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今シーズン最後のツーリング 更新日 2019.11.27


 少し前になるが、11月10日今シーズン最後のツーリング(OFF)で河北林道を越え北秋田市阿仁に在る安の滝に行って来ました。

 その日は寒気が入り寒い日でしたが雨の心配は無く、秋田の晩秋を堪能し今シーズンを締め括る大満足のツーリングとなりました。




          秋田市と阿仁を分ける河北林道の峠に到着。




 地面は厚いブナの落葉で覆われ、空にはブナの枝が美しい幾何学模様を描いていましたね・・・。




 2時間位で比立内の道の駅に到着。ここで1台と合流、3台で安の滝に向かいます。




  林道に入り遠くに安の滝が見えて来た。




  林道の終点にトイレの有る(冬季閉鎖になっていました)パーキングが整備(以前より増設)されています。
  トイレ横に安の滝への入口があり、滝まではここから歩いて40〜50分掛かります。




  遊歩道は以前より整備され、スニーカーでも問題無いレベルです。因みに私はOFFブーツでした。




  遊歩道の先に安の滝が見えて来ました。もう直ぐ到着です。




  安の滝は上段と下段の二つの滝で構成されますが、その左右にも滝が有り花を添えます。




 下の滝から上の滝に向かうと、二つの滝の位置関係が分かる場所に出ます。上の滝は高低差も滝幅も別格です。




 大部分の葉は落ちていましたが、カエデの紅葉は残っていて滝とのコントラストが綺麗でした。




             上の写真に私が写っています。




 私はここ・・・。 滝の大きさがお分かり頂けたでしょうか。安の滝は半端なく大きな滝です。




          安の滝は横に広がって落ちて来るのが特徴。




 この滝は幅広く落ちて来る為高さの割に水しぶきが少なく、濡れずに滝の真下まで行け迫力満点です。




      安の滝の右側に有る滝、左側の滝同様に雨が少ないと涸れる滝です。




河北林道の帰りにマウンテンバイクで峠を上るグループと遭遇、彼らは秋田内陸線 阿仁駅まで行って来たらしい。




  丸舞園地まで戻って来ると朝は無かった6台の車が停まっていて、MTBの彼らの車と思われる。



 秋田市から来たと言う彼らと峠で話した時、秋田市まで帰るのは大変だと心配した私だが、余計な心配だったようだ。我々は峠からここまで30分位で来たが、峠からは殆ど下りだからMTBでも1時間も有れば来れると思われ?、明るい内に秋田市に帰れでしょう。

 私はこの日の為に半年掛けて整備したセロー225(2LN 1986年モデル)に乗り、大滝から丸舞迄までの林道を大いに楽しんだ。セロー225<セル無>は軽量でそこそこパワーも有り、林道遊びには最高なバイクだと私は思っているのだが、今シーズンOFFを走ったのは今回の1回だけだったので、来シーズンはもっと走りたいと考えている。

 1月になればまた一つ歳を取ってしまう私だが、今最大の心配事は日々体の劣化を痛感している身としては、来シーズンも今シーズン同様にバイクを楽しめるかが問題ではある。

 その答えは来春に出る訳だが、どうなることやら・・・・?



                                     平田隆太郎



FUNKYが40周年を迎えました 更新日 2019.11.2


 ツーリングチーム FUNKY が誕生してから今年の7月で丸40年経ちました。

 1979年の7月29日、FUNKY最初のツーリングが行われました。40年前、お店の有志が何となく集まって誕生したのがFUNKYなのですが、それから40年間 4月から11月まで年間7回(初年年度は5回)途絶える事なくツーリングが行われて来ました。

 月例ツーリングの回数はこれまで277回を数え、これに1984年から始まった北海道ツーリング(2005年からは年2回)を加えると328回(北海道は51回)のツーリングが行われ、私は1回の北海道を除きそのすべてのツーリングで先頭を走って来ました。

 最初のツーリングの時は29歳だった私も今は70歳、40年の間にはFUNKY存亡の危機が何回か有りましたし、40年間良く続いたと自分でも感心?しています。

 その間2台だけのツーリングは何回も有りましたが、一人だけでツーリングに出掛けた事は無く、これもチームメンバー皆様のお陰だと心から感謝しております。

 FUNKYで走った距離は年間平均7000kmとしても40年間で28万km以上は走った事になり、俗に言う地球7周分は走った勘定になりますが、これからの課題はこの走行距離をどこまで延ばせるかでしょうね・・・?



 FUNKY40周年を記念する物を何か残したいと考え、FUNKY40周年記念キーホルダーを作りました。販売は考えていなかったのですが、1ロットの製作数が多く使い切れなそうなので、一応販売もする事にしました。

    1個 400円(消費税込み価格)   

◎スペイン製フルベジタブルタンニン(本ムメ皮)使用 ロゴを素押し(焼き押し)
「サイズ」全長100mm 皮革部/横61.8mm 縦28mm 厚み約4mm




※FUNKYのロゴは以前私が筆で書いてデザインした物です。(皮の色は写真と少し違っています。)




  ※このキーホルダーのフックは、傷付き防止の為取り外しています。




GSX-R1000 K5 の走行距離は12万km目前に迫っていますが、今年中の12万km達成は無理でした・・・。







                       平田隆太郎



今年最後の山行 更新日 2019.10.25


 先日今シーズン最後の山行、八幡平の秋田駒ヶ岳から乳頭山を縦走してきました。天候にも恵まれ秋田の晩秋を満喫して帰ってきましたが、昨日までは下半身の筋肉痛で動きがスローモーション、今日ようやく平常に戻って来ました。

 秋田市から車で田沢湖高原 アルパこまくさ に行き車をデポ、そこから羽後交通のバスで駒ヶ岳八合目に向かいます。バス停から1時間弱で阿弥陀池避難小屋に到着、初日はここをベースに秋田駒ヶ岳周辺を散策します。




 阿弥陀池湖畔に在る阿弥陀池避難小屋に宿泊し、翌朝後に見える男女岳山頂から来光を見ます。



 阿弥陀小屋から横岳・大焼砂・ムーミン谷を周って男岳山頂を目指し小屋に戻って来る周遊コースを、荷物を小屋にデポして身軽になって先ずは大焼砂に向かいます。




  右からの強風に耐えながら荒涼としたに大焼砂の斜面を下ります。




  眼下にこれから向かうムーミン谷へ向かう道が見えている。




  砂の斜面を横切ってムーミン谷へ・・・。




  もう少し早いと木道の両側にはチングルマの紅葉が見られたのだが・・・。




  いよいよムーミン谷の核心部へ・・・。




  ムーミン谷の底から見上げる男岳の岩稜。




  バックは馬の背尾根




  1970年に噴出した女岳の溶岩流。




  陽が当たり黄緑色に輝く溶岩流が綺麗でした。




  黄緑色なのは溶岩の苔?



  男岳山頂直下の尾根から見下ろすムーミン谷。




男岳山頂に無事到着。山頂は下から雲が沸き上がってきていたが、田沢湖スキー場や田沢湖が直ぐそこに見えていた。



 散策を終え小屋に戻って早目の夕食、日が暮れると結構冷えて来る。それでも昨年の田代平避難小屋の時とは違い明方葉に霜が付く程冷え込む事は無く、比較的暖かな朝を向かえました。

 二日目の朝、男女岳の山頂でご来光を見る予定でしたが、起きてみると小屋付近はガス(雲)が掛かっていて山頂は見えていなかった。しかし、雲の流れ方から山頂部は雲が掛かっていないと判断、急いで山頂を目差すと山頂には雲が掛かっておらず、ギリギリで厳かなご来光を拝む事が出来ました。




  山頂直下まで来た時、太陽が雲海の上に顔を出す。




  早池峰山の左横に出たご来光、その左には一際高い岩手山が雲に浮かんでいました。








 岩手県側(東側)は雲海が広がり、秋田県側は雲が少なく遠くに鳥海山が見えていましたね。




  眼下には阿弥陀池。



 ご来光を見た後小屋に戻り、朝食を取って乳頭山を目指し歩き始める。焼森までは順調でしたが、焼森から湯森山に続く登山道への分岐を見付けられず、結局昨日バスを降りた八合目のバスターミナルに戻りそこから笹森山経由で湯森山に向かう事になりました。




  焼森から観る乳頭山への縦走路。正面手前が湯森山、その奥が笊森山、そしてその左に乳頭山が見える。
  後で分かったのだが、ここを少し下った左に縦走路の分岐が有ったようなのだが、見付けられなかった。





湯森山山頂手前から観る乳頭山(秋田の呼名)。尖ったピークが烏帽子に見える事から岩手では烏帽子岳と呼ばれる。




  無事、湯森山到着。



 湯森山からは焼森からのトレールがハッキリ見えていたが、湯森山側でも焼森への分岐を示す案内柱を見付けられなかったのはどうした訳だ。焼森〜湯森山間の登山道を通行止にしているとしか考えられないが、通行止の表示も無かったから熊が多い地域なのでは廃道のしたのか・・・?

 思わぬ遠回りで1時間弱タイムロスしてしまったのだが、時間的にはまだ十分余裕が有り我々は次のピーク笊森山に向かう。湯森山を下ると広々とした草原が広がる熊見平に出る。その名の通り熊がいても全く違和感が無い環境だが、雪解け直後は高山植物が咲き乱れそうな草原で、今は草紅葉が綺麗でした。




  草原が広がる熊見平、延々と木道が続く・・・。



 笊森山の長いゆったりとした上りを登り切り、昨年も立った笊森山の山頂に到着、ここから先は昨年歩いているので新鮮味は無かったが、乳頭山からの下りは昨年使わなかった黒湯に下るコースで孫六温泉を目指す事にする。




  田沢湖を見ながら黒湯に下るコースを下る。



 乳頭山から黒湯に下るルートは所々にロープが設けらた急坂が有り、雨の日は滑りそうで下りには使用しない方が良さそうである。通常は上り・下り共に傾斜が一定で歩き易い田代平小屋から孫六温泉へ下るルートをお勧めします。

 黒湯コース唯一?のお勧め処は、途中の沢沿いに温泉が湧き出ている事で、快適そうな露天風呂(湯加減は確認済み)が有りました。、1時間のロスが無ければ、入って来たかったのだが残念でした。




            2日間の縦走を歩き貫き、達成感溢れる顔の私。



 午後4時過ぎ、予定よりは少し遅くなってしまったが明るい内に孫六温泉に到着、温泉で汗を流し温目の温泉にゆっくり入りスッキリした後、歩いてバス停の在る大釜温泉へ向かう。バス停に到着する頃には陽も落ちてすっかり暗くなっていたが、バスに乗ってアルパこまくさに戻り秋田市には7時過ぎに帰還、今シーズン最後の山行は無事終了しました。

 今シーズンは5月の太平山から始まり、6月の森吉山、7月末には北アルプスの白馬三山縦走、10月の八幡平縦走と結構頑張りました。

 いつまでこんな事が出来るか分かりませんが、来年も今年同様山行を楽しみたいものです。



                                        平田隆太郎



2019 オータムスプリング無事終了 更新日 2019.10.7


 天候にも恵まれ東北の秋のを堪能して来ました。




              小坂町赤煉瓦倶楽部にてコーヒータイム








             昼食は小坂の幸楽でホルモンミックス定食




             十和田湖 休屋のパーキング   紅葉は始まったばかりでした




         静かな小道を木漏れ日を浴びながら十和田神社へ向かいます




   旧道(国道103号)脇に在る瞰湖台から中湖を見下ろす  十和田湖は神秘的なブルーをしていました




        秋田県から青森県に少し入った所に在る迷ヶ平 で串もち100円 をいただきました




          迷ヶ平付近も紅葉は始まったばかりでした




2019 オータムスプリング開催 更新日 2019.9.21


 今年もオータムツーリングを開催します。行き先は十和田湖、紅葉を鑑賞しながら、小坂でホルモン(ホルモンが苦手な方には他のメニューも有ります)を頂きます。





 走行距離は350kmですが、初心者からベテランまでバイクの種類を問わず楽しめるスケージュールになっています。

 秋の秋田を感じながらツーリングの楽しみ方・安全な走り方を学ぶ機会にもしたいと考えています。

 特に参加申し込みや連絡は必要有りません


   参加される方は  10月6日(日) AM7:20 まで モト ワークス ヒラタ にお集まりください。

                 詳 細     はこちらから



               MOTO WORKS HIRATA 
                      代  表   平田隆太郎

              お問い合わせ  TEL018-832-4426
                        info@moto-hirata.com




オイル漏れで切開手術!? 更新日 2019.8.28



 私のGSX−R1000 K5 は、以前からエンジンの下部にオイルが漏れていてエンジンを降ろしたついでにオイル漏れも修理する(オイルシール関係を交換)つもりだったのだが、クラッチのプッシュロッドのオイルシールは、クランクケースを割らず(分解)には交換出来ない構造になっていた。

 エンジンを下ろしヘッドガスケットを交換してオーバーヒート修理はしたものの、クランクケースを割る事までは考えていなかった為、今回はプッシュロッドオイルシール交換は諦める事にしました。







 しかし、先日のツーリング(オーバーヒート修理の確認走行を兼ねたツーリング)でカムカバーのガスケットからオイル漏れが発生(私がカムカバーガスケットに塗布した液体ガスケットの量が少なかったのが原因)、それは帰って来てから直したのだが、クラッチプッシュロッドからのオイル漏れが以前よりひどくなっている事が判明した。

 このままで北海道に行くのにははばかられ、私はプッシュロッドオイルシールを交換する事にしたのだが、今更エンジンを下ろしてクランクケースを割る事はしたくなかった。

 そこでクランクケースを割らずにオイルシールを交換する方法を考える事にした。クランクケースにオイルシールの抜け止めが設けられていてオイルシールを外せないのなら、その抜け止を切削して取り除けばオイルシールの交換は可能な事に私は気が付いた。

 抜け止はオイルシールを交換した後に新たに作れば問題無いし、そうすればエンジンを降ろさずクランクケースも割る事も無く、作業は1時間も掛からずに終わりそうである。

 作業の邪魔になるウォーターポンプを取り外し、クランケースを削った切粉がエンジン内部に入らないように養生して作業を始める。



















 作業は問題無く無事終了、エンジンを掛けオイル漏れを確認すると当然だがオイル漏れは無くなっていた。

 今回は私のバイクだったので工賃を払う事は無かったが、エンジンを降ろしエンジンを割って行う通常の交換作業では、510円のオイルシール1個交換するのに5万円以上の工賃が掛かると思われ、SUZUKIさんにはクランクケースを割らずに交換出来る設計(※最新のGSX-R1000Rのエンジンはクランクケースを割らずにオイルシールを交換出来る構造になっていました)にしていただきたいと思いますね・・・。



                                             平田隆太郎



地震被害!? 更新日 2019.6.19


 昨日の地震で被害が出た。展示していた ZUと  が転倒してしまったのだ。しかし、被害はそれだけでお預かりしているお客様のバイクは無傷で安堵しました。

 V-MAX (旧型) も展示していたのだが、幸いにも乗車していたライダーが転倒を防いでくれたようで助かりました。




 四輪の N-ONE は当然問題は無かったが、ZU と 隼 は見事に転倒、V-MAX はライダーが頑張ったのだろうハンドルが反対側に切れていたが何とか転倒を免れていた。。











 それにしても、携帯の地震速報の後すぐ揺れ始めた今回の地震(私はソファーに座ってテレビを視ていた)、揺れ方が大きな地震のそれで振れ幅が大きく私は身構えてしまったのだが、秋田市の震度は4と危険を感じる程では無く助かりました。

 秋田で被害の大きかった日本海中部地震から36年が経つ。当時店頭のバイクに被害は殆ど無く助かったのだが、サイドスタンドで置いてあるバイクは意外と地震には耐えられるようである。


                             平田隆太郎




奇跡のコラボU? 更新日 2019.6.14



                      YAMAHAの名車達



 上の写真は偶々では無く、昨日入庫していたYAMAHAのバイクを意識的に排気量順に並べたものだが、昨日の夕方に1台引き取りに来たので今日はこの写真を撮る事は出来ない。


 手前からエンジン上部オーバーホール中の
 TZR250R (3XV1) 1991年モデル JACKAL チャンバー付き
 3XV1にチャンバーを装着しただけではキャブレターのセッティングが変ってパワーが出ず乗りずらくなる。このバイクは当店でキャブレターセッティングを行っている。

 2番目は21世紀のバイクになるが
 YZF−R6 (5SL1) 2003年モデル  TERMIGNONI スリップオン(車検対応)付き
 R6最初のインジェクション車なのだが、今のR6と比較してポジション的にもきつくなく長距離ツーリングにも向いた600ccである。

 3番目が外装がカーボン仕様の
 FZ750 (1FM)  1985モデル
 
YAMAHA ジェネシス の最初のモデルになるが、さすがのこれだけ古いと電気系や何やら色々壊れてきて、オーナーさんはツーリング先で故障しバイクは陸送、本人は電車で帰るパターンを何度か経験している。最近は一巡してそんな事も少なくなってきたが、パーツが無くなってきているので他の車種のパーツを使用したり、パーツを再生したりし何とかしている状態である。

 4番目の
 FJ1200A (4CC2) 1991年モデル
 このバイクは国内向けの97PS仕様なのだが、輸出仕様のキャブレタージョイントを使用(国内仕様のジョイトは断面積が半分位に狭くなっている)しキャブレターセッティングを行ってFJ1200本来の性能を引き出している。

 古いバイク(2005年頃以前のモデル)は今のバイクと比較するとブレーキが弱く止まらないのが問題で、古いバイクを安全に楽しく走るにはフロントブレーキの強化が必須かもしれません。



                                   平田隆太郎



Spring Touring 開催 更新日 2019.1.25


 毎年恒例のスプリングツーリングを開催します。

 開催日 4月14日(日 予備日21日  詳 細

 今年は春の訪れが早いように感じる今日この頃だが、毎年恒例のスプリングツーリングを開催します。







 目的はピッツアパスタが美味しい山形 鶴岡市の 緑のイスキア でのランチになりますが、桜の時期と重なります?のでお花見も出来るかもしれません。

 帰りは仁賀保・由利原高原でバイクを走らせ楽しみたいと考えています。グループ分をし初心者からベテランライダーまで楽しめるツーリングにしたいと考えていますので、どなたでもお気軽にご参加下さい。

 時間が有りましたら温泉も考えていますので、タオルもお忘れなく。



                                       moto works HIRATA  平田隆太郎



70歳なってしまいました 更新日 2019.1.25


 若い頃70歳はお年寄りの認識しかなかった私だが、自身がその年になってみるとその自覚が無いのには困ったものだ。

 確かに昨年の秋頃から左手に痺れが出ていて指先の感覚がおかしい(医者には左手の使い過ぎと言われた:長年のクラッチ操作が影響?)状態が続いていたりするから、肉体の賞味期限が切れ掛けているのを実感する今日この頃ではある。

 子供も若者も年寄りも同じ1年の時を過ごすわけだが、二十歳を過ぎた頃から肉体の老化スピードは二次曲線的に加速され、私の実感では65歳を過ぎた辺りから体に一気に不具合箇所が出てきたように感じる。70歳代はその変化がよりいっそう加速されのは確実で、次は何処に何が起きるか? ドキドキものである。

 私の今一番の心配事は、いつまでバイクに乗っていられるかなのだが、こればかりはその時になってみないと分からない。幸か不幸?か現在は左手指に痺れは有るもののクラッチレバーは握れる状態で春にはバイクを走らせられそうなのだが、年寄りの未来は一寸先は闇ですから・・・分かりません。

 現時点で、バイクを走らせるだけなら80歳位までは行けそう(生きていればの話だが・・・)な気がしているのだが、バイクを移動手段としては使いたくないのでバイクを楽しめなくなったら私はさっさとバイクを降りるでしょうね・・・。

 移動するだけなら風雨にも影響されずエアコンの効いた車内でヌクヌク出来る車が絶対良いです。

 昨年は人生初めての山陰を旅したり、45年ぶりに日本で標高が2番目(北岳)と3番目(間ノ岳)に高い南アルプスに登ったりしたのだが、やりたい事は先に取っておかない をmottoに70歳代をすごしていけたらと考えている。

 しかし、不確定要素だらけの70歳代 どうなる事やら・・・・!?




                今年も行きたい日本アルプスなのだが・・・・



                                                   平田隆太郎




本年も宜しくお願い致します。 更新日 2019.1.15


 遅ればせながら    あけましておめでとうございます

 今日の秋田市はこの時期としてはめずらしく時々薄日も差す穏やかな天候で積雪も0cmだったのだが、今晩から雨が降って明日は大荒れの天気になるらしい。




   1月の中旬なのだが積雪は0cm、除雪で出来た雪の山は少し残っているものの春の様である。
     このまま春にならないかなぁ・・・!  イヤイヤこれからが冬本番ですから・・・!!



 今年2019年は平成が終わり新しい年号に変わる節目の年ですが、私ももう十日程で70歳の誕生日を迎へ70歳代が始まる節目の年になります。

 平成は私の40歳から70歳までの30年だったのだが、30年前の平成元年の様子をバイクの視点から振り返ってみたいと思う。

 平成の始まった1989年は、当店がまだ大町に在ってYAMAHAのYSP秋田中央をやっていて、TZRFZR等のレーサーレプリカ全盛のバイクブームの真っただ中で、日本のバイク史の中で最も輝いていた時代だったのかもしれません。

 当時のバイクブームを体験した若者やそれを横目で見ていた人達が、20数年経って現在のバイクブーム?の主役になっていると私は考えているのだが・・・どうなんでしょうか?

 ここでは当時のレーサーレプリカブームの火付け役となった?TZR250の事を少し書いてみようと思う。

 1985年 TZR2501KT) は、デルタボックスアルミフレームにフルカウルをまとい、新設計の軽量な水冷2cycleパラレルツインエンジンを搭載して鮮烈デビュー、1988年には新技術のアルミメッキシリンダーやラジアルタイヤを装着した 2XT TZR マイナーチェンジ、そしてその翌年の1989年(平成元年)フルモデルチェンジを行うのである。

 YAMAHAは当時の市販レーサーTZ250のレプリカモデルとして 3MA TZR を発売、、排気方向をTZと同様に従来の前方排気から後方排気に変更したエンジンを新開発、それを新設計したアルミデルタボックスに搭載して発売したのだが、エンジンのレプリカ度が中途半端でバイクとしても少し残念なモデルだったように私は思う。

 3MA TZR のエンジンは、TZのエンジンとは異なる水平割りのクランクケース(1KTエンジンと同じ形式、工作機械の関係?)を採用していた為、エンジンがTZより一回り大きくなっていた。その事が車体の設計に色々と影響し(ホィールベースやスイングアームの長さ、キャブレターの位置等に・・・)、完全なTZ250レプリカとはなっていなかったのが私は非常に残念だった。

 特にクランクケースの割り面がクランク軸の位置になる為クランク室の位置が低く、キャブレターの取付け位置(クランクリードバルブエンジン)が前輪の直ぐ後になってしまい、キャブレターに直接エアークリーナーBOXを取付けるスペースが無かった。

 その為クリーナーBOXはエンジンの上に取付けられ、BOXとキャブレター間は長い連結パイプで繋がれる事になったのだが、3MAのエンジンが調子が良かったり悪かったり安定しない事が多かったのは、ラジエーターの真後ろに配置されたこの連結パイプが影響していたのではないかと私は考えているのだが・・・どうなんでしょう?

 結局 3MA 後方排気TZR は2年しか生産されず、1991年にVツインレイアウトの 3XV TZR に取って代わられる(3MAは3XVが出るまでの繋ぎ?)のだが、私は3MAまでの2cycleパラレルツインエンジンの抜けるような甲高い排気音が大好きで(特に排気口が上方に有る3MAエキゾーストノートは最高でした)、YAMAHAさんには最後まで完璧なパラレルツインエンジンTZRNSRに対抗してもらいたかったですね・・・。

 結局 250t 2cycleエンジンは21世紀になる前に日本では絶滅してしまうのだが、2cycleエンジンと共に空前のバイクブームも終焉に向かえるのであった。

 そんな時代を懐かしく思うのは私だけではないと思うが、バイクを本当に熱く楽しんでいた時代だったと思いますね・・・。




平成元年当時、彼方此方で見られたライダーが革ツナギを着た光景  (場所は花山の関所跡隣の温湯山荘)



 バイクの社会的環境がこの30年で変わったかと考えると・・・?

 私は大して変わっていないように思える。

 私自身30年前と殆ど変わっていないので他人様の事をどうこう言える立場ではないが、ライダーさんには事故の無い他の方々には出来るだけご迷惑をお掛けしない走りで、バイクを楽しんでもらいたいと思います。


        本年もよろしくお願いいたします。

                                                平田隆太郎




北海道胆振東部地震から1ヶ月 更新日 2018.10.6


 北海道の地震から1ヶ月が経った。昨日も震度5弱の余震が有ったが、私は地震の1週間後に FUNKY IN  北海道 Part35 で、地震の被害が大きかった鵡川町を訪れていた。その時はもう停電は解消されており我々のツーリングには地震の影響は殆ど無かったのだが、現地の被害は甚大でした。

 一見何ともない様に見える家もよく見ると傾いていたり、窓がボードで塞がれていたり、壁が落ちていたりしており被害の大きさを知る。

 我々は朝秋田港からフェリーに乗って北海道に向かい、夕方地震で故障し全道停電の原因になった苫東厚真発電所の隣に在る苫小牧東港のフェリーターミナルに到着、そのまま宿の在る鵡川町穂別に向かったのだが、途中の道路は所々で舗装が剥がれ砂利道(路面に亀裂が入ったり盛り上がったりしたのを修復?)になっている所が有って、結構気を使った。

 今回のツーリングで地震の影響受けた道路は厚真・鵡川地域に限られ、我々は予定通りに道内を周る事が出来たのだが、穂別で我々を驚かせる地震被害を知る事になるのであった。

 今回我々が宿泊する穂別の宿は、常宿としているポレポーレが満杯であった為ポレポーレのお母さんから紹介された 民宿 真也 を予約していた。事前に連絡し泊まれる事を確認していた 民宿 真也 だったが、行ってみると廊下の壁に亀裂が入っていたりして被害が無い訳ではなかった。

 宿の若い女将さんからは、「 こんな時に泊まりに来てくれてありがとうございます。 」と感謝された(キャンセルが多く出ていた?)のだが、我々こそ泊まる事が出来て本当に助かったのであります。

 そして我々は若女将から衝撃的な話を聞かされる事になる。それは我々の穂別の常宿ポレポーレが廃業するとの話だった。ポレポーレは給湯が落下するなど被害が甚大で再建するには結構費用が掛かるようで、この際お母さんは廃業する事を決断したと言うのだ。


 多分お母さんは再建の為に新たに借金をしてまで宿を続けるモチベーションが持てなかった(子供も結婚したし・・・)と私は推測するのだが、FUNKY北海道に取っては常宿ポレポーレの廃業は、秋田港〜苫小牧東港間の新日本海フェリーを利用する我々に取って大問題だった。

 ポレポーレは北海道に夕方上陸して初めて泊まる宿で、次の日から始まる北海道本番に向けてお母さんとの会話を楽しみながらリラックスしてモチベーションを上げる重要な役目を持った宿で、その宿が無くなる事は大問題なのである。



 しかし今考えてみると、今回の北海道でポレポーレのお母さんから紹介されて 民宿 真也 に泊まったのは、今回の地震を予見していたような何か運命的な物を感じてしまう。

 私が北海道に行けている間にポレポーレが無くなる事は考えてもいなかったが、世の中何が起きる分からない事を実感した今回の地震でした。

 来年また北海道に行けたらと考えている私だが、来年の事は分かりません・・・?



                                                 平田隆太郎


 ※北海道レポートは書こうとは思ってがいるのですが、書き始めるまでがねぇ・・・。歳か・・・?



オータムツーリング開催 更新日 2018.9.7






 今年のオータムツーリングは、大館で本場の きりたんぽ (新米?)をいただき、十和田湖休屋で紅葉を観光、秋を満喫するツーリングです。

 初心者からベテランライダーまで、楽しく走れるツーリングです。お気軽にご参加下さい。

 参加の申し込みは不要ですので、参加される方は集合場所に集合時間までお集まり下さい。



                            モト ワークス ヒラタ   平田隆太郎



お客様? 更新日 2018.7.25


 久ぶりの更新です。書くネタはツーリングや山行等色々有ったのですが、書くモチベーションが湧かず二か月近く経ってしまいました。

 今回私のモチベーションを高めてくれたのは、1本の電話でした。それはスクーターのリヤタイヤを交換したいという電話だったのですが、スクーターは30年以上前に発売されたYAMAHAのミントという車種でした。

 このスクーターのリヤタイヤは現行車種では使われていない 3.00−8 サイズのタイヤで、交換代金を聞かれた私は直ぐには答えられなかった。現行車種のサイズなら即答出来たのですが、私は正確をきす為タイヤの価格を調べるのでお客様?には電話口で少し待ってもらう事にしました。

 ところが価格表の中から 3.00−8 サイズなかなか見付けられず少し時間が掛かってしまった。お客様?は急いでいたのだろう・・・? 価格が分かったら折り返し電話してくれと言って来る。 

 ここで私が 「 はい、かしこまりました。 」 と言えば良かったのだが、

私が 「 調べておきますから10分後位にまた電話して下さい。 」 

と言ったら・・・

 「 じゃ いいです。 」 

と言って電話が切れた。


 また、以前にはこんな電話が有った。

 これも古い1980年発売のYAMAHA タウニイ の修理の問い合わせだったのだが、

 「 ウインカーが点滅しないので修理してもらえないか? 」

との電話で、私は確認の為お客様?(声からしては二十歳前後と思われる)バッテリーがどうなっているかを尋ねた。

 電話のお客様?は

 「 タウニイはバッテリーが無くても動く 」 (確かにエンジンは掛かるが・・・)

と前オーナーさん(最近貰ったバイクらしい?)から聞いていたらしく

 「 バッテリーは関係ない。 」 

の一点張りで、私の問いに答えてもらえなかった。

 バイク屋が云う事より前オーナーの事を信用するお客様?に、私も意地になって?バッテリーの事を尋ねると

 「 じゃ いいです。 」 

の決まり文句と共に電話が切れた。


 今の若者(ミントのお客様は40歳台位?)は自分の考えが通じないと簡単に切れる?と聞いていたが、電話で話している限りではその傾向は有るように思いましたね。


 私は修理の依頼に関しては、依頼者も修理者も立ち位置は対等だと考えている。

 依頼者は金を払うのだから上という事もないし、修理してやるのだから立ち位置が上という事はないと考えている。

 依頼者が納得する金額で修理を行い、引き渡す時にお客様から

  「 ありがとう。 」

の一言を言って頂ける事を目標に、私は仕事をするよう心掛けている。


 今の世の中電話で何でも事は足りると考えている風潮が有るように感じる今日この頃である。

 仕事に集中している時、鳴った電話に仕事を中断して急いで出てみると

 「 お忙しい時に申し訳ございません。 」 

と言って勝手に電話を掛けて来るセールス電話、何とかなりませんかね・・・・。

 「 申し訳ないと思うなら掛けて来るな・・・ 」 

と言いたくなってしまいます。


 対面して顔を見ながらの対応だったら話を聞いてみようという気にもなるが、最近はその手のセールス電話に黙って切ってしまう器の小さな自分が情けないです・・・!?


 修理依頼は、メールでしてもらうと当方としては助かりますね・・・。


                                           平田隆太郎



森吉山のお花畑 更新日 2018.6.5



 先週の土日、森吉山に泊りでお花畑を観に行って来ました。予報では晴れる筈だったのですが、山の頂上には雲が掛かっていて山頂からの展望は無く残念でしたが、登山道の両側にはチングルマのお花畑が続いていて、大満足の山行でした。

 撮って来た花々の写真と動画をご覧下さい。残念ながら高山植物には詳しくないので花の名前はご容赦ください。














                          木の葉を上から見ると・・・










                                緑の芸術品




                                これは水芭蕉




                         登山道に朽ち果てた木が・・・ 良く見ると





















 森吉山はチングルマが今が盛りと咲き乱れていました。 画像クリックで動画(少し長いですBG有り)が見られます。



                                             平田隆太郎



一昨日のツーリングの寂しい出来事 更新日 2018.6.5


 一昨日はFUNKYツーリングで岩手県の北山崎まで行って来たのだが、帰りはいつものように八幡平を周って来た。我々はいつも東北道松尾八幡平IC近くのENEOS(以前はJOMO)で最後の給油を行うのだが、行ってみると店の前にはロープが張られ閉店の札がぶら下がっていた。

 休業では無く閉店なのでもう営業していない事に驚いたのだが、ここで給油しないと八幡平を越えて秋田市へ帰れるかが怪しくなる。私のGSX−Rは給油してからすでに230km以上走行しており、タンク内にはもう3Lもガソリンは残っていないと思われる。

 3Lでは八幡平を超えて国道341号の田沢湖近くのGSまで走るのには心許なく、私は八幡平温泉郷入口近くに在るもう一つのGSに向かったのだが、何とそこも閉店しているではないですか・・・!?

、こうなったらGSが有りそうな国道282号方向にむかって県道23号を走ったのだが、高速道の下を潜った少し先にようやくGSを見つけ一安心でした。そのGSの人に聞いたら、今年になって二つのGSが閉店になったようで、我々としては八幡平地域での給油ポイントを再考しなければならない状況になっておりました。

 それにしてもFUNKYが何十年と利用させてもらった、松尾八幡平IC近くのENEOSの閉店はショックでした。日曜日はいつも一人で営業していたオバサンノの姿をもう見られないとは・・・寂しい限りです。時代の流れとはいえ、何とも寂しい・・・!!




             2013年のGS



                2015年のGS




  まだJOMOだった2010年のGS。この時は川崎のW3軍団が店内を占拠していて、暫く待たされたなぁ・・・。




                                              平田隆太郎



LSLクラッチレバー 更新日 2018.5.1



               ドイツ LSL製のクラッチレバー  12,800円の高級品



 私の左手中指の関節が長年のクラッチ操作?で炎症を起こし腫れて痛い事を以前に書いと思うが、1年以上掛かって最近ようやく腫れも引け痛みも殆ど無くなった。

 まだ腫れが引いていなかった昨年の暮れ、私は GSX-R1000 K5用 LSL製クラッチレバーが安く出ているのを見つけ、少しでもクラッチ操作が楽になればと駄目元で買ってみることにした。

 LSLのようなビレット(削り出し)レバーは、最近カスタムや見た目の関係からか取り付けられた車両をよく見掛けるようになった。ビレットレバーはLSLが早かったと思うのだが、最近は国内メーカーをはじめ中国製品等多くの種類が出回っているようだ。




           レバーの剛性感が半端なくその操作感は純正レバーとは明らかに違っている。



 最初私はこの定価12,800円のLSLレバー(純正レバーは2,000円以下)が、純正品との価格差ほど価値の違いが有る(見た目は別にして)とは到底底思えなかったのだが・・・。




            他のビレットレバーと比べるとレバーの厚さも含め如何にも剛性が有りそうだ。


 今年になって実際に使用してみると、何と半クラッチ操作等の微妙な操作がスムーズで、1速のギヤが比較的に高く微妙なクラッチ操作を要求されるGSX−Rにはうってつけのレバーだった。

 グラッチ操作が少しでも軽くなればと購入したLSLクラッチレバーだったが、購入して大正解(クラッチも少し軽くなった気がする)でした。もっとも、私の購入した金額(定価の半額以下)だったから納得するレバーで、見た目を別にして定価の12,800円だったら微妙かな・・・・!?

 しかし、カスタムなどの見た目も実用性も充分有りますので、LSLレバーはその作りの良さを含めお勧め出来るレバーだと思います。

 私はこれまで他メーカーのビレットレバーも握った事が有ったのだが、LSLレバー程の剛性感を感じた事は無かった。全てのビレットレバーがLSLレバーと同じ品質とは限りませんので、ビレットレバーをご購入の場合は充分な検討が必要かと思いますね。



                                              平田隆太郎



尾道水道−向島!? 更新日 2018.4.13


 先日テレビのニュースを見ていたら、見覚えの景色が出て来た。それは先日の旅行で行った尾道水道の景色だったのだが、松山刑務所から逃亡した服役囚が潜伏している島が向島だそうで、それは尾道から尾道水道越しに見えていた島だったのである。

 この島は結構大きな島で、造船所等の大きな工場も有って人家も相当多そうな感じだった。警察官1000人以上の体制で捜索しているらしいが未だに見つかっていないようだ。




          隠れる所は沢山有りそうだが、端から絨毯作戦で探していけば見つかりそうなものだが・・・。



 これだけ探して見つからないのは、もう島から出ているのではないかと地元の人は言っているらしい。島から出るには通常はフェリーや橋なのだが、当然そこは警察がチェックしているので使えない。

 しかしもう一つ方法が有るそうで、それは泳いで尾道水道を渡る方法だそうだ。尾道水道の幅は200〜300mらしいから泳ぎが達者の人だったら泳げない距離ではないし、私のようにカナヅチでも木材や発泡スチロールの塊に掴まってバタバタすれば何とか渡れそうな感じに私には見えた・・・・。




    潮の流れは速いがこの距離(200〜300m位)ですから、泳ぎが達者な人だったら泳いで渡れそうです・・・?



 逃げたのが殺人犯等の凶暴犯ではないようなので、一般人が危ない状況になる事は少ないとは思うが、早急に捕まる事を願うばかりである。

 それにしても刑務所から逃げられり、警察官が拳銃で殺人を犯したり、公文書を改ざんしたり、最近の公務員はどうなっているんでしょうね・・・?

 地方では一番人気が有る就職先は公務員と相場は決まっていて?優秀な人材が揃っている筈なのだが、勉強が出来る人間が仕事が出来るとは限らないからな・・・。

 それにしても先日の旅行で巡った出雲の近くで地震が起きたり、向島で逃亡犯の潜伏事件、この先倉敷・姫路・奈良・箱根で何かが起き無い事を願うばかりである。



                                                                                                                平田隆太郎



広島から尾道へ・・・ 更新日 2018.4.5


 宮島を発って国道2号で広島平和公園(原爆ドーム)へ向かう。私は40年以上前、車で広島市を通過(仕事の途中)した事は有ったのだが平和公園に立ち寄った事が無く、生きている内に一度は訪れておかねばと今回平和公園を訪れる事にしました。

 広島の街は中国・四国地方最大の大都会でしたが、原爆ドームと川の対岸中州に在る平和公園は特別な空間になっていました。原爆ドームを見てから橋を渡って平和公園へ向かったのですが、橋の上から川の流れを見ていると、当時の惨状が目に浮かび胸がいっぱいになってしまいました・・・。

 平和記念公園で原爆死没者の霊に手を合わせて来ましたが、原爆が今後使用される事のない世界であってほしいと願うばかりです。




          当時と変わっていないのはドームと川の流れ・・・。  川の右岸が平和公園になっている。




       日本人・外国人 多くの人々が手を合わせおりました。 静かに時が流れていました。



 私は今回の旅で国道2号を広島から兵庫まで結構長い区間走ったのだが、この日は平和公園からJR尾道駅前まで走った。国道2号は大阪から九州を繋ぐ幹線国道なので、私は片側2車線や自動車専用道が続いていると思っていたのですが、広島市を出たらと結構な田舎道でした。

 バイパス工事が途中で途切れていたり、片側1車線の山道が有ったり、広島市が特別大都会なだけでそれ以外は国道13号の方がよく整備されている感じでしたね・・・。

 その昔(45年位前)仕事でよく行った三原市の三菱重工業三原製作所(鉄道車両を製造)の正門前に行ったりして、若かりし頃の思い出に浸ったりしながら尾道へ到着、ホテルにチェックインして尾道観光に出掛ける。




       道の駅 みはら で食べた タコ天丼  タコが名物らしいく肉厚なタコが美味かった。




道の駅で食べたバニラソフトクリームは普通に美味いソフトでした。眼下には若い頃仕事で行った三菱重工が見えていた。




尾道のアーケード商店街 結構長いアーケードが続いていて、秋田市にもこんなブラブラできる商店街が欲しいですね・・・。






          銭湯がお土産屋さんになっていました。 変に新しくしていないところが良い感じでした。



 尾道の街を歩いてみて観光に力を入れているのが見て取れた。尾道には林芙美子をはじめ文学に所縁があり、古くからの寺院も沢山あって観光資源には恵まれているのだが、その観光資源を生かそうとする努力が彼方此方で感じられました。

 観光地を巡るバスを走らせたり、観光ルートを設定したり、案内図を用意したりは普通の取り組みだが、暮らすには不便な坂の小道をロープウェイを設置して観光に取り入れたり、流行り?の猫を使ったり、古い家を再生して(極端に新しくしない)利用したりして、古い物の観せ方が上手でしたね。その辺がこの後に訪れた倉敷とは違っていて、好感が持てました。

 駅前から商店街を抜けてロープウェイの乗り口に行き、ロープウェイで山の上の千光寺公園に上がり瀬戸内の島々を眺めた後、文学のこみちを下りながら尾道を楽しみました。




 山頂で売っていたご当地ソフト みかんソフトクリーム  みかんの味がしっかりして美味しいソフトでした。 お勧めです。




                これは十返舎一九の碑  文学のこみちにはこんな碑が沢山・・・





                       千光寺まで下って来ました。













                         結構な坂道を下って行きます。




     ねこの細道に在る ねこスポット 猫も慣れたものでカメラを向けるとポージングするのには驚いた。




             ねこ達はこの場所から動かず観光客にポージングするプロフェッショナル?



 山から下りて今度は尾道水道沿いに歩いてJR尾道駅まで戻ったのだが、尾道水道では対岸の向島の間を多くのフェリーが行き来していて、秋田には無い島々の暮らしを垣間見る事が出来ました。観光地を観るのも良いのですが、その土地土地の人々の暮らしを観るのもためになります。

 狭い日本と言われますが、日本中に都会の型に嵌った暮らしとは違う多様な人々の暮らし方が有って、そんな日々の暮らしを観る事が出来るのものも旅の楽しさだと思いますね・・・。




                       この尾道水道の景色には思い出が有った・・・



 私は尾道水道に思い出が有って、1970年頃東京丸の内でサラリーマンをしていた時、仕事を終えた後東京駅発19:00のブルートレイン寝台特急 あさかぜ に乗って(当時新幹線は新神戸や岡山までだった)、三原の三菱重工や下松の日立製作所によく出張に出掛けたのだが、三原で降りる時(AM5:30頃着だったかな・・・?)は車窓から白け始めた尾道水道の景色を見ながら下車準備をしたものだった。

 今回は夕暮れの尾道水道の景色でしたが、その時車窓から見た日の出前の薄明かりの尾道水道と似ていて、ブルートレインの車窓から見た景色を思い出し妙に懐かしかったです・・・。

 夕食は駅前のお店で尾道ラーメン(お店によって色々有るようですが・・・)を頂きましたが、博多ラーメンのような細麺(平打ち麺が王道のようですが・・・)で背脂のしょう油ベースのラーメン(味は普通)でしたね・・・。





                           普通に美味しかった 尾道ラーメン



 明日は倉敷の美観地区と姫路城を訪れます。



                                                つづく



山陰から山陽へ・・・ 更新日 2018.3.29


 出雲の国を後にした私は、高速道を使って安芸の国へ向かう。目指すは日本三景の一つ安芸の宮島である。空は曇り空、冷たい風が吹いていて昨日強い風を吹かせていた低気圧が通過し、気圧配置が弱い冬型になっているようだ。

 日本海側から瀬戸内海側に行くには奥羽山脈のような中国山地を越えていくのだが、高速道は結構な山道(標高7〜800m位?)となっていて道の両側にはまだ沢山雪が残っていた。長いトンネルを抜け島根県から広島県に入ると、空は青空眩しいほどの日差しが降り注いでいて、東北の奥羽山脈を越え太平洋側に出たような感じでしたね・・・。

 片側一車線の松江道から三次で片側二車線の中国道に入ったのだが、交通量は少なく順調に走って廿日市で国道2号に下りる。さすがに国道2号は車で溢れていたが、幸いにも宮島に渡るフェリー乗り場横のもみじ本陣駐車場(もみじ饅頭の・・・)は空いていて直ぐに停める事が出来た。

 今宵の宿はフェリーで渡った宮島に在るのだが、フェリー代も掛かるし島の道は狭く(殆どが車1台がやっと)パーキングも殆ど無く、私はここに車を置いて荷物を持って島に渡る事にした。因みにフェリーの往復料金は2,420円(運転者1名を含む)、駐車料金は1泊で2,000円 + 大人1名のフェリー料金180円×2で、往復だと駐車した方が60円お得となっている。

 宮島のフェリー到着ターミナルには宿の車が向かいに来てくれるので、宿まで荷物を持って歩く必要は無く車で島に渡るメリットは殆どないですね・・・。

 お昼過ぎにフェリー乗場近くのパーキングに到着した私は、近くのあなご屋さん(宮島はあなごが名物らしい)であなごを食べる予定にしていたのだが、行ってみると1時間から1時間半待ちだという。この店、土・日だと2〜3時間待ちは当り前なそうだが、私に1時間半待つ忍耐力は無く、あなご弁当(これも週末は何時間も待つらしい)を購入し宮島に渡ってから食べる事にしました。

 宮島に渡るフェリー会社はJR宮島フェリー宮島松大汽船の2社有り料金も同じ(往復割は無い)なのだが、宮島松大汽船には宮島ロープウェーとのセット割引券が有るようだ。今回私は宮島ロープウェーで弥山に上る事を楽しみにしていたのだが、生憎ロープウェーが定修中で運行していなかった。

 その為宮島松大汽船に乗るメリットは無く、海の中に建つ厳島神社の鳥居近くまで行くというJR宮島フェリーで宮島に渡る事にしました。

 宮島の様子を動画に纏めましたのでご覧下さい。




この時の鳥居は海の中だったが、翌朝は歩いて下まで行く事が出来た。秋田では体験出来ない潮の満ち引きでした。



 宮島に上陸して先ず驚いたの鹿の多さだったのだが、宿の人の話では鹿には特に餌を与えている訳ではなく、夜になれば鹿は背後の山に帰って行き、朝になるとまた里に下りて来るのだという。私はこの後奈良の鹿とも出会う事になるのだが、同じ観光地のニホンジカでも宮島と奈良では結構違っていました。

 毛色も違うし性格も違う、食べ物に対する執念も違っていて別の生き物って感じでした。その鹿のお話は奈良の時に書きたいと思います。

 宮島もまた観光客が多かったのだが、観光客の中の外国人の割合が少なかったように思います。それは外国人が少ないというよりも日本人の割合が多かったのかもしれません。日本人の団体さんや幼稚園から小学校、中学校、高校等の修学旅行等の団体さんの姿が結構目に付き、宮島は日本人にとって特別な場所となっている感じでした。

 海の上に建つ厳島神社は確かに珍しかったが、翌朝行ったら潮が引いて普通の神社になっていて驚きました。その時は海に建つ鳥居の下まで歩いて行く事が出来たのですが、鳥居をよく見るとベース部と上部が途中で継がれていました。

 その辺に海の上に建ち続ける鳥居の秘密が有りそうなのですが、鳥居の満潮時海に沈む部分が上部より太くなっており、そこに何か秘密(重し?)が有りそうです。


 宮島は世界遺産にもなっている日本三景の一つだが、私はこれで以前に数回行った松島、先日立ち寄った天橋立、そして今回の宮島と日本三景を全てをコンプリート出来ました。日本三景を制覇するのが今回の旅の目的の一つで、それを好天の下で達成出来ましたので私は大満足でした。

 旅はまだ半分を過ぎたところ、旅はまばまだ続きます。



                                                つづく



初めての山陰への旅 D 更新日 2018.3.24


 4日目朝が明ける。外に出てみると風は冷たかったが、昨晩降っていた雨は上がっており、空は曇り空で傘の必要は無さそうで安心する。

 一番(7時〜)で美味しい朝食を頂いた後、出雲大社へ向かう。宿から出雲大社への道は上り坂で、鳥居を潜って大社に向かうと道は下り坂になっていた。

 つまり鳥居の在る場所が坂の頂上となっているのだが、鳥居から登って来た道を見下ろすと、道の先に大きな鳥居が見え遠くの山々が見えていた。

 何故かその景色が私の心を打ったのだが、その理由は分からない・・・?




                この景色の中に電柱が無いのがいいですねぁ・・・。



 鳥居を潜った先の大社への参道は、玉砂利でも階段でも無く石畳の下り坂になっていて、何故か厳かな地へ足を踏み入れるという気持ち抱かせる・・・。

 そこからは大社は見えず暫く長いアプローチが続くのだが、その絶妙の距離感というか間が良いです・・・。

 そんな気持ちを抱かせる神社レイアウト、先人のプロデュース能力に感心してしまった私だが、、昔の人の能力は現代人より優れているのではないかと思ってしまいますね・・・。

 参拝の後、おみぐじ を引いてみたのだが、大方良好なものの家族や親戚関係に問題が生じそうな事が書かれていた。今回の旅行が良い方向に作用する事を願うばかりだが、旅  よい と出ているので今年も北海道に行ってもよさそうで安心?しました。



                                              つづく



 

50年ぶりの再会? 更新日 2018.3.24

  
 それは突然にやって来た。先日の旅行で東名高速道路を走る機会が有ったのだが、現在東名高速はリニューアル工事中で富士ICと沼津ICの間で片側(下り線)を閉鎖して上り線を使って上下線の相互通行が行われていた。

 富士ICから沼津方向へ走っていた私は、2車線が1車線に車線が減少する事からミラーを確認しながら慎重に合流を果たしたのだが、後の着いた車に見覚えが有るようなぁ・・・!?

 現代の車とは明らかに違うフロントマスク、そのフロントマスクに私は見覚えが有って・・・もしかして○○○○○?

 工事区間が終了し車線が二車線になった時、私は首から下げていたカメラのスイッチを入れミラーにカメラを向けその時を待った・・・。

 待つ事十数秒、車の姿がミラーに入って来て、それがグングン大きくなって来る・・・。

 白い車体が私の横を走り抜けその後ろ姿を確認した時、私は思わず声を上げてしまった・・・

   「2000GT だぁ・・・」







 それも一台でなくその後ろにもう1台 2000GT ・・・!!

 2台のTOYOTA 2000GTが連なって走り去っていくその姿に、私は興奮してしまいました。

 私が動いている2000GTを見たのは初めてで(前に見たのは50年位前の東京モーターショーで隣にコンパニオンのお姉さんが立っている姿でした)、その安定感の有る走りに感動してしまいました。

 今ではクラッシックカーのオークションで1億円以上で取引される事も有ると言う TOYOTA 2000GT だが、あの姿と走りを見ると納得でしたね・・・。







 もう一つ感心したのは2000GTの走らせ方で、追い越し車線を或る程度のスピード差で追い越して行くその姿に、私は2000GTを走らせるドライバーのセンスを感じました。かっこよい車に乗るドライバーは、他からどう見られているかを意識し、かっこよく走らせてもらいたいと思いますね・・・。

 以前高速道路でコペンに後から突っつかれながら走るカウンタックを見た時

  「何だかなぁー」  と思ってしまいました。

 スーパーカー等に乗るドライバーさんには、それなりの走りをしてもらわないと車が可愛そうです・・・!?


  それでは東名高速をカッコ良く走る2000GTの姿をご覧下さい。



                  


                                              平田隆太郎



初めての山陰への旅 C 更新日 2018.3.22


 旅の三日目は兵庫県の城崎温泉から島根県出雲大社まで走ったのだが、途中安来の足立美術館に立ち寄り、素晴らしい日本庭園と横山大観や北大路魯山人等有名美術家の作品を堪能。その後松江城を遠目で見て(風雨が強く寒くて諦めた)た後、宍道湖畔でシジミの味噌汁を味わい、畑電車北松江線 出雲平田駅 で記念写真を撮って午後4時過ぎ出雲大社に到着する。




  外国人が選ぶ日本庭園ランキング1位の足立美術館の庭園 背後の山も購入してある手入れが完璧な庭園だった。




松江の街を出ると直ぐ広く大きな宍道湖が見える。秋田の八郎潟も干拓されなければ宍道湖より大きな汽水湖だったのだが・・・




       日本各地に平田の地名は有るが、私が幼い頃地図で初めて知った平田が出雲の平田でした。



 山陰の旅最終日の三泊目は、インターネットで出雲大社近くの宿を探して 竹野屋旅館 に宿泊する事にしたのだが、この旅館が歌手 竹内まりや の実家である事を後で知った。私は特に竹内まりやのファンではないのだが、日本の女性シンガーソングライターの中では好きな一人で、時々YouTubeで聞いたりしていた。




     竹野屋旅館は創業1877年の老舗旅館で1年前にリニューアルオープンして近代的な宿になっていた。



 宿のフロント横には竹内まりや山下達郎(竹内の旦那)グッズコーナーが設けられていて、この宿が竹内まりやの実家で有る事を物語っていたが、その控え目な展示に好感(竹内まりやの実家の宿を売りにしていない)が持てましたね・・・。




                   カニにも色々有るのだろうがここのカニは美味かった。



 竹野屋旅館の夕食は地物の食材を生かした美味しいもので、カニ(城崎の宿で出てきたカニとは別物で美味かった)や蕎麦やのどぐろの塩焼等が出て来た。テニスプレーヤーの錦織がこの地方のノドグロが大好物と有名になったのあのノドグロある。




                            のどぐろ の塩焼き



 私はノドグロを食べるのは初めてだったが、甘みのある白身の魚で確かに美味しかった。一応ノドグロの喉の中を確認しましたが黒かったですね・・・。




                                                   つづく



初めての山陰への旅 B 更新日 2018.3.20


 天橋立の観光を終えケーブルカーに乗って下に降りたのだが、時間がまだ早くこのまま宿に直行するとチェックイン時間の大分前に到着してしまいそうだった。そこでケーブルカー内で紹介していた伊根の舟屋群を観に行きことにした。

 この伊根の舟屋はテレビで見た事が有って漁船を格納する小屋と住居が一体化した家で、伊根地区にはその舟屋が沢山の在るという。

 丹後半島の若狭湾に面した入江に伊根地区は在って、その南に向いた入江が天然の良港になっている。背後の山々が冬の北風を防いでくれる?ことも有り、波が穏やかで漁船を家の中に格納するという全国的にも珍しい形式の家が出来たのだろう。

 実際に伊根を訪れてみると確かに珍しい景色ではあるのだが、船は舟屋の外に係留されているようで(漁船は舟屋に入り切れない大きさ)、実際に舟屋として利用されているのは少ないようである。しかし、家が海の上に張り出して軒を並べている光景は確かに珍しく、観光資源としては価値がありそうである。




                    海が綺麗(男鹿の海より綺麗?)で驚きました。



 丹後半島の先端近くまで来てしまったので、半島を周って城崎温泉に向かう事にしたのだが、この丹後半島を周る道が曲者だった。半島先端部の道は昔の男鹿半島を周る道(自衛隊が造った道路)の様に、一部一車線の所が有ったりの狭く曲がりくねった道で、海側は断崖絶(男鹿の方が高い)の結構スリリングな道になっていた。

 丹後半島はライダーのツーリングコースになっているようで、狭い道をバイクが結構走っていた。単独で走っているライダーも多く何かが有ったら大変そうで心配したのだが、交通量はそれなりに有るので何とかなるんでしょう・・・。

 3時過ぎ、城崎温泉に無事に到着する。伊根から城崎温泉まで私はカーナビの指示に従って走っていたのだが、とんでもない道(通行止が有ったりして・・・)を走らされてしまった。

 初めての土地を走る場合、私は大まかなルートを予め頭に入れておくのだが、今回の丹後半島周りのルートは予習をしておらず、カーナビを頼り(地図は持っていなかった)に走る事になった。カーナビはルートが沢山有る場合国道を優先して案内するのだが、ルート上に地方道しか無い場合最短のルートを案内するようだ。

 この最短ルートというが問題で、農作業で使うような車1台がやっとの道でも最短なら案内してくる。今回も農作業の休憩中のおばさんに白い目で見られたしまったのだが、丹後半島から城崎温泉の間は本当に田舎で、メインルートと思われる道が秋田の亀田から雄和に抜ける国道341号のような道(一応舗装)だった。

 カーナビに案内された道が途中で通行止めになっていて、そこからは私の感とカーナビを駆使して走ったのだが、何とか幹線道路に出る事が出来て本当に良かったです。




    城崎温泉の町並みは山形の銀山温泉のスケールを大きくした感じなのだが、私は銀山温泉の方が好きかな・・・



 城崎温泉の街は、外人さんや日帰りの家族連れや日本人の若者グループ等がかっ歩していて(何故か女だけとか男だけの若者グループが多かったなぁ・・・)、田舎者には歩くのにも大変なぐらい(秋田の竿灯祭りの日中ぐらい?)でした。




この写真は5時過ぎで人通りは少なくなっていたが、3時頃は車を走らせる(この道を車が両方向で走る)のが大変でした。



 宿にチェックインをした後、浴衣に着替えて外湯巡り(城崎温泉には7つの外湯が有り浴衣で巡るのがお約束で外に出たのだが、外湯は今どきのよく有る温泉施設という感じで2ヶ所周って終わりにしました。




          外湯 柳湯 の看板  外観はそれなりに趣が有るのだが、内部は近代的







           街中のソフトクリーム専門店で食べた350円のソフトクリーム  味は普通。



 温泉で温まった体を冷やそうとソフトクリーム専門店(機械が4台位並んでいて種類は20種以上有った)に飛び込んだのだが、我々の前に3人の男子(十代後半?)が並んでいた。甘味物は若い女子のイメージだが、最近は甘味男子をよく見掛ける。

 今回も男子三人が椅子に並んで座り、楽しそうに話しながらソフトクリームをなめている姿を後から見ると、女子と言っても違和感が無い感じでした・・・!?

 私のような年寄りでもソフトクリームに目が無いのだから、若者がソフト好きでも不思議では無いのだが、三人並んでおしゃべりしながらソフトクリーム食べる後姿を見ていると、私は時代を感じてしまいました。

 私の中での城崎温泉のイメージは、文豪(志賀直也・島崎藤村・与謝野晶子・有島武郎・柳田国男・・・等々)が訪れた鄙びた温泉なのだが、実際の城崎温泉は温泉の大テーマパークって感じでしたね・・・。

 今回私が城崎温泉で一番温泉を楽しんだのは、一人で(宿泊客は外湯巡りに出掛けて行くので・・・)ゆっくりと入った宿の内湯かな・・・。




         宿の夕食  この時期この地域ではカニが付き物なのだが、ここのカニは味が今一でした。



                                             つづく



初めての山陰への旅 A 更新日 2018.3.18


 砺波ではホテル近くの居酒屋で富山湾で捕れた海産物を頂きながら一杯やったのだが、中でも甘えびが超美味かった。初日から美味しい物をいただいて満腹になった私だが、その後も連日美味しいものに出会い続けた結果、帰って来た頃には体重が2kgも増加しておりましたね・・・。




     美味しそうな刺身の盛り合わせについ手が出てしまい、写真を撮らねばと思った時にはこの状態に・・・!



 二日目の天気は朝から快晴の良い天気、今日は高速道(北陸道・舞鶴若狭道)をフルに利用し京都府宮津に在る天橋立経由で城崎温泉まで走る。

 福井県内の北陸道脇には富山県や石川県より多くの雪が残っていて、福井県にいかに多くの雪が降ったかを想像させた。北陸道から舞鶴若狭道に入ると片側一車線の見慣れた高速道になったのだが、交通量は少なく(走行日は日曜日)ここに高速道を作る意味が有るのか疑問だった。

 しかし、走っていくと敦賀・三方・大飯・小浜・高浜等、原発ニュースでよく聞く地名が次々に出て来て、この高速道は原発のおかげ?なんだと納得でした。

 天橋立は、宮城の松島、広島の宮島と共に日本三景として知られいる。私は松島は行ったことが有ったが、天橋立も宮島も行った事が無く、今回天橋立と宮島を周って日本三景のコンプリートを完成させたいと考えていた。

 また天橋立の股のぞきで有名で、私もその股のぞきを是非体験してみたいと以前から思っていた。股のぞきは人間の感覚に影響を及ぼすそうで、イグノーベル賞で学者さんがその効果を証明しているのだが、何がどうなるかを体験してみたかった。




               ケーブルカーで上った傘松から観る天橋立




 写真を180度回転させて股のぞきを再現してみた。私の目からは天橋立の両サイドに広がる海が空のように見てました。




                  お約束のソフトクリームを食べましたが、味は普通でした。



 天橋立の股のぞきで観えた景色の感想は、天橋立の両側に広がる海が青空のように見え空が地面のように私には見え何か不思議な感じでした。 動画⇒https://youtu.be/ExCDcSsshWU

 天橋立股のぞきの不思議な感覚、それを現地で体験してみる価値は十分有ると思います・・・。



                                                  つづく



初めての山陰への旅 @ 更新日 2018.3.18


 3月の初めから山陰・山陽・関西・関東と周って来た。私はこれまで全国の殆どの県を巡って来たが、山陰の鳥取と島根に行ったことが無かった。今回この2県を訪れた事で、行った事が無い県は鹿児島と長崎と沖縄の3県になりました。

 旅の足は二輪ではなく四輪、それも軽自動車のアルトターボRS(2WD)と私が50年前ホンダN360で鈴鹿サーキットに行った時以来の軽自動車での長旅であった。50年前と違って馬力は2倍以上(N360は31馬力、ターボRSは64PS)、トルクは3倍以上(N360 3.0kg・m/5,500rpm、ターボRS 10.0kg・m/3,000rpm)有り、高速道を100km/h(N360の頃の高速の最高速度は80km/hだった)で走っても回転数が3,500rpmと結構低くエンジン音は静かで(加速時は結構煩いが・・・)ストレス無く巡行できた。また加速もリッタークラスの普通車と比べても遜色ないものでストレスは無かったですね。







 燃費は高速道と一般道を半々位の割合で走って23km/L以上、一般道だけでなら楽に25km/L以上走り、全行程(3,000km弱)の総平均で23.5km/L位の燃費だった。ターボRSのカタログ燃費(JO08モード)が25.6km/Lだから、省燃費走行に務めた私の努力が報われましたね・・・?

 最もタイヤは15インチから14インチにサイズダウンした1サイズ細いタイヤ(ミシュランのスタッドレス)で、それも高燃費に繋がったかもしれません。またアルトは高さが1.5mと背が低く、今はやりのN-BOX(1.8m弱)等の背の高い軽自動車より高速での空気抵抗が少なく、それも高速での燃費の良さに繋がったかもしれません。

 しかし、高燃費に最も貢献した要因は車重が670kgと軽い事だと思われ、その軽さが加速の良さやブレーキの効きの良さにも大いに貢献していると考えられます。

 ガソリンタンクの容量が27Lと小さいく長距離を走るのに少し不安が有ったのだが、満タンで600km近く走れる事が分かり驚きました。走行性能(ターボ付に限る)や税金等のメリットを考えれば、四人までなら長距離走行でも軽自動車で充分だと感じました。

 私は四輪に加速やスピードを求めない(どう頑張っても二輪には敵わない)ので二人で旅するのなら(荷物スペースを含め)軽自動車のターボ車が最強かもしれません。因みに高速道を土日の割引日に利用すると、高速料金が普通車の64掛けになり、高速料金も大幅に節約できました。




奇跡のコラボ 赤い車が3台 左がらアルトターボRS 真中奥がアルファロメオ・ジュリエッタ、右がプリウス (福井北陸道にて)



 初日は秋田市から富山県砺波市まで540km程(2/3は一般道)走ったのですが、50年前のN360での走行(その時は富山市まで全てが一般道)とは違い、道が良くなっているのと車に余裕が有って殆ど疲れは無かったですね。

 N360で来た時は国道8号の親不知のトンネルに感動?したので、今回は海から親不知を見ようと北陸自動車道を通ったのですが、あっという間で何の感動はありませんでしたね・・・。しかし今回は富山県の北陸自動車道から立山連峰の迫力ある山容を見る事が出来ましたので良かったです。
●動画⇒https://youtu.be/ml1oZ18VtPE

 50年前、私は富山駅前で買って食べた鱒寿司が記憶に残っていて、砺波IC近くの鱒寿司店で鱒寿司を買って来たのだが、容器はそれなりの作りになっていものの味的には???? 昔食べた鱒寿司とは別物でした。今回食べた鱒寿司は工場で量産されている感じの物で、昔とは作りが違っているようでした。




               姿は美味しそうなのだが、鱒の厚さが薄くて鱒の味が薄いのが残念・・・。


 富山市には昔ながらの製法で鱒寿司を作っているお店が有るそうなの、機会が有ったら是非食べてみたいと考えているのだが、私が生きている間にまた富山を訪れる機会が有るかどうかが問題だなぁ・・・。


                                                     つづく




もう春・・・? 更新日 2018.3.17


 本当に久しぶりの更新になります。前回は梵天祭りのお話でしたから2か月以上更新していませんでした。書く事が特に無かった(雪よせ作業が主な仕事・・・?)のが更新しなかった最大の理由ですが、3月の初旬休みを取り中国地方を旅して来ましたので、そのお話を今後何回かに分けて書いてみたいと考えています。

 秋田市もようやく春らしくなって来て当店のシーズン初めのお約束、冬の間店前の路側に溜った小石や砂を掃除しました。この路側、少し広くなっている関係で除雪された雪が溜り易く、除雪された雪に混じった小石や砂が結構溜まります。




                       少し茶色の部分に小石や砂が多く溜る。



 この路側はバイクが止まったり発進する事が多く、小石や砂が有ると止まる時や発進時にスリップして転倒する可能性が高く、路側の清掃は当店のシーズン初めの恒例行事になっている。

 今日は日差しが有って暖かく感じたが、気温はまだ5℃前後で風は冷たいくバイクでツーリングに出掛ける暖かさはまだ無い。しかし暖かかったり寒かったりを繰り返しながらも、バイクシーズンはもう目前って感じになって来ました。

 私のGSX−Rの初乗りは例年4月のスプリングツーリングになるのだが、スプリングツーリングは4月15日(日)の予定なので1か月を切りました・・・。

 スプリングツーリングの予定もアップしましたので、お暇な方はお気軽にご参加ください。


                                              平田隆太郎



子供梵天 更新日 2018.1.8


 当店のお隣はみかみ写真という写真館さんなのだが、昨日は成人帰り(秋田市の成人式は1/7日だった)に晴着を着て記念写真を撮りに来た女性や、近所に在る三吉神社に子供梵天を奉納する地元子供会が記念写真を撮りに訪れたりしていて大忙しだった。




                   地元の赤沼子供会の皆さん   付き添いの親も大変です。




                           隣の旦那は大忙し







 本番の三吉神社 梵天祭りは1月17日(水)なのだが、これから2月にかけて秋田県内で多くの冬祭り小正月行事がが行われる。横手のかまくらや男鹿のなまはけ等は全国的にも有名になって来たが、その他にも上桧木内の紙風船上げや刈和野の大綱引きや六郷の竹うち等数多くの行事が県内各地で行われる。

 冬の行事は雪に閉ざされ有り余った人々のエネルギーを発散させる?(梵祭り・綱引き・竹うち等)ものや、反対にかまくらのように雪の美しさや温かさに寄り添ったものなど多様なのだが、それも雪国に住む人々の知恵なのかもしれませんね・・・。

 バイク屋さんとしてはこれから春までの期間を如何に過ごすかが大きな問題なのだが、私の場合1月は何となくダラダラと過ごす事が多く、2月になり陽が高くなり日差しが暖かく感じられるようになると、正直なものでモチベーションが上がって来て春へ向けの仕事を始める事になる。

 2018シーズンの予定を例年によりも過密に立ててしまった私は、この冬にしっかり準備してシーズンを迎えたいと考えているのだが、年末年始の休みの間に2kg増えてしまった体重がまだ500gしか減っていない状態では先が思いやられます。



                                               平田隆太郎



本年も宜しくお願い致します。 更新日 2018.1.5


 平成30年が明け本日から営業を始めたのだが、特に急ぐ仕事が有る訳でもないので年賀状の返事を書いたりして一日が終わりそうである。

 今シーズン秋田市は12月に結構雪が降って積もったのだが、年の始まりの積雪は平年並みという感じになっている。例年本格的に雪が降るのは10日過ぎからなのだが、寒い冬は秋田市の積雪量が少ない事が多く期待してしまう。

、このままの状態で春になってもらえば、年々体力・筋力が衰えている年寄りとして有難いのだが、そんな事は無い訳でこれから先2ケ月雪寄せに頑張ります。




            1月5日の店の前。 雪の量は平年並みで、これから積雪量が多くなる・・・?



 休みの間、店の近くの三吉神社に初詣(おみくじは中吉だった・・微妙!?)に行ったり、本荘に中華そばを食べに行ったりしたのだが、運動不足と食べ過ぎで2kgも太ってしまった。これからの雪寄で贅肉を落とす予定なのだが、雪が降らないと太ったまま春を迎える事になるかも・・・。




                    三吉神社に初詣 この日青空の良い天気だった。




                          本荘の 清吉そば




                       中華そば 肉多く  720円?




    ここの肉は豚肉では無く鶏肉   昔ながらの中華そばに皮付き鳥肉が良くマッチして美味いんです。



 今年私は60歳台最後の年となる。50歳台から60歳台になる時はあまり考えなかったが、60歳台から70歳台となると先が見えて来たというか何というか、色々と考えてしまう自分がいる。

 年初に 「やりたい事は先延ばしせずやっておく」 という目標を立てて過密なスケジュール表を作った私だが、全て消化出来るかが問題だ・・・。

 遊びだけではなく、お客様に満足して頂ける仕事をしっかりしなと何も出来ませんので、頑張ります。

 宜しくお願い致します。


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