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TOURING COURSE | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
● FUNKY 33年目の北海道 初日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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FUNKYが北海道を訪れるようになって今年が33年目になる。当初は年一回(9月)だった北海道も最近は7月にも訪れるようになっているが、7月の北海道はあくまでもオマケ的な存在であり、FUNKY北海道の王道は9月の北海道なのである。 9月の北海道もPart 33を迎えた今年、私は宗谷岬、知床、納沙布岬を巡る結構距離多目のコースを計画したのだが、8月末に北海道に上陸した台風10号の影響で予定していたルートに通行止めの区間が続出、計画の見直しを迫られる事態となってしまった。 しかし、北海道に渡る9月中旬には予定ルートの通行止区間の殆どが通れるようになり、ルート変更は3ヶ所に止まったのは幸運だった。 出発の朝 昨年は雨になり雨具を着る破目になったのだが、今年はその心配は無さそうだ。 出発の朝、軽トラを走らせ店に到着した私はGSX−Rを外に出した後、ライディングウエアーに着替える。空は薄雲で覆われてはいたが雨の心配は無く、昨年のように雨具を着る事は無さそうだ。 今回の北海道の参加車は4台、私のGSX-R1000 K5、CBR1100XX '97、GSX-R750 K9、GSF1200 '95の4台なのだが、私のGSX−R1000は9万km超え、GSX−R750は7万km超え、CBR1100XXに至っては13万kmを越えていて、一番古いGSFが一番走行距離が少ない6万km台の走行距離になっている。 年季の入ったバイク達なのだが、過酷な北海道ツーリングに備えしっかり整備されており、最後まで走り切ってくれると確信している。 心配なのは一番製造年度が古い私自身(1949年モデル)で、最近指の可動範囲が小さくなったり、老眼が進み近くが以前より見え難くなったりで、北海道ツーリングの過酷な4日間を走り切れるかどうか心配ではある。 幸い手もバイクの操作範囲では支障なく動くし、目も遠くは支障無く見えている(視力は確実に落ちているが・・・)ので、何とかなるとは考えてはいるのだが、こればっかりは行ってみないと分かりません・・・!? 3台で店を予定通りに出発(1台はフェリーターミナルで合流)した我々は、横山金足線で秋田港へ向かい臨海署前を通過し右折して線路を横断、私はフェリーターミナル前の信号でバイクを止める。 この信号は感応式で、私は信号に止まり二輪用のボタンを押したのだが、なかなか信号が青に変わらなかった。不思議に思った私は信号を見直したら・・・・何と赤信号は点滅しているではないか・・・!? 私はこれまでこの信号の赤の点滅を見た事が無く、信号が赤いのを見た私は赤の一時停止と思い込んでしまったのだが、時間がAM6:00前だった為(6時で切り替わる)に赤信号の点滅(一時停止)でしたね・・・。 思い込みが人間の判断を狂わせる赤信号点滅事件でしたが、今回は特に実害は無く良かったです。年齢を重ねると、人は思い込みで行動する事が多くなります。今後、気を付けます。 フェリーターミナルのパーキングに到着すると前に1台のバイクが止まっていて、我々はその後ろにバイクを止める。暫くしてGSF1200が到着、これで今回の北海道メンバー全員が揃った。その後1台のバイクが到着、今回秋田から北海道に向かうバイクは6台となったが、シルバーウィークだった昨年と比べ半分以下の台数で、昨年のシルバーウィークが懐かしい・・・? 今回秋田港から乗船するバイクは我々を含めて6台、シルバーウィークだった昨年より大分少なかった。 我々の横には車が並んでいたのだが、その中に見慣れた顔を発見する。7月の北海道の帰りに一緒になった御人(ライダーでも有る)で、聞いたら帰りのフェリーも我々と一緒のフェリーを予約していると言う。帰りのフェリーでまた一緒に飲めそうなのだが、彼が北海道へ渡る理由が我々と違い遊びでは無いところがねぇ・・・。 新品タイヤで北海道に渡るのがお約束。 乗船時間が近くなって私の所に係員が乗船券を確認しに来たのだが、今回初めて(20回以上このフェリーに乗っている私だが・・・)車両ナンバーを確認するので車両番号が分かる予約券(インターネットからプリントアウトした物)を出せと言うではないか・・・。 バーコードで確認するのだから良いだろうと私は言ったが係員は頑として予約券を要求、私がバックの奥から予約券を取り出して渡すと、係員はバイクの後ろに回って予約券の車両番号とナンバーを照合する。 すると係員が顔色が変化し、私の所にやって来た。 係 員 「お客さん 予約の番号とナンバーが違うんですけど・・・?」 私 「そんな事は無いでしょう・・・?」 私が予約券とナンバーを確認すると、ナンバーの 秋田 も が 秋田 め になっていた。 私がインターネットで予約する時入力を間違ったようなのだが、番号は合っているし次回予約する時は間違わないようにするのでいいだろうと云ったのだが、係員はまるでお役人?のようにフロントに行って訂正して来いと譲らない。 間違った私がいけないのは確かで、すごすごとフロントに向かった私だが、自分の事を棚に上げて 「年寄り(係員は私と同年代?)は融通が利かない・・・。」 と、 私は少しプンプンモードに・・・・。 フロントで め を も に訂正して来て私は無事乗船出来たのだが、帰りのフェリーも め で予約していた私は苫小牧東港での乗船時が心配になった。しかし、結果的には苫小牧東港での乗船時予約券とナンバーの照合は行われず、シラーっと乗船出来てしまいました・・・!? 多分、規則では照合が決められてはいるものの、時間的に余裕が有った秋田港では照合が行われ、余裕が無い苫小牧東港では行われなかったと思われるます。しかし、秋田港でも照合が行われたのは今回が初めてで、今後も照合するのかぁ・・・? 今回我々を見送りに来てくれた方がいらっしゃいまして、朝早い我々の為にわざわざ朝食のおにぎりを差し入れしてくれました。有り難くそれを受けた我々は、スロープを上って無事乗船を果たし(今回は何も無かった)客室に行って着替え、これからのルーティーンに備える。 下船までの我々の予定は、9時過ぎからのBINGO大会、10時からの映画鑑賞、12時からの昼食、1時頃からの昼寝と続くのだが、今回は差し入れしてもらったおにぎりの朝食タイムがBINGO大会の前に入る事になった。 秋田港AM7:00出港から苫小牧東港着PM5:20まで約9時間、我々はフェリー船内で暇を持て余す事になるのだが、長年の経験から導き出されたルーティーンを消化する事で、退屈する事無く時間は過ぎてゆくのである。 九時過ぎから始まるBINGO大会会場に出向いた我々は、差し入れの朝食を頂く事にする。差し入れのおにぎりは15個近く?有り、5人(私は朝食を食べて来た)を持ってしても完食する事は難しく、昼食に持ち越しとなった。 朝食とBINGO大会の間に少し時間が空いて1名客室に寝に戻ったのだが、この行動が後に大きな意味を持つ事になるのである・・・。 時間になって我々はBINGO大会の定位置(これまで多くの賞を獲得したテーブル)に移動、その時を待つ。9時過ぎからこの会場で午後3時から行われるミニコンサートのプレゼンが行われ、今回のアーティストは50〜60歳代の男女ペアのミュージシャン(お名前は忘れてしまったがダ・カーポ風のお二人)で、女性がボーカルとピアニカ(鍵盤ハーモニカ)、男性がギターで伴奏するスタイルでした。 1曲だけのプレゼンでしたが、ボーカルの女性はダ・カーポと遜色ない澄んだ綺麗な歌声で3時からのミニコンサートをアピールしていましたが、すみません・・・多分私その時間は寝ています。 プレゼンの後、BINGO大会の女性スタッフがやって来てBINGOのカードを配り始めたのだが、寝に行った1名がまだ戻って来ないではないか・・・。 女性スタッフが我々のテーブルにやって来て人数分のカード3枚を配って行ったのだが、私はその時まだ来ていないメンバー分のカードも貰うかどうか迷ってしまった。結局この場に居ない人の分を貰うのも何なので、メンバーを呼びに行ってから貰う事にしたのだが、それが運命の分かれ目となるとは・・・!? BINGO大会の私の持ち札。 寝ていたメンバーはBINGO大会が始まる前に寝起きの顔で戻って来て、スタッフからカードを受け取りBINGO大会は始まった。数字が次々に読み上げられていくが、我々にリーチが掛かる気配は無かった。そんな状況が続いていたその時、横のテーブルから BINGO の大きな声が上がる。 声の主は、我々と横並びに座っていた二人組の外人さんの片割れで、我々に近い方に座っていた彼だった。これで私の1等賞(船内で使える2千円の金券)獲得の野望は潰え去ったのだが、何と2等賞もその外人さんの相方が獲得する事になるのである。 それ以降の商品は秋田のお酒や新日本海フェリーのノベルティグッズ等結構沢山有ったのだが、BINGOした順番に賞品を選んでいく形で大会は進行していく。結局我々は3つの賞品をゲットし何とか面目を保つ?事ができたのだが、大会を終えた所で我々は気付いてしまったのです・・・! FUNKY一人目のBIMGO 二人目のBINGO そして三人目のBINGO 今回のBINGO大会の戦利品&外れ札(最後までリーチも掛からなかった駄目札) 我々は思い出したました。カードを配っていたのおねえさんは、カードの束を手に持ち上から順番にカードを配っていて、我々3名にカードを配った後奥の外人さんの所に行きカードを配っていた事を・・・。 我々3名と外人さん2名に配られた連続した5枚のカードが結果的に全てBINGOしたわけで、こんな偶然が起きるのかと驚いた我々だったのだが、更にある事に気付き驚愕するのであった。 それは・・・ もし、我々がカードを受け取る時、寝ていた一人分のカードをもらっていたら・・・? もし、1名が寝に行かず我々と行動を共にしていたら・・・? 1等賞のカードは、我々の手に握られていた事に気付いてしまったのである。 世の中 もし 何々だったら・・・はよく有る話だが、久しぶりに もしの世界 を体験したBINGO大会でありました。 連続BINGO記録を伸ばした私ではありましたが、1等賞を逃した(我々が4名だったら席順的に1等賞のカードが私に配られた確率が高かった)のは本当に悔しかったですね・・・? 久しぶりに豪華なランチを食べたかったなぁ・・・。 残念!? BINGO大会の後、我々はルーティーンに従がい映画鑑賞の為に上の階へと向かう。今回の映画は、永作博美主演の 「さいはてにて 〜やさしい香りと待ちながら〜」 と長い題名の映画だった。 今回の映画は 「さいはてにて 〜やさしい香りと待ちながら〜」 と題名が長い。 映画は主人公の永作博美が能登半島の田舎に在る漁師だった父親(漁に出て行方不明)が使っていた船小屋を改装しコーヒー豆の通販店を開業するという設定で、私は観ていてその設定に無理が有るのではとつっこみを入れたくなってしまった。 しかし、この原稿を書く為ウッキペディアを見たら監督が台湾の女性監督である事を知り、然もありなんと納得でしたね・・・。 この映画にはそれなりの俳優さんが多数出演されておりまして、秋田市出身の大女優?佐々木希さんもキャバクラ嬢として出演されておりました。久しぶりに彼女のデビュー当時と変わらない演技を確認出来たのは、秋田県人として喜ぶべきなのでしょうか・・・? 設定はともかく、ストーリーとしては有りだと私は思ったのだが、この映画は映画祭やアジア全域での公開を目指して製作されたもののようで、日本初の世界農業遺産に登録された石川県能登半島へアジアからの観光客誘致の目的も有ったのかもしれませんね・・・? 石川県では公開2週間後に観客動員数が1万人を超えたと新聞に載ったようですから、それなりの成果を上げた映画のようです。 色々な事を考えさせられた映画は終了、我々は次のルーティーンの昼食を取る為下のレストランへ向かう。 花畑牧場のホエー豚を使用した豚丼との事だったが・・・ 味は普通・・・ レストランの入口に花畑牧場のホエー豚使用の豚丼と書かれたPOPを見付けた私は、ホエー豚の響きに魅かれ豚丼にしたのが、食べてみたら特にホエーを感じない普通の豚(私の舌が馬鹿舌?)でした・・・? 新日本海フェリーのレストランメニューに期待してはいけない事を長年(17年)の経験から学んでいた筈の私でしたが、ここ最近のメニューの充実ぶりから過度な期待をしてしまいました。 新日本海フェリーの昼食の王道は、やはりカレーですかね・・・? レストランを出た我々は、BINGO大会が行われたラウンジに移動、昼食の二次会を始める。差し入れて貰ったおにぎりを食する二次会だったのだが、普段の昼食がおにぎり1個の私の場合、豚丼の後のおにぎりは結構お腹に応えて1個が限界でした。 津軽海峡を航行する経営破綻したコンテナを満載したHANJINのコンテナ船 何処に向かっている・・・? フェリーはちょうど津軽海峡を航行中で色々な船が行きかっていたのだが、一隻のコンテナ船が私の目に止まった。その船の船体には HANJIN と書かれており、それは先日経営破綻した韓国の大手海運会社の名だった。 世界中の港で入港を拒否されているとテレビで報道していたが、この船が何処の港に向かっているのか興味津々だったが、調べてみたらアメリカと韓国を結ぶ最短航路は津軽海峡経由のようで、多分韓国だったんでしょうね? 昼食終了後のルーティーンはお昼寝タイム、私は客室に戻りアイマスクと耳栓を装着して目を閉じる。昼寝と言っても、寝たのか?目を閉じていただけなのか?曖昧な時間を過ごした私は3時半頃に起き上る。 昼寝から目覚め外に出てみると北海道(苫小牧?)が近くなっていた。 デッキに出てみると、北海道の山々が遠くに見えていて、カメラのレンズを伸ばすと苫小牧の街?が見えるようになっていた。 暫くしたら下船の準備をしなければなるまい。フェリーの苫小牧東港到着時間は午後5時20分となっているのだが、今日は20分程早着すると船内アナウンスが有り、天気も良いし明るい内に穂別の宿に着けそうである。 秋田港乗船グループ全6台 下船準備中 5時過ぎ無事北海道上陸を果した我々だったが、フェリーターミナルから出た所で下船した車やトラックで国道に出る道が大渋滞中であった。国道までは結構な距離(2km弱?)が有って時間が掛かりそうなのだが、車のすり抜けはしたくないし困ってしまった。 そんな時、前にいた乗用車がウインカーを右に揚げ右の脇道に入って行く・・・? 私、思い出しました。フェリーターミナルからJR浜厚真駅前を通って国道235号に出る道が有る事を・・・。 前の車(地元車?)が入って行った道はその道に違いなく、私はウインカーを揚げてその車の後に続く。私の予想通り、道は国道235号に繋がっていおり、我々は渋滞を避け鵡川に向かう事が出来たのでした。 鵡川から道道74号に左折した我々は穂別を目指したのだが、今日は車が少なく走り易かった。時間的には左手の山に夕陽が沈む美しい景色が見えた筈なのだが、残念ながら今日の空は曇っておりました。 まだ薄明りが残る中、穂別の宿 ポレポーレ に到着した我々は、荷物を下ろし玄関に向かう。勝手知ったるポレポーレですから、部屋に案内してもらい着替えた後、いつものルーティーンで向かいのお店に買い出しに向かう。 向かいのお店のオバチャンとも1年ぶりの挨拶を交わした私は、乾杯用のビールを購入する。今日の夕食はジンギスカンをリクエストしており、私はいつもより大き目の500mlの缶ビールを購入する。ジンギスカンにはやはりビールでしょ・・・! ポレポーレの夕食 久しぶりのジンギスカンでしたが、 お腹いっぱい頂きました。 数年前にポレポーレで食べたジンギスカンが忘れられず、私は今回夕食にジンギスカンをリクエストしていたのだが、その為お母さんはわざわざ苫小牧に肉を買いに行ってくれたようだ。 私が以前食べたジングスカン肉は厚真の通販も行っている有名なお店の味付け肉だったと記憶するが、今回用意されていた肉は味が付いていない肉がメインだった。 北海道ではベル食品の成吉思汗たれでジンギスカン肉を食べるのが王道だそうで、我々がテーブルに着くとお母さんが苫小牧のマックッスバリューで買って来たと云うジンギスカン肉と成吉思汗たれが運ばれて来る。それにプラスし味付けジンギスカン肉とカルビ肉も運ばれてきて、豪華なジンギスカンパーティーが始まった。 我々は三種類の肉を味合う事が出来たのですが、この中で一番美味しかったのは・・・・? 私見ですが < 普通のジンギスカン肉が一番美味しかった・・・! > ですね。 羊肉の旨味が一番感じられ、成吉思汗たれが肉とよくからんで味を引き出しており、以前食べた厚真のジンギスカンよりジンギスカンらしくて旨かったです。 結果、マックスバリューで売っているジンギスカン肉が一番美味かった事実にある意味驚いた私だったが、本場北海道のジンギスカンレベルの高さを思い知らされましたね・・・!? 我々はシンギスカンを腹いっぱいいただいてしっかりエネルギーを蓄え、明日からの走りに備へ早目にベットに入る。 予報では明日の天気は良さそうなのだが、明日は穂別から宗谷岬まで500km以上北上する予定で、これまでの経験からどこかで雨に降られるパターンが多く心配ではある。 明日から始まる北海道に興奮?してなかなか寝付かれなかった私だったが、いつものごとく翌朝六時前には目を覚ますのでありました。 次 >>> 宗谷岬は青空が広がっていた <<< |
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by Ryuta 2016 |
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