースのお値段で大方決まるのだそうです。
最近流行のご当地ソフトだが、基本のクリームが美味しくなくては美味しいご当地ソフト出来ないし、反対に高級なクリームを使用すれば、何を入れても(味に特徴が有っては駄目?)美味しいご当地ソフトが出来ると云う事でしょうか? そんな事を考えさせたひまわりソフトでしたね・・・。
汗を拭き拭きソフトクリームを食べた我々は、増毛の宿に向かう為にバイクの所に戻ったのだが・・・!?
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勘違いライダー!? |
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我々がバイクの所に戻ると、我々のバイクは多くのバイク(20台位?)に囲まれていた。それは札幌ナンバー?のバイク集団で、GLやらBMWやらハーレー等大型バイクから250cc等の小排気量車も混じった雑多な集団で、引率者的なライダーもいたのでバイク店のツーリングループだったかもしれません。
私のバイクはそれらのバイクに囲まれていて身動きが出来ない状況で、動き出せない状態だった。他人のバイクの事を考えないバイクの置き方をするバイク集団に私はプンプン状態だったのだが、彼らも駐車場から出るようでしたので私は何も言わず彼らが動き出すのを見ていた。
そうこうしていると、GLとBMWが駐車場の空いているスペースを使って、8の字走行やサークル走行を始めたではありませんか・・・!? 四輪は一台もいませんでしたのでまだ良かったのですが、その二台はもうやりたい放題で、他のメンバーの視線を集め得意気に駐車場内を走り回っておりました・・・?
バイクに乗るのが楽しくて浮かれる?気持ちは分からない訳ではないですが、こんな場所でバイクの走行練習をしなくてもと、私は思ってしまいましたね・・・。
ようやく私の周りのスペースが空き我々は早々にその場を立ち去ったのだが、最近は全体をコントロールするリーダー不在の状態で、大グループを組んで走っているのを時々見掛ける気がします。大勢で走る場合、グループでそれなりのお約束と秩序を持って走ってもらいたいと私は思います。
我々は、国道275号に出て右折、北竜の街中に向かう。
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楽しい道発見!! |
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我々は国道275号の北竜の街から道道94号で増毛に向かうのだが、私は役場近くで行われていたネズミ捕りの事をすっかり忘れていた。私は何も考えず年配のご夫婦が乗っている軽自動車の後ろに着いて走っていたのですが、パイプ椅子に座ってこちらを注視している人を発見し ビクッ としてしまいました。
しかし、私はパイプ椅子にびっくりした訳ではなく、パイプ椅子の事を忘れていた自分にびっくりしたのです。あれほど帰りは注意しなければいけないと考えていたのに、年寄りの特性とはいえこんな大事な事すら忘れてしまう自分に本当にびっくりでした・・・。
結果的には何事も無く、我々は北竜の街をに抜け道道94号に右折して増毛に向かったのだが、この初めて通る道道94号は結構楽しい道だった。ローカルな道なので交通量は少ないだろうと私は考えていたのだが、車やバイクの対向車が結構多いのには驚いた。
特にバイクが多く走っていて、道道94号は地元ライダーの間では留萌方面から札幌に向かうメジャーなルートなのかもしれません。
恵岱別のダムサイトから大きなヘアーピンカーブを抜けると、それまでの狭い田舎道の様相が一変、道幅が広くなってコーナーのアールも緩くなり長い直線等も有って、ミニ根北峠的(標津側)な道になって来る。こんな楽しい道ならばこそ、ライダーは留萌から国道233号ではなく道道94号を使うのだろうと私は納得してしまいました。
ヘアーピンコーナー以降、道は増毛方向に向かって緩い下りで、ZZR250はそこでこれまでに経験した事が無い体験をしたようなのだが、残念ながら私はその場に立ち会っていませんでした。
予定していた時間より早く日本海に出てしまった我々は、涼しい海風を感じながら国道231号を増毛の街へと向かいます。
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増毛の宿 ぼちぼちいこか増毛館 |
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我々が増毛に急いだのには訳が有って、我々はこれから最北の酒蔵として有名な 国稀酒造 を見学する予定にしていたのだが、その見学締切時間がPM4:30となっていて、私は国稀酒造の直ぐ近くに在る今宵宿増毛館に、遅くても4時までに到着したいと考えていた。
結果的に我々は4時前に宿に到着する事が出来たのだが、ここで今宵の宿 ぼちぼちいこか増毛館 に泊る事になった経緯を書いておこう。
私がこの宿の存在を知ったのは とほ本 に載っていたのを見たのだが、それは20年以上も前の事だった。私は良さそうなとほ宿は出来るだけ泊るように心掛けているのだが、気にはなっていた増毛館だったがこれまで増毛という立地がそれを拒んでいた。
FUNKY北海道にとって増毛という立地は微妙で、道北に向かう通過点としての増毛は有っても宿泊地としては考え難い場所だったのである。
最近のプチ北海道では、1泊目はニセコ、2泊目は富良野周辺に宿を取って狩勝峠、トマム、占冠、桂沢ダムの定番コースを周っていたのだが、今回は長年気になっていた増毛館に泊っても定番コースを回れるかを検討する事にした。
その結果、増毛から道道94号を使い深川に出た後、芦別経由で富良野に向かうと時間的には意外と近い事が分かった。深川までは初めて走る道だったが、その先は走り慣れた道で時間が読め、富良野〜狩勝〜トマム〜富良野の周回コースを走ってもフェリーには充分間に合うと判断、私は長年の念願?だった増毛館の宿泊を決定したのであった。
こんな感じで我々は今宵 増毛館 に宿泊する事になったのだが、そこには奇跡とも云える出会いが待っていたのである。
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北海道遺産に指定されている増毛館 我々のバイクは館主に指定された場所に停めたのだが、歩道にはみ出した状態ですけど・・・大丈夫? |
我々は宿に到着したのだが、建物の周りにバイクを停める場所が見当たらなかった。私はバイクの停める場所を聞きに玄関の扉を開ける。声を掛けると館主が出て来て駐輪場所を教えてくれたのだが、その場所は意外な場所だった・・・!?
館主から指定された場所は、バイクの頭は宿の敷地内だが後ろ半身は歩道の上に出る場所で、館主はサイドスタンドが着く場所を歩道の縁石(そこが固い)とするよう指定までしてくる。都会だったら、その方面から絶対クレームがくる駐輪場所だったが、館主が良いと云うのだから我々は従うしかありませんでした。
質問 「 切符はライダー持ちですか? 」
この宿、結構色々とローカルルールが有る宿で、そのルール説明が結構長くて聞くだけで私は疲れてしまったのが、これも北海道遺産に指定された建物 増毛館 を維持する為?のようでした。
[郷に入れば郷に従え」 と云いますから、私は素直に従う事にいたしました。
到着時間がチェックイン時間(PM4:00)より少し早かったので、館主はルール通り部屋へは案内せず荷物を廊下に置いて国稀見学に行くように我々に指示したのだが、着替えを行うのに部屋が必要な事に気付き、結局我々は部屋に案内される事になった。
ルールを尊重する事は大事ですけど、何事も臨機応変にね・・・ 館主さん。
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国稀酒造 |
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宿への到着は予定より早かったが、支度をするのに手間取った我々は、急いで宿から数分の場所に在る国稀酒造に向かう。
増毛の街は、戦前からの古い街並を保存しつつ、それを観光に生かす方法で町興しを行っているようで、増毛館前のメインストリートの歩道も広く綺麗に環境整備がされていた。
この通り最大の観光スポットは国稀酒造のようで多くの観光客で賑わっていたのだが、我々の国稀酒造見学の最大の目的は多くの銘柄を試飲出来ると云う日本酒の試飲にあり、試飲コーナーを探して中に入る・・・。
入口にを入って我々の最初に目に付いたのは、駅のホームに有る看板だった。増毛駅のその看板は本物かと思ったら隣の駅名が違っていた。

ま し け
増 毛
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Mashike |
ふさふさ つるつる |
の洒落になっていました。
この看板にZZRとR750が即座に反応、看板の前に立って記念撮影。恥ずかしながら私もふさふさの横に立って写真を撮ってしまいました。
看板の前ではお嬢さん達がサクランボを売っていた。私の中で北海道でサクランボと云えは余市近くの仁木のサクランボで、私は最初仁木のサクランボを売っているのかと思ったら増毛のサクランボだった。増毛はサクランボやリンゴ等の果物が特産品だそうで、道路のマンホールの蓋にもリンゴがデザインされていましたね。 |

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国稀酒造は、明治時代ニシン景気に沸く増毛で呉服屋を始めた人物がその後酒造りも始め、それが日本で一番北に在る酒蔵として現在まで続いているのだが、最近は増毛の代表的な観光施設としての顔も持つようだ。
私はこれまで幾つかの北海道産日本酒を飲んできたのだが、これと云った酒には出会った事がなく、国稀にもあまり期待はしていなかった。しかし酒蔵で造り立て?を飲めると云う事でその味に大いに興味が有り、我々は先ずは試飲コーナーへ向かったのである。
試飲コーナーは見学コースの一番奥の酒蔵に位置し、カウンター上に並べられたお酒を申し出よりスタッフの女性がプラスティックカップに注いでくれて試飲するシステムになっていた。飲めるお酒の種類は20種類近く有りその全てを試飲出来るそうなのだが、私は気が引けて3種類で止めておきました。
後で同宿した女性は全ての酒を試飲したと言っておりましたが、私にそれは到底無理でした。
試飲した3種類の国稀酒造のお酒はそれぞれに特徴が有るお酒で、私は日本酒を語るれ程多くの日本酒を飲んでいませんし薀蓄も有りませんが、今まで飲んだ北海道産の日本酒の中で一番美味しい日本酒であった事は確かです。
他のメンバーは、試飲で気に入ったお酒をお土産に買っていましたが、私はバッグに余裕が無かった(日本酒はウヰスキーと比べてスペースを取る)のでやめときました。
売店では日本酒の他に国稀ブランドのグッツ等も数々販売されていて、国稀酒造さん手広くご商売されているようでした。だからこそ明治から続く酒蔵なんだと私は思いましたね・・・。
我々は買ったお土産を持って宿に戻ったのだが時間はまだ5時前、館主が車でオーベルジュましけの温泉へ連れて行ってくれる(六時過ぎ)まで暫く時間が有り、FUNKYでは本当に珍しいのだが増毛の街を観光?(散策)する事にいたしました。
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増毛の街を散策 |
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我々は増毛館を出て 留萌本線の終着駅 増毛駅に向かったのだが、増毛の街はタイムトンネルの中にいるように昔の物で溢れていました。
先ずは増毛館隣の建物(以前は旅館?)の中に 懐かしい ソフィア・ローレンラッタッターのホンダロードパル やら 渡辺貞夫のYAMAHAタウニー 等が置かれているのを発見、誰が何のために置いて有るのか不明だが、私は1976年頃にタイムスリップしてしまいました・・・。
私が東京から秋田に戻ってバイクの仕事を始めたのが1975年、このロードパルが1976年にホンダから販売され翌年の1977年にはヤマハの初代パッソルが発売、それから主婦層にモーターサイクルが急激に普及して空前のバイクブームが始まるのだが、私のバイク屋人生はロートパルから始まったと言っても良いかもしれません。
ロードパルにも色々型が有りまして、後期型は偶に秋田でも走っているのを見掛けるのだが、窓越しに見るラッタッターはゼンマイが自動巻きになっていない今では本当に珍しい初期型タイプのようでした。 懐かしい・・・!
次に増毛駅手前角に建っていたのが、高倉健の映画 「駅」 でセットで使われた烏丸せつこが勤めていた「風待食堂」。今は観光案内所になっていて、そこでは毛が増えると噂の増毛駅の硬券入場券を購入出来るのだが、残念ながら今日はお休みでしたね・・・。 残念です・・・。
「風待食堂」の奥隣りには確か映画の中で建さんが泊った? 旅館 富田屋(木造三階建) の立派な建物が建っていましたが、中には入れず外から見るだけでした。
増毛の駅に行くと一人の若者(と言ってもアラフォー?の男性)が椅子に座っていて、我々に声を掛けて来る。彼が無人の駅で何をしていたかは定かではないが、我々に数日前 留萌本線 留萌駅〜増毛駅間の廃線がJR北海道から発表された事、一日7本(休日は6本)の電車しか走っていない事など増毛駅の現状を説明してくれました。
彼は増毛駅の観光ボランテアではないかと思うほど親切に我々を案内してくれたのだが、彼は今は一本しか敷かれていない線路も昔は横に何本もの線路が有り、そこで貨車に多くの貨物が積み下ろしされていた事を教えてくれる。私はそんな情景を想像して、線路脇に広がる側線跡を見ていましたね・・・。
国鉄からJRに変わる時北海道では多くの路線が廃線になったのだが、ここにきてまた廃線のニュースが聞こえるようになった。時代と共に鉄道の使われ方も変化してきているとは思うが、この広大な北海道で鉄道を維持するのは本当に大変な事だと思いますね・・・。
増毛駅の見学を終え駅前にあった増毛の案内板を見ていたZZRが、ここから300mの所に灯台が在る事を発見する。時間的にもまだ余裕が有り私は行っても良いと思ったのだが、灯台ですから遠くから見えよう高台に建っているようで、案内板の示す方向には延々と坂道が続いていた。
このような案件の場合、3名の中で決定権を持っているのはR750な訳で、R750の
「灯台に行く。」 の一言で灯台行きが決定、R750は先頭になって坂道を上って行く。
ビーチサンダルを履く私は足の裏が痛くなり始めており、出来れば坂道は上りたくなかったのだが、仰せの通りにいたしました。
坂の途中でマンホールの蓋を発見したのだが、蓋のデザインは鮭とリンゴになっていましたね。
灯台に向かう坂道は結構な坂道にも関わらず道の両側には家が建っていて車も停まっていたのだが、私は冬の積雪時車がこの坂を上れるのか心配になってしまった。当然車は四駆なのでしょうけど、下りは良いとして帰りの上りはキツイのではないかと・・・・?
しかし、坂道を良く見ると路面にスパイクの引っ掻き傷が沢山付いているのを発見、この地ではまだスパイクが生き残っているようです。秋田では殆ど見る事が無くなったスパイクタイヤ(偶に履いている車を見ますけどね)だが、やはり北海道は違いますね・・・?
私は結構息が上がって灯台に到着したのだが、増毛灯台は私のイメージする灯台とは違って四角い灯台でした。私は入道崎の灯台のように灯台は円柱のイメージでしたが、考えてみたら建つ位置がもともと高く建物に高さが必要のない灯台は、強度の安定する円柱(建設コストが掛かる)にしなくても良い事に気付きました。
灯台の前からは増毛港や留萌の街を遠くに見通せましたから、この灯台の光が遠くまでとどき、船舶の航行に寄与しているのでしょう。
灯台からの帰り道、R750が路上でクワガタを発見、その道の両側には高山植物のような可憐な花が沢山咲いていました。北海道のように緯度が高い所では、本州の高い山で咲く花が平地でも咲くと聞いた事が有りましたが、秋田市では見た事のない綺麗なお花畑が家裏の小道に広がっていました。
お花畑の観賞を終え、これで平地に戻れると思っていた私だったが、先頭が更に上に向かって坂道を歩き始めたではないか・・・!?
時間はまだ充分有りますから良いんですけどね・・・。 上に何か有るんかい・・・?
坂を上り切った所には鳥居が建っており広場になっていたのだが、使われていない大きな建物以外何も無かった。しかし、よく見ると奥に大きな碑が建っていて、それは第二次世界大戦時この地から出征し亡くなられ方々を鎮魂する碑でした。
終戦から今年で70年、手入れが行き届かず各地で多くの慰霊碑が草木に埋もれているとテレビで見たが、その慰霊碑は碑の周りの草が刈られよく整備された慰霊碑だった。綺麗に手入れされた碑を見て、私は増毛の人々の心の豊かさを感じました。
鳥居の外を見るとその下は道路で、それは先ほど宿に向かう時に通った道だった。道路の向かい側には大きな木造校舎が見えていて、北海道に残っている木造校舎(窓はアルミサッシになっていたが)の中では最も古いと言われる旧増毛小学校だった。
私が通っていた昭和30年代の小学校や中学校も同じような木造校舎だった。今考えると隙間の多い木枠の窓に蒔きストーブ、壁に断熱材も入っておらず大した防寒着も無い時代だったのが、そんな環境でも普通に勉強していたのですから昔の人(私らの事だが・・・)は本当に寒さに強かったのだと感心します。
我々は灯台から街に戻って来たが、六時まではまだ時間が有ってもう少し散策を続ける事にする。駐車場の車の下に黒猫を発見した猫好きのR750、猫に近づいて行ったのだが警戒されてチョッと寂しそう。この後海辺に行ったらまた黒猫がいて先ほどの黒猫と同じ系統の猫のようだったが、増毛では黒猫以外の猫は見掛けませんでしたので、増毛の街は黒猫に占拠されている模様です。
あの黒猫達は家猫とも思えず野良猫と思われるのだが、この街は猫が食べ物に苦労しなさそうな環境にあり、街全体で飼っている感じの猫なのかもしれません。根室花咲港では地域全体で飼われている犬がいましたが、北海道の地方では地域でペットの飼うスタイルが多いのかもしれません?
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増毛の街散策フォトストーリー |
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夕日鑑賞 |
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1時間近く増毛の町を歩き回った私の足は、ビーサンの鼻緒部分が擦れて赤くなっていた。そろそろ限界と思われた頃、温泉に行く時間になって何とか事無きを得る。
館主の運転するワゴン車に乗った我々は、先ほど駅で見かけたカワサキW800ライダーと自転車で札幌から来たと言う女性と共にオーベルジュましけに向かう。オーベルジュましけは車で5分ほどの場所に在るのだが、日本海に沈む夕日が綺麗に見えるポイントとしても有名なそうで、運が良ければ綺麗な夕日も見られそうだ。
館主は我々をオーベルジュましけに降ろし、夕日が沈む時間に合わせて向かへに来ると帰って行った。私はこれまでオーベルジュましけでランチを食べた事は有ったが、温泉に入った事は無く温泉の場所も知らなかった。館主から買った500円の割引入浴券(通常550円)をフロントに出した我々は温泉に向かったのだが、温泉は階段を上った2階に在って、日本海を見下ろせるスチエ―ションになっていた。
温泉施設的には、昨日の ニセコ 甘露の森 と大差無く、温泉はトロン温泉とうたっているのだが、どこがどうトロン(ラジウム同様直接には感じ取れない)なのかは凡人の私には分からず普通のお湯でした。北竜で大汗をかいた体を綺麗にしさっぱりした私が浴場から出ると、窓からは夕日が良い塩梅に日本海を赤く染め始めていた。
しかし、水平線近くに雲が有って海に沈む太陽を見るのは難しそうに見える。私は外に出て夕日の沈むのは待つ事にする。
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水平線に沈む太陽は見られなかったが、それなりに綺麗な夕日が見られました。
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私は他のメンバーと共に日本海に沈む夕日を見ていたのだが、やはり水平線近くの雲が邪魔をして太陽は雲に沈みましたね。しかし、沈んだ太陽が上空の雲を赤く照らし、それはそれで綺麗でしたので良かったです。
海と反対側の我々の背後には暑寒別岳(1492m)のどっしりとした山容が見えていて、残雪の残る山肌を夕日が薄らと赤く染めてとても綺麗でしたね・・・。
夕日鑑賞が終了したところに館主が迎えに来て、我々は増毛館へ戻る。
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奇跡の再会 |
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宿に戻って私は二階の部屋に戻ったのだが、さっきはいなかった泊り客が一人荷物をほどいていた。私は挨拶を交わし少しお話をさせてもらったのだが、彼ら(居たのは一人だったが相方の荷物が置いて有った)は、今朝十勝岳に登ってここに来たらしく、明日は新千歳空港から羽田に帰るらしい。
暑寒別岳ではなく十勝岳に登ってこの宿に泊る登山客も珍しいと私は少し驚いたのだが、そんな驚きとは比較にならないほど驚いた人物がいたのである。
彼と話していると下の方でR750と思しき大きな声がして、他の女性の声と共に興奮気味の会話が(内容は聞き取れなかったが・・・)が聞こえて来る。その時の私は、何をそんなに興奮する事が有るのかと気にも留めなかったのだが、後からR750に聞いたお話は奇跡とも云える驚くべき出来事だった。
R750から聞いた話はこうだ。R750はバイクに乗らない冬期はスノーボードに乗って楽しんでいるのだが、今年のゴールデンウィーク、秋田のグループに誘われて鳥海山を一泊で滑ったらしい。その時秋田のグループと交流の有る東京のスノーボードグループと一緒に滑ったらしいのだが、その時の東京のグループメンバーと何と増毛館で再会してしまったと云うのだ。
そのグループは、冬はスノーボード夏は登山を楽しむサークルのようで、先ほど部屋でお話しした彼もそのグループの一員で、今回男女5名のグループで十勝岳に登る為に北海道に来たらしい。
3カ月ぶりの再会ではあったのだが、当然事前に打ち合わせた訳でも無く、バイクと登山と全く違うジャンルの秋田人と東京人が偶々この北海道の地でピンポインで再会してしまうこの現実・・・。
「 あるんだよなぁ・・・ 旅先での奇跡のような出会いって・・!! 」
本当に ビツクリ でしたね・・・。
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大阪魂 |
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増毛館の夕食が始まる。我々が温泉からも戻って来るが遅くなり夕食の開始も遅れていて、私は結構お腹を空かしてテーブルに着いていた。食事前に館主による飲み物の注文取りが行われのだが、これが長かった。館主は毎日の事ですから、立て板に水を流すように決まった台詞を喋る喋る・・・!
その話し方を聞いていて、私はその昔常呂の宿 <船長の家> の食事前に行われる宿のガイダンスを思い出していた。お話は宿の奥様?が行っていて、その独特の淡々とした話し方は教会のシスターによる説法を連想させたものだったが、それも結構長かったなぁ・・・。
宿泊代が1泊2食付で5000円と格安ですから、プラスαで利潤を上げたい気持ちは分からないでは無いのだが、館主(大阪出身)の話が長く我々は食べ物を目の前にして 「待て!」 をさせられている犬状態でしたね。
また特別料理 タコしゃぶ 1人前400円 の売り込みも必死でこれにまた時間を取られ、タコしゃぶの食べ方にも時間を取られ、とにかくよく喋る館主さんでした。大阪魂を感じさせるその喋りは、秋田人に取っては苦痛にすら感じるられほるどでしたが、郷に入ったら郷に従えですから、じっと 「待て!」 してました。
前日泊まった宿で事前に特別料理を頼んでおけばウニ等が格安で食べられると聞いていたので、温泉帰りの車の中で館主が特別料理の事を話始めた時、私はウニを食べられると期待したのだが、今宵の特別料理は残念ながらウニではなくタコでした。
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タコしゃぶを考察する |
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私は以前宗谷岬の宿で食べたタコしゃぶ(宗谷のタコしゃぶは有名)に良い思い出が無く気が進まなかったのだが皆さんタコしゃぶを注文、私だけ食べないのも何なのでお付き合いする事にしていた。
館主が言うには、タコしゃぶを美味しく食べるこつはしゃぶしゃぶする時間だそうで、
< しゃぶ しゃぶ しゃぶ・・・ >
位が丁度良いらしく、しゃぶしゃぶのし過ぎは味が変わるので絶対にしないよう厳重に注意される。
増毛館のタコの切り身はは、宗谷岬のタコに比べ大きさが半分位の大きさで、私は
これはどうなんだ・・・? と思っていたら、
館主の言うとおり < しゃぶ しゃぶ しゃぶ・・・ > して食べたタコしゃぶ
これがタコの味がしっかり有って結構美味く、私は驚いてしまいまいた。
ここで宗谷岬のタコしゃぶと増毛館のタコしゃぶの何が違うのかを考察してみたいと思う。
宗谷岬と増毛のタコしゃぶの味の違いの一番の要因は、タコの切り身の厚さにあるように思う。タコしゃぶ用のタコの切り身は冷凍して固くした足を薄くスライスして作るのだが、稚内のタコは直径6cmは有りそうな立派なタコ足を薄くスライスしていた。
宗谷岬の切り身は、コスト的な問題からか向こうが透けて見えそうな位薄く均等な厚さでスライス(機械切り?)されていたのだが、増毛館の切り身は外観からも手作業(包丁)でスライスされているのは明らかで、肉厚にスライス(2±0.5mm)されていた。
切り身の厚さが薄い場合 しゃぶしゃぶ している間にタコの旨味が全て溶け出してしまい、味の無いタコしゃぶになってしまうのではないだろうか?
またしゃぶしゃぶする時間も重要で、館主がしゃぶしゃぶ時間を < しゃぶ しゃぶ しゃぶ・・・ > に拘ったのは、それ以上しゃぶしゃぶすると幾ら肉厚のタコでも旨味が溶け出してしまうからと思われる。
美味しいタコを食べたいならおでんのように塊で煮込めば良いように思うが、タコをしゃぶしゃぶで食べる意味はどこに有るのだろうか?
宗谷岬のタコしゃぶの切り身は直径6cm位あって しゃぶしゃぶ すると一瞬で半分位に収縮していたが、大きさが収縮する事により味も凝縮し、よりタコの味そのものを味わえるのではないだろうか?
しゃぶしゃぶ ですから余計な味がタコに入らず、より素材そのもの味を楽しめるところがタコしゃぶしゃぶの良い所のように思われます。
こうなると、宗谷岬のような大きなタコ足で作られた2±0.5mm厚の切り身をしゃぶしゃぶして食べてみたくなりました。
毎年行く鰺ヶ沢の由利商店では水ダコの足を冷凍で販売していて、私はこれまでそれを解凍し刺身で食べていた(これが美味い)のだが、次回は < しゃぶ しゃぶ しゃぶ・・・ > で食べてみようかな・・・!
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蛸シャブ一人前400円 皿は4人前

コンブ出汁の中でしゃぶしゃぶ3秒まで厳守です。

右の3名は東京から来た人達 |
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国稀で乾杯して夕食を始めた筈だが、
ギネスビールの説明が長くて・・・・

350cc缶が丁度入るグネスカップ
これはギネスに生ビールを半分入れたハーフ&ハーフ 650円?

出され物は大方平らげたが・・・イカが残りましたね・・。
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旅は楽しい |
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その頃R750の知り合いのグループは、宿の向かいに在るネットで有名な?お寿司屋さん(館主は他の寿司屋に行くと言っていた)で夕食を食べていたのだが、後から聞いた話では連休中の為地元の水産物が入らずメニューは限られていたらしい。
食事を終えたグループは、夕食後に行われる雑談会に備えて部屋でスタンバイしていたのだが、我々の食事が押していて暫く待たされる事になってしまった。
食器の片付けが終わった後、二階で痺れを切らせて待っていたグループを含め雑談会が始まる。ここでもまた新たに加わったグループに対し生ビールやギネスビールの説明が有って、我々は館主の同じ話を聞かされる事に・・・。
同じ話を何回もするのは大変?でしょうから、飲み物のメニューを何枚か作ってテーブルに置いておけば良いのではないでしょうかね。私は昨日から引き続きで秋田から持ってきた焼酎を飲んだのだが、冬はスノーボード、夏は登山を楽しむグループとの会話は楽しく、時間はあっという間に過ぎてゆくのでした。
明日の事もあり我々は早目に就寝する事にしたのだが、人との出会いは旅を豊かにする事を実感する時間でしたね。
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