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 September 2013  Hokkaido Part 30 Touring
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 今日は移動日・・・!?

 昨晩は隣の部屋に寝る男性の鼾が結構大きくて最初気になっていたのだが、私鼾に関してはFUNKY北海道で鍛えられておりますので、いつの間にか眠りに着いておりました。

 人間の凄いところは、気になる音を気にならないレベルまで落として聞く能力を持てるところで、どんな煩い音の中でも慣れると聴覚をコントロールして眠れるようになるんです。

 これを慣れと云うのだが、スピード感覚も同じで最初は恐怖心を覚えたスピードも、2回3回と経験する内に普通の事になってくる。その2回3回を我慢出来るかどうかが慣れられるかどうかの分かれ目なのだが、人間我慢していれば良い事が必ず?有るんですって・・・。

 いつものようにAM6:00前に目が覚めた年寄りは下の食堂に降りて行ったのだが、当然誰も居らずに静まりかえっておりました。

 雨は降っていなかったが空は厚い雲で覆われていて、今日の天気が気になった私はテレビのリモコンを手に取り電源ボタンを何回も押したが、テレビは点かなかった。

 テレビのコンセントを確認すとコンセントは複数の接続口が有る電源タップにしっかり接続されており問題は無さそうだったが、タップには各接続口毎にタンブラースイッチ付いていてその明かりが消えていた。宿で部屋に有るテレビのコンセントが抜かれているのはよく見る光景だが、食堂のテレビのコンセントを切っている宿は珍しい。そんなところにこの宿の旦那の性格が出ているのだが、そんな旦那が私好きですね。

 テレビを点け直ぐに音声をミュートにした私はニュース番組を探したのだが、ニュースでは旭川市内のLIVE映像が映し出されていた。旭川は今土砂降りの雨が降っており大雨警報が出されている模様でZX−10Rの事が心配されたが、10Rはまだ寝ている?と思われ、起きてビツクリ、ガツクリ状態は必至か・・・。これだけの雨では動きも取り難いと思われ、落合場所をどうすか悩ましい・・・。

 しかし、そこは10Rの判断に任せるしか無く、私は10Rからの連絡を待つ事にしたのだが、我々の予定も雨にどう対応するか悩ましかった。今日の予定は、ここから海岸線を天塩、遠別、初山別、羽幌と走り羽幌から内陸に入り、国道239号の古丹別に出て霧立峠へ向かう事にしていた。旭川方面に距離的に近い天塩から内陸に入るルートや、遠別の手前啓明から国道40号の佐久に出るルートも考えられるが、どうしたものか・・・?

 最近私は出来るだけ当初予定を変えないのを基本としていて、今日は予定通りに走りながら状況を見て走るコースを決める事にした。天気情報では、宗谷地方は雨の心配は少ないが、南の道央、道東は今日一日雨が降る予報が出ていて、予定していた三国峠や陸別のスペシャルステージはキャンセル止む無しの状況であった。


この時期、秋刀魚がテーブルに載る事が多い。

 我々は朝食前にチェーンにオイルを吹き、ある程度の出発準備を終えてAM7:30からの朝食の臨む。ばっかすの朝食は和食で、テーブルには秋刀魚が並んでいる事が多い(我々が宿泊するのがいつも九月)のだが、その秋刀魚が斜めに切られているのがここの特徴となっている。

 「 それがどうした・・。 」 

 と言われそうだが、私はその切り方にこの宿のセンスみたいなものをを感じてしまうんです・・・。
 
 秋刀魚は斜めに切るのが普通で、それを私が知らないだけ?なのかもしれませんが、毎回斜めに切られた秋刀魚を見る度にそんな事を思ってしまう私なのである。



 今回新調した雨具(サイズLL)はさすがに大きいですね。今年から上のレザージャケットを変えたのだが、私にはワンサイズ大きいLなのとパッド関係が大きく、今まで着ていたLサイズ雨具が着られなかった。それでLLサイズの雨具にしたのだが、大は小を兼ねると云いますから良いのですけど、短足な体形も有って見た目(バランス)が悪いですね。

 今日も昼食時間が遅くなりそうな予感(雨の時は止まるのが億劫)がしていた私だが、今朝はご飯のお代わりは無し、納豆パックも当然開けずそのままにいたしました。この時点で私の体重は2kg以上増えていると思われ、私は少しカロリーを抑えようと考えたのだが、その努力が無駄だった事を秋田に帰ってから思い知らされるのである。

 今日の出発は、スぺシャルステージをキャンセルする予定?なので時間的には余裕が有り特に急ぐ事は無いのだが、10Rとの待ち合わせも有り我々はオーナーご夫婦と例の隣部屋の男性の見送りを受け、AM8:30 抜海を出発し天塩へ向かう。

 雨がポツポツ降っており我々は雨具を着て出発したのだが、稚咲内まで来ると雨が上がり路面も次第に乾いてくる。この天塩までの道道106号は、初めて北海道を訪れたライダーにとって北海道を強く感じさせる代表的な道だと思うのだが、今日の道道106号はどんよりとした灰色の空、利尻島は一応見えてはいるが全部では無く、何の感動を無く私は走っておりました。

 ましてやこの道を両手の指では足りない位走っている私は、ただ淡々と走っていたのですが、後のR750は違うようでした・・・。


 
 ライダーの最大の敵

 稚咲内からは路面状況が良くなって私は少しアベレージスピードを上げて走ったのだが、ふとミラーを覗くとR750の姿は点になっておりました。

  「 どうした・・?」

 私はその時R750が遅れた理由が分からなかったが、後に聞いた話では海側からの横風が強くスピードを出せなかったらしい。

 横風が強かった印象は私には無かったのだが、確かに道路脇に立っていて幟?旗?が横にたなびいていた記憶は有った。この道道106号は風が強い事で有名?で、冬期は地吹雪で先が全くに見えなくなるのはよく有る事で、遭難を防ぐ為のシェルターが設けられている位なのだが、冬期以外でも風が強く吹く事が多々有って、車は勿論バイクや自転車は特にその影響を受ける事になる。

 今日の横風は、私が以前経験した横風に比べたら無風とは言わないがそよ風程度の風だったのだが、R750とっては恐怖でスピードを出せない程の横風だったようだ。バイクが右から強い横風を受けながら真っすぐに走って行く場合、ライダー自身はその位置をキープしつつバイクは右にバンク(後から見るとバイクがライダーの下で右から左に移動して傾くリーンアウト状態)して、横風から受ける力とバランスを取りながら真っすぐに走る。

 横風の強さでバンク角は変わるのだが、今回の横風のバンク角はせいぜい10度位?で、以前私が経験したバンク角(30度位?)と比べると特に意識するような風?では無かった。

 この横風によるバンク角の面白い?ところは、コーナーでのバンク角がカーブのRの大きさや走行スピード等によって決定されるのとは違い、走行スピードとは無関係に横風の強さだけで決められるところにある。従って横風が一定(真横の場合)であればどんなスピード(低速でも高速でも)でもバイクはバンクしたまま直線を走り続ける事が出来る筈なのだが、事はそう簡単では無い。

 一番の問題は横風の強さ(力)や方向が一定でないところで、風の強さが少しでも変わるとバンク角は微妙に変化しそれに合わせてハンドルの角度が変化する事になる。通常の直線路でもバンドルは路面の凹凸等により細かく切れているのだが、フロントフォークのキャスター角度やトレールにより自動的にハンドルがバランスを取って真っすぐに走るよう制御されている。

 横風を受けながら真っすぐ走っている時もそのバンドル制御はされているのだが、横風の入力変化が大きくなり自動制御が効かないレベルに達すると、ライダーは恐怖を覚えるようになる。それでも人間慣れるもので、私のように予め起きるであろう横風変化への対処法やバイクのホールド方法を会得すると、横風の中でも結構普通に走れるようになるのである。

 今回私は高速道の流れと同程度のスピード?で走っていたと思うのだが、その時の私は横風を意識する事無く走っていた。しかしGSX−R750はそうでは無かった訳で、ライダーのスキルによって横風の感じ方は様々なのである。

 風の強い時、ある程度のスピードを保って走った方がバイクは安定(ホィールのジャイロ効果)する事もあるが、横風が強い時は下半身でバイクをしっかりホールドしハンドルから力を抜いて(自動制御を妨げない)軽くホールド、恐怖心を感じないスピードで走る事をお勧めする。

 いずれにしても風速10m/sを越えるような強風下でバイクを走らせる事は単に無謀なだけで、バイクを止めて風が収まるのを待つのが得策である。バイクを走らせる上で最大の敵は風である事をライダーは知るべきである。

遠別の 道の駅 富士見
1999年に一度この道の駅で休憩した事が
あったが、その時と何も変わっていない?


隣にいる彼は和歌山から来た
北海道初上陸のセロー乗り

 天塩で国道232号に入り南下する我々の右側(西側)の空は少し明るさが見えてきて良い感じ(天気は西から東に移動する)なのだが、左側(東側)の山の空は厚い雲に覆われており、まだ雨が降っていそうな感じである。

 遠別手前でいつもの佐久に抜ける道道119号を横目で見ながら通過(雨が降っていそう)、遠別の街を過ぎた所に在る 道の駅 富士見 にバイクを止める。

 空も大分明るくなり路面も乾いてきていて、我々はここで雨具を脱ぐ事にしたのだが、そこに1台のセローが道の駅に入って来て我々の隣にバイクを止める。

 これも何かの縁なので、私はその若いライダー(年齢20歳代後半?)に話し掛けたのだが、彼は今回が北海道デビューの和歌山県人ライダーで、昨晩小樽港に上陸したのだと言う。

 夜は温泉施設で時間を過ごした彼は朝の4時小樽を出発、オロロンラインを北上して今ここに到着したらしい。彼は今の段階で北海道の素晴らしさ(道の広さ、車の少なさ、景色の良さ等)に感動しまくりだったのだが、私はこれまでがプロローグでこれからが本当に北海道を感じる道になると教えてあげる。

 彼はこれから天塩、道道106号、稚内、宗谷岬と道北の王道コースを旅するようなのだが、宗谷丘陵が入っていないようだったので、宗谷丘陵も良いよと勧めておいた。

 初めて北海道を走るライダーの多くは、ガイドブックに載った有名観光地を出来るだけ多く回って記念写真を撮る事を考えがちなのだが、出来れば彼方此方寄り道をして自分の気に入った景色や道を発見するような旅をして欲しいと私は思います。

 それが出来るのがバイクだと思うし、ライダーは北海道にしかないものを求め北海道を目指すのだとすれば、北海道の素晴らしさを自分の足(バイク)で探し、自分なりの北海道を発見するトリップ(旅)こそが、ライダーにより大きな感動をもたらすと私は思いますね。

 我々が北海道に来る目的は他のライダーさんとはチョッと違っていますが、我々も北海道にしかない物(道)を求めて毎年北海道を訪れているのです。


 お尻のお話

 彼のセローを見るとシートにGEL−ZAB(クッション材・シートの上に固定するタイプ))が装着されていた。私はこの手のオフロードバイクに乗って北海道を旅するライダーのお尻の構造に大いに興味が有るのだが、あの人達のお尻はどうして一日中オフロードバイクのシートに座っていられるのだろうか・・・?

 私のセローでは100kmも走ればお尻が痛くなって200kmは絶対無理って感じで、和歌山の彼にその点を聞いてみると、やはり100kmも走ればお尻が痛くなるのでGEL−ZABを取り付けたらしいのだが、前よりはましになったがやはりお尻は痛くなるらしい。北海道を走る場合1日300km程度は走るだろうから、夕方には我慢、根性、忍耐の世界へ・・・? 私、オフロードバイク(シート幅が狭く振動が多い)のライダーさん達を尊敬してしまいます。

 我々の前傾した乗車姿勢を見て 「腰が痛くなって大変でしょう?」 等とよく言われるのだが、確かに両手でハンドルを持って前傾姿勢で長時間走っていればそれは大変です。お尻や腰が痛くなるのは長時間同じ姿勢で走っている時(車の後ろに着いて走る時等)で、そんな時は左手をハンドルから離し(右手が有ればスロットルもブレーキも操作できます)上体を起こして左腕を左膝の上に置いたり、左腕をタンクの上に置いて上体をタンクに預けたりして私は走っていますね。

 そうすれば1日600km走ってもお尻が痛くなる事も腰が痛くなる事も殆どありません。走行距離が500kmを超え車の後ろの走行が続いたりしますと時々お尻が痛くなる事は有りますが、そんな時は立ち上がってお尻から圧力を抜いてやれば何とかなります。

 基本的に前傾姿勢の乗車スタイルは体重の重みがお尻と腕に分散しますので、お尻に掛る荷重は基本的に少なくお尻には優しい乗車姿勢なのです。我々のツーリングで一番疲れのは膝で、走行中に足を踏ん張っている(ステップに荷重したり踏み換えたりする)時間が長い為、ツーリング後半になりますと膝が痛くなる事は結構あります。

 一日中、中腰姿勢でいる様なものなので、ツーリングから帰って来ると私の大腿四頭筋は確実に太くなってますね。また前傾姿勢のバイクに乗っていますと首も鍛えられますので、首が確実に太くなっています。

 休憩を終えた我々は、和歌山県人ライダーと別れ霧立峠を目指す。通常霧立峠へ向かうのには苫前から国道239号に入るのだが、今回私は羽幌から国道239号に出るルートにチャレンジしてみる事にした。この道道747号と道道437号を使って国道239号古丹別に出るルートは、距離的にはそんなに短くはならないのだがインターネットで公開されていた実走映像を見ると楽しそうな峠越えのルートで、ダラダラと海岸線の国道232号(オロロンライン)を走るよりは楽しめそうなので行ってみる事にいたしました。

 インターネット上には道路を実走した映像(車やバイクで撮影)を公開している方(趣味?)が結構いらっしゃって、北海道の道道(結構マイナーな道も公開されている)の映像も数多くアップされており、新しいルートにチャレンジする時には参考にさせてもらっている。

 我々が走る道は基本的に舗装路なので、実走行映像ではその道が舗装されているかどうかが判断出来るし、コーナーの具合、道路幅、路面状況等も知る事が出来る。彼らが何を目的に走行映像をアップしているのかは分からないが、私としては大変有り難い事です。

 舗装されているかどうかを知る方法として Google Earth を利用する方法(センターラインが見えるかどうかで判断)も有るのだが、更新サイクルが比較的長く新しい道の情報が少ないのと、画像の解像度が地域によってまちまちで荒い解像度の地域は使えないのが残念です。

 羽幌から道道747号に入り、道道473号への入口は走行映像通り(当たり前)で間違わずに右折、峠を楽しんで我々は古丹別の国道239号に出て左折、霧立峠を目指す。古丹別川に沿って走る国道239号は、霧立峠までワインディングロードが続くのだが、両側に山が迫って来るようになると路面が次第に濡れてくる。


霧立峠到着 雨は殆ど上がっている。

 雨は殆ど降っておらずそこそこのグリップが有ったので、私は後に下がってR750の走りを見てみる事にした。R750の走りの形はそこそこまとまってはいるのだが、メリハリが無いと云うが何と云うか、ブレーキも甘し、スロットルも開いていない走りだった。

 しかし、道路状況(工事区間等)や路面状況(水溜りや路面の泥等)の判断は的確で安心して見ていられた。長距離ツーリングで一番大切な事は、チーム全体に迷惑を掛けない事でその最大の迷惑とは事故る事なのだが、その点ではR750の走りは100点満点でした。

 偉そうな事を言ってますが、私もこの30年間に色々やらかしておりまして、チームの皆さんにはご迷惑をお掛けしているのですが、気持ちといたしましては無事故・無違反でツーリングを終える事を常に心掛けておりますです・・はぃ。

 一方でこれまでチーム全体で行動する走りで離れてしまう事が多かったGSX−R750だが、今回の北海道ツーリング後半では離れる事が無くなったのは今回の大きな進歩だった。走りに関しても今回の北海道で何かを掴んだようで秋田に帰ってから走りが激変する事になるのだが、そのお話は別の機会にしたいと思います。

 ウエット路面ではあったが長いワィンディングロードを楽しんだ我々は、霧立峠のパーキングにバイクを止める。私は早速トイレに駆け込もうとしたのだが、私の勘違い(昔のビデオを見ていたらトイレは有りましたね。近年無くなった?)で霧立峠にトイレは御座いませんでした。焦った私は已むなく藪へと走ったのだが、私の脳内地図の霧立峠に書かれていたトイレマークは消去します。

 霧立峠でZX−10Rと落合場所を打ち合わせる事にしていた我々は、連絡を取る為携帯を取り出すとZX−10Rから何件も着信が入っていた。ZX−10Rは 道の駅 けんぶち にいるらしく、早速電話を掛けてみる。

 私の中で剣淵という地名は道央自動車道の終点士別・剣淵ICの中に記録されていて、士別の少し南に位置する所と認識していた。士別までは30分位?で行ける筈だから、剣淵までは40分位で行けると考えた私は、10Rに剣淵の道の駅で待つように伝える。


 丁半博打

 電話を切ってから大事な事を聞き忘れた事に気付いた私だったが、掛け直すのも何なのでそのままにしてしまった。しかし、その聞き忘れが後に我々に大いなる災いを及ぼす事になるのである。

 霧立峠から添牛内へ掛け下った我々が国道239号を士別に向かって走ると、剣淵 ⇒ の青看板が見えて来る。私の記憶の奥底にその青看板を確認した記憶が有って、それが剣淵への近道であると判断した私は迷わず右にウインカーを上げる。

 このまま走れば剣淵に行ける筈と私は先を急いだのだが、雨がポツポツと落ちてきてそれが次第に強くなってくる。前方の空は真黒で強い雨が降っているのが見て取れ、雨具を着ていない我々は止まって着るべきなのか、そのまま走るべきかの決断を迫られた。

 私が先ほど10Rに聞き忘れたのは、道の駅 けんぶち で雨が降っているかどうかだったのだが、最近雨のオーラを背負っていると言われる10Rを私は甘く見ておりました。雨が降っている事を知っていれば当然雨具を着て霧立峠を出発していた我々なのだが、剣淵の道の駅を目の前にしてずぶ濡れ状態(まだレザージャケットの中までは濡れていなかったが・・・)になっていた。

 剣淵の街中から国道40号の出る道に左折した私は、国道に出た所で右折なのか左折なのかで頭を悩ましていた。先ほど左折した交差点に左折した先に道の駅が有る事は書かれていたが、国道に出た所で右が左かは書かれていなかった。

 かの選択(確率50%)を迫られた私は、国道の赤信号で止まった時周りの地形や道路状況を見て最終的に左にウインカーを上げる。信号が青に変わり左折して士別方向に走り出した私だが、なかなか道の駅らしい建物は見えて来なかった。私がふとミラーを覗くと、後にいる筈のR750の姿が無かった。

 「 アレッ 」

 その時丁半博打外したかぁ・・・?  私、思ってしまいました。

 道の駅は見えてこないし、R750は消えた事から、私先ほどの交差点を右折した先に道の駅が有ると確信するに至りました。

 先ほどの信号を過ぎ少し走ると予想通りと云うかやっぱり 道の駅 けんぶち が見えて来て、そのパーキングにのバイクを発見する。これで我々はめでたく10Rとの合流を果したのだが、BINGO大会1等賞など今北海道ツーリングで絶好調の私が何故丁半博打を外したのか・・・納得がいかなかった。

 早速私はGSX−R750が右にベットした根拠を問い質したのだが、その理由は簡単明瞭だった。例の信号交差点には道の駅は右折と書かれた看板が有ったらしく、その看板に従って右折しただけだと云うではないか・・・。私悩めるあまり、前の国道ばかり見ていて横に有ったであろう看板を見落としていたようです。

 私がウインカーを左に揚げたのを見てR750は一瞬迷ったようなのだが、雨は降っているし、余計な走りに付き合って濡れるのは嫌だし、私を見切ったR750の決断は早かった。道の駅に行って私が戻って来るのを待つと決めたR750は、ウインカーを右に上げて発進する。

 この出来事は私にとって結構衝撃的でした。今まで自分の判断で行動する事が殆ど無かったR750が、私の間違いを知りながら自分の判断で道の駅に向かったのは、私が間違いに気付き戻って来るであろう事を予測しての事と思われ、私の行動パターンはしっかり読まれていたのである。

 これはNHK放送のツーリング番組 「気ままに寄り道気まま旅」 の中での タレント清水國明さんとエッセイスト国井律子さんとの関係に近くなってないかい・・・?

 GSX−R750と一緒に走るようになって今年で5年目になるから、私の行動パターンがR750の頭の中にインプットされていたとしても不思議ではないのだが、私はこの出来事が結構嬉しかった。

 それは 息子との腕相撲に初めて負けた時の親父の衝撃 と同じと言ったら分かるだろうか?
 そんな感じでした。

 男のお子さんをお持ちのお父さんがいつかは体験するその衝撃は、お父さんに取っては本当にインパクトのある出来事なんです。

 息子の成長を身をもって感じると共に自分の衰えを感じてしまうその残酷な一瞬は、いつかは訪れるとは分かっていても、出来れば来てほしくない父親の願望を一瞬で吹き飛ばしてしまうのです。

 しかし、暫くすると父親はその現実を受け入れ息子の成長が嬉しく思えて来るのです。私の場合はそうでした。今回の件も私の駄目さ加減にはホトホト呆れてしまいましたが、GSX−R750の成長を見てきた者としてはとってもとっても嬉しい出来事でした。

 これからもR750に負けないよう、努力を重ねなければと・・・私は思う訳ですよ。


 合流して東へ

 10Rと合流した我々は雨具を着て国道40号を比布に向かって南下し始めたのだが、正面の空は暗い灰色でミラーに映る空は明るい灰色だった。剣淵が雨の境目で剣淵の南側は雨、剣淵の北側は雨が降っていない状況の中 我々は明るい空を背に雨雲の中に這い込んで行く。結局、宿が在る網走に到着するまで我々は雨雲の下から抜け出る事が出来ず、明日もまた我々の頭上から雨雲は去ろうとはしなかったのである。

 比布から無料高速道に上がった我々は、上川層雲峡ICで下りて国道39号で層雲峡方面に向かう。我々は上川で給油する事にしたのだが、いつも立ち寄っていたGSが閉店したとの情報が有りその手前のホクレンで給油を行う。給油を終えいつものスタンド前を通過すると、やはりスタンドに人影は無く閉店したようでした。

 FUNKYはこのスタンドに多くの思い出が有ってスタッフさんの顔が思い出されたのだが、結構古いGSだったので今回の消防法の改正に対応出来なかったのかもしれません。残念ながらこれでまた一つ、FUNKY所縁のGSが消えてしまいました。これも時代ですかね・・・!?


石北峠で昼食の予定だったが・・・



ここで昼食にするか思案中

 層雲峡温泉を通過、流星・銀河の滝入口を通過して長い長い銀河トンネルを抜けた我々は、大雪ダムに出る。予定ではここから国道237号に入り三国峠にを走る事にしていたのだが、この雨では行く意味が無く(多分三国峠は雲の中で全面ウエット路面)予定を変更して石北峠へ向かう。

 私が大雪ダム〜石北峠間を走るのは久しぶりだったのだが、その間に途中に在った峠の下に武華トンネルが完成、狭い峠道が解消されたらしい。実際に走ってみるとトンネルだけでなくトンネル前後に登坂車線が造られていて、通過時間は大幅に短縮され石北峠まではアッという間でした。

 私は石北峠の峠の茶屋で昼食を考えていたのだが、茶屋のメニューを見ると麺類しか無く濡れた雨具を脱ぐのも面倒で、皆さんの意見も聞いて昼食はこの先に在る温根湯の道の駅まで我慢する事にした。

 我々は曲がりくねった石北峠を下り温根湯温泉に向かったのだが、R750にとっては雨の下り連続ヘアーピンカーブは鬼門で、いつの間にかミラーの中から消えていた。

 峠の下りが終わると道は緩やかな下りの直線路が多くなるのだが、それでもなかなかR750のHIDの灯りは見えてこなかった。

 この道の左側には北きつね牧場が2カ所在ったのだが、1カ所の牧場は閉鎖されたようだ。観光施設の閉鎖は最近北海道各地で見られるのだが、何とも寂しいかぎりである。


道の駅 温根湯 は雨にも関わ
らず大勢の人で賑わっていた



ラーメンで遅い昼食




 右折して厚和から鹿の子温泉へ抜ける道手前まで来てようやくR750が合流、我々は車の流れに乗って 道の駅 温根湯 に到着したのが、時間は予想通り?PM2:00を大きく回っており、今日も遅い昼食を取る事にする。

 我々は早速レストランを探したのだが、それらしきお店は発見出来なかった。有るのはラーメン屋さんやソフトクリーム屋さんが並んだ建物で、男鹿半島の入道崎のお店みたいと誰かが言っていましたね。

 私はこの道の駅を利用するのが初めてで、大きな駐車場に沢山の車が停まり人も大勢いるこの道の駅に、レストランが無いとは思ってもいませんでした。

 こんな事なら石北峠の峠の茶屋でラーメンでも良かったのだが、我々に選択肢は無くラーメン店でラーメンを頂く事にした。私は味噌ラーメンを食べたのだが、お味は普通に美味しいラーメンでしたよ。

 我々のこれからの予定は、温根湯峠を越え置戸に出て北海道2カ所目の秋田の地を訪ねる事なのだが、私は初めて走る温根湯峠も楽しみにしていた。

 道の駅を出て直ぐの信号を右折、道道247号に入った我々は温根湯峠を上って行ったのだが、路面もウエットだったが路面状態も良くなく道幅も狭く、交通量もそこそこ有って楽しめる峠では無かったです。

 やはり国道39号から置戸に抜ける時は、厚和から鹿の子温泉に抜けるルートがお勧めです。道道247号は道道1050号が国道242号に交わる信号(置戸のセイコーマートの在る信号)少し手前に出て、我々は左折してセイコーマート前を通過(このセイコーマートに止まらないのは珍しい)秋田へと向かう。

 
 置戸の秋田

 置戸のセイコーマートから留辺蘂方向へ少し走ると左手に秋田の看板が見えて来て、そこを右折するとそこが秋田の地であった。北見秋田簡易郵便局が在って秋田の文字を見付けたが、そのまま進むと大きな小学校跡地に出る。

 その小学校は、大正5年11月20日(1916年)に開校、平成21年3月31日(2009年)に閉校された秋田小学校の跡地で、4年前に92年間の歴史を閉じたようでした。開校は1916年で秋田の人々がこの地に移住したのが1911年(明治44年)と聞くから、移住して5年で小学校が出来た事になる。原野の広がるこの北の地に移り住み、5年で小学校を開校した先人のご苦労は如何許りのもので有ったであろう。


 小頓別の秋田と比較するとその集落の大きさは比べようもない位大きいが(一つの小学校が出来る位・・・)、それだけ多くの人々が移り住んだのでしょう。

 この近くには雄勝と云う地名も有り、秋田県南部雄勝地方の役内川(雄物川支流)の洪水で土地失った人達がこの秋田の地に移り住んだと聞きます。

 小学校跡地に建つ石碑に刻まれた文字から




 私は、この地に住む人々の故郷秋田への強い想いを感じ、秋田ナンバーを見て声を掛けてくれた人々の事を思いながら、秋田の地を後にしたのでした。

 秋田を発った我々は、雄勝の地を通って北見へと向かう。




秋田小学校の看板と秋田ナンバー


 秋田から雄勝を通り(秋田のレポートみたい?)我々は大きなホクレン北見工場の前を通過、農地の中を何処までも真っすぐに延びる南八線(農道?)を北見に向かって走って行く。土地の高低が有って先まで見通せる訳ではないが、とにかく真っすぐな道で一つの丘を越えるとまた次の丘まで直線路、そしてまた丘の先に直線路を繰り返して道は続いておりました。

 空が濃い灰色で雨がポツポツ降っている状況でしたのでそれ程の感動は無かったのですが、これが青空に白い雲か浮いているスチエーションでしたらきっと感動もんだったと思います。北海道には有名観光地だけでなく、彼方此方に素晴らしい景色が眠っているですね・・・。


 網走 アニマの里

 南八線の長い長い直線も北見市街に近づいて終了、道はT字路に出て私にまた右か左かの選択を迫ってくる。南八線は初めての道で地図は秋田を出る前に見ただけだが、基本的に左に向かえば国道39号、右に向かえば道道50号に出る事は分かっていた。

 予定では女満別のメルヘンの丘で夕陽を見る事にしていて、道道50号に出て美幌に向かう筈だったのだが、この天気で夕陽観賞は無理で私は網走最短コースを選択、左折して国道39号を目指す事にする。北見の街は両側を山に挟まれていて走っている方向が分かり易く、我々は迷う事無く北見市街の国道39号に出る事が出来た。

 日曜日の夕方とあって北見のメインストリート国道39号は結構混雑していたが、市街を抜け端野を通過した我々は北見から網走へ抜ける裏道道道104号に入る。私がこの道道104号を走るのは久しぶりだったのだが、以前峠付近で行われていた道路改良工事が終わっており、道幅が広い走り易い道になっていましたね。

 以前ソフトクリームを食べたソフト屋さんが在るパーキングが見えて来て、今日1個も食べいない(目標1日1ソフト)ソフトクリームを食べるかどうか迷った私だが、宿までは15分位だし、雨も降っているしで今回はスルーする事にしました。

 網走に到着した我々は明日の事を考えてガソリンを給油し、隣のセブンイレブンで飲物を調達する。そこに山形ナンバー6〜7台?のバイクグループがやって来て給油を始めた(セルフスタンド)のだが、私は我々と同じ東北ナンバーをジーッと見てしまった。彼らもまた我々の秋田ナンバーを見ていたが、東北人としては関東や関西のナンバーより東北ナンバーに親近感を感じてしまいますね。



合流の乾杯


アニマの里の夕食
この後大きなホッケの開きが出て来ます

 PM5:00過ぎ、我々はアニマの里に到着する。雨で予定を大幅に変更した為走行距離は短かったのだが、到着時間は思ったより早くなかった。走った疲れは走行距離ではなく走った時間に比例するから、天候が雨(結構神経を使う)と云う事もあって結構疲れた1日だった。

 バイクをビニールハウスの中に入れ(バイクはハウスの中に入れるのが定位置となったようである)、荷物を降ろし脱いだ雨具をハウスの中に干す事にしたのだが、以前は無かった針金ハンガー等が用意されていて雨具が掛けられるようになっていた。

 旦那によるとライダーの皆さんが自分でハンガーを持ち込んで雨具を干せるようにしたそうで、アニマの里もライダーに優しい宿に少しづつ変わっているようである。

 いつもの部屋に荷物を解いた我々は、夕食前にお風呂に入って温まり、スッキリした体で無事の合流を祝して乾杯する。合流はしたものの、10Rは合流してからここまで雨の中を移動しただけで何ともストレスが溜まる1日だったのだが、テレビではもっとストレスが溜まるニュースを流していた。

 今晩の夕食は定番メニューにタラバガニが付いており、私は基本的に出た物は全て頂く主義なので今回も全てを完食してしまったのだが、これでまたウエィトが心配になってしまった。

 夕食後、場所を移して私が持って来た秋田の酒を開け、旦那やいつも我々と同宿(5回位は一緒になっている?)になる彼や、明日名古屋へ女満別空港から飛行機で帰ると言う男性を交えて宴が始まった。

 ここでも話題は台風18号で、中部地方に上陸する構えを見せている台風に 「明日飛行機は飛ぶのか?」 「飛ばない場合はどうしたら名古屋に帰えられるのか?(明後日から仕事)」 昨晩同様各自の英知を持ち寄って、最善策が検討されるのだった。

 台風18号の影響は他人事では無かった。明日、台風は北上するスピードを速め夕方には北海道の太平洋沖に到達する予報が出ていて、我々が明日宿泊を予定にしている落石(根室地方)は、ドンピシャで嵌っていたのである。

 明日の予定は明朝の状況を見て決定する事にした我々は宴を大いに楽しんだのだが、R750が何時に無くハイテンションで終了宣言をする気配が無く、私が終了宣言をして寝る事にした。

 明日の台風が気になっていた私だが、アルコールの力も有ってか眠りに着くのは早かったですね。



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by Ryuta
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