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最悪の一日 窓ガラス投石事件
更新日 2017.6.12


 今日の朝、出社した私は工場のシャッターを上げ中古車のバイクを外に出そうとしたのだが、バイクの横にコブシ大の石が落ちていた。

 こんな所にこんな石・・・?

 私は頭の中に?マークは出たのだが、疑問に思いながらも石を寄せバイクを外に出す。

 そして午後になって私は気が付いてしまったのです。

 手洗い場の前のガラスに大きな穴が開いていて、一面にガラスの破片が飛び散っている事を・・・!?







 今朝ほど見た石は窓を突き破りった石に違いなく、私は昨晩投石により窓を割られた事をそこで初めて自覚したのであります。

 出社してから何時間もガラスが割られたに気付かなかった(午前中は修理の仕事をしないので手を洗わない)自分の鈍感さには呆れてしまうのだが、窓から人が侵入した形跡は無く盗まれた物も無かったので、ガラス1枚の被害で済むだのは幸いだったと思ったのだが・・・・!?







 だが待てよ・・・!? ガラスに開いた穴を見ると丸く綺麗に開いており、石は結構なスピードで窓を突き破ったと推察され、石はバイクの横に落ちていたんだよな・・・・?

 私は慌てて先ほどのバイクを確認に行ったのだが・・・、私の心配は見事に当たりバイクのアンダーカウルがしっかり割れておりました。




      石は2個投げ込まれたようで、左の石にはバイクの塗料とガラス片が付いていました。



 被害にあったバイクが客様のバイクではなく当店所有のバイクだったのは不幸中の幸でしたが、

 「 誰だこんな事をしたのは・・・? 」 

 私は人に恨みをかうような事はしていないつもりなのだが、私も色々と考えてみました。

 しかし、人の心は分かりませんから・・・、他人に石を投げられる程恨まれた事って有ったかなぁ・・・?


 一応警察に届け、刑事と鑑識が来て写真を撮って行ったが、本気で捜査する気が有るかどうかは・・・?

 警察もお忙しいでしょうからこんな投石事件に関わっている暇は無いのでしょうけど、犯人が特定出来たら被害届を出して協力してくれと言われてしまった。

 被害届は今出しても良いが、犯人が特定出来たからでも遅くは無いと言うのだが、それって犯人が特定出来までは事件にしないと云う事・・・・?


 私がこの商売をしてから40年以上になるが店舗のガラスを割られたのは今回が2回目で、前回はバイクを1台(新車の’88FZR250)盗まれ戻って来なかった。その時は 店内の指紋と照合するために私も指紋を取られたが、今回は侵入されなかったのでそれは無かった。

 前回は警察から何も捜査状況を知らされず其れきりだったが、今回はどうんでしょうね・・・?

 一応、近所の聞き込みをするとは言っていたが・・・。

 「 災難は忘れた頃にやって来る。 」

と言いますが、兎に角今日は予定していた仕事も出来ず最悪の1日でした。

 防犯対策も考えなくてはならないし、本当に余計な事をしてくれたものである。



                                              平田隆太郎



ヨーロッパと日本の違い DERBI MULHACEN125 & CB400SFRevo
更新日 2017.6.9


 今日、偶々HONDA CB400SFRevo と DERBI MULHACEN125 に乗る機会が有った。CB400SFは二輪普通免許の教習車にも使われる乗り易いバイクで、このRevoモデルは回転数(6千回転越え)で2バルブと4バルブが切り替わるエンジン方式(昔のCBR400FのREVとは切り替える方式が少し違うようだ)で、低回転から高回転までスムーズに回る使い易いエンジンだった。

 乗った感じは、昔のCBR400Fと違いバルブ数の切り替わりが分からない程スムーズで、その存在を意識させなかった。34年前に発売されたCBR400Fは、8千5百回転でバルブが切り替わったのだが、そこにははっきりとしたトルクの谷が有って、乗り難い(8千5百回転を避けて走るのは大変)バイクだった記憶が有る。




       CBR400Fのパワーカーブ。 バルブが切り替わる8千5百回転にはっきりした谷が有った。



 しかし現代のインジェクションバイク(CBR400Fはキャブレター)では、上手くコンピューターが混合気をコントロールしてトルクの谷を消し、乗り易くしているのだと思います。

 もっとも、排ガス規制が入る前のCB400SFは、Revoが無くてももっとパワフルでスムーズだったように思いますけどね・・・。

 何れにしましても、CB400SFはその取り回しの良さや扱い易いパワーから、国内を普通に走るにはベストバイクだと私は思います。

 少なくてもCB1300SFで走るより疲れないし、楽しいと思いますね・・・!?


 CBの後に DERBI (スペインのメーカー)の125cc単気筒バイクに乗ったのだが、このバイクが個性的で如何にもヨーロッパのバイクだな・・・とある意味感心してしまった。




                          DERBI MULHACEN 125 



 このバイク、エンジンはイタリアのPIAGGIO製(Vespaのメーカー)だが、水冷単気筒DOHC4バルブ゙で6速ミッション、セルスターターまで装備したハイスペックな125ccバイクなのである。

 日本の125ccとは違い各パーツのクォリテーは高く、CB400SFと比較するとバイクに対するヨーロッパと日本との考え方の違いが見えてきた。

 エンジンは15hp/9,250rpmとパワフルで高回転まで綺麗に回りそう?(新車のなので6000までしか回さなかった)で、国産の125ccとは一味違ったキビキビとした安定感の有る走りが出来そうな感じだった。




                 アルミ製のチェンジペタルの作りは、とても125ccとは思えない。




      鉄製クロームメッキのCB400SFのチェンジペダル とても70万円以上する400ccとは思えない!?




                         DERBI のリヤブレーキペダル




                           CB400SFのリヤブレーキペダル



 DERBIのペダル一つ見ても125ccだから機能すれば良いと云う考えは無く、日本の700ccバイクにも付いていないようなアルミ鍛造の素敵なデザインのペタルが装着されている。

 それに引き換えCB400SFのペダルは400ccとは思えない鉄製のメッキ(クロームメッキで光ってはいるが・・・)で見劣りしてしまう。

 YAMAHAは400ccにアルミ鍛造のペダルを使う事が多いのだが、HONDAのペダルは昔からコストを意識した物が多いような気がしますね。

 125ccだからと言って手を抜かない作りはヨーロッパらしいと云えるのだが、125ccバイクにそれだけのコストを掛けても買ってくれるユーザーがヨーロッパにはいると云う事でしょうね・・・?

 そんなところがヨーロッパと日本のバイク文化の違いなのだと思うが、この DERBI 125 は輸入当初は60万円近くの価格がついいた。それも納得するクォリティで有る事は認めるが、日本に125ccのバイクに60万近いお金を出す文化は未来永劫来ないと私は思いますね・・・!?




                      アルミリムに大きなフロントディスクブレーキ




                  リヤも立派なディスクブレーキが勝着されている




       デジタルメーターは、速度、エンジン回転は勿論、時間、ラップタイム等も表示する




       このイタリア製エンジンは日本製とは違う音を発しているが、音の違いは国民性の違い・・・?




  HONDAのエンジンはモーターのようだと云われるが、このSFのエンジンは別格 400ccなのにDERBIの125ccより静かです。


 2台のバイクに乗ってみて、ヨーロッパと日本のバイク文化の違いを感じた私だが、エンジン音を聞いて思ったのはバイクエンジンはメインテナンス性を含めて Made in Japan が一番だと云う事でしたね・・・。

 外国のエンジンのアイデアには感服するのだが、耐久性や製品の安定性は日本製が一番、日本でバイクを楽しめる私は幸せ者です。

 しかし、ヨーロッパ製125ccバイクには日本製には無い味が有って、捨て難いものが有りますね・・・。


                                                平田隆太郎




POWER Check VFR750R-RC30 更新日 2017.5.21


 久しぶりに POWER CHECK GP を更新した。バイクは30年前に1000台限定で発売した HONDA VFR750R 通称RC30 である。

 オーナーさんは国内仕様と思っているようなのだが、パワーを測定してみたら後輪で97PSも有りスピードメーターもフルスケールだったので逆車・・・?







 オーナーさんは昨年手に入れてキャブレターのオーバーホール等の修理を行い、最近車検を取って乗り始めたばかりだという。どの程度パワーが出ているか知りたくてパワーチェックに当店を訪れたのだが、バイクのコンディションは新車レベルで本当に綺麗な車両でした。

 私はこの手の古いバイクの価格に疎いのだが、お高いんでしょうね・・・?


※詳細は VFR750R POWER CHECK GP


                                                  平田隆太郎



ミシュラン POWER RS 更新日 2017.5.9


 ミシュランから今年新しく発売された POWER RS が入荷した。このタイヤは、私がこれまでGSX−Rに使用してきた POWER SUPERSPORT EVO の後継となるタイヤで、ロードタイヤのPILOT POWER 3 と足して2で割ったタイヤという位置づけらしい。

 私はこれまでEVOをリヤタイヤに使用していて、使用するフロントタイヤとの相性が良くハンドリングやグリップに問題は無く(もう少し耐久性が有れば・・・)使用していたのだが、RSの発売に伴って販売終了となった。

 PILOT POWER 3はハンドリングに難が有り(あくまでも我々が使用するフロントタイヤとの相性)私は1回履いただけだったのだが、そのタイヤと足して2で割られると多少の不安が・・・?

 RSはサーキットも走れるロードタイヤを目指し開発したとメーカーは言っているようで、雑誌等のインプレッションを見ると一般道ではかなり好印象に書かれている場合が多く、形状PILOT POWER 3寄りになったのかと私は心配していた。

 今回実際に現物を見ると、形状的にはPILOT POWER 3よりSUPERSPORT EVOに近い形をしており、私としては少し安心したところです。

 RSを動画で撮ってみましたのでご覧下さい。


                
POWER RS 120/70ZR17               POWER RS 180/55ZR17


 これでEVOとハンドリングが同等で耐久性が上がっていたらミシュランさんに大感謝なのだが、今私のGSX−Rに履いているSUPERSPORT EVO がもう2回ツーリングに使えそうなので、私が実際に履いて走るのは7月になるかもしれません。



                                              平田隆太郎



鶴ガ岳 春山残雪登山 更新日 2017.5.5


 5月3日の5連休の初日、仲間2人と太平山の鶴ガ岳に登って来ました。林道(廃道に近い)で半分位登るため我々はOFFバイクで山へ向かいました。




            天気は雲一つ無い快晴で風も無く、絶好の登山日和になりました。



 太平山は太平山塊の総称で、西から前岳・中岳・鶴ガ岳・剣岳・宝蔵岳・奥岳(太平山の最高峰1170m)・旭岳・笹森・赤倉岳・馬場目岳と続く山並みは、秋田市内から其の殆どを望む事が出来る。

 今回我々がアタックする鶴ガ岳は、標高1002mとかろうじて1000mを越える高さだが、秋田市街から見ると中岳(951.m)の奥に見える頂で、幾つかのピークが連なっているのが特徴である。




野田から太平山野田登山口へ向かう道から見る太平山。左端のピークが中岳、ミラーの上に見えるのが鶴ガ岳である。



 我々は鶴ガ岳から南に延びる尾根からアタックするのだが、標高450mまで上がる林道が有ってまずその林道へアタックを開始する。

 この林道、20世紀までは良く整備されていて容易に終点まで行く事が出来たのですが、先日の下見の結果道は荒れ放題で殆ど廃道状態でした。しかし、車は無理でもバイクでは何とか行ける状況を確認、今回の登山を決行する事を決めました。




標高450mに在るアタック開始地点。ライダーから登山者に変身、後ろの斜面から標高1002mの鶴ガ岳山頂を目指す。



 この林道からの鶴ガ岳山頂へ至る尾根に登山道が有るわけではなく、一般的なルートではない。林道の雪が融けなけれ林道は使えず麓から登ることになり、残雪が無くなってしまうと林道から鶴ガ岳山頂まで全てを藪を漕いで登ることになり時間が掛かり簡単には登ることが出来ない。

 従って今回の登山は残雪が残るこの春の時期だけに許される、新緑から残雪を堪能する登山なのである。




         登り始めは深い藪漕ぎで難儀をするが、標高が上がるに連れて次第に残雪が見えて来る。



 この地区で林道が有るということは杉林が有る(戦後植林された杉)ということで、我々は最初は杉林の縁に沿って藪を漕いで登って行く。

 藪漕ぎを初めて30分位でブナの森に入ると、低い木が無くなり大分進み易くなり所々に残雪が見え始める。




              最初遠くに見えていた稜線が大分近くに見えようになってきた。




 尾根に残る残雪の上を快適に登って行く。 ブナの葉も少しづつ開き始め、ブナの幹の周りから雪が解け始める。



 1時間ほど登ると尾根に出来た雪の回廊が現れ、我々は藪漕ぎから解放されて雪原に一歩一歩ステップを刻んで快調に頂上を目指す。青空の下、引き締まった雪原を歩くのは春山の楽しみで、本当に気持ちが良い。




                 奥岳の尖ったピークも大分近くに見えるようになってきた。




           中岳の山頂(標高951m)に近い高さまで登ってきた。その奥に秋田市街が見えている。




稜線がすぐそこに見えてきた。  白神山地まで行かなくても太平山でもブナの原生林は見られるのです。  ※クリック拡大




    小休止を取ってふと振り返るとそこには真っ白に輝く鳥海山が・・・!        ※クリック拡大 



 登り始めてから3時間20分、我々は太平山に稜線に躍り出る。本当に躍り出たという感じで、我々はその景色に感動してしまったのであります。中岳越しに見る秋田市街、日本海、男鹿半島、そして白く輝く鳥海山の姿、全てが感動的でした。




      最後の急登を登り切って稜線に踊り出ると、そこには360度の大パノラマが・・・。




                   鳥海山から男鹿半島までの大パノラマ           ※クリック拡大





                       鶴ガ岳の稜線を奥岳方面に向かいます。




      鳥海山を背に稜線の雪原を進む。本当に気持ちが良かったですね・・・。    ※クリック拡大





                                ※動画 クリック





   奥岳の後ろには八幡平・岩手山・秋田駒ヶ岳・和賀山塊が見えていた。    ※クリック拡大




                                  ※クリック拡大




               足の下は100m以上の崖なのだが・・・?     ※クリック拡大




                    北には白神山地                 ※クリック拡大




                青森の岩木山も見えていました。              ※クリック拡大




  奥は秋田県の最高峰秋田駒ヶ岳。手前の緑の山肌は河北林道沿いに植林された杉林(近くまで林道が通っている)
                                ※クリック拡大




 鶴ガ岳山頂で昼食を取った我々はAM12:00過ぎ下山を始める。登山道の無い登山は何が有るか分からないので、早目の下山を心掛けたい。




                                   ※クリック拡大




                  我々より先に中岳方面から奥岳方面に向かった人がいるようです。




       季節風が尾根に吹き付ける風下側に雪の回廊が出来る。これがこの時期の登山を楽しくしてくれる。




                       下りは一気に標高を下げる。          ※クリック拡大




   振り返って登った山を見るとよく登ったものだと自分でも感心してしまいます。             ※クリック拡大



 残雪の下りは、踵から登山靴を雪面に食い込ませると快適に下ることが出来るのだが、その時の「ギュッ」という音が何とも心地良いのだ。

 一気に山を下った我々は、PM2:40バイクのもとに戻り今回の鶴ガ岳登山は無事終了する。着替えてバイクに跨った我々は、登山で疲れた体を癒すため貝の沢温泉に向かうのでした。


                                              平田隆太郎




SPRING 鶴岡まで行って来ました 更新日 2017.4.24


 昨日は午前中は雲が垂れ込めた天気で寒い一日でしたが、美味しいイタリアンを頂き、綺麗なクラゲの世界を堪能、帰る頃になったら天気も回復して綺麗な鳥海山が見えていましたね・・・。

 写真を撮ってきましたのでご覧下さい。


      鶴岡に在る 緑のイスキア さん は田んぼの中の1軒屋  美味しいピッツアやパスタが頂けます。




   前菜の盛り合わせ、物が何なのか良く分からなかったが、とにかく初めて食べる味ばかりでした。




             イタリヤ直送のモッツァレアチーズは勿論だが、ミニトマトが甘くて美味しかった。




                 ここのピッツアは別格の美味しさ  パスタも頂きました。









                     デザートも頂きましたが、これがまた美味かった。




                           こちらはクラゲで有名な加茂水族館




                      発光するクラゲ1




                      発光するクラゲ2




                      毒を持ったクラゲも多い




                   長い触覚が危ないらしい?









                      大きな水槽は照明と回る水流で独自世界を表現。




            澄んだ引き締まった空気の中、青空をバックに真っ白な鳥海山が綺麗でした。



                                                平田隆太郎



BMW 今回はビッグボクサーエンジン 更新日 2017.4.3

 先日は久しぶりにハーレーに乗ったが、今日はBMWのR1150RSに乗る機会があった。BMWにはこれまで何度か乗る機会が有った私だが、1000ccを超えるボクサーエンジン(水平対向エンジン)に乗るのは今回が初めてだった。

 今回乗ってまず最初におやっと思ったのは、エンジンを掛けないでの押し引きでブレーキが利かない事だった。このバイク、ブレーキにサーボアシスト(車の負圧式とは違い電動ポンプアシスト)が付いているのだが、このサーボはメインスイッチをONにしないと効かない為、エンジンを掛けずに押し引きする時ビックリするほどブレーキが効かない。

 その分走っている時はメタリカのPpec3パッドのように軽い入力で強力に効いいて、安心感の有るブレーキでした。もっとも低速では効き過ぎる位で慣れが必要かと思われるが、高速時には信頼感の有るブレーキ(実際に体験していないので多分)だと思います。

 気になったのがブレーキを掛けるとタンク下から聞こえるモーター音で、市街地走行でブレーキを掛ける度にウィーン・ウィーンと音がするのが結構気になった。アウトバーンを走る場合はブレーキは掛ける機会は少ないでしょうから気にはならないとは思いますが、秋田の田舎を走っていても結構気になりましたね。

 それから困ったのがサイドスタンドを出す時、左に張り出したシリンダーヘッドに隠れてサイドスタンドの先端部が見えなくなる事だった。何しろ短足な私は走るのには問題無いが(このBMWはシートを3段階に上下出来、当然一番下げていた)、サイドスタンドの位置が結構前側でサイドスタンドを出すのもギリギリ、まして見えないので難儀しました。

 脚が短いのが不便なのは、ハーレーに乗った時に前方のステップに脚がとどかない時にも感じたが、外車に限らず国産車でも最近は短足に厳しいバイクが多くなりました・・・!?




                重いバイクに乗るのは年寄りにはそれなりの負担を強いる。



 私がこれまで乗ったBMWは、R65やK100RS等しか無く、1000ccを越えるボクサーエンジンを乗るのは今回が初めてだったのだが、初めて走った印象は結構フラフラして安定しないバイクだなと言うものだった。

 重いクランクシャフトが縦に回っているのだから左右方向に安定しない(エンジンの加減速で慣性が働く)のは当然なのだが、昔のBMWと違って上手く反トルクを消していて乗り難い事は無かったが、それでも安定感は無かった。

 このバイクは日本の渋滞路を走るバイクでは無いと感じましたし、このバイクはきっとアウトバーンを1日1000kmも走る為に造られたのだろうと思いましたね・・・。







 今回このバイクのカウルを外す機会が有ったのだが、カウルの作りは日本車の方が上かなと感じました。

 ドイツ製品は精密に作られていると聞きますが、カウルの合わせ目の隙間は結構大きく取って有って、カウルを止めるスナップ等もある程度横に余裕の有ある構造になっていました。

 日本車の場合は1点で位置決めされていて、継ぎ目の隙間は調整出来ない構造になっているのだが、其の辺は国民性の違いなのかもしれません・・・。

 前回ハーレーのVツインの鼓動の事を書いたが、今回ボクサーエンジンの独自の鼓動を感じた。どちらの鼓動が好きかと聞かれたら・・・? 

 鼓動の質で言ったら   私はハーレーかな・・・!?

 BMWに乗るライダーは独自の個性を持つ人が多いと聞きますが、今回私はBMWに乗ってその仲間には入れないと感じましたね・・・!?

 今後も私は国産のインライン4に乗っていきます。

 宜しくお願いい申し上げます。



                                              平田隆太郎



883 久しぶりのハーレー 更新日 2017.43


 今日、本当に久しぶりにハーレーに乗る機会が有った。前回ハーレーに乗ったのは30年以上前、新車で FXS1340 ローライダー を売った以来で本当に久しぶりでした。

 ローライダーの始動には結構気を使ったものだが、今のハーレーエンジンはインジェクションの為、始動はセルボタンを押すだけで安定したファーストアイドリングを始める。

 始動性が良いハーレーにハーレーらしくないと思ってしまうのは、人間が古いせいだろうか・・・?

 私の中のハーレーエンジンは、止まりそうで止まらない不安定で絶妙なアイドリングをするイメージなのだが、国産車と何ら変わらないハーレーに、私は違和感を感じてしまいました・・・!?

 これなら国産車で良いのではと思ってしまったのだが、排ガスや騒音規制の厳しい現代ではハーレーも国産車も変わなくなかったのでしょう。

 個性を主張し難い時代になったものである。




      作りは国産車と変わらないレベルで、これなら国産車でも良いのではないのかと・・・?



 久しぶりにハーレーに走って気になったのは乗り心地の硬さだった。前後サスがリジットのように硬いのに驚いたのだが、ハーレーはリジットフレームでカスタマイズすると聞くし、生産車もリジットフレームの乗り味を目指しているのだろうか・・・?

 昔に乗ったローライダーはこんなに硬かった印象は無かったのだが、883が特別なのだろうか・・・?

 北海道を883で走っている人を見た事があるが、皆さん根性入ってますね。私は100kmも走る自信は無いです。




        Vツイン・ドライサンプエンジン & ベルトドライブ  ハーレーを代表するメカニズム



 それともう一つ気になったのがウインカー。ハーレーのウインカーのスイッチは左右に別々に有るのだが、このウインカーの動作が良く分からなかった。右のスイッチを押すと右のウインカーが点灯し、もう一度押すと消える仕掛けになっているようなのだが、角を曲がってしばらくすると何時の間にか消えている事が有った。

 オートキャンセルになっているのかと思ったら消えない時も有って、良く分かりませんでした。


 今ハーレーに乗るかと問われたら、私はどう返答するだろう・・・?

 力が無くなって重い大きなハーレーに乗れる自信は無いし、883のような軽いハーレーでもお尻が持ちそうもない。

 それより何より、短足の私は外人サイズのスッテプバーに足が届かず、タンクに跨る事になりますから・・・?

 今回乗ったハーレーは883ではあるが、Vツインエンジンの鼓動とトルクの太さには関心した。国産のVツインとは何かが違うように感じられ、昔乗ったローライダーを思い出しました。

 ローライダーとは鼓動の大きさは違うが883も本質的には同じテーストを持っていて、時代は違ってもハーレーはハーレーなんだなと感心してしまいましたね・・・。


 「歳を取ったらSS系バイクを降りてハーレーに乗るんでしょう?」 

みたいな事を若い時に云われた記憶が有るが、その選択は私には無さそうだ。

 自分的にはVツインの鼓動音より、やっぱり4サイクル4気筒の高周波音の方が合っているようである。


                                                 平田隆太郎




T-MAX ヨーロッパで売れている訳が分かったような気がする・・・ 更新日 2017.3.30


 今日、YAMAHAのT−MAXに乗る機会が有った。T−MAX(XP500)が発売されたのは2001年モデルからでもう16年前になるのだが、私はこれまで一度も乗った事が無かった。

 今回乗ったのは2005年モデルの2型で、基本的には初期型のエンジンをインジェクション化したモデルである。

 このT−MAXに乗った第一印象は、これはスクーターでは無く普通のオートバイだと思った事だ。スタイルはスクーターだが乗り味はオートバイで、YAMAHAの狙いはこれたっだのだと感じました。




最新のT-MAX(530cc)と比べると丸っこい感じだが 基本的なデザインは現モデルまで継承されており優れたデザインだと思う。



 操作系は原付スクーターと全く同じなのに、走り的には400ccバイクと同等のハンドリングとパワーが有って何か変な感じだった。普通の大型スクーターと違って後ろに重いエンジンユニットの存在を感じない乗り味は、ある意味衝撃的でした。

 エンジンを前輪の直ぐ後に置き、サイレントチェーン(現モデルはベルト)で後輪を駆動する普通のバイクと同じレイアウトを取るのがこのスク−ターの特徴で、ハンドリングは普通のバイクとほぼ同じ感じでコーナーを楽しむ事が出来るのだ。

 尤もステップバーが無い為に足の置き場が定まら無い事と脚の間がスースーして、私は戸惑ってしまったのだが、それは慣れの問題だと思います。このハンドリングであれば、ヨーロッパで人気なのも分かるような気がします。

 チョッと気になったのは、50〜60km/hで走行している時エンジン音が煩い感じがしたのだが、最新モデルは2種類の走行モードを選べるらしいから、そんな問題も解決済みなのかもしれません。

 私は現在も左手関節痛でクラッチ操作に支障が有る状態で、クラッチ無しのスクーターは魅力的では有るのだが、T−MAXにクラッチは無いが左手でリヤブレーキを操作するのが問題ではある。

 いずれにしましても今回のT−MAXでの走行は、スクーターの形体でもバイクのようなハンドリングを出せる事を知る貴重な経験となりました。

 仕事の関係でチョコチョコバイクに乗る機会が増えて来た今日此の頃だが、当初不安だった走りも少しづつ取り戻してきている状態ではある。

 4月16日(日)の2017 スプリングツーリングまでには、昨シーズンまでの感覚になりたいと考えているのだが・・・・。

 どうなる事やら・・・!?


                                                 平田隆太郎




春らしくなりました 男鹿までお散歩・・・ 更新日 2017.3.25


 久しぶりの書き込みです。春先は何かと忙しくで書くモチベーションがなかなか沸いてきませんでした・・・。

 今日は男鹿までバイクを届ける事になり、天気も良かったのでカメラを持って出掛けたのですが、カメラの電池が途中で無くなりて撮影不能に・・・。

 結果、飯島までしか写真は無いのですが、長かった冬が過ぎ春らしくなった景色を少しだけご覧下さい。

 秋田港に在る道の駅(うどんの自販機で有名!?)に立寄ったのですが、丁度北海道からのフェリーが入港していて車両が下船中でしたね・・・。

 今年もまたあのフェリーに乗りたいと考えているのだが、どなることやら・・・。




   秋田港に有る道の駅に立ち寄ってみました  手前は巡視船 奥は苫小牧東港から到着した新日本海フェリー




       愛車キャリーの荷台に載っているのはNS125R HONDAが1987年に国内販売したイタリア製バイク




               フロントフォークの錆びが酷くオイルがダダ漏れでした 再メッキ加工で修理




                  セリオンの上には1回上った記憶があるが遠い昔の事・・・




                セリオンも自販機のお陰で賑わうようになったようで良かったです




フェリーが到着するこの時間 今日は日曜日で車は少ないが 平日は通勤時間帯と重なってこの道路は大渋滞しています









           流石にバイクの姿は無かったが 乗船する車(新潟に向かう)は結構いましたね・・・




             飯島の海岸線を走る道路脇の松の木 海からの季節風の強さを物語



 秋田の海岸線は250km以上有るらしいのだが、能代から象潟までの殆どは砂浜(男鹿半島は除くが)で、昔は砂に因る被害で大変だったらしい。そこで栗田定之丞(江戸時代)が大変苦労して黒松を植樹し砂防林を作りました。

 先人が苦労して造ったそんな砂防林、秋田市から南では松くい虫の被害で殆どが枯れてしまっていたのだが、最近新しく植林した松で緑が徐々に戻って来たのは秋田県人としては嬉しいニュースである。

 飯島から天王にかけてのこの砂防林、末長く残っていってもらいたいものである。




              寒風山はまだ白い所が残っているのだが その雪が消える日は近い・・・



 申し訳無い・・・  ここで電池が切れてしまいました。


                                               平田隆太郎



若者の未来 年寄りの将来 更新日 2017.3.5


 店舗が秋田大学が在る地域に位置してい事から、昔から当店には大学生のお客様がいらっしゃいます。以前(二十世紀)と違い今はその数は数える程なのだが、この時期(3月)になると色々と学生さんの動きが活発になって私は春を感じるようになる。

 大学受験の受験生の姿が見えるようになり、卒業式や卒業生のバイク処分、新入生親子のアパート探しをする姿等々で私は春になったなぁ・・・と感じるのである。昔はアパート探しのついでに親子でスクーター(中古が殆ど)を買いに来る事も有ったりしたのだが、近年入学して直ぐスクーターに乗りたがる学生さんは少なく、そんな事も無くなりました・・・。

 そんな3月になったのだが、昨日当店にバイクを預けている学生さんが乗り出しに向け整備の相談に来た。彼はいつも乗り出しが早く道路に雪が無くなると直ぐに引き取りに来ていたのだが、今年は就職活動(来年卒業の就活解禁が今年は3月1日から)も有って忙しく、引き取りは少し遅くなると言っていた。

 私が就職活動したのは1968年だったからもう半世紀も前の事だが、当時就職先を調べる資料はリクルート社が発行していた分厚い電話帳みたいな本しかなかったように思う。

 今はインターネット上にありとあらゆる情報が溢れていて、就職を希望する会社情報は容易に入手出来る時代だから、リクルート誌のよう印刷物はもう無いのでしょうね・・・。

 来店した彼はヤマハのバイクに乗っていているのだが、就活でヤマハに面接に行って来たらしい。バイク好きの若者がバイクメーカーに就職したいと考えるのは当然の成り行きなのだが、バイク好きだからと言ってバイクメーカーに就職してもうまくいくとは限らない。

 FUNKYで走っていた秋大生の中にも当然バイクメーカーに就職したいと考える学生もいて、ホンダ、ヤマハ、スズキ等に就職したメンバーも結構いる。しかし、バイクメーカーに就職したメンバーの大多数は、長く務めた者は無く転職していると聞く。

 バイクが好きでバイクメーカーに入社しても、殆どの人はバイクを製造する工場(機械系学科を卒業の場合)に配属される訳で、バイクと直接関わる部署に配属される確率は低く、大企業ほど希望職種に着くのは難しいのだ。

 FUNKYメンバーで秋大卒業後マツダに入社、その後転職してヤマハに入社してヤマハのF1プロジェクトに参加、その後TZ250(市販レーサー)の開発やマジェスティ250の開発に携わったメンバーもいるのだが、それは稀な経歴なのかもしれません。

 結局バイク好きの人間はバイクに乗るのが好きな訳で、バイクの製造が好きな訳ではなく転職してしまうのかもしれませんね・・・?

 バイク好きは、したい仕事をし、好きな環境でバイクを楽しむのが一番だと思いますね・・・。


 私事で恐縮ですが、私の就職活動のお話を少し書いてみようと思う。私は1964年(東京オリンピックの年)何故か倍率7.4倍の試験に合格して秋田高専に一期生として入学、1963年にはなんとか5年生になって就職活動を(当時は4月頃から)行う事になった。

 早い人は4月に内定が出る中、成績が低空飛行だった私(テスト前日の一夜漬けが得意技)は、なかなか受ける会社が決まらなかった。

 私の第一希望はホンダ(当時F1に参戦していたホンダに憧れていた)だったのだが、秋田高専の最初の卒業生とあって学校はそれなりの会社にはそれなりの成績の学生を推薦する方針?だったようで、私はホンダの推薦を得られなかった。

 結局私は、ブリジストンタイヤBS(私の中では車関係(レース)への就職は外せなかった)を受ける事になる。今考えれば高専出の若造がレース関係の部署に配属される筈もなかったのだが、若いと云う事は素晴らしいですね・・・。

 BSの入社試験は埼玉県小川に在るBSの工場で一泊二日で行われたのだが、私と同じ高専や専門学校?からきた14名?が一緒に受けたように記憶する。

 宿泊は寮のような所に泊ったのだが、夜に他の高専生と共に入社したら頑張ろう・・・みたいな話をしたように思う。

 面接での私は、事前にリサーチしたBSの情報を並べ立て日本一のタイヤメーカーに是非入りたいみたいな事を話した記憶が有るのだが、その面接でBS入ってレース関係の仕事をしたいと何故熱く語らなかったのかと、私は今でも悔いている。

 結局私はBSとは縁が無かったのだが、私はBSの面接で多くの事を学んだ。その一つは面接は本音で話さないと後で悔いが残るという事だ。本音で話した結果落ちたとしても悔いは残らないのだが、相手に受けの良い事を言って落ちたら後悔する事を思い知った。

 若者には熱い思いを相手に直球でぶっつけて、悔いが残らない人生をおくってもらいたいと思います。

 若者には多くの可能性が有ってそれは大いに楽しみなのだが、人間一寸先は闇で人生どのような終わり方になるのかは誰にも分からない。

 分からないからこそ面白い訳で、分かっている人生を生きるほど退屈な事は無い。

 私は 楽しい事は後に取って置くのではなく今楽しむ をモットーに生きてきた。

 私が今考えている楽しい事は今年もバイクを楽しむ事なのだが、それが始まるのはまだ1か月も先の事なんですよねぇ・・・!


                                                平田隆太郎




今どきの秋田の子 楽しく暮らせる秋田を用意出来るか・・・? 更新日 2017.2.16


 昨日は冬季間取っている休みの日だった。2月も中旬になると日差しが暖かくなって春が近い事を感じさせるのだが、昨日は風も無く天気も良くて自宅前の歩道の氷割をする事にした。

 普段店の雪掻きをしている私だが、最近は自宅の雪掻きは上さんに任せている。この時期になると踏み固められた雪が固まり氷となってアスファルトにへばり付いていて、それを取り除くには結構力が必要で女性の力では手に負えず私が氷を割って取り除く事にした。

 氷割り作業は雪国の春を迎える恒例行事?なのだが、地球温暖化と徹底した除雪作業の為か年毎にその時期が早くなっているのを感じる今日この頃である。

 私が小学生の頃は道路を車に混じり馬橇(ばそり)が結構走っていて、道路の真中にお馬さんの落し物が湯気を上げて鎮座したりしていた。その頃は幹線道路を除き重機による除雪作業は全く無く、その為殆どの道路は春を迎える頃には車や馬橇で踏み固められた厚い氷(20cm以上有った)で覆われていたものだった。

 轍が出来た厚い氷を割る事から春が始る感じなのだが、先ずはツルハシで道路中央に出来た轍の水を抜く溝作りからそれは始まり、そこを流れる水が周りの氷を融かしアスファルト路面が次第に現れてくる。水がアスファルトと氷との間に隙間を作り、そこにスコップを差し込んでテコを利用して氷を持ち上げると ガバッ と氷が割れて大きな氷の板が出来上がる。

 其を持ち上げ地面に落とし氷を小さく砕いて道路脇に積み上げていくのだが、黒いアスファルト路面が広がっていくその作業は、何とも言えず春を感じさせたものだった。今回割った氷の厚さは5cm程度だったのだが、私の年齢には丁度良い厚さでこれ以上だと体力的に無理っぽかったです・・・。

 そんな作業をしている私の横を、下校途中の小学生(高学年生)が通り過ぎて行ったのだが・・・

 その生徒さんが私に対し 「こんにちわ・・・」 と挨拶して行くんですよ・・・。

 全く面識の無い小学生から挨拶された私は慌てて 「こんにちわ・・」 と挨拶を返したのだが、それが1人だけでなく何人もの生徒さんから挨拶されたんです・・・。

 お年寄りには挨拶しなさいと学校で教えられているのかどうかは知らないが、年寄りはホンワカした気持ちになってしまいました。

 私はこんなに良い子達(挨拶されただけなのだが・・・・)の将来を考えてしまいました。

 秋田県は全国一人口減少率が高い県らしいのだが、その一番の原因は若者にとって魅力的な就職先が無い事だと私は思っている。若者がいなけれが人口が増えないのは当然で、その状況は私が学校を卒業した48年前と何ら変わっていないように思う。

 私が卒業した秋田高専の機械科は40名程のクラスだったが、卒業時秋田県内に残ったのは3名位で他は県外に就職した。私も其の1人だったのだが、最終的に家庭の事情や仕事が合わなかったり等で秋田県に戻って来たのは10人以下で、大半が退職した現在も秋田に戻って来た者はいないようである。

 私が卒業したした頃は日本経済が高度成長の真っただ中で現在とは事情が違うが、現在でも秋田県の子供達の県内定着率は半分位?ではないだろうか・・・?

 秋田県は小学生や中学生の学力が全国的に常に上位に有るようなんだが、皮肉な事に学力が優秀な故に県外に出て行く事になるように思えてならない。

 学力向上を目指すのも良いのだが、若者に魅力的な就職先を創造する方が先のように私は思うのだが・・・どうなんでしょう?

 「こんにちわ・・・」 と見知らぬ年寄りに挨拶する優しい子供達が将来も秋田に住んでくれるのたどうか・・・?

 彼ら(彼女ら)が学校を卒業し社会に出る頃、魅力的な就職先を用意出来るかどうかは今の大人に掛かっているのだが、私よりも年寄りの候補者が県知事選を戦うようでは秋田県の未来に明るさは見えない・・・!?

 何故そう思うかって・・・?

 自分が年を取って感じる事だが、人間年齢を重ねるとを新しいアイデアを思い付く頻度が少なくなるんです。

 行政の長は、関東に在る地方自治体の前長のようにアイデアから判断まで何から何まで部下に丸投げしてハンコを押している(ハンコも課長が押していた・・・?)だけでも務まってしまうもののようなのだが、それでは住民が堪ったものではない。

 選挙はベストを選ぶものでは無くベターを選ぶものらしいが、そろそろ有望な新しい選択肢が欲しいですね・・・。


 そろそろ秋田県も全国の人材育成県から脱却しないとね・・・。

 全国の先生方に無料で教育方法を公開しているようでは駄目でしょ・・・。

 他県に無い強味はしっかりお金を取って商売にしないと・・・。


                                                   平田隆太郎




連鎖の法則? バイクが遠のく・・・!? 更新日 2017.2.09


 昨年の暮、長年使用していた家(居間)のFF式ストーブが壊れ10万単位の出費を強いられたのだが、今週はガス給湯器(お風呂の追い焚き付)が壊れた。

 修理は可能(修理見積り金額は\41,580-)らしいのだが、もう12年近く使用していて近い将来釜の寿命が尽きるのは目に見えている。

 この際新しくする事にしたのだが、新しくすると29万弱の費用が掛かると言うではないか・・・・!!

 冬のお金の無い時期に40万(前のストーブと合わせて)の出費は本当に痛いのだが、風呂にも入れない状況なので1日も早く修理する必要に迫られている。

 給湯器本体の上代価格は30万チョッとで、交換代金をプラスして29万はお得な価格と業者は言うのだが、インターネットで給湯器の価格を検索してみると10万を切る価格で売られている(バイクでは考えられない価格差)ではないですか・・・!?

 バイクのタイヤが通販でお安い価格で売られているのと同じ状況なのだが、タイヤと大きく違うのはその金額の差が10万単位な事である。またバイクのタイヤを自分自身で交換するのは法的に問題は無いのだが、給湯器の場合ガス何とか士の資格が無いと交換作業は法的に問題が有るらしい。

 話は逸れるが、自分で安くタイヤを交換出来るからと言って仲良くしてもらっているショップが有る場合は、少し考えてからにた方が良いかもしれません。ショップの立場から云わせてもらえば、信頼するお客様が突然新しいタイヤのバイクで現れたら・・・結構ショックだと思いますので・・・。

 ショップ側は何も言わないと思いますけど、内心は・・・でしょうね。

 しかし、事前にショップに話してコミュニケーションを取っておけば全く問題無いと思いますけど・・・。

 人は国の中で暮らしています。私の場合は日本という居心地の良い国で暮し、その為に税金を払っています。自分にとって居心地の良い環境にいる為には、ある程度のコストが掛かるものなのです。

 話を給湯器に戻そう。給湯器の交換作業そのものは私でも出来そうなのだが、そうもいかないので交換してくれる業者を探し見積りを取ってみたのだが、3〜4時間(今回の場合は2時間も有れば充分か?)の作業時間で6〜7万掛かると言う。殆どが工賃と言える内容で、1時間当たり2万近くの工賃は良い商売だ。

 尤も今回のような簡単な交換作業では無く新設の場合も同じ料金のようなので、その場合は妥当な料金なのかもしれません・・・?

 他から物を安く購入して交換作業をお店にお願するのはお店が一番嫌がるパターン(当店でも持込みタイヤ交換で時々電話が有りますが、当店は持ち込み交換大歓迎です)なのだが、金欠症の私は背に腹は替えられず通販で機材を購入して業者さんに交換をお願いする事にした。

 これで費用を大分削減する事は出来たのだが、クラッチを握らなくてもチェンジが出来るSS系バイクは遠のいてしまいました。



                                                     平田隆太郎



誕生日 68歳になってしまいました 更新日 2017.1.26


 昨日で68歳になった私だが、この歳になると誕生日は嬉しい日では無くある意味寂しい日であるのかもしれない。

 それは最終地点まで一つ近づいたのを確認すると云う意味だが、特にバイクに乗れなくなる日がまた近づいたと感じてしまう今日この頃ではある。

 左手は少しづつ良くなっているような気はするが、実際に一日走ってみないと手が耐えられるかどうかは分からないし、視力にしても実際走ってみないと正確な判断が出来るかは分からない。

 この歳で一歳年を取ると言う事は、40歳代で10才以上歳を取るのに相当する感じだが、春になるのが楽しみな一方怖い気もするのである。

 話は変わるが、昨日まで降っていた雪が一段落して今日は太陽も顔を出して春めいた陽気だった。秋田市の積雪40cm位まで増えていたが、今日の天気で10cm位は減ったかも・・・?

 しかし、まだ1月で2月の上旬までは天候が荒れる事を覚悟しなければならないのだが、このまま暖かくなる事を願う68歳なのである・・・。




   店の前は融雪歩道とオ*スーノ(除雪機)のおかげで、乾いてはいるが、雪の山はそれなりに高くなっている。




      今日の気温は7℃前後有った感じで春を感じさせたのだが、バイクを楽しめるようになるには2ヵ月先かな・・・?



 

五日目 北海道レポート最終日をアップ 完結 更新日 2017.1.16


 2016年 北海道ツーリング Part33 の最終日をアップ、これで長かったレポートが完結しました。

 約束通り1月末までにアップ出来てほっとしいます。

 下のリンクからご覧下さい。

http://www.moto-hirata.com/FUNKY_Reports/2016/Part33/index5.htm
















春が来た このまま春にならないかなぁ・・・ 更新日 2017.1.8


 今日の秋田市は春のような陽気でこの天気が明日からも続いて欲しいのだが、明日は雨、明後日は吹雪の予報が出ている。







 以前,、成人式(1/15)あたりまで雪が無かった年も有ったと記憶するが、今年はどうなんでしょう・・・?、

 1月の末に族のバイクが煩い音を奏でていた年も有ったが、雪は山で降ってもらって(スキー場や雪祭りが困る)秋田市は雪無しでお願いしたいものである。







 HPのTOPページに、大町に店が有った時のスケッチを載せてみました。

 描かれたのは1996年1月14日のようですから今から21年前、まだYSP秋田中央だった時の店舗のスケッチです。その年の3月に移転しましたので貴重なスケッチです。

 ウインドウに飾って有るのは DUCATI 450 DESMO 2階が喫茶店になっていました。

 このスケッチは、知人(DUCATIの所有者)の友人が描いた物を後に頂いたのですが、今は竿灯大通り日本銀行の壁際に店が有ったとは信じられません・・・。



                                                   平田隆太郎



2017 あけましておめでとうござます 更新日 2017.1.1


 秋田市は雪も無く穏やかな新年を迎えました。












 日頃からこのホームページをご覧の方々へ、ささやかですがお年玉を用意いたしました。

 2017 YAMAHA Racing Calender

 を3名様にプレゼントいたします。



 ご希望の方は1月5日(木)AM11:00以降
ご来店下さい。 先着3名様に差し上げます。











2016 ツーリングレポートを再編成してアップ 更新日 2016.12.31


 Ryuta'Sにアップしていたツーリングレポートを2つ再編してアップしましたのでご覧下さい。

MAY 5月の青森県竜飛・八甲田・十和田に行ったレポートです。




JULY 7月の十和田・田子・八幡平を周ったレポートです。





四日目 北海道レポートをアップ 更新日 2016.12.25


 網走から花咲港までの北海道4日目をアップしましたのでご覧下さい。

 やっと残りが1日になりました。来年の一月末まで書き上げるという目標は何とか達成できそうです。


   ⇒ 2016 FUNKY 北海道レポート四日目















                                                     平田隆太郎




三日目 北海道レポートをアップ 更新日 2016.12.14


 抜海から網走までの北海道3日目をアップしましたのでご覧下さい。

 まだ2日残っていますが、何とか来年の一月末までは書き上げたいと考えていりますのでよろしくお願いいたします。


   ⇒ 2016 FUNKY 北海道レポート三日目











                                                平田隆太郎


中指 何とかなるのかな・・・? 更新日 2016.12.10


 今年の春頃、両手の指がしっかり握れなくなって医者に行った事を書いた?と思うが、最近は右手は殆ど問題無く握れるようになり、左手も中指を除いて握れるようになった。

 問題は左手中指で、手を握ると痛くて指先が手の平に着かない状態で、中指の関節が炎症を起こしているようだった。

 このままではクラッチ操作に支障が出るし仕事でも重い物が持てなかったり、バイクの押したり引いたりにも支障が有ったりでまた医者に行く事にした。

 医者は春にレントゲン写真を撮って骨に問題無い事を確認していたので、傷みの原因は指を動かす腱(アキレス腱の腱)の老化だろうと言う。腱が老化すると表面に凸凹が出来て(鉄の錆びのような物?)、腱の動きをコントロールしているガイド(滑車と言っていたが・・・)と擦れて炎症を起こしているのではないかと言う。

 エンジンで言えば、ピストンが錆びてシリンダーと擦れて熱を持っている状態で、このままほっておくと固着(焼付き)てしまう可能性も有ったようだ・・・?

 治療方法としては炎症を抑えながら指を動かし(リハビリ)腱とガイドがスムーズに動くようにするらしいが、上手くいくがどうかはやってみなくては分からないと言う・・・。

 医者は先ず炎症を抑える薬を掌の中指関節部に注射して(何・注射だって・・・!?)様子を見ると言うではないか・・・!!

 この薬、以前肘が痛い時に注射した薬と同じ物のようなのだが、私は掌に注射(体の中で手が一番敏感?)するのは初めてで、顔から血の気が引いて行く(基本 貧血症)が自分でも分かりました。

 自慢では無いが注射は子供の頃から大の苦手でこれまで70年近く生きてきたが、私は針が体に刺さるところを一度も見た事が無い(採血も含め大抵は壁や天井を見ている)のであります。

 注射する時、医者は掌に針先をチョコチョコと何回も刺して(その時は私は横のカーテンを見ていた)その度に私は緊張したのだが、薬には麻酔成分も入っているそうで針が刺さる部分を麻痺させていたのだと言う。

 そして 「 そろそろ良いかな・・・! 」 と言ってその時がやって来る。

  < ニゥ・・・ >  確かに麻酔が効いていたのか傷みはそれ程ではなかったが、薬が中に入っていく感じは何とも言えない変な感じだった。

 下の写真は店に帰ってから撮ったものだが、絆創膏のポチを見ると針が刺さった時の感覚を思い出してゾックッとしてしまいますね・・・。




掌も年取ったとつくづく思う今日この頃だが、この時期こんな綺麗な手(冬はガサガサのヒビ割れだらけが普通だった)
でいられるのもニトリルゴム製の手袋のお陰です。




 注射のお陰で中指は結構動くようになったのだが、2〜3時間して薬が切れると元に戻ってしまいました・・・。

 医者からガサガサの腱がガイドに当って動きが悪くなっていると聞いて、私はある事を思い出した。

 それは以前 TZR250R (3XV 2サイクル Vエンジン) で北海道に行った時、長い下りの直線でエンジンが軽く焼付きそれ以降明らかに調子が悪くなってアイドリングもしなくなった事があった。

 私はスパークプラグの穴からオイルを注入、ガソリンにオイル混ぜ混合ガソリンにして様子を診る事にしたのだが、回転を押さえて静かに走って行くと次第に回転上がるようになり、アイドリングもするようになった事が有った。

 当然、元通りになった訳では無いが、支障無く走行出来るまでに回復(75%位?)した事に私は驚いた。人間は壊れた細胞が再生する修復能力が有る事は分かっていたが、ゆっくりと慣らし(リハビリ)をして当たりが着けば機械も使用出来るまで回復する事をその時私は知ったのである。

 錆び付いた?腱を丁寧に動かしてリハビリすれば回復するのではないかと考えた私は、お風呂の中で掌を温め中指の関節を揉み解し強く手を握ってみた・・・?

   「 イテェェェー!! 」    機械と違い人間は痛みを感じる事を私忘れておりました。

 しかし痛みに耐え、それを何回か繰り返していると中指が他の指と同程度に曲がるようになったではありませんか・・・!?

 次の日医者に行ってその話をすると、やり過ぎると炎症が酷くなるので無理をしないで徐々に動かすように言われてしまいました。

 現在まだ関節の炎症は残っていて少し痛い状況ではあるのだが、このままリハビリを続けて行けば来春までにはバイクや仕事に支障が無い程度に回復出来るような気になっています。

 私が乗る GSX−R1000 K5 も来年は12年目を迎え走行距離も10万kmを越えると思われるご老体だが、バイクの場合はお金さえ払えば(私に取ってはそれが大問題だが・・・)新しいバイクを手にする事が出来る。

 しかし、人間の体はお金を払っても新しくなる事は無く、騙し騙し使っていくしかありません。

 昨年は肘、今年は手の指、来年は何所に問題が起きるのか・・・今から楽しみ?ではあります。



                                                   平田隆太郎



錆び 凍結防止剤 更新日 2016.11.26


 FUNKY最終ツーリングの翌日、GSX−R1000を動かそうとしたら動かなかった。GSX−Rに装着しているメタリカのブレーキパッドには鉄分が含まれているようで、これまでもブレーキパッドが濡れた状態で放置するとパッドとブレーキディスクが固着する事は有った。

 しかし、今回は少し様子が違っていて、バイクを動かすと赤錆がディスクの全周に渡って付着、それが抵抗になって押すのが大変だったのだ。

 これまではブレーキパッドが当っていた部分だけが錆び、錆びがブレーキディスの全周に渡って付着する事は無かったのだが、今回は異常でした。

 今回どうしてこんなにも錆びが発生したのが考えてみたのだが、私には思い当たる事が有った。それはブレーキが雨に濡れたのは、本荘ICから高速に上がった時だった事だ。

 秋田では最終ツーリングの何日か前に雪が降っていて、高速道ではスリップ事故を防ぐ凍結防止剤(塩化ナトリウムや塩化カルシウムの塩)が撒かれていたと考えられる。

 その塩が雨に溶け塩水となってブレーキに付着したと考えれば、ブレーキパッドの異常な赤錆も納得がいく。

 その塩水によって雪国はでは車(四輪車)のブレーキディスク(鋳鉄製)が腐食し研磨や交換をする事が多いのだが、バイクの場合ブレーキディスクはステンレス製で腐食はせず、少し走ってブレーキを掛ければ錆びは落ちるので塩の影響は少ないと言える。

 しかし、来春に向けバイクを仕舞う場合、雪国ではこんな事も有りますのでバイクの水洗いや防錆処理はしっかりする事をお勧めします。



                                                     平田隆太郎



二日目 北海道レポートをアップ 更新日 2016.11.21


 前回のアップから一ヵ月掛かって二日目をアップしました。五日目まで有りますので、この調子だと書き上がるのは来年の二月になりそうです。雪が降ると暇になりますのでそれ程では無いと思いますが、出来るだけ早く上げるように頑張ります。

   ⇒ 2016 FUNKY 北海道レポート 二日目


                               お約束の写真です。




金属疲労 二つの破断 更新日 2016.11.13


 ここのところ二つのエンジンの修理を行っているのだが、その中で金属疲労に因ると思われるパーツ破損に出くわした。

 一つはホンダ スーパーカブ C105(50年近く前の初代カブ 55cc) のエンジン修理で、走行中突然エンジンからゴロゴロと音がして止まり再始動しない状態で、圧縮は有るが火花は飛んでいないと言う。

 火が飛んでいないとの事だったので、私はマッグネット側(左側)のカバーを開けてみたのだが、特に問題が無さそうに見えた。

 そこでフライホイールを外すプーラー(特殊工具)を取り付けたのだが、

  「何という事でしょう・・・?」

 プーラーに付いてフライホイールが外れてしまった。

 下の写真がそのマグネットの状態なのだが、見事にクランクシャフトが半月キー部分から破断しておりました。



 
  この状態を見て私は開いた口が塞がらなかったですね・・・。 私は50年位バイクを見ているがこんなのは初めてです。




                             マグネットを外した状態。




       破断面を見ると金属疲労に因る破断が半月キーの溝から始まっているようなのだが・・・?




                  中心部の黒い部分が気になる・・・?



 クランクシャフトの破断面を診ると、破断はフライホイールの位置決め用半月キーの溝部分から始まっていと思われるのだが、気になるのはシャフト中心部の黒い部分で最初から亀裂が有ったようにも思える。

 クランクシャフトは熱間鍛造(素材熱し金型で成形)で作られている?はずで、黒い部分はその時に出来た欠陥のようにも診える。

 いずれにしても50年前の製品で、現在の日本製品では考えられない破断だと思いますが、どこかの国の製品だったら有るかもね・・・・?




 もう一つの破断は、エンジンのクランクケースを締め付けるボルトの破断である。四気筒エンジンのクランケースを割って組み立てていた時、一本のボルトを軽く締め付けると空回りしてしまった。大して力も入っていないのにボルトが折損してしまったのである。

 最悪な事に折れた先がクランクケースネジ穴の奥に残っており、取り出すのに苦労してしまった。ボルトが錆付き固着して折損した訳では無いので取り出しは比較的楽だったが、こんな事は初めてでエンジンを組み上げ修理を終える予定にしていたのにガッカリでしたね・・・。




         写真では分かり辛いが、クランクケース右側のボルト穴にボルトの先端が残ってしまった。




       ボルトの頭が出ていれば取り出しは簡単なのだが、この状態から取り出すのは結構大変。




                             折れたボルト。




                           ボルトの折損面。



 折損したボルトの破断面を診ると取り外し時によく折れなかったと感心したのだが、どうせだったら外す時に折れてくれたら二度手間(新たに部品を注文する手間)にならなくて良かったのにと思ってしまった。

 クランクケースに残ったボルトを取り出すのが結構大変で、穴の周りを養生(金属屑やゴミがエンジンに落ちないようにする)して残ったボルトに振動を与えながら少しづつ回して取り出したのだが、何だかんだと一時間近く掛かってしまった。








                 ボルトの頭を上面から2mm出すまでが大変だった。




                  組む前は普通に見えたボルトだったが・・・!



 ボルトが折れた原因は、クランクケースの組付時ボルトの締付トルクが過大(このエンジンは何度か分解されている)だった為、クランクケースとの境目のネジ部分に応力が集中、そこにエンジンの爆発圧力の振動が加わり金属疲労で次第に亀裂が進行したものと思われる。

 今回クランクケースを割っていなければ、近い将来ボルトは脱落していたかのしれませんね・・・?

 ボルトの締付トルク管理は大切だが、特にクランクシャフトボルトの締付トルクは重要(振動が半端無い)で、シッカリしたトルクレンチ(安物トルクレンチの数値は結構いい加減)で管理したいものです。


 金属疲労による破断は機械にはつきものだが、設計や管理で防げるものが多い。バイクの場合、振動の多いエンジンのボルト締付トルク管理は特に重要である。


                                                    平田隆太郎




馬場目岳 今年最後の山行き 更新日 2016.11.9


 先日の日曜日今年最後の山行きを計画したのだが、当日は寒冷前線が通過したばかりで風が強く私は翌日に順延する事にし急遽店を日曜日は営業、月曜日を休業として山へと向かったのである。

 今回私が登る山は、秋田市と五城目町との境に在る太平山山塊の北の端 馬場目岳(1,037.4m)、以前五城目町側から登った事が有ったが、今回は秋田市側の仁別旭又登山口から登る事にした。

 店を休み一日順延した甲斐があり、月曜日は風も無く小春日和の今年最後ではないかと思われる絶好の登山日和となった。

 晴れた分、朝は気温が低かったが風が無く、体感的にはそれ程寒く感じなかった。それよりも何よりも、今回山に向かう足は軽トラックで、私はヒーターの効いた車内でぬくぬくと仁別に向かったのである。

 今回は撮って来た写真中心にレポートいたしますが、晩秋の秋田の美しい景色をご覧頂ければと思います。




写真は帰りの車内から太平八田付近で撮った夕陽に染まった太平山。 奥左側の山々の中で一番高いピークが馬場目岳1,037.4m




       中央のピークが馬場目岳。 右下の仁別旭又から右の尖ったピークに登って馬場目岳へ登る。




仁別 旭又 太平山登山口 今年は熊の話題が多かったなぁ・・・。 橋を渡って直進が奥岳、馬場目岳は左折して沢沿いを行く。




            馬場目岳へは、林鉄跡の橋で沢を渡りる。 右に行けば奥岳への登山道に繋がる。




     50年前、この橋の上を秋田杉を満載したトロッコ列車が走っていた。 歴史を感じさせる苔生した橋。




                  秋田杉の切り株は、苔生してまるで盆栽のような趣が有る。




















                この笹藪を境に杉とブナの植生が分かれていた。




                        昨日、ここでは雪が降ったようである。




                     上方に杉の姿は見えず、ブナの森が広がっている。




               下方には杉の木が見える。 標高が上がりその奥に秋田市街が見えてきた。




           夏は葉に覆われ薄暗いブナの森も、今は空が見える明るい森になっていた。




明るいブナの森を少し登ると、馬場目岳と赤倉岳(奥岳への縦走路)への分岐に出る。 旭又からゆっくりで約2時間であった。




        私は分岐を右に折れ、馬場目岳に向かう。 奥に見えるピークの後ろに馬場目岳は在る。 




     分岐から先は結構藪が濃くて歩き難かったが、ヤブ山と違い道が付いているので楽でしたね・・・?




              
   縦走路からは太平山の最高峰 奥岳(1,170.4m) が見えていたが、あそこまで行く元気は無かったなぁ・・・。





       登山道に倒れたブナの木には、沢山の種類のキノコが生えていて、秋を感じて来ました。








                         キノコと苔のコラボレーション












       こちらは下山途中に有った杉の切り株に生えた白いキノコ。木によって生えるキノコが違う・・・?




               馬場目岳山頂の避難小屋が見えて来た。 もう一頑張り・・・。








                      山頂直下から観る奥岳(尖ったピーク)




                 秋田市街も眼下に広がっていた。




                             山頂に有った祠




                            戦前の物のようです。




             馬場目岳山頂到着 分岐から50分、旭又から3時間弱で到着しました。




           山頂からの景色。  男鹿半島、八郎潟、五城目の森山が見えている。




                     太平山山塊の尾根は前岳まで続いている。




                           1,037.4mの三角点の標柱



   
          山の上部は紅葉が終わり灰色の世界だったが、黄色い点が一カ所に纏まっていた。




                     ブナは葉が落ちても本当に美しく絵になる。




                         遠くに秋田駒ケ岳が見えていました。




                     森吉山の山頂部は雪で覆われていましたね。




                               八郎潟遠望




                                  男鹿半島方面




               この時期蕾を付けているのは シャクナゲ 




                    登頂した証拠に自撮り写真を撮って下山します。




             私は葉を落したブナの枝が空をバックに描く幾何学模様が好きなんです。












                     何かを想像する絵ですね・・・。








                    奥岳山頂の三吉神社奥宮が見えている。








                        紅葉が残る所まで下って来ました。








                    天然杉の老木は奇抜な形をしています。









                   色鮮やかな紅葉も楽しめました。




                     杉の木肌の幾何学模様もまた美しい。
















                       緑もまた鮮やかで美しいのでした。




この時期、落葉の道を歩くとサクサクと落葉が擦れる音がするのだが、それがクマ避けの鈴の音とコラボして心地良い・・・!
上の写真をクリックするとその様子が動画でご覧いただけます。 撮影に気を取られてコケそうになったのは御愛嬌・・・。





                           旭又までもう少しです。




                                旭又のキャン場




                    無事に帰って来ました。  愛車が見えて一安心。




       この看板、新しくなってはいたが内容は以前と同じ。 デザイン変えましょうよ・・・。




               下山途中に拾って来た楓の葉。 一日経ったら萎れてしまいました。




      旭又からの帰り道、旭川ダムの園地に人(車)だかりが出来ていて、覗いて見たら・・・!?




                           大変な事になっていました。




                  傾いた陽に照らされた楓の木が本当に綺麗でした。















































 山に行ったの一昨日の事でしたが、外は今吹雪です。本当に貴重な山行きとなりました。



                                                      平田隆太郎




北海道 ツーリングレポート初日をUP 更新日 2016.10.21


 ようやく9月の北海道ツーリングのレポートを書き始めました。今回アップしたのは初日の北海道上陸(穂別の宿)までですが、次回は穂別から稚内までのレポートを書く予定にしています。

 まだ4日分が残っていて先が長いのですが、何とか年内に書き終えたいと考えています。

 HPのTopページにリンクを作りましたので、ご利用下さい。


真昼岳 峰越林道&登山 更新日 2016.10.17


 昨日の日曜日、秋田と岩手の県境に連なる奥羽山脈に在る真昼岳(標高1059m)に行って来ました。

 私が真昼岳を訪れるのは初めてでしたが、秋晴れの気持ちの良い青空が広がる中、山頂から見下ろす横手盆地の眺望に感動、また登山口までの峰越林道のOFFロードも楽しんで、有意義な一日を過ごして来ました。

 AM8:20 雲一つ無い秋晴れの下、我々は秋田市を出発し国道13号を南下し大曲へ向かったのですが、協和に入るとこの季節特有の朝霧が発生していて、急に寒くなって太陽も隠れてしまった。

 大曲のコンビニで休憩した後峰越林道に向かったのですが、本来なら正面に見えている筈の真昼岳は霧に閉ざされ全く見えず、ちょっとガッカリ・・・。モチベーションも下がったのですが、霧の上には青空が広がっていると信じ、私は峰越林道を目指したのでした。

 林道に入る頃には霧もはれ、我々は奥羽山脈を横断する峰越林道を登り始める。峰越林道は良く整備されており、路面は適当に湿っていて埃も立たず快適に走る事が出来たのだが、浮き砂利が多く結構気を使ってしまいましたね。

 また、峰越林道の秋田県側は標高を一気に上げる為ヘアーピンカーブ多く、OFFのヘアーピンカーブを苦手とする私は往生しました。

 OFF林道のヘアーピンカーブは、センターラインが無く(当然ですが・・・)ブラインドコーナーが多い為探りながらのゆっくりな侵入となるのだが、コーナーリング時後輪に大きくパワーを掛けらず(OFFでは後輪にパワーを掛け後輪を外に振り出して進行方向を変える)バイクの向きが変わらず苦労する。

 今回もパワーを掛けられずにズルズル曲がっていたら、前輪が滑って転倒しそうになってしまった。今回が今年2回目のOFF林道で、その前は10年以上OFFバイクに乗っていなかったからしょうがないか・・・?

 もっとはっきりリーンアウトで乗らないと駄目ですね・・・。   練習します・・・。




 峠の真昼岳登山口に到着。 装備をバイクから登山に変える。 天気が良くてOFFバイクも結構来ていましたね。



 予定通り午前10時半前に真昼岳登山口に到着した我々は、OFFブーツから登山靴に履き替え登山の準備に取り掛かる。峠には駐車スペースが設けられていて登山者の物と思われる車が6台停まっていたのだが、下からバイクの音が聞こえて来て2台のOFF車がやって来た。

 彼らは峰越林道の岩手県側入口に設けられた通行止の柵の前にバイクを止め休憩した後、柵の横を通って沢内村方面へ下って行く。この先で路肩が崩れていて車の通行は出来ないようなのだが、バイクは通行可能だったとそこで引き返して来たライダーから後に聞いた。




 この先に通行止の看板と柵が設置されていたが、彼らはの岩手県側に下って行った。奥に見える中央のピークが真昼岳。



 準備を整えた我々は真昼岳を目指して歩き始める。真昼岳頂上までは2.5km、時間にして1時間半位の行程らしいのだが、道は尾根道で途中に幾つかのピークが有ってアップダウンを繰り返すらしい。




             パーキングには、我々のバイクと真昼岳登山者のものと思われる車が停まっている。




尾根道右側には岩手県側の峰越林道が見えて、その向こうには先日荒川牧場から観た早池峰山が違う山容で見えていた。




             996mの三角点から観る真昼岳(中央右端のピーク)、まだ結構距離が有る。



 最初の大きなピークには996mの三角点が在って、そこからは真昼岳に続く尾根道が見えていたのだが、まだまだ先は長そうである。登山道は笹藪をきれいに下刈りしており歩き易かったのだが、結構急な登り斜面に凸凹が無く、足掛かりが少なくて苦労する。

 今回は何とか登れた(下りはもっと大変)が、下が濡れている状況では結構大変だったかも・・・。また、尾根道が痩せて両側が切り落ちている個所も有り、視界が悪い時は充分な注意が必要だろう。




         三角点を越えると雲の上に鳥海山が見えてきて、大曲や横手方面も眼下に見えてくる。




                   来た道を振り返ると和賀山塊(奥中央)に観えていた。



 年寄りの登山はいかに体に過負荷を掛ずに歩くかが重要で、体力が無い年寄りが持続的に歩く為にはペースは当然遅くなる。グループで歩く場合先頭に経験も持った遅い人(つまり年寄り)を配置すべきで、今回は私が先頭を務める事にした。

 歳を取ると足を上げる感覚が狂ってきて結構躓くのだが、今回の登山でも何回か躓いて転びかけ、後ろを歩くメンバーに気を使わせてしまった。山で年配の登山者が登山道から滑落した話をよく聞くが、多分こういう事なのだと納得した私でした。




             約1時間半で真昼岳山頂に到着   鳥海山も大分近く観えている。



 我々は予定通り正午過ぎに真昼岳頂上に到着、昼食取る事にする。頂上からは眼下に横手盆地が広がっていて、その眺望は感動ものでした。

 そして鳥海山、丁岳、神室山、虎毛山、栗駒山、焼石岳、早池峰山、岩手山、和賀岳、秋田駒ケ岳、白岩岳と続く大パノラマも感動ものだったが、残念ながら北西方向の森吉山、太平山方面には雲が掛かっていて見えていなかった。

 雲の上に薄ら山?が見えていたように思ったのだが、標高からいって森吉山だったかもしれません・・・?




      真昼岳山頂からの大パノラマ  感動ものでした・・・。 稲刈り前だったら黄金の大地が見られたかも・・・。



 充分に真昼岳の展望を楽しんだ我々は、来た道を引き返す。午前中は風も無く穏やかな小春日和のような暖かな陽気だったが、午後になって風が出てきて尾根道の風が汗ばんだ体に心地良い。

 ここでの紅葉の盛りはもう少し先のように感じたが、尾根道の左側(岩手県側)の紅葉が右側(秋田県側)より綺麗に見えたのには何か理由が有るのだろうか・・・?


帰り道 尾根道が続いているが、林道の法面が観えている山の陰まで戻ります。和賀山塊の奥に秋田駒ケ岳が見えていた。




ここは森林限界が標高900m位のようで、この辺まで下ってくると木々が結構紅葉していた。今年の色付きは良くない?




    岩手県側の峰越林道は、秋田県側と違いゆっくりと標高を下げ、長い沢沿いの道を沢内村まで下って行く。




  午後2時過ぎ、登山口まで戻って来た。車は1台しか残っておらず、関東ナンバーのバイクが停まっていた。



 登山口に戻って来ると車は1台しか残っておらず、車で来た方々は我々より早く登山を始めて、早く帰って来ていたようだ。車だと朝早くに家を出発しても、ヒーター効いた車内で寛げるのだが、この時期(最低気温が1桁)バイクの早出は厳しく、我々は登山開始が遅くなったのだ。

 それでも予定通り午後2時頃までに登山口に戻った我々は、バイクの装備に着替えて帰り仕度。汗で濡れたアンダーウェアーを脱ぎ、新しいTシャツに手を通すと・・・何とも心地良い・・・!

 関東ナンバーの SUZUKI V−Strom 1000 が停まっていて、ライダーが我々に岩手県側に抜けられるかどうか聞いてくる。

 わざわざ関東から峰越林道を走りに来ていたと思われるのだが、一人でこの時間にあの重いバイク((OFFバイク?)で通り抜けにチャレンジするのは、我々はお勧めしなかった。

 彼は我々のアドバイスに従い来た道を帰って行ったのだが、あの重いバイクで秋田の林道を一人で走ろうと言うチャレンジ精神には恐れ入った。もし側溝や深い溝に嵌ったらどうするのでしょうね・・・?

 一人では絶対脱出は無理でしょ・・・!?

 我々は下りの峰越林道を楽しんだ後、神宮寺の嶽の湯で汗を流し、5時過ぎに秋田市に無事帰還する。

 今回は晴天に恵まれ本当に楽しい山行きとなったが、秋田のバイクシーズンは残り1カ月を切った。

 残り少なくなった今シーズンだが、来シーズンの事は分らない私はバイクを貪欲に楽しみたいと考えています・・・・。



                                                 平田隆太郎



HY戦争 ジョグのOEM生産 更新日 2016.10.6


 昨日、HONDAYAMAHAが業務提携し、50ccスクーターでOEM生産を行う検討に入ったと云うニュースが流れて来た。

 ホンダの熊本製作所で生産しているタクトにヤマハのジョグ(現在は台湾の工場で生産)のエンブレムを着けて販売する計画らしいのだが、両モデル共に初めて発売された当時から知る私としては、複雑な気持ちになってしまった。

 1976年にホンダから発売したロードパルは、普段の足としては自転車しか持たなかった主婦層に爆発的に売れ、空前のファミリーバイクブームが巻き起こったのだが、足をステップに載せて乗るロードパルに対抗し、ヤマハは翌年足を揃えて乗るスクータータイプのパッソルを発売する。

 ホンダは足を揃えて乗るスクーターは安定感が無く安全性に劣ると考えたかどうかは知らないが、暫くスクータータイプのバイクは製造しなかった。その間ヤマハはパッソルの上級モデルパッソーラを発売、スクーター路線を強化していった。

 一方、昭和50年代前半(1970年代後半)、成川商会がベスパ(スクーターの王道)の正規輸入元になり、販路が整備されたぺスパはスクーターファンの心を掴んで全国で販売を伸ばしていた。

 当店も成川商会の販売店となり、秋田でも年間30台ものベスパ(殆どが50cc)販売した時期も有ったのだが、パッソルが7万円位だった時代に高額(26〜30万円前後)なベスパが売れたことは、スクーターの人気が高かった証だったと思われる。

  ボンダもスクーターが売れのを指を銜えて見ていた訳でなく、市場調査を行い(当店にもベスパの調査に来ていた)スクーター市場の広がりを確認、満を持して1980年タクトを発売するのである。

 ヤマハサリアンベルーガを発売してホンダに対抗、スクーターの販売は激化していくのであった。

 一時的に原付市場でホンダを越えるシェア―を持つようになったヤマハはホンダ越えを宣言、増産と値引き販売で国内販売台数トップを目指したのだが、ホンダもなりふり構わずそれに対抗、原付市場は乱売合戦に陥りメーカーは販売店に少しでも多くの台数を押し込もうと必死で、リベートが乱れ飛ぶ異常事態になるのであった。

 これが世に云うHY戦争なのだが、まだ原付が売れていた時代で販売店としては何十台も纏め買いをしても何とかなった良い時代では有りましたね・・・。

 結局ホンダはトップの座を譲る事は無かったのだが、両メーカーはこの戦争?で大きな痛手を受け、その後の決算で大きな損失を計上する事になるのである。

 そのHY戦争が終焉を迎えた1983年の3月に新発売されたのが ジョグ (機種コード:27V) で、当時から現在まで続くヤマハ唯一のスクーターモデルとなっているのだが、そのヤマハを代表する ジョグ がホンダの工場で製造され時代になるとは・・・。

 軽自動車ではよく見られるOEM車だが、HY戦争を経験した両メーカー間でOEM車を製造する時代になるとは、当時を知る販売店店主としては複雑な心境では有りますね・・・。



                                            平田隆太郎




無事帰還 FUNKYツーリングに行って来ました。 更新日 2016.10.2


 今回のツーリンッグは、岩手県の台風10号で甚大な被害を受けた地域に在る大規模林道を走る予定になっていて通行出来るか心配していたのですが、何とか通行は出来たものの北海道と同じような酷い状況でした。

 大規模林道の沢沿いを走る道は冠水し土石流に覆われた所が多く有って、現在は重機で取り除かれてはいたものの路面は砂や砂利が残っているOFFロード状態でした。

 SS系のバイクは場違いな感じの道路状況でしたが、私に引き返す勇気もなく最後まで走り切ってしまいました。

 バイクは泥だらけになってしまったのですが、台風10号の甚大な被害を知る貴重な経験になりました。

 天候は爽やかな青空が広がる良い天気でしたが、10月に入ってさすがに朝夕冷え込む季節になっていましたね・・・。

 レポートを書くネタは沢山有ったのですが、先ずは北海道レポート優先で考えてます。

 撮って来た写真を幾つか載せておきます。




        栗駒 須川温泉近くの紅葉はあまり進んでいませんでしたが、連休頃には見頃になりそう・・・?




      胆沢ダム建設に伴って整備された つぶ沼と祭時を繋ぐ 栗駒焼石ほっとライン を走って来ました。




                ダム湖沿いのパーキングからは 焼石岳 が見えていました。



                  このダム湖の下には石淵ダムが沈んでいます。




                      遠野 荒川高原から早池峰山を望む。




      この 鉄馬 GSX−R1000K5 も今回のツーリングで走行距離が9万4千キロメートルを超えました。





営業 北海道から帰って来ました・・・ 更新日 2016.9.22


 昨日の朝、北海道から秋田港に帰って来ました。行く前北海道は台風の影響も無く良い天気が続く週間天気予報出ていたのですが、結局1日中青空が出ていたのは最終日だけでしたね。

 それでも雨具を着たのは1日だけでしたので、天気はまあまあでしたかね? 新得や南富良野では先日の台風10号の爪痕が色濃く残っていて、回復には相当な時間が掛かりそうな感じでした。

 我々は予定に沿って走ったのですが、当初予定していた道が通行止めになっていたり、雨で予定を変更したりで結構タイトなスケジュールになった場面の有りましたね。







 上の写真は宗谷丘陵のレーダーサイトをバックした写真ですが、この宗谷丘陵の道も通行止めになっている区間が有って、予定を変更して遠回りして宗谷岬に向かいました。







 写真は三国峠の糠平側に在る橋から松見大橋を撮ったのもですが、三国トンネルの手前で通行止めになっていて糠平から層雲峡方面へは通り抜けが出来ないない為、交通量が極端に少なく大変走り易く久しぶりに走りを楽しんで出来ました。







 上は花咲港の宿で食べた花咲ガニ(一人に一匹付く)ですが、さすが地元で食べる花咲カニには内子が入っていて大変旨かったです。




                 ナイタイ高原牧場のソフトクリーム 350円




 ソフトクリームを食べる私。 ソフトの味は相変わらずの美味しさで、ランクはトップクラスを維持していましたね。







 ナイタイ高原レストハウスは一昨年の強風で倒壊、上物は綺麗に無くなっておりました。レストハウスはブレハブで営業していましたが、再建する計画は有るそうですがいつ再建出来るか未定だそうです。

 今回の北海道ツーリングのレポートですが、書きたい気持ちは有るのですがまだモトベーション上がらず、書くかどうか悩んでします。

 歳の事は言いたくないのですが、レポート書きは結構なエネルギーを必要とします。先ず北海道の疲れを取ってからになりますが、書くとしても結構先になるかもしれません。



                                              平田隆太郎



休業 明日から北海道・・・ 更新日 2016.9.15


 16日(金)〜20日(火)までお店は休業致します。今年2回目の北海道となりますが、先日の台風10号等の影響で北海道の道路は甚大な被害を受け、各地で通行止の区間が多数残っている状況に有り、事前に予定していたコースの変更を余儀なくされる状況になっています。

 それでも被害を受けた直後より状況は良くなってきていて、片側相互通行等で通行可能になっている個所が増えていますので、当日の朝状況を見てコースを決めたいと考えています。

 九月の北海道は天候が安定し(移動性高気圧と寒冷前線が交互にやって来る)長く雨に降られる事は少ないのですが、今年の天候は異常?ですし台風も来ていますのでどうなる事やら・・・?

 ツーリングレポートですが、体力は確実に低下していますから無事帰還出来かどうかの不安も有るのですが、無事に帰って来ましたら書く方向で努力したいと思っています。



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加齢? 手がヤバイ・・・! 更新日 2016.9.12


 私は2〜3ヵ月前から手の指を動かすと関節に違和感を感じるようになっていた。どう見ても以前より指の関節の可動範囲が狭くなっており、Goo をしっかり握れないようになっているのに気が付いたのだ。仕事をする上で問題は無いのだが、長くバイクに乗っていると以前と比べ手が疲れるようにもなっていた。

 手の違和感に最初に気付いたのは左手小指第一関節の腫れで、動かそうとすると痛いし指先が内側に少し変形しているように見える。

 最近腫れは徐々に引いて傷みも和らいできたのだが、指が動かなくなっていは仕事が出来ないし何よりもバイクに乗れなくなってしまうので、先日整形外科に行って来た。

 両手の]線写真を撮り、血液検査の為の血を取って診断を受けたのだが、左手小指の腫れや変形はヘバーデン結節と呼ばれる疾患で、40歳以上の女性に多く発症し手を良く使う人がなりやすい傾向が有るらしい。

 私は男性だが手を使う職業だしバイクに乗れば手を良く使うので発症してもおかしくは無い?のだが、左手の小指は仕事でもバイクでも殆ど使わないの指なんだよなぁ・・・?

 関節リュウマチも考えられるので血液検査を受けたのだが、連絡が無いのでリュウマチでは無かったようだ。

 ヘバーデン結節の原因は良く分かっていないようなのだが、最大の要因は加齢のようで医者(年齢は80歳を超えている)に指の曲がった手を見せられ、貴方もそんな歳になった事を自覚しなさいと言われてしまいました。

 ]線写真を診ると、左手小指第一関節の軟骨部分(軟骨は写らない)は殆ど写っていらず、関節の隙間が無くなっていましたね。

 他の指の関節は隙間が有って問題は無いと言われたが、指の骨の端が関節側に伸びで来ていて、それが邪魔をして関節の可動範囲を狭くしているようだった。Gooがしっかり握れなくなったのはそれが原因のようなのだが、その原因も加齢の因ると医者に言われ、私はまた自分の歳を自覚するのでした。

 バイクのように不具合パーツを新品に交換出来ない人間場合、症状の悪化が先になるよう祈るしか出来ないのだが、日々細胞が老いて行くのは止められない訳で、いつまでバイクに乗っていられるかが心配(仕事では無く?)ではあります・・・?!


                                                      平田隆太郎





BS11 何とかしろ・・・! 更新日 2016.9.8


 昨晩 BS11で放送している 大人のバイク時間 MOTORISE ( HONDAYAMAHA がメインスポンサーの番組)を観たのだが、今回は ぐっさんのバイク旅 との企画で、タレント?の山口智充が単独でCB400SFに乗って岐阜県をツーリングする番組だった。

 山口智充は何回かこの番組に出演していて私は彼がバイクを走らせる姿を見ていたのだが、彼のライディングフォームが以前から気になってしょうがなかった。

 この番組のスポンサーがバイクメーカーでなければ私はこんな事は書かないのだが、つま先がハの字に開きだらしなく垂れ下がった彼の足先を見ると、私は

  HONDA と YAMAHA に 「何とかしろ・・・!」 と叫びたくなってしまった。

 番組(大人のバイク時間 MOTORISE)の中でもライディングスクールを開き、正しいライディングフォームをレクチャーしておきながら、番組の主演ライダーがあのライディングフォームで走る事を許しているHONDAYAMAHA の番組担当者に腹が立ってしょうがない。

 担当者は正しいとされるライディングフォームを知らない人間なのかもしれないが、メーカーのチェック体制はどうなっているのか・・・? 世界に名立たる大企業も大した事が無いと、私は呆れてしまいましたね・・・。

 番組を見た初心者ライダーが、彼のフートレストからハの字に垂れ下がった足先と偉そうに腕を突っ張ったライディングフォームを 「 カッコイィー 」 と勘違いして、真似しないともがぎりませんから HONDA と YAMAHA には早急にくっさんのライディングフォームをチェックし、メーカーが推奨する模範となるライディングフォームで放送してもらいたいと思います。

 こんな時こそスポンサーが番組に口を出さなくてどうするんですか・・・。

 番組のメインキャスターを務める元GPライダーの中野真矢も公道においてはまだまだ初心者だが、正しいとされるライディングフォームで走ろうとする努力が見受けられ好感が持てるのだが、ぐっさんは頂けません ・・・。



                                                     平田隆太郎



羽幌 吉里吉里 更新日 2016.9.4


 今回のRetit北海道で、私は久しぶりにオロロンライン羽幌の宿 吉里吉里 に宿泊する事にしたのだが、羽幌は位置的に昨年の増毛同様FUNKYのルーティーンでは宿泊地としては選択されない場所に在って、通常は宿泊として選ばれる事はまず無い。

 しかし今回、Petit北海道の日程を1日延長する事になり、旭川から北に宿を探す事になり私は13年ぶりに吉里吉里に泊る事にしたのである。



 左が13年前の吉里吉里の写真、下が現在の吉里吉里の写真なのだが、比較するとペイントのカラーは変わっているものの基本的に建物は変わっていないようだった。

 我々は予定していた旭岳ロープウェーを諦め(霧で何も見えなかった)旭川の旭山動物園を見学した後、当麻から愛別に抜け岩尾内経由で下川で昼食(うどん)、名寄、母子里、添牛内、霧立峠経由で羽幌に到着した。







   バイクを止める場所に置かれた鉄板は相変わらずで、サイドスタンドをその上に置く事をチェックされる。



 私は今回久しぶり(19年ぶり)に走る名寄と母子里の間に在るワインディングロードを楽しみにしていたのだが、名母トンネル手前の道を以前と変わらず楽しむ事が出来た。前回は名母トンネルから名寄方向へ下りで走ったのだが、今回は名母トンネルへ向かって上りで走る事になり、私はこの上りを大いに楽しみにしていた。
 
 この峠道はそう長くはないが、道幅も有って路面も良く、浅いコーナーや深く回り込むコーナーが巧みに組み合わされた峠で、走り慣れないと結構難しい。それだけに上手く走れると達成感の有る楽しめる峠なのである。


 我々は名寄から朱鞠内まで一気に走り抜け、以前深名線の朱鞠内駅が有った場所(今は駅構内の敷地を利用してパターゴルフ場?)にバイクを止めた。

 私がこのパーキングにバイクを止めたのも久しぶりだった。それは11年前の2005年の秋、霧立峠を札幌ナンバーとコラボした後、アドレナリンが出た状態でここにバイクを止めたのを思い出す。

 私はここでトイレを借りたのだが、用を足して外に出たらJRバスがやって来た。考えてみたらこの場所は駅跡ですから、停留所になっていても当然ではありますね・・・。

 休憩後我々は添牛内に出て右折、霧立峠へ向かってペースを上げる。初めて霧立峠を走ったのは30年位前だったと思うが、深い中速コーナーを一寸長目の直線で結んだコースレイアウトに、私は強く北海道を感じたのを思えている。


 その後、霧立峠はFUNKYの定番コースとなったのだが、最近峠が近くなったと感じる事が多くなった。30年前とは乗っているバイクが違う(当時は250か400cc)ので当然と云えば当然なのだが、30年も走っていると峠のレオアウトが頭の中に入っていて、コーナー一つ一つを思い出しながら走っているとアッという間に峠に到着してしまうのである。

 この峠では、深いバンク中に強風に押されて更にバンクさせられたり、長い下りの直線のブレーキングに痺れたりで多くのエピーソドが作られて来たのだが、今回は他のメンバーのバイクを借りて走る機会が有った。

 バイクが変わると使うギヤも違うしブレーキのタイミングを違うので、ゆっくりなペースでの走りになってしまったのだが、私は以前の霧立峠の走りを一瞬思い出してしまいました・・・。

 霧立峠は何十年と変わらずに其処に在るのだが、走るバイクが違ったり走る季節や天候によってもその印象は変わってくるし、走った時の年齢によってもその印象は変わってくる。バイクの楽しさはそこに有って、走る所は変わらなくても飽きる事は無いのである。

 霧立峠を出発した我々は苫前方面に向かったのだが、古丹別から羽幌への近道をこの方向で走るのは初めてであった為、曲がる道を間違え道に迷ってしまった。反対方向には3年前に走っていたので間違えるとは思ってもいなかったのだが、歳は取りたくないものです・・・記憶が曖昧でしっかり間違えてしまいました。

 1km位?走って?マークが出た私は止まって地図で確認をしたのだが、右に曲がる道を1本間違えていましたね・・・。私の脳内ナビゲーション、新しい道は出発前に地図を見て新しく書き込んで行くのですが、実際の景色とマッチングさせて定着するまでは結構間違える事が多いです。

 まぁ 間違いを繰り返しながらアップデートしていくのですが、毎年間違いが多くなっているようには思いますね・・・。

 羽幌に出だ我々は、GSの洗車機で汚れたバイクを綺麗にした後、13年ぶりに私は今宵の宿 吉里吉里 の前にバイク停める。

 駐車スペースには以前と変わらずサイドスタンドを置く鉄板が置かれていて、私はその鉄板の上にサイドスタンドを合わせてバイクを止める。前回来た時適当に停めてオーナーさんからチェックが入ったのだが、今回は店先で作業をしていた若者(息子さん?)からチェックが入った。

 吉里吉里は泊る部屋が母屋から独立していてお客が勝手に出て行く事が可能なのだが、その為13年前はヘルメットを母屋に人質に取るシステムになっていた。今回もそのシステムは踏襲されていて、私は入口横の棚にヘルメットを置く。

 下の写真の左側が13年前の物で右側が今回の写真だが、どちらもSHOEIDAIJIROモデルである。

 2003年は加藤大治郎が鈴鹿で不慮の事故で他界した年で、私は追悼の意味もあって他のモデルより3000円?高い X−8RS DAIJIRO モデルを買ったような記憶がある。それから9年後の2012年、私は再び X−12 の DAIJIRO モデルを買ったのだが、その後吉里吉里のライダー名鑑に再びDAIJIROモデルを被って載る事になろうとは思ってもいませんでしたね・・・。


 2003 SHOEI X-8RS DAIJIRO         2016  SHOEI X-12 DAIJIRO



  吉里吉里のライダー名鑑の中に見付けた13年前の写真。TZR250Rの横に立つ私の髭はまだ黒いかった・・・。



 13年ぶりお会いするオーナーさんご夫婦はその歳月を感じさせないお姿で対応してくれたのだが、奥様の方は以前より少し若くなられたように感じましたね・・・。

 お姿はそんなに変化の無かったお二人でしたが、お客への対応は大分軟らかくなっていました。以前は宿の規則をキッチリ守らせようとする気持ちが強かったように感じたのですが、今回訪れてみて感じたのは角が取れお客への対応が丸くなった事でした。


 お二人も年齢を重ねられ変わって来たのだと思いますが、変わった事の一つが食事の仕方でした。左は2003年お客と一緒に食事するオーナーさんご夫婦の写真だが、今回はお客だけで夕食を取るかたちで、お二人は給仕に徹しておりました。

 もっとも我々が夕食を取ったCAFEはその時も営業中でして、その日も奥の席で若いカップルが食事デート中でした。

 お二人はそちらの給仕も御座いまして泊り客と一緒の食事は 無理 の状況だったのですが、私的には以前より気兼ね無く食事が出来て良かったです・・・?

 私は夕食前の乾杯用にサントリーのTHE PREMIUM MALTS をオーダーしたのだが、私はそのPREMIUM に思い出が有った。




   2016 夕食メニュー    内容は13年前よりオシャレにアップデイトしていて以前に増して美味しかったです。



2003年に北海道でテスト販売?されたTHE PREMIUM MALTS 当時の夕食 食材はそんなに変わらない・・・?



 13年前に吉里吉里に泊った時、夕食で今回と同様に乾杯用の瓶ビールを頼んだのだが、私は見慣れないビールが出て来て驚いた。SUNTORY THE PREMIUM MALTS のラベルが貼られたそのビールは、まだ秋田では見た事の無いビールだった。

私は  「サントリーかよ・・・!?」  と 少し落胆した記憶が有る。

 当時のサントリービールは、戦前から有ったキリン・アサヒ・サッポロと違い戦後(昭和38年)参入した後発ビールメーカーで、販売シェアーでも他メーカーに大きく水を空けられていた。飲食関係のお店でサントリービールが出て来る事はまず無く、唯一?キャバレー関係はペンギンをキャラクター(古い)にしたサントリービールが主流だったなぁ・・・?

 売れない原因は美味しくなかった(私見ですが・・・)からと思われるのだが、吉里吉里で出て来たサントリービールはそれまでに飲んだ事が無い感動的な美味しさで私は大いに驚いたのだが、その後全国販売された THE PREMIUM MALTS はサントリービールの立ち位置を変えて行く事になるのである。

 サントリーが現在のようにビールメーカーとして確固たる地位を築けたのは2003年に発売したTHE PREMIUM MALTS のお陰と云っても過言では無いと私は思うのだが、私がその13年後に訪れた吉里吉里で出てきたビールはやはり THE PREMIUM MALTS だった。

 私は初めて飲んだ THE PREMIUM MALTS の事を思い出しながら乾杯をしたのだが、今回は何の感動も無く空のコップをテーブルに置きましたね・・・。

 テーブル上に並ぶ夕食は、羽幌が日本一の漁獲量の甘エビをはじめ地元産の食材を使用した物が並んでおりそれは以前と変わらなかったのだが、料理のグレードは明らかに上がっていてより洗練された料理となっていた。

 味も以前より数段洗練されていてオーナーさんご夫婦の料理の腕は格段に上がっていて、私は感心してしまいました。何回行っても定番メニューが出て来る宿も安心感が有って良いだが、行く度に何かが変わっている宿もまた嬉しくなる。

 吉里吉里では食後近くの温泉に送迎サービスを行っているのだが、今回は到着して直ぐにお風呂に入ってしまったので、温泉には行かずじっくり飲む事にしました。




                        ワインも頂いて結構酔っています・・・?



 今日は連休最終日とあって泊り客は少なく、我々以外の泊り客はタンデムでバイク旅をするご夫婦(50歳代後半?)だけだったのだが、ご夫婦は食後部屋に戻られて我々だけで飲む事になった。我々の奥の席では若いカップルが楽しそうに語らう話声が聞こえていたのだが、我々は話題はもっぱら今日の走りやバイクの話で盛り上がっていましたね・・・。

 我々は11時には部屋の戻り寝る事にしたのだが、明日は雨の予報が出ており天気が心配ではあった。

 夜中に雨音を聞いたような気もしたのだが、アルコールを多く摂取してしまった私は朝までぐっすりでしたね・・・。

 北海道最終日の朝が明け私はベットで目覚めたのだが、雨音が聞こえていて私は

   「やはり 雨かぁ・・・」     私は再び眠りに就くのでした。

 再び目が覚めた時、時間はすでに6時半を回っていて、私は部屋の外に出てみる。泊った部屋の外には屋根が無く、私がドアを開けると雨が吹き込んできて結構な雨が降っていた。

 私は急いで屋根の有る所まで走ったのだが、北海道最終日が雨で始まった事に私のモチベーションは下がりまくりでしたね・・・。




                 朝食メニュー  牛乳 か リンゴジュース を選択出来ます。




    食後のコーヒーを頂きます。 奥の招き猫は左手を一日中左手を動かして客を招いていましたね・・・。



 美味しい朝食を頂いた後、我々は出発の準備に取り掛かる。私はヘルメットを部屋に持ち帰えり、シールドに撥水剤と曇り止めを塗って雨対策を施す、装備も雨具を着る事を考えインナーを一枚少なくする。

 出発の準備を整えた我々は、オーナーさんに一声掛けて外に出る。吉里吉里を出発する時、お客はオーナーさんに声を掛けるのがお約束となっている。それはライダー名鑑(お客は前日に写真に添えるコメントを記入済み)に載せる写真撮影の為なのだが、我々が荷物を積み終える頃カメラを手にしたオーナーさんがやって来た。

 13年前は一眼レフの大きなフィルムカメラだったのだが、今回はコンパクトデジカメになっていて、私は時代の移り変わりを感じてしまいました。

 変わったのはカメラだけではなく、以前はバイクの置き場所、ライダーの立ち位置、ヘルメットの持ち方等オーナーさんから細かくチェックされたのだが、今回は注文も少なくあっさりと撮影が終了してしまいました。

 雨でヘルメットを被って出発の準備をしていた私は、写真撮影時はヘルメットを脱ぐ事を覚悟していたのだが、オーナーさんに聞いたら被ったままで構わないと言うし、立ち位置も特に指示は無かった。

 雨が降っていた事も有り、私はどんな撮影になるかと緊張していたのだが、拍子抜けでしたね・・・。

 13年前と比べオーナーさんの名鑑撮影への拘りが少なくなったと感じた私だが、食事の対応等も含め吉里吉里さんの13年の歳月を感じた名鑑写真撮影でした。

 今回雨が降っていてカメラを出すのが億劫だった私は写真撮影の様子を撮らなかったのだが、今考えると撮っておけば良かったと悔やまれます。

 オーナーさんが撮影した我々の名鑑写真は吉里吉里に行けば見る事は出来るのだが、FUNKYの通常コース設定と私の余生を考えると、見られる可能性は小さい言わざるをえない・・・?




    13年前の他メンバーの撮影の様子。  立ち位置やへルメットの持ち方等結構注文が多かったのだが・・・。



 写真撮影の様子を後ろで見ていた奥様は、我々の荷物の小ささに驚いていた。確かに宿(やど)泊まりとは云え4泊5日の荷物としては小さいかもしれない。数多くのライダーを見て来た奥様ですから、我々の荷物の小ささに気付いたのだと思いますが、我々の荷物の大きさにはそれなりの理由が有ります。

 我々が乗るSS系(それだけではないのですが・・・)バイクの場合、タンクバックはライディングスタイルを制限するので不可、サイドバッグは重心が変わるので不可、最近流行り?のTOPケースやサイドBOXもハンドリングへの影響が大きく不可、四角のプラスティックBOXは論外だが、結局我々の選択はシートバッグとなるのである。

 容量は最低でも30リッター以上が必要で、40L位に増量(お土産用)出来ればより良いのだが、大き過ぎてもハンドリングに影響が出るので35L位が上限かもしれない。

 形状は出来れば丸みの有る流線形が良いのだが、現在この条件に有ったシートバックは探すのは結構難しい。

 現在、11年前に購入したカッパのシートバッグ(30〜40リッター)を使用している私だが、大分くたびれていて修理をしながら使用している状況である。このバックは暫く前にカタログ落ちしておりまして、ポスト カッパシートバッグ が私の直近の課題となっている。

 4泊5日のツーリングで30リットルのバッグ容量では役不足では有るのだが、メンバーは圧縮袋を使用したり、途中の宿で洗濯したりして持参する衣類の削減を図っている。

 その努力が奥様を驚かせる事になったのだが、リヤシートの取り付けたバッグ取付プレート等我々の荷物のパッキングには、FUNKYの30年以上にわたる北海道ツーリングの know−how がぎっしりと詰まっているのである。

 我々が出発する頃になると、雨は小降りになっていた。我々はオーナーさんご夫婦に見送られ苫前に向かって走り出したのだが、前方の空が少し明るくなっているのが見え、私のモチベーションも少しずつ上がって行くのであった・・・・。

 苫前を過ぎ小平近くまで来ると雨は殆ど上がったのだが、路面はまだ黒く光っていた。私がオロロンラインの苫前〜留萌間を走るのは本当に久しぶりで、前回走ったのは20世紀の事だったかもしれない。

 オロロンラインは、その昔FUNKYが北(宗谷岬)を目指す時のメインルートだったのだが、内陸のルート(幌加内を通る国道275号)を使うようになって、小樽から稚内まで通しで使う事は無くなった。

 オロロンラインは左手に美し日本海を見ながら走る快適な道で、北海道を訪れるライダーが北を目指す時必ずと云っていいほど走る道なのだが、景色の見え方やその他の事情を考えると北上する方向に走るのがお勧めかな・・・?

 私は今回苫前と小平の間に在る 道の駅 おびら鰊番屋 に立寄る事を楽しみにしていた。この道の駅は私が以前通っていた頃には無かった道の駅(北海道に道の駅その物が無かった?)で、鰊番屋を模した建物の道の駅がどんな物なのか、私は一度見てみたかった。

 我々が 道の駅 おびら鰊番屋 に到着した時、道の駅はまだ営業しておらず中に入る事は出来なかったのだが、中を覗いた感じでは他の道の駅と大きな違いは無いように見えましたが・・・どうなんでしょう?

 この道の駅の最大の特徴は 道の駅の隣に建つ 国指定の重要文化財 「旧花田家番屋」 で、その存在感の有る威風堂々たる建物は、昔の栄華を偲ばせていた。

 生憎中に入る事は出来なかった(月曜が定休日で訪れたのは火曜日だったが、前日が祭日だったから?)のだが、立ち寄った甲斐はありました。




                    初めて訪れた  道の駅  おびら鰊番屋




    道の駅のモデルとなった   鰊番屋のオリジナルの建物 大きな建物に当時の繁栄が偲ばれる。



 我々は次の目的地増毛のパン屋さんに向かったのだが、天候は安定せず時々小雨が降る天候が続くのでした。

 留萌の街を抜け、一年前に泊った増毛の街のパン屋さんへ向かったのだが、信号を一つ間違えて少し道に迷ってしまった。我々が目指すパン屋 スカンピン SKANPIN さんは、以前 オーベルジュ増毛 で食べた美味しいパンを作っているパン屋さんで、一度訪れた事が有ったのだがその時は日曜日(定休日)で買う事が出来なかった。

 今回はリベンジの訪問だったのだが、今回は営業していてパンを買う事が出来ました。このお店はご夫婦(30歳代後半?)で切盛りされていて、ご主人は本土の方だが札幌で修行をされて増毛に店を出したらしい。店に入ると奥様が居て(奥様は北海道の方)応対してくれたのだが、お勧めを聞いたら地元産のリンゴを使ったアップルパンがお勧だと云う。

 私はアップルパンの他に2品の菓子パンを購入、本当はオーベルジュで食べたバケットようなパンを食べたかったのだが、大きなパンはバックに入らず諦めました。食べたアップルパンも他の菓子パンも大変美味く頂いたのですが、やはりオーベルジュで食べたパンの味が忘れられないなぁ・・・。

 外で食べている所にお主人が帰って来て、中で食べるように勧めてくれる。中で少しお話ししてもらったのだが、地元に根ざしたご商売をされていて昨年泊った宿のご主人とは違ったタイプのご主人でしたね・・・?



       國稀が在るメインストリートから1本東に入った通りに SUKANPIN は在ります。




                  店内の椅子でパンを頂きました。




                  名前は忘れたが美味しかった菓子パン



 美味しいパンを頂いた私は、増毛を発って道道94号で北竜に向かう。この道道94号は昨年初めて走った素敵な道で、私は路面が濡れていないか心配していたのだが、内陸に入っても路面はドライで、走りを大いに楽しむ事が出来たのは幸運でした。

 しかし、走りを楽しめたのはここまでで、その後2ヶ所ほど有った楽しい道はフルウエット状態で走る事になってしまいました。

 北竜のひまわり畑(昨年同様ひまわり畑はまだ一面緑だった)に立寄った後、我々は国道275号で札幌を目指したのだが、国道275号の混雑を嫌って滝川から国道451号に右折して道道28号に左折、当別ダム経由で国道275号の当別にもどる。

 滝川から当別ダムまでは楽しい筈だったのだが、山の中は結構な雨が降っていて気を使う走行になってしまった。それでも当別で国道275号に出た時の混雑ぶりを見ると、路面はウエットでも当別ダム経由で良かった私は思ってしまいました。

 国道275号で札幌に出た我々は、所用を済ませた後国道435号に入って支笏湖方面に向かい、途中から道道117号に左折して恵庭に向かう。

 私はこの道を走るのが初めてで楽しみにしていたのだが、次第に雨が強くなってきてしまい車の後ろに着いて走り恵庭に到着、雨の中国道36号で千歳まで走りっていつもの道道129号に左折、鵡川のラーメン屋さんを目指す。

 太平洋沿岸に出ると雨は殆ど上がっていたが、時々パラパラと来る天候だった。我々は自動車専用道 苫東道路に上がり厚真門別道路に入って鵡川に急いだのだが、今回 ラーメン秀来 向かう我々に大きな目的が有った。

 我々が 鵡川の ラーメン秀来 を初めて訪れたのは2011年の秋だったのだが、それから5年間我々はラーメン秀来のポイントカードにコツコツとスタンプを集めて来ていた。

 ラーメン秀来のポイントカードは、スタンプを20個集めるとラーメンが1杯無料となるのだが、年に一度しか行く事が出来ないお店(偶に夏に行ける事も有るが・・・)でスタンプ(500円毎に1個)を20個集めるのは至難の技で、当初はスタンプを集めるのは無駄と思われた。

 ところがである、ご主人のご厚意でメンバー全員のスタンプを1枚のカードに集約される事になり、無料ラーメンが現実味を帯びて来たのである。そして苦節5年、昨年の秋にスタンプカードに20個のスタンプが並ぶ事になったのだが、使えるのは次回の精算時との事で今回が其の時だったのである。

 そのカードが下の写真なのだが、我々はそのカードを懐に秀来のパーキングにバイクを停めていそいそと店内に入る。私は定番の天塩ラーメンを注文したのだが、この分は無料になる前提に豪勢にチャーハンも注文、皆さんでシェアーする事にしました。




                 この20個のスタンプを集めるのに5年の歳月が必要だった。




                     鵡川 秀来の 天塩ラーメン  お勧めです。


 美味しくラーメンを頂いた後、いよいよ支払の時がやって来る。支払いを担当したメンバーは誇らしげにスタンプが20個押されたカードを差し出したのだが、精算は事務的に行われそして新たなカードを受け取るのだった。

 この新たなカードが満杯になる時、私がその場にいる可能性は限りなく低いのだが、FUNKYの秀来における新たな歴史が始まった瞬間であった・・・!?

 私は店の外に出て西の空を見上げる。今日は生憎の空模様で鉛色の空しか見えなかったのだが、私はここを初めて訪れた時に観た鮮やかな夕焼けを思い出していました・・・。




   初めて訪れた時の夕焼けが印象的だった秀来だが、奥のトタン屋根の小屋は今は無く、歳月を感じますね・・・。



 苫小牧東港フェリーターミナルに到着してみると、既に多くのバイクが乗船待ちの列を作っていたのだが、係員から指定された秋田港行きのレーンには新潟行きのレーンより多くのバイクが並んでいた。

 新日本海フェリーが秋田港に寄港するようになった1999年から、私は毎年このフェリーに乗船して来たのだが、秋田港行きが新潟港行きより多かった事は今まで一度も無く驚いてしまった。

 秋田港行きのバイクは、これまで我々を含めても10台を越えた事は無かったと記憶するのだが、今回は新潟港行きより多く20台以上はいましたね・・・?

 秋田港行きレーンに並ぶナンバーは、秋田、山形、岩手、宮城等の東北ナンバーが多かったが、関東ナンバーも結構多くいて、秋田港行きは何故か関東でも人気になっているようである・・・!?

 その理由を知りたいところだが、秋田県人としては秋田港枠が直ぐに満杯になってしまうので人気が無い方が有り難いのだが・・・!?




    苫小牧東港フェリーターミナル到着  今回は珍しく新潟行きより秋田行きの方がバイクの数が多かった。?




  左のレーンが新潟行き 右が秋田行きだが、秋田行きが多いのは私の中では初めてでした。 理由は不明・・・?



 乗船時間になって乗船が始まったのだが、今回私はこのフェリー乗船18年目にして、初めての経験をしてしまいました。

 新日本海フェリーの乗船は埠頭に設けられた長いスロープを上って行くのだが、上った先の乗船口の直ぐ前には大型トラックを転回する丸い大きなターンテーブルが設置されている。私が乗船すると直進してそのターンテーブルの上に止まって係員の指示を待つよう言われたのだが・・・。

 私はそこに止めるとハンドル切れ角が少ないGSX−Rの場合、左に在る指定場所にバイクを止められないと判断、ターンテーブルから外れた少し右側にバイクを止める事にした。

 バイクを止めた私はいつものように右足を出したのだが・・・・右足に何の応答が無かった・・・・!?

 バイクは傾いて行き、アッという間に横倒しになってしまった。バイクは他の人の手を借り引き起こされたのだが、私には横倒しになった理由が分からなかった。

 私はGSX−Rのサイドスタンドを出して止めた後床面を確認したのだが、良く診るとターンテーブル部分が周りの床より少し高くなっていた。その為ターンテーブルから右奥方向に結構な傾斜ついていて、それは短足の私には無視出来ない傾斜だった。

 傾斜している事が分かっていればそれなりに足を出して倒れる事は無かったと思うのだが、気付いた時にはバイクが大きく傾いていて、どうする事も出来なかったのである。

 私の足がもう5cm長ければ問題は無かったのだが、私はフェリー内で初心者のように転倒してしまったのが本当に恥ずかしかった。バイクのダメージは、一昨年女満別空港前で転倒した時の傷の上塗りで大した事は無かったのだが、大勢の前で転倒する姿を見られた精神的ダメージが大きかったですね・・・。

 次の日の朝フェリーは秋田港に着岸、我々は秋田に帰還する事が出来たのだが、今回のツーリング途中に私のGSX−RのODDメーターは9万kmを越えてしまいました。

 このペースで行けば来年中には10万kmの大台を超えそうなのだが、GSX−Rは問題無いとしても私自身の問題が出て来そうな今日此の頃ではあります。



                               おわり


                                                   平田隆太郎




南富良野 落合 ベリーズ 更新日 2016.7.28


 今回道内2日目の昼食は、国道38号のトマムへの分岐地点落合から少し入った所に在る ベリーズ で食べる事にしました。

 我々は狩勝峠を駆け上り、長い直線が終了する手前右側のパーキング(そばの幟が有る?)の奥から狭い小道(一応舗装)を入って行く。昨年はそこから少し入った所に在るおそば屋さんで昼食を食べたのだが、今回はその小道が広い中央線の有る舗装路いにぶつかったT字路を右折、そのまま道なりに走って行く。

 ベリーズを訪れるのは初めてで、私は凄い山の中の在ると勝手に想像していたが、その道を少し走った右側の白樺の森にベリーズの看板を発見、意外と開けた場所に立っていて拍子抜け?でした。

 我々がバイクを止めると、外人さんが工事中の家から出て来て我々に挨拶をして店の中に入って行った。このお店では外人さんの研修生を受け入れているようで、大勢の外人さんが働いていて独特の雰囲気でしたね・・・。




        奥に見えるのはハスカップの畑。客さんが自分で摘んで来た実で生ジュースを作ってくれる。




     こちらの建物では川で小型のゴムボートで遊ぶゆらゆらダッキーツアーを企画しているらしい・・・。



 ベリーズの敷地内には ゆらゆらダッキーツアー の事務所が有って、すぐそばを流れる シーソラプチ川 で船遊び(ダッキー:小型のゴムボート)が出来るらしいのだが、前日までの予約が必要のようで今回は諦めました?

 白樺に林の中に建つ Farm&Cafe ベリーズ は、食事も出来るカフェ・レストランで、ベリーの摘み取り園にもなっていて、オーガニック栽培のブルーベリーやラズベリーなど7種類のベリーを摘み取る事が出来るらしい。

 私はアプローチの階台を上ってすぐ右の入口のドアを開けたのだが、階段を上った左にはエゾシマリスを餌場が有って、そこではエゾシマリスが高い確率で見る事が出来るようになっている。




  正面入口   訪れていたお客さんは若い女性客が多かったが、家族連れも多かった。ライダーは我々だけ・・・?




              奥のハスカップ畑では、ハスカップを摘むお客さんの姿が見られた。




    入口の横にはおすすめメニュー等が書かれた看板が置かれていた。  お勧めは ガレット のようです。




            周りの雰囲気とはちょっと違った雰囲気のドアを開け中に入る。



                                              つづく




                                メニュー



































 私は数あるメニューの中からそばパンセットを頂いたのだが、パンはともかくトルティージャ(スペインオムレツ・下の写真の三角のやつ)とエゾ鹿のソーセージは美味でしたね・・・。

 トルティージャエゾ鹿のソーセージは単品で有るようですので、それぞれ単品で食べても充分満足出来ると思いますよ・・・。




           そばパンセット   三角のトルテージャ(スペインオムレツ)?が美味かった。




                     そばパンは、あまりそばを感じないパンでした。




             お店お勧めの ガレット    私もお裾分けで頂きましたが、美味しかったです。



 お店お勧めの ガレット も頂きました。私はガレットなる物を食べるのは初めてで、どんな物なのか期待度100%で頂いたのですが、一押しメニューだけ有って期待を裏切らない美味しさでした。

 ガレットとは、そば粉・水・塩などを混ぜて寝かせた生地を熱した鉄板に注ぎ、こてで薄い円形に伸ばし正方形に折りたたんだ焼き物で、クレープの原型となったフランスのブルターニュ地方発祥の料理らしい。

 クレープと異なり片面だけを焼き、生ハムなどの肉類、魚介類を載せておろしたグリュイエールやゴーダなどのチーズと共に焼き、卵を焼いている途中のガレットの上に割り込み目玉焼きのようにして火を通し、サラダなどで飾って提供する料理らしい。

 ベリーズのガレットには、エゾ鹿のソーセージとチーズと卵が載って焼かれており、外のパリッとしたそばクレープがチーズと卵とマッチし、ソーセージと共に食べると何とも美味でした。

 一度ご賞味あれ・・・・!




           お店の人に摘んで来てもらった ハスカッブ生ジュース ビックリする位濃厚です。



 ここの生ジュースは、摘み取って来た木の実(時期によって種類は違うが、今回はハスカップだった)を生ジュースにしてくれるのだが、摘み取りはお客さんも出来るとあって殆どのお客さんは木の実を入れるカップを手に外に出て行き、カップいっぱいの木の実と共に帰って来ていた。

 私は摘み取り体験に興味も無く時間も無かったので、摘み取りはスタッフさんにお願いしたが、自身で摘み取って来た木の実はそのままジュースにするようで、量は摘み取りの頑張りしだいのようである。

 スタッフが摘み取って来るのに多少時間が掛ると言われた ハスカッブ生ジュース だが、そんなに時間が掛らずに運ばれて来て、私は一口飲んでみた。

 濃縮ジュースのような濃厚なハスカップジュースは、甘さより酸っぱさが勝った味だったが、それはそれで今まで味わった事がない美味しいジュースだった。少々残念だったのは、カップ容量の大半を氷が占めており、ジュースの量が少々物足りなかった感が有った事かな・・・。

 それを解消するには、自分で多くの量を摘み取ってくるしか無さそうである。




           エゾアムプリン  チーズケーキのような食感ですが美味しいプリンです。 お勧めです。



 デザートに エゾアムプリン を食べたのだが、このプリンがまた美味であった。プリンとしては少々固目だが、その濃厚な味わいは私は今まで食べた事が無い味でしたね・・・。 お勧めです。

 但し、数量限定のようですのでお気を付け下さい。




     入口横に設置されたエゾシマリスの餌場    普通にいましたが、動きが小さいので最初置物かと思いました。



 私が店内に入った時、スマホを持った両親とデジカメを持った女の子(小学校3〜4年生?)が、窓の外を見て興奮気味に何かを見ていた。

 「あそこ あそこ あのボートの舳先の所にいる・・・」

 お父さんは指差していたのが、女の子は見付けられずにいた。結局3人はその写真を撮りに外に出て行き、暫くして満足した表情で戻って来た。

 フェミリーが追っていたのはエゾシマリスだったようで撮って来た写真を見せ合っていたのだが、入口の横に餌場が有る事を知りそこで思う存分エゾシマリスの写真を撮っていましたね・・・。

 私も食事の後外に出てその餌場の存在を知ったのだが、そこにいたエゾシマリスは私の姿を見ても逃げる訳でも無く、餌を食べていました・・・。

 餌場の設置は店の営業に寄与しているとは思いますが、野生動物の餌付けはどうなんでしょう・・・?

 私は?マークが出ましたね・・・。



                 人が近づいても慣れていて逃げませんでしたね・・・。











 ベリーズでのランチは、味的にも価格的にも満足のいくものでした。狩勝峠を通る機会が有りましたら、立ち寄ってみてはいかがでしょうか・・・。



                           おわり


                                                     平田隆太郎


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